◎今月の話題


江戸時代は循環型社会の見本

農林水産省 農林水産政策研究所 所長 篠原 孝








暗黒の時代とされた江戸時代

 今でこそ「江戸学」なる言葉も使われるほど江戸は関心が持たれているが、民
主化とか自由化といったことを是とする考えからすると、どうも何となく江戸時
代は×印の時代だった。そのパターンからすると、日本は明治以降に近代国家の
途を歩み始め、今日の繁栄に結び付けたとすることが一般的である。

 この考えでは、江戸時代は封建的で産業も発展せず、暗い世の中だったという
ことになってしまう。事実、明治以降の教科書は、戦前の皇国史観に基づいたも
のでも、戦後の民主主義教育でも、江戸時代は封建時代というレッテルが貼られ
たままであった。ところが、案に相違して江戸末期から明治初期にかけて来日し
た多くの外国人は、江戸の仕組みを絶賛していたのである。


江戸時代の評価―リサイクル社会の見本

 日本人のゆがんだ眼とは違い、外国人の客観的な眼で見た日本論に触発され、
私は十数年前から、江戸物を読みあさってきたが、江戸を評価する眼を開かせて
くれたのは、「文明の生態的史観」(梅棹忠夫)が最初である。日本の近代化の
基礎は、江戸時代までに培われた日本の民度の高さにあるという考えであり、梅
原猛の国際日本研究センターにつながっている。そして、さらに新たな江戸を見
る眼を付け加えてくれたのが、「経済学を超えて」(ボールディング)であり、
江戸時代を宇宙船地球号が生きる見本と位置付けた。

 そして、私は当然のごとく、リサイクル社会としての江戸時代を追うことにな
った。尊敬する小島慶三も江戸に着目し、「江戸の産業ルネッサンス」の中で江
戸の生きる知恵を書き連ねている。こうした人たちの中に、問題の教科書作りの
中心人物西尾幹二もおり、「戦略的『鎖国』論」において鎖国の意外な合理性を
主張している。

 江戸時代には、今と違って7億トンもの大量の原材料を輸入することなく、日
本にある自然資源を有効活用し、約3,000万人が戦争も内乱もほとんどなく平和
に暮らせたのである。当時としても人口密度は世界一であり、わずかの農地で多
くの人口を養える農業技術も持っていた。渡辺善次郎は「都市と農村の間―都市
近郊農業史論」において、江戸近郊の農民が野菜を大八車で売りに来た帰りに人
ふん尿を載せて帰り、田畑に還元するさまを描いている。エネルギーの面から江
戸時代の賢さを教えるのは「大江戸エネルギー事情」(石川英輔)である。かく
して、江戸は欧米の都市と違いきれいな町たり得、まさに循環型社会そのものだ
ったのだ。もちろん、200年後の現代に汚染を残すといった子孫泣かせなことは
当然皆無である。


客観的な眼で見た江戸

 この江戸時代の様相を外国人が素直に観察し、多くの日記を残している。ペリ
ー、モース、バード、オルコックと枚挙にいとまがない。その眼は、本国と比べ
る時に少々価値観の違いが表れるのはやむを得ないが、後世代の日本人がああで
もないこうでもないと言い合うよりはずっとましであり、汚れていない客観性を
備えている。

 彼(女)等はおしなべて日本の自然の美しさのみならず、勤勉な農民により手
入れの行き届いた田園風景に胸を打たれ、日本全体が庭園のようだとも称賛して
いる。その他、手先の器用さ、礼儀正しさ、裸や性に対するおおらかさ、子ども
に対する優しさ等、だいたい今の日本や日本人にも受け継がれていることが多い。


日本人の意外な側面

 そうした中で意外なのは、日本人がそれほどあくせく働かず、むしろ怠け者と
断じているものも多い。今のワーカホリックと酷評される日本人の面影がないの
だ。もう1つ、おやと思われるのは、質素な庶民の生活振りである。相当の金持
ちなり身分の高い者の家に招かれても、家具調度類は知れており、その部屋もス
ペースばかりが目立つと書かれている。これまた、豪華な電化製品が所狭しと置
いてあり、海外旅行にも高級ブランド物を身に付けていく現代の日本人とは大き
な隔たりがある。この2つは、足るを知り、あくせくすることなく人生を楽しむ
という人間性豊かな日本人であったことを物語っている。どうやら、1世紀以上
経ち、日本人は物欲が増し、いやしくなってしまったらしい。


名著の結ぶ糸


 外国人の見た古き良き日本は、朝日新聞の名文家河谷史夫(編集委員)が書評
で絶賛した「逝きし日の面影」(渡辺京二)に詳しい。九州の市井の有識者渡辺
は、外国人の書き綴ったものを丹念にまとめ、ありし日の日本の姿を浮き彫りに
することにより、今の日本に静かに警鐘を発している。驚いたことに、この本は、
これまた毎日新聞の首藤宣弘(論説委員)の勧めによりまとめられたという。余
談になるが二人とも私の親しい友人である。さらに、宇根豊(農と自然の研究所
長)、嘉田由紀子(京都精華大学教授)も渡辺の仲間だという。これは単なる偶
然ではあるまい。ひょっとして、皆、現代の日本に同じような疑問を抱き、江戸
なる日本に惹かれていったのかもしれない。

 21世紀の日本を考える時、まして循環型社会を考える時、江戸時代を抜きに考
えられないような気がしてならない。

しのはら たかし 昭和48年京都大学法学部卒業、同年農林省入省。平成2年OECD日本政府代表部参 事官、農林水産省水産庁企画課長、経済局統計情報部管理課長、農林水産技術会 議事務局研究総務官、農業総合研究所研究調整官を経て12年6月から現職

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