◎今月の話題


BSE問題を考える

桜美林大学 教授 柴田 博








安全性問題と栄養問題の混乱

 筆者は一昨年「中高年こそ肉を摂れ!(講談社)」、昨年「食肉のすすめ(経
済界)」と連続して肉をタイトルとする著書を上梓した。そのためばかりではな
いが、最近はテレビ番組や新聞記事にも肉のおいしさや栄養の問題を真正面から
取り上げられることが多くなった。肉を語ることは死を語ることのようにタブー
視されていたかつての風潮はかなり消退し喜ばしいことと感じていた。

 そこに、BSEの問題が発生し、筆者としては昇りかけていた階段から突き落と
されるようなしょう撃を受けた。O157でカイワレ大根が問題になったときに「野
菜を食べるから、こういうことになるのだ。野菜を食べなければ良いのだ」とい
う声は聴かれなかった。しかし、今回「だから言わないことではない、肉を食べ
ること自体に問題があるのだ」という論調が再び首をもたげてきている。安全性
の問題と栄養の問題を混同させて串刺し的に食肉文化そのものを葬ってしまおう
とする意図があると感じざるをえない。しかし、日本人の食肉に対する感覚には、
このようなアジテーションに突け込まれる脆弱さがあることを知っておく必要が
ある。

 ある雑誌記者が筆者に対し、「先生は日本人の1300年間の観念と闘おうという
のだから大変ですね」と語ったことがある。筆者の著書が、仏教伝来を初め、い
くつかのインパクトが食肉タブーを醸成してきたことを述べていることに対して
の感想である。しかし、縄文文化に対する弥生文化の支配そのものが食肉タブー
に対するスタートと考えることもでき、そうなると、食肉文化を定着させること
は2000年にわたる日本人の観念と闘うことになる。食肉の生産をする者も、また
その価値を研究する者も、偏見に満ちた、極めて困難な状況の中で仕事をしてい
るわけであり、それだけに安全の問題にも万全の備えが必要である。


日本社会のリスク対応の欠陥

 社会に不安をもたらす食品や薬品のハザードが発生したときの、日本社会の対
応の仕方には共通の欠陥がある。それは、問題を起こした当事者がさまざまな対
処をし、その対処の妥当性を当事者が評価するという仕組みになっていることで
ある。三権分立が確立していない社会のやり方といってよいであろう。今回の問
題にしても、行政、アカデミズム、消費者が協力して評価とサーベランスを行う
第3者機関をいち早く確立していれば、不信感の拡大と風評被害はもっと小さく
できたと考えられる。日本社会もそれなりに成熟してきている。同じ安全宣言を
しても当事者が行ったものはかなり割引いて考えるメンタリティが存在すること
は否定しようがない。

 ハザードに対してのみでなく、福祉サービスに対する評価に関しても、日本の
場合、実施者と評価者が独立関係にない。この点がイギリスをはじめとする欧米
諸国のシステムと大きく異なっている点である。わが国でも医療の世界には、ア
メリカで開発された評価システムが徐々に広がりつつある。しかし、福祉の分野
ではまだ遅れており、保健民主主義のアナロジーとしての福祉民主主義の用語が
必要である。


今後の方向

 今後、食肉の消費を回復していくために最も大切なことは、その食品としての
大切さを栄養面から徹底して確認し広めていくことである。10月号の本紙で東京
大学・お茶の水女子大学名誉教授の藤巻正生先生が詳しく述べておられるので繰
り返しは避けるが、食肉の第1次機能(栄養)、第2次機能(おいしさ)、第3
次機能(生体調節)の3つの機能に関してもっと徹底した啓発活動が大切であり、
そのためには食肉に関連する生業をしている人々が理論武装する必要がある。食
肉が必須な食品であるが故にBSEの問題は深刻なのであり、食品としての価値の
低いものであれば何も大騒ぎする必要はないのである。

 昨年、ある県の栄養士会の研修会に講師として招待されたとき、「牛肉に含ま
れている脂肪酸のうち最も多いのはオリーブ油と同じ1価の不飽和脂肪酸である」
ことを知っている人は挙手してくださいとたのんでみた。600名の中で手を挙げ
た人は1人もいなかった。もちろん、これは栄養士としては誉められた状態では
ない。しかし、このような栄養学的知識も医者や栄養士に積極的に提供する努力
を食肉の関係者は続けなければならない。医者の薬品に関する知識は製薬会社の
関係者からの情報によるところが極めて大きい。これは医薬の癒着ではない。情
報を批判的に取捨選択することは医師に任せられている。
 
食肉の栄養や安全性に関して、消費者、アカデミズム、企業、行政が一体とな
って調査研究や普及を行う常設機関の設置が望まれる。筆者は、財団法人食肉消
費総合センターのフォーラム委員会(座長 藤巻正生)のメンバーの1人として、
パンフレットやビデオの作成、またフォーラムの講師としても活動している。し
かし、当方が情報の与え手で消費者が受け手という一方通行の関係ではなく、消
費者の知恵や意見を反映できるようなシステムの確立がA緊である。

しばた ひろし  昭和40年北海道大学医学部卒業、医学博士、41年〜47年東大医学部第四内科で 心臓病・高血圧を研究、57年東京都老人総合研究所入所、平成5年同副所長を経 て12年から現職。  昭和63年東京都知事賞受賞、「中高年こそ肉を摂れ(講談社)」など著書多数。

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