◎専門調査レポート


観光立地を活かした開拓酪農 
−西富士に見る草地酪農の現実と課題−

東京農業大学 国際食料情報学部  教授 新井 肇

 

 




はじめに

 富士山は眺める方向によって表情が変わると言う。土地の人は誰でも自分の所
から見る富士が最高だというが、西から見る富士は夕日を浴びた時間が最高に美
しい。

 富士山には鯉のぼりがよく似合うとも言う。そしてそこに草を喰む牛の群がい
たらもっとよい。実はそんな絵に描いたような風景が実際にある。西富士開拓地
に展開する71戸の酪農家と約4,000頭の乳牛群である。のんびりした酪農郷のよ
うに聞こえるが、ここまでくる苦闘の歴史があり、今も悩みが尽きない。現地を
訪れ、草地酪農の現実を探ってみた。
【管内の育成牧場(農事組合法人育成牧場
広見組合)における放牧風景】

西富士開拓の位置と歴史

草地1,000ヘクタール、乳牛4,000頭の大産地

 富士山を西から見上げると、南北に細長い草原が裾野に広がっている。南は富
士宮市の市街地につながり、北はオウムで有名になった山梨県上九一色村に接し
ている。ここはもともと4,000ヘクタールの原野で、旧陸軍の演習場として使わ
れ、終戦まで少年戦車兵学校があった。戦後、長野県の分村計画により14歳から
26歳位の青少年120〜130名が集団入植し、後に補充入植者を迎え、360戸が2,30
0ヘクタールの払い下げを受けて主穀生産に取り組んだ。当時の開拓目的は食糧
増産にあり、草地は禁止されていて、酪農が許されるようになったのは昭和29年
に集約酪農地域に指定されてからである。入植者の半数180戸が酪農に従事し、
草地面積1,000ヘクタールの本州では数少ない大酪農地帯が誕生したが、今では
71戸が平均で10.6ヘクタールの草地、成牛55.3頭、産乳量412トンの草地型酪農
を営んでいる。ちなみに71戸中ミルキングパーラー所有20戸、乳牛検定加入64戸、
TMR(注:濃原飼料と粗飼料を混合し成分を一定に調整した飼料の給与)実施20
戸、ヘルパー組合加入60人、認定農家と青色申告は全戸というから、いかに本格
的専業酪農家が多いかがわかる。


観光地をバックに酪農に特化

 開拓地の酪農は高冷地に多い。昔は利用価値の少ない原野や雑木林地帯であっ
たが、ようやく酪農が軌道に乗った頃、気が付くとスキー場やゴルフ場に囲まれ
ていたという所が多い。ここ西富士もそういう立地条件にあるが、俗化していな
い静かな高原である。

 ここはリゾートで有名な「朝霧高原」でもある。海抜470〜900メートルの準高
原地帯で、標高差が430メートルもある。開拓当初の配分面積は農作物の反収が
低いことを考慮して標高により付帯地を含め4〜8ヘクタールと差があったが、
酪農主体となった今日では配分面積の大きい標高の高い地帯が有利になっている。

 準高冷地であるため、夏は30℃を超すことは少ないが、冬はマイナス10℃にな
る。年間降水量は2,000〜2,300ミリに達し、その70%が5〜10月に集中するた
め、夏の日照時間が短く、長大作物の栽培は困難、結局、酪農だけが生き残った
かたちとなった。


25年間の歩み

 西富士酪農には50年近い歴史があるが、うち25年間を主な指標でたどると、表
1のようになる。昭和51年に121戸あった酪農家は年に1〜2戸の割合で減って
71戸。乳牛頭数は3,000頭台から4,000頭台へ増加し、1戸当たり頭数は25.9頭
から55.3頭へとほぼ倍増している。いずれも全国的傾向と一致する。ただし、近
年、飼養頭数は増加から減少に転じており、都府県では50年代から、北海道では
平成9年から後退期に入っている。西富士も例外ではないが、減り始めは北海道
並みに9年からで、それまでは増加しており、都府県で生き残ってきた数少ない
酪農産地の1つとなっている。

表1 西富士開拓25年の推移

 (注)1.富士開拓農協調べ
    2.乳価には補てん金、乳質奨励金、消費税を含む、手数料控除前

 頭数は減ったが、生乳生産量は今なお増加している。その要因は1頭当たり産
乳量の増加にある。ちなみに、全国と西富士をこの25年間で比較すると、西富士
の方が戸数の減り方が少なく、頭数の増加率が高い(表2)。さらに1頭当たり
産乳量の増加率が高く、生乳生産量は全国の61.5%増に対し西富士は128.6%増
となっている。まさに生き残り産地の底力を示したというべきであろう。

表2 酪農の発展度合の比較
(昭和51年に対する平成12年の増減率、%)

 (注)1.全国は農林統計、西富士は富士開拓農協資料より算出
    2.1頭当たり乳量のみ、昭和51年対平成11年の増加率

 組合の調べによると、この25年間で乳価は15.2%も安くなっている。すなわち
昭和29年に108円33銭(補給金・奨励金込み)であったものが、62年以降100円を
割り、平成12年には消費税込みで91円83銭となっている。多頭化の進展や1頭当
たり乳量の増加はこうした乳価引き下げに対応した酪農家の努力の結果に他なら
ない。


草地酪農に挑戦

開拓組合の性格

 開拓農家を束ねるのは富士開拓農協(宮沢賢次組合長)である。組合員565人
(うち正組合員316人)、正組合員の加入戸数は233戸で、酪農家の71戸よりか
なり多い。酪農をやめても組合をやめないからで、この組合が酪農に特化した専
門農協であることに変わりがない。

 信用事業も行っている(貯金残高55.6億円)が、総合農協ではない。購買事業
(生産資材)の71%が飼料、販売事業の100%が酪農関係で、うち84%が生乳と
なっている。

 平成11年の生乳出荷量は29,708トン、県下指定生産者団体の取扱量の30%を占
めている。他の地区の乳量が減るのでこの割合は年々高くなることが目に見えて
いるという。

 この組合は後述する小さな乳製品工場を除くと、CS(クーラーステーション)
はあるが、自前の牛乳プラントは持っていない。それが弱点といえばいえるが、
多くの組合プラントが赤字にあえいでいる現状では、賢い選択であったかもしれ
ない。しかしそれなら独自の事業として何をするかが、長い間の組合の課題とな
ってきた。


草地酪農の悩み

 組合員の飼育規模はそれほど大きくない。41〜60頭が一番多く、次いで61〜
80頭、40頭以下の順で、100頭以上はずっと少ない(表3)。これは育成牛を含
む頭数なので、経産牛ではこの80%以下と考えたい。草地酪農というと北海道を
思い浮かべるが、ここは本州の開拓地でもともと配分された土地が5ヘクタール
と狭い。その上やめる人が比較的少ないから、農地の集積が進まない。借地もあ
るが草地全体の20%程度。開墾時代から溶岩が多く、それを避けてとびとびに耕
地化したため、借地をしても団地化があまり進まない。溶岩と飛び地で機械の効
率が悪いという。草地酪農といっても、飛行場の跡地を配分した平地の開拓地と
はだいぶ違うようだ。

表3 飼養規模別戸数

(注)1.富士開拓組合調べ
   2.平成13年2月現在
   3.乳牛頭数は育成牛を含む

 しかし、さすがここは知られた草地酪農地帯。自給飼料を放棄して濃厚飼料一
辺倒に走る人はいないようだ。ほとんどが5種混播、3回刈り(2〜4回)、各
種のサイロやロールベールで貯蔵し、通年サイレージで利用している。しかし、
多頭化しても草地を増やさず、濃厚飼料型へ傾く傾向が出ており、草地面積は少
しだが減る傾向にある。

 ふん尿はふん・尿を分離後汚水をばっ気して草地に還元、ほとんど公害は起こ
していない。しかしスラリーで入れるためには窒素レベルで草地1,000ヘクター
ルに乳牛4,000頭がそろそろ限界、入れ方を間違えると問題を起こす恐れがある。

 とうもろこしの収量が少ないため、ほとんどが牧草である。草地を更新すると
きに1年だけ作るくらい。だからここは放牧適地である。かつてはもう少し放牧
があったが、乳成分低下の原因となったため、本格的放牧は少ない。草地酪農は
夏季の乳成分を不安定にし、取引基準が乳脂率3.2%から3.5%にアップした時点
で放牧をやめた人が多いというのも残念な話だ。それでも組合では放牧牛に限定
して日量3トンを目標に「放牧牛乳」(商品名「富士あさぎり高原放牧牛乳」地
元の朝霧乳業に製造を委託)を売り出しているが、販売量はまだ目標に達してい
ない。
【国道そばの放牧地、車を降りてカメラを
向ける人が多い】

組合のシンボル「ミルクランド」

消費者と結ぶ「ミルクランド」

 この組合の活動のシンボルは何といっても「ミルクランド」である。場所は富
士山を見上げる朝霧高原のど真ん中。ここに乳製品処理加工施設、売店、レスト
ラン、農産物直売所、ふれあい広場、ファームイン(宿泊施設)等がある。8年
に補助事業を活用し、総事業費9億余円で完成した。リゾート地朝霧高原の立地
条件を生かし、ここを拠点に組合員の求心力を高めようという狙いで設立したも
のである。

表4 直営ミルクランドの経営収支

(注)1.組合総会資料による、平成12年度
   2.粗利益合計から事業管理費の負担分を差引くと
    3,463万円の赤字となる

 乳製品工場は国産チーズ、飲むヨーグルトを生産し、売店で売ると同時に各所
の委託販売に出している。

 農産物直売所は毎朝組合員が持ち込んでくる農産物を販売するファーマーズ・
マーケットである。ミルクランドを訪れる客の80%は売店かこの直売所に来る客
である。品目は野菜が主力ではあるが、花、玉子、蜂蜜、パンから木炭、まきま
で組合員が作ったものが何でもある。組合員が値を付け名前を書いて毎朝持ち込
んでくる。売上から10%の手数料を差し引いて各人の口座に振り込まれるという、
ファーマーズ・マーケットならどこでもやっている方式である。出品者1人当た
り平均売上高80万円、中には500万円以上売る人もいる。自家用の余りを持ち込
む人から専業の人まで幅が広い。
【ファーマーズ・マーケットと
ジェラートアイス工房】

集客力と収益性向上が課題

 ミルクランドの中心施設はファームインである。木造洋風2階建て、1室4名
が12室ある。自炊もバーベキューもできる。今のところ年間利用率は50%だが、
目標は60%で、これを達成すると利益率が高くなるという。

 こういう施設は集客力が問題である。ミルクランドに来る人が体験農場に流れ
るので、ミルクランドに団体客を呼び込むことが課題になる。支配人の話では入
場無料のため旅行会社にバックマージンが行かないことがバス客が少ない原因だ
という。ドライブインとは違った方法で人気を高める工夫がここでの課題になる
と思った。

 ミルクランドはまだ完全な黒字経営になっていない。売上高や利用料収入は3
.8億円に達し、粗利益9,000万円弱を計上しているが、事業管理費の負担分を差
し引くと約3,000万円の赤字になる(表4)。しかし立地条件や施設のすばらし
さから見て、黒字に転化するのは目前という気がした。
【ファームインの風景、
草原で遊ぶ宿泊客も多い】

立地条件を活かした消費者との交流

多彩な「体験メニュー」

 組合で「体験メニュー」をもらって驚いた。そのメニューの多彩なこと。10農
場がそれぞれ得意な分野で、独自のコースを作っている。いちばんオーソドック
スなのが、搾乳、牛の世話、給じ、清掃等の作業体験で、これにバター作りや試
食が付くもの、他にパンやソーセージ作り体験、乗馬等がある。中には富士山の
洞くつ案内やかぶと虫狩り、レンタル農場等もある。それぞれ標準時間や料金も
決まっているが、要するに型にはまらない自由なスタイルでお客さんに喜んでも
らおうというのである。

 ミルクランドの宿泊施設と提携していて、そこのお客さんが家族づれやグルー
プで体験農場に流れてくる他、県営の野外活動センターと契約していて団体で受
け入れることもしている。おもしろいのは修学旅行の中学生がデイズニーランド
で遊んだ後、河口湖畔に宿泊し分散して30人もの団体でこの農場にも酪農体験で
訪れることがあるという。お客さんは当然夏に多く、5〜6月には毎日来るとい
う。体験のある日は奥さんも娘さんも総出になる。

表5 体験農場メニュー



体験牧場を訪問

 ちょうど松下牧場に小学生の一団が体験にきているのとぶつかった。背丈ほど
ありそうな大きなスコップでエサを牛に与える作業中で、松下さんが親切にスコ
ップの持ち方を教えていた。ブラシかけをしながら牛の体温を実感し、尿の量や
ウンコの臭いに驚き、とまどいながらも牧場のムードを満喫して喜んで帰ってい
くという。子供たちにとって生まれて初めての忘れ得ぬ体験になるが、松下さん
にとっても居ながらにして消費者と接しられる貴重な機会となっている。

 松下さんはこの組合でも中堅の酪農家で、農業体験組合の組合長である。この
地区から開拓振興協会の全国コンクールに最初に表彰された優良農家でもある。
経産牛60頭、草地15ヘクタール(うち借地2ヘクタール)、年間480トンの生乳
を搾り、所得約1,000万円、うち300万円弱を酪農体験の収入から得ている。牧
場内はいつ誰がきても恥ずかしくないようよく整備されている。入り口には体験
牧場のかわいい看板が目立っている。他人を受け入れるようになって、安全や清
潔に一層心がけるようになったのである。飼っているのはホルスタインが主力。
これにジャージーとブラウンスイスが数頭、ヤギもいる。ジャージーのかわいら
しさは子供たちを魅了してやまないらしい。

 松下牧場は「日本の牧場スタンプラリー」にも指定されていたが、いまは「酪
農教育ファーム認定農場」となっている。將央酪農会議の認証制度で、13年3
月に講習を受けて認証された。2年前からホームページ(http://www2.
tokai.or. jp/asagiri/)を開いており、ヤフーに登録してからは1週間
に5〜6通の問い合わせや申し込みが来るようになった。ホームページには牧場
紹介の他、体験にきた子供たちがつけた子牛の名前が写真と共に掲載されており、
成長ぶりがわかるようになっている。「ジェニファー」「風香」「チェリー」
「花梨」等、いかにも子供がつけたらしい新鮮な名前だ。写真の下に「グレース
が畑で赤ちゃんを産み牛舎まで赤ちゃんを連れて帰ってきました」等とある。
【牧場入口に体験牧場の看板】

    
【松下牧場で酪農作業を
経験する子供たち】

体験者のメッセージに励まされる

 ホームページの投稿欄には、体験後のメッセージがたくさん書き込まれていた。
女子中学生の感想2通。「バターとパンはとてもおいしかったです! 牛乳もお
いしかったです。牛にもびっくりしました。牛は意外に目が大きいですね。乳搾
りもおもしろかったです。牛に会いたくなったらまた行きたいなー。酪農頑張っ
て下さい。」「修学旅行でお世話になりました。2日間ほんとーに楽しかったで
す。ブラッシングをしたとき牛さんがとてもあったかくてびっくりしました。も
う一度あのあったかい牛さんに会いたいです。そして松下家のみなさんにすーご
っく会いたいです。いつかきっとまた働かせてください。牛さんのこと、松下家
のこと、命の大切さ、食べ物の尊さ、絶対に忘れません。」名付け親の生徒から
子牛の成長を訪ねてくるメールもある。松下さんがいちいち返事を書いているの
もほほえましい。「酪農教育ファーム」の意味を、私も実感した。
【笑顔となった乳牛へのブラッシング】

酪農青年の心意気「鯉のぼりの会」

会の成り立ち

 この組合にはもう1つのグループがある。その名は「鯉のぼり実行委員会」。
最近は特別の活動をしているわけではない。毎年、4月20日から5月5日までの
約2週間、松下さんが所属する地区に100匹の鯉のぼりを泳がせるのだ。メンバ
ーは25人、会長は松下さんである。場所は国道からよく見える小高い丘の上、草
地のど真ん中で富士山と青空をバックに色彩鮮やかな鯉のぼりが翻る。この時期、
牛と鯉のぼりと富士山の見事な3点セットが人目を引く。この格好の風景を撮ろ
うと、この時期になるとカメラを持った観光客や写真家が集まる。朝日新聞の一
面に「酪農家の心意気」と題してカラー写真が掲載されたことがある。

 なぜこんなことを始めたか、と聞いてみた。今から14〜15年前、牛乳の供給過
剰で、酪農家は生産調整で苦しんでいた。そんな酪農家の窮状を訴えたくて、と
松下さんは答える。他にも朝霧高原のPR、牛乳のPRもしたかったという。よくわ
からない理由だが、何かしなければいられない気持ちから出たのではないか。と
もあれ、富士を背景に鯉の大群が泳ぐ様は、世間の注目を浴びるようになった。
【富士山と青空を背景に翻る鯉のぼり】
大成功の「嫁取り作戦」

 鯉のぼりの会がやったもう一つの快挙は昭和63年と平成元年にやった「嫁取り
大作戦」であった。「朝霧高原に来ませんか」を旗印に、甲府、静岡、そしてつ
いに銀座数寄屋橋に進出した。トラクターと子牛を連れ、当時は今より若かった
会員がチラシをまいて呼びかけた。最初のビラ配りは配るだけで、声も出せなか
ったという。会員一人5〜6万円の負担をし、各地から応募した女性と地元で交
流会を開いた。あえて会費5,000円を取り、その代わりおみやげをつけた。これ
が縁で、2年間で8人が結婚、その後10人が結婚して独身者のほとんどが所帯持
ちになった。カップルになった女性が友人を連れてきて見合いさせるということ
もあり、「人から認められる農業」「他人が参入できる酪農」という願いがかな
い、大いに自信を深めた。外に開かれた酪農にしようというこの思いが、その後
の農業体験組合の活動につがったのではないか。ちなみにこれで結ばれて離婚し
た者は一人もいないという。
【「嫁取り大作戦」での交流会】

開拓酪農の課題

 開拓酪農はどこも入植時の大変な苦労があった。今はその二世の時代、先代の
業績を引き継いで新しい展開と飛躍を目指すべきであろう。

 開拓酪農に有利な点といえば、

 @酪農家が集団で残っていて、層が厚く、まとまって活動できる。孤立分散し
  てしまった既存農村の酪農と違う。
 A高冷地に位置することが多く、観光地になっている。公害対策が厳しいとい
  う面もあるが、うまく生かせば有利な条件である。
 B組合が専門農協で酪農に詳しく、指導性があり、組合員の求心力になってい
  る。

等がある。

 しかし課題もある。

 @草地酪農でも濃厚飼料給与量は増加し、ふん尿をうまく利用できない、放牧
  から離れる傾向がある等、必ずしも草地酪農の理想通りにはいっていない。
  草資源を生かしながら多頭化やコストダウンをねらう弾力的な経営が求めら
  れている。

 A開拓酪農の多くは差別化商品を生み出し、それを演出する恵まれた立地条件
  にあるが、それを生かすための直営のプラントや売店、育成牧場などの経営
  がお荷物になっている場合もある。付加価値を付けても量的に生乳生産量に
  占める割合が低く、乳価にプレミアを付けるところまで行きにくい。付加価
  値商品を機軸に多面的な活動をすべきだ。

 西富士開拓から学ぶとすれば、向こうからお客がやって来るという絶好の立地
条件を生かして、多彩な事業を展開し、それなりに成果を上げていることである。
酪農という仕事を牛乳生産に限定しないで、所得追求に加えて生き甲斐や楽しみ
を得ていること、自分の仕事に誇りを感じるようになってきたこと、これが何よ
りの成果ではないかと思う。

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