◎今月の話題


BSE問題に思う

放送大学京都学習センター   所長 宮崎 昭




 


 
 

BSEと安全宣言

  千葉県で1頭の乳用牛が、9月10日、BSE(牛海綿状脳症)感染を示唆する診
断を受けた。それ以降、10月18日に厚生労働大臣と農林水産大臣の共同記者会見
で「安全宣言」が出されても、消費者の牛肉食べ控えが続いている。その影響で
食肉流通業界や肉用牛経営は大きな打撃を受けている。

  思いもよらない病気の発生に国や地方自治体などがあわてて、対応が悪かった
ことは否定できない。しかし、マスコミの騒ぎすぎが風評被害を全国的に広めた
ように思う。その間、厚生労働省と農林水産省は省庁間の縦割行政を破り、必死
になって対応に努力した。その結果、「安全宣言」では、EUよりも厳しく安全性
を確認することになり、国は自信をもって、「BSEの疑いのない安全な畜産物の
供給体制が構築された」と発表したのであった。これで牛肉および副生物が何の
心配もなく食べられることになった。家庭の食卓に、そしてレストランや食堂に
牛肉の戻る日が近づいている。そして肉用牛経営ももとに戻っていくことであろ
う。

 「安全宣言」の内容は評価すべきものであるが、その実質化のために、このと
ころ疑心暗鬼になりがちな、生産から消費までのあらゆる段階での信頼関係の回
復・構築こそが何よりも求められている。


牛肉はスタミナのもと

  日本人の食生活の中から牛肉が消えるなんてことは決してない。牛肉は今や食
卓の主役の1つである。それはおいしいというだけでなく、スタミナのもとであ
る。

  今から35年ほど前だったと思うが、私の恩師、京都大学教授の上坂章次先生は
大学院入試の語学の採点で約300枚の答案を翌日朝までに採点しなければならな
いとき、夕食にビーフステーキを食べて、徹夜すると言われた。

  「とにかく牛肉を食べると根気が続く。スポーツのような筋肉労働だけでなく、
頭を使う場合でも、仕事には牛肉は欠かせない」とのことであった。

  朝日新聞の「牛肉の話」の中には作家の瀬戸内晴美さんのことが書かれている。
今は寂聴さんだが出家する前は牛肉をジャンジャン食べて、モリモリ仕事をされ
ていたそうだ。ところが出家して1年半、牛肉を断ち精進したところ、後で気付
くとその間何も仕事をしていなかったと気付かれ、再び牛肉を食べはじめ、「牛
肉には仕事をさす何かがあるのですねえ」と語られたそうだ。

  このように牛肉を食べると元気がでる。今、この騒ぎで緊急避難的に牛肉のか
わりに豚肉、鶏肉を食べている人々も、まもなく牛肉に戻るはずである。わが国
が長年にわたってつくり上げた世界にも類の少ない食形態、少量多品目の日本型
食生活では、もはや牛肉は欠かすことのできない食材の1つになっているのであ
る。


改めて知る牛肉の重要性

  この牛肉とは一体何なのか、今一度考えてみよう。コメを主食とし、少量の副
食をそえた生活に一応の満足をしてきた農耕の民が、昭和30年代以降食生活を大
きく変化させた。主食と副食の区別が消え、コメの消費量は年々減少し、代わっ
て他の食材を多く食べるようになった。日本人はコメも、魚も、食肉も、そして
その他の多品目の食材をバランスよく少しずつ食べる生活を追求し続け、世界一
の長寿国をつくった。

  それは山多く、四面環海という地形的にバラエティに富んだ環境の中で、四季
ごとに変わるさまざまな食材を、海の幸、山の幸と呼んで副食に利用した長い歴
史の中で身につけた生活様式であった。

  畜産物消費について言えば、経済的に豊かになるにつれて、まず鶏卵、ついで
牛乳、そして鶏肉と豚肉を多く食べるようになり、その総仕上げのように牛肉を
食べることになった。40年以降、牛肉はわが国で値が高い食材として知られるよ
うになり、高嶺の花と思われていた。それが近年、比較的手頃な食材となり、日
本人の多くはそれに満足しつつあったわけである。今回、はからずも、BSE問題
で大騒ぎが起っているのは、わが国でこれだけ牛肉が求められている証拠だと思
われる。

 11月2日、この原稿を書き始めた直後、テレビで東京食肉市場で枝肉のセリ値
が回復しはじめ、セリ頭数枠を拡大すると報じていた。「安全宣言」が実効をあ
げはじめたとのことであった。当然、そうなっていくと信じていたが、これはう
れしいニュースである。

  牛肉が食卓に徐々に戻ることは確かだが、気になることがある。その1つは零
細な食肉会社や食肉小売店、食肉料理店、特に焼肉店などが、今回の深刻な風評
被害の中でそれまでの間、もちこたえられるかどうかである。もう1つは零細な
肉用牛経営が、そうでなくとも苦しんできたのに、この騒動で経営を続けること
が困難になっていることである。

  国や地方自治体をはじめ畜産関係諸団体がピンチに陥った食肉業界と肉用牛経
営が倒産、転・廃業に追込まれないような支援策を適切に講じていってほしいと
願っている。

みやざき  あきら

  昭和36年京都大学農学部卒業、40年京都大学助手(農学部)、49年同助教授、
平成元年同教授、6年文部省農学視学委員、10年京都大学大学院農学研究科長・
農学部長、11年京都大学副学長を経て、13年4月より現職。京都大学名誉教授。

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