東京大学大学院 農業生命科学研究科教授 生源寺 真一
食料自給率の目標を設けることについては、大きく議論が割れた。食料・農業 ・農村基本法をめぐる最大の争点であったと言ってよい。議論が割れるにはさま ざまな理由があった。いま振り返って見るに、その中でもっとも本質的な論点は、 国民の食生活に対する政府のスタンスの問題であったように思う。 自給率は、国内の食料生産量を分子とし、国内の食料消費量を分母とする割り 算によって得られる値である。このうち分子の生産量については、目標を設定す ることにそれほど違和感はない。もちろん、この点にも異論がないではないが、 従来からの農政の守備範囲の延長上にあると考えてよいであろう。問題は、分母 の食料の消費量について、一定の目標を設けることの是非である。 はたして、国民の食生活をコントロールすることが可能であろうか。そもそも コントロールするという発想自体に問題がありはしないか。問題があるとすれば、 自給率計算に必要な分母の値を想定することはできない。いや、想定すべきでは ない。自給率目標の設定には、消費者の選択に委ねてしかるべき食生活に対する 国の関与という点で、看過できない問題がある。これが自給率目標の設定に対す る有力な批判であった。
最終的には、現在40%の供給カロリー自給率を、平成22年には45%に引き上げ るとする目標が設定された(食料・農業・農村基本計画)。問題の分母の扱いは どうなったか。大別して、ふたつの方法が考えられた。ひとつは、過去のトレン ドから予想される10年後の姿をもって、分母すなわち食料消費の値とすることで ある。自然体と表現することができるかもしれない。もうひとつは、望ましい食 生活の姿を想定し、その想定に基づいて分母の量をセットすることである。もち ろん、10年という限られた期間であるから、その範囲で到達可能な姿を描き出す ことになる。 後者のアプローチが採用された。今日の国民の食生活には問題が少なくないと し、これを改善することへの政策的な意思が、自給率の目標に込められた。もち ろん、毎日の食生活のことであるから、あからさまに強制することはできない。 情報の提供と問題意識の醸成を通じて、よい方向への誘導を図ろうというのであ る。しばしば国民参加型の自給率目標などと表現されるが、このあたりの事情を 反映していると見てよい。 いま、もうひとつの方法を自然体と述べたが、言い換えれば放任型である。ソ フトな手法によるものではあるが、放任型の姿勢から誘導型の姿勢に転じたこと は、大変重要な意味を持つ。ことの本質が、個人の選択と社会の価値判断の関係 という根本的な問題に及んでいるからである。あるいは、そこまで深刻に考える 必要はないかもしれない。けれども、栄養政策の観点が農業政策の基本指針に明 示的に組み込まれたこと、これだけでも大書特筆に値する大きな変化なのである。
自給率の目標は個々の品目ごとに設けられた。45%という数値はこれを積み上 げたものである。畜産物については下の表の通りである。いずれも自給率を引き 上げるとされている。けれどもよく見ると、大家畜と中小家畜とでは内容に違い のあることがわかる。1人当たりの消費量をみていただきたい。牛乳・乳製品と 牛肉については、消費量の伸びが見込まれているのに対して、中小家畜に関して はいずれも減少が想定された。つまり、中小家畜については、市場がいくぶん縮 小するシナリオが描かれているのである。したがって、生産量の伸びも自給率の アップほどではないということになる。現に、鶏卵では生産量の微減が見込まれ ている。 表 自給率および消費量の現状と目標 中小家畜には厳しいシナリオである。なぜこうなったのか。理由のひとつが、 脂質摂取量の抑制という栄養政策上の観点である。これに加えて、飼料の自給率 を考慮したこともある。畜産物の場合、畜産物自体が国内で生産されていても、 その生産に用いられる飼料の自給率に相当する部分だけしか、自給生産物にカウ ントされない。明らかに中小家畜には分の悪い扱いである。 栄養政策と自給飼料振興政策の割を食ったと見る向きがあるかも知れない。逆 に、栄養と飼料の観点から、自給率問題をわが国の畜産のありかたを見直すきっ かけにすべきだとの議論もあろう。ここはじっくり腰を据えた検討を期待したい。 いずれにせよ、自給率という数値には重要な要素がいくつも詰め込まれている。 それが自給率の宿命でもある。だとすれば、自給率の数字だけが独り歩きすると いった事態は避けなければならない。
しょうげんじ しんいち昭和51年東京大学農学部農業経済学科卒業、同年農林省農事試験場研究員。56 年農林水産省北海道農業試験場研究員。62年東京大学農学部助教授を経て、東京 大学大学院農学生命科学研究科教授。農学博士。