九州大学 名誉教授 深沢利行
明治4年(1871年)に初編の出た假名垣魯文の「安愚樂鍋」に「牛肉食わねば 開化不進奴(ひらけぬやつ)」と書かれている。廃藩置県、身分制度改革(士農 工商の廃止)もこの年で、その翌年、福沢諭吉が「学問のすすめ」の初編を出し ている。明治天皇が食肉摂取につき国民に対して公的に許可したのもこの年であ り、長かった食肉摂取の禁止がやっと終えんを迎えた。諭吉はかなりの牛肉愛好 家で、友人、知人に牛肉摂取の効能や必要性を説き、わが国の近代化(文明開化) と食文化について論じていた。牛肉販売業の店員が注文の牛肉を諭吉宅に届けに 行くと、台所からも中に入れてもらえず窓から外へ手をのばした書生に手渡すの が常であったという。奥の方で下着のまま米搗き台にのって足踏みしている諭吉 の姿が見え、書生は窓から火打石で清めたという。これは明治初期の場景である が、この頃、牛肉は庶民の食生活からは遠い存在であったに違いない。 「妻や子の寝具も見えつ薬喰」、「くすり喰い人に語るな鹿ヶ谷」と与謝蕪村 は詠んでいるが、明治維新以前の食肉摂取の長い歴史で牛肉は主役になれなかっ たとはいえ、武具馬具などに不可欠な牛皮は限定された地域で生産され、産出さ れた牛肉は貴重な滋養物として位置付けられてきた。明治33年(1900年)、わが 国のと牛場は1,396カ所と記録されている。小屋がけ、軒先の簡易なものが大部 分のようであるが、家畜の処理前に神主、処理後に僧侶が祈るという当時の慣習 の中に宗教と食文化の巧みな折り合いを見ることができる。近代化を強く望みな がらも、食肉摂取が日常生活で一般化し、現在のような恵まれた食環境になるま でには多くの先人の努力と歳月を要した。
明治43年(1910年)〜大正4年(1915年)の平均値で、摂取たんぱく質の95 %は植物由来、動物由来は5%、食肉摂取は1人1日0.8グラムと記録され、こ れは現在の摂取量の約100分の1である。明治33年(1900年)、畜産物、小麦、 果実の豊富だったオーストラリア、ニュージーランドが60歳を超える平均寿命な のに対し、日本人は40歳以下だった。昭和22年(1947年)、男女ともに50歳を 超えるまでに約半世紀を要した。 昭和20年(1945年)、第2次世界大戦の終結は食生活にも影響を与えることに なるが、明治維新の時とは質の違う大変化であった。食生活と社会的背景のつな がりは確実であるが、民族の長い伝統や食の歴史の継続性も確実である。健康や 長寿に関与するであろう日本人型食生活などは、その範ちゅうに入る典型的なも のである。 それにつけても思い出されるのが明治37年(1904年)、日露戦争における兵食 である。牛肉大和煮と米飯との組合せなど適切な食構成が兵士にエネルギーを与 え、苦しい戦いを勝利へと導く要因となった。 文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)、元冦で知られる蒙古襲来に立ち向 った鎌倉武士の際立った活躍は、神風を強調するためか、あまり大きな関心事と なっていない。宗教的制約がありながら、当時の社会的背景が野生鳥獣肉の摂取 を否定しなかったのは、わが国にとって極めて幸運であった。良質なたんぱく質 の摂取で得られた体格、体力、充実した気力の鎌倉武士の存在が勝利の原動力と なった。
家畜生体が保有する構成物質は死後、化学的、物理的に変化しながら生筋から 食肉へと転換される。横絞筋を構成する筋原線維は収縮・弛緩をつかさどる運動 器官で、筋節がつながって形成されている。顕微鏡下、筋節にATP(アデノシン 3リン酸)を与えると、すばやい収縮が観察される。この収縮能は食肉の腐敗寸 前まで保持され、化学的にはミオシンのATPアーゼ活性の作用と理解されながら、 食肉の生命力とパワーを見る思いがする。 50年間、冷凍保存した鶏肉が食卓に供されても支障がなかったという報告もあ る。生物活性や保存性に富む食肉の1次機能、2次機能の研究は広範にわたり、 特に牛肉の栄養成分や硬軟、すなわち熟成など食べておいしい状態の探索に努力 が払われてきた。「軟らかさ」と「おいしさ」の問題は高齢化時代を迎え、古く て新しい課題ともいえる。 本誌10月号に藤巻正生東京大学名誉教授が食肉の3次機能(生体調節)につい て論述し、牛肉などが発現する多機能性を示している。科学の進歩は一段と食肉 の3次機能を解明し、日本人の健康、長寿に多大の貢献をしてきた食肉の役割が 科学的にも益々明確になるであろう。 数々の作品を残して96歳で故人となった画家、熊谷守一氏は死の数日前まで毎 日ビーフステーキを摂取していた。そして、忘れ得ぬ言葉として「牛肉は魔物、 私は牛肉中毒だ」という活字を目にしたとき、牛肉の深い味わい、限りない魅力、 底知れぬパワーを感じた。多くの観点から、人類の宝でもあり、財産でもある牛 肉の食品的価値は今後とも不変であると確信する一人である。
ふかざわ としゆき昭和27年北海道大学農学部助手、39年同助教授、47年九州大学農学部教授、平成 4年九州大学名誉教授。