◎調査・報告


畜産物需要開発調査研究から 牛血漿中脂質成分等と

枝肉格付評価の関連性について

研究代表者 東北大学大学院農学研究科 教授 山岸 敏宏




はじめに

 わが国の和牛は、他の肉用牛とは異なった優れた肉質を持っていることは広く
知られている。従って、その遺伝資源を今後も維持しながら、生産していくこと
が望まれている。特に、黒毛和種は脂肪交雑度が高く、その組織構造と化学的組
成のため相対的に肉が柔らかいという性質を持ち、これは他の肉用牛品種にはほ
とんど見られない特質である。これらは遺伝的な素質に大きく依存しているもの
の、飼養管理技術によるところも大きく、日本独自の経験的生産技術が加わって
いると考えられる(Warnantsら)。

 近年における分子遺伝学の発達に伴って、遺伝子レベルでの解析が統計遺伝的
手法と融合する形で行われている(Stoneら)。経済動物の生産において量的形
質に対する、このような技術導入は国際的な趨勢であり、資源規模の大きい諸外
国では組織力によって成果をあげているが、和牛生産にとっては軽視できぬ状況
にある。和牛生産は、肉質という点で外国種に対しては今後も優位に立つと思わ
れるが、多様な側面から生産の低コスト化につながる技術革新が重要である。

 遺伝子による効果と環境の効果を、バランスよく同時に考慮できるであろう生
化学的現象を遺伝的側面から積極的に評価していくことは、短期的に改良を進め
る上で有効である(Malau-aduliら)。直接的ではなく副次的であっても、相関
関係の高い現象であれば十分に間接的な指標として評価することが可能である
(Heckerら)。生化学的な現象は、相互メカニズムが複雑で、目的形質と高い相
関関係がある現象を見出すことは困難であるが、容易に得ることができるサンプ
ルから評価が可能になれば、早期に、かつ、低コストで個体能力の評価と改良を
進めていくことができるであろう。

 Bauchartらは、代謝成分の中でもトリグリセリド濃度は蓄積体脂肪からの
動員や飼料中からの影響、また、遊離脂肪酸濃度は蓄積体脂肪からの遊離型や飼
料中からの影響がそれぞれ認められ、可食部位である蓄積体脂肪の脂肪酸組成に
大きく関連していることを報告している。これらの情報は、構成している脂肪酸
組成が蓄積体脂肪と深く関係しており、血液中脂質から蓄積体脂肪の脂肪酸組成
を予測するための有効な指標となりうる。また、枝肉評価の中で枝肉重量ととも
に重要度を2分する肉質では、風味と柔らかさという点が重要で、それらを左右
する蓄積体脂肪の脂肪酸組成を遺伝的な改良によって、栄養学的にもバランスの
とれた望ましいものにできれば今日の生産形態に対して大きく貢献できる
(Frekingら)。特に、ほ乳類の蓄積体脂肪に最も多く含まれるモノ不飽和脂
肪酸(オレイン酸)は、飽和脂肪酸(ステアリン酸)から脂肪細胞中に存在する
9位不飽和化酵素によって生合成される(Siebertら)。Malou-aduliらは両者
の脂肪酸組成割合からその酵素活性指数を算出(9-desat.:=C18:1/C18:1
+C18:0)し、その遺伝性について検討した結果、比較的大きい遺伝変異がある
ことを報告している。また、中西らは遺伝的背景が明らかに異なる品種間で脂肪
酸組成が異なることを示唆している。従って、種牛候補の蓄積体脂肪中脂肪酸組
成の遺伝性を評価できれば、能力評価という点で、今日の生産形態に有効な情報
を与えることができるであろう。

 本研究では、肉用牛の血漿中脂質濃度(トリグリセリドおよび遊離脂肪酸)お
よび構成脂肪酸組成の変化、ならびに蓄積体脂肪の脂肪酸組成と枝肉格付との関
連性について検討するとともに、また、それらの遺伝性を推定することで、脂肪
酸組成を指標とした肉質改良の可能性について考察した。


研究方法

実験 1.
 東北大学農学部附属農場(以下T農場と略す)における平成7年生まれの子牛
のうち、黒毛和種30頭、日本短角種10頭、交雑種15頭、雌雄計55頭を供試し、夏
山冬里方式で育成した。体重および採血は、約1カ月齢〜35カ月齢まで1カ月ごと
に実施した。血漿中のトリグリセリドおよび遊離脂肪酸の各濃度は35カ月齢まで
全頭測定した。肥育牛の出荷・と畜後、2日目に枝肉より背部皮下部、筋間部、
ロ−スしん脂肪交雑部、生殖器周囲皮下部の4部位から蓄積体脂肪組織を、ロ−
スしん部位から筋肉組織をそれぞれ採取し、分析に供した。血漿中トリグリセリ
ドおよび遊離脂肪酸の分離分画と構成脂肪酸組成の分離・同定には、薄層クロマ
トグラフィ−およびガスクロマトフィ−を、蓄積体脂肪および筋肉組織中リン脂
質の脂肪酸組成の同定にはガスクロマトフィ−をそれぞれ用いた。

実験 2.
 T農場から出荷された33頭(各品種、雌雄を含む)と岩手県農業研究センタ−
畜産研究所(以下 I 農場と略す)飼養牛35頭(黒毛和種去勢牛)を用いて、蓄積
体脂肪の脂肪酸組成を説明変数、枝肉格付を目的変数として多群多変量判別分析
を行った。

実験 3.
 血縁関係のあるT農場および宮城県畜産試験場飼養牛を供試した。実験1およ
び2で測定した蓄積体脂肪および筋肉組織中リン脂質の脂肪酸組成に関するデ−
タも含めて、それらの遺伝的パラメ−タをMTDFREMLプログラムを使用して推定
した。


研究結果および考察

ほ乳時から肥育・出荷までの経時的な血漿中脂質(トリグリセリドおよび遊離脂
肪酸)の濃度変化

 一般に、蓄積体脂肪の多くはトリグリセリドであり、血漿中濃度変化は飼料か
らの影響に加え、蓄積体脂肪からの動員によって生じると考えられる。また、遊
離脂肪酸の濃度変化は、蓄積体脂肪からのトリグリセリド動員後に、遊離脂肪酸
の状態になることと、飼料中脂質由来による場合とがあるとされている。従って、
生体における脂肪の蓄積状態を推定する上で簡易な指標であるといえる。

 そこで、1カ月齢から出荷35カ月齢時までの期間において品種ごとのこれらの
濃度変化を調査した。離乳前後において両濃度に対する月齢、種雄牛および性の
効果に高度な有意性が見られ、また育成後期から肥育終了までの期間でもそれら
の効果は有意であり,同様な傾向が見られた。血漿中トリグリセリド濃度におい
て離乳前の3カ月齢までに各品種とも大きな変化が見られ、11カ月齢以降大きな
上昇が見られた。また、肥育期に入ると23〜28カ月齢の間に各品種とも急激に上
昇した。血漿中遊離脂肪酸濃度は、各品種とも離乳後も有意に上昇した。しかし、
育成後期から肥育終了までは有意な低下が見られたが、月ごとに激しく変動した。
このような濃度変化は,離乳や肥育といった栄養環境が大きく変わる時期に生じ
るが、それは一次的で、環境への適応的変化ということができる(図1および2)。
特に肥育開始時以降に見られる遊離脂肪酸濃度の大きな変動は、次第に減少する
傾向にあり、これは主として濃厚飼料多給による栄養状態の影響であろう。肥育
牛の場合には、安定的変化が肥育期間中維持されることが望ましい。

◇図1:和牛における血漿中トリグリセリド濃度の変化◇

◇図2:和牛における血漿中遊離脂肪酸濃度の変化◇


肥育期における血漿中脂質成分(トリグリセリドおよび遊離脂肪酸分画)の脂肪
酸組成変化

 肥育期における血漿中トリグリセリドおよび遊離脂肪酸分画の不飽和度につい
て経時的な変化を調査し、それらと枝肉格付評価との関連性について検討した。
その結果、血漿中トリグリセリドの不飽和度は肥育初期および中期では枝肉格付
A3の方がB2よりも有意に低かったが、遊離脂肪酸の不飽和度は格付A3がB2より
も肥育初期では低いものの、肥育中期においては有意に高くなった。しかし、肥
育後期ではいずれも同程度であった(図3および4)。血漿中トリグリセリドおよ
び遊離脂肪酸分画の不飽和度について枝肉格付評価の間で比較したが、必ずしも
明確な結果ではなかった。しかし、肥育初期から肥育中期までの間で血漿中遊離
脂肪酸の不飽和度がA3で上昇し,逆にB2の方で低下したことは注目される。

 枝肉中の蓄積体脂肪の脂肪酸組成は不飽和度が高いという報告が一般的である。
血漿中遊離脂肪酸分画の不飽和度の変化をみると、特に20カ月齢と25カ月齢時で
枝肉格付評価の間で逆転した結果が得られたことは、脂肪細胞への脂肪の蓄積時
期を考慮すると、特異的な変化であると言える。また、格付評価の高い個体と低
い個体とでは、脂肪細胞に含まれる9位不飽和化酵素活性やエネルギー利用能
などにおいても特異的な違いがあるのかもしれない。

◇図3:肥育期における血漿中トリグリセリド分画の不飽和度変化◇

◇図4:肥育期における血漿中遊離脂肪酸分画の不飽和度変化◇


蓄積体脂肪および筋肉組織中リン脂質の脂肪酸組成と枝肉格付評価との関連性

 格付評価と蓄積体脂肪および筋肉組織中リン脂質の脂肪酸組成との間の関連性
について見ると、一般的には格付評価と蓄積体脂肪の不飽和度との間には正の相
関があるといわれており、本研究における分析でもほぼ同様の傾向が見られた。
また、筋肉組織から抽出されるリン脂質は主に筋細胞膜を構成している主要な脂
質で、その不飽和度が蓄積体脂肪のそれと比較して高い傾向にある。従って、筋
細胞膜を構成しているリン脂質の脂肪酸組成が肉の「きめ」や「しまり」と関連
しているばかりか、「柔らかさ」とも密接に関連していると考えられる。表1は
主な脂肪酸の種類をあげたものである。

表 1  枝肉中に含まれていた主な脂肪酸の種類
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 本研究では、リン脂質分画の脂肪酸USFA、U/Sおよび9-desat.において肥
育日数の効果が有意であったことから、肉の柔らかさを決定する肥育終了適期や
飼料交換適期が存在すると考えられた。
 枝肉格付評価間の関連性を検討するために、可食部であるロースしん部位にお
ける蓄積脂肪の脂肪酸組成を説明変量にした格付評価に対する多群判別分析を行
った(表2)。Tおよび I 農場における分析結果に基づいて、作成された式(判別
モデル)を用いて正しく判別された各格付評価の割合も比較的高いことから、総
合的に見て格付評価と脂肪酸組成との相互関係が高いことが推察できる。さらに、
このことは枝肉格付ごとにおいて特徴的な脂肪酸組成割合を持っていることを意
味しており、風味に違いがあることを示唆するものである。
表 2  Tおよび I 農場で生産された枝肉ロース芯部位における蓄積脂肪の
  脂肪酸組成を説明変量とした格付評価に対する多群判別分析の結果
(T農場について)
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(I農場について)
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蓄積体脂肪および筋肉組織中リン脂質の脂肪酸組成の遺伝性

 わが国の牛肉の品質規格において脂肪の質・色沢とともに脂肪交雑が重要であ
ることについては前述した。肉用牛の育種的改良を進める上での重要課題は、
「嗜好性」を考慮しながら、かつ、「どのような肉質」を追求するかである。本
研究で着目している肉質の風味に関わる脂肪酸組成もその1つであり、それらを
遺伝的にコントロールできれば望ましい脂肪酸組成を持つ風味のよい牛肉を育種
改良できることになる(Malou-aduliら)。その利点は、自給飼料かつ粗飼料主体
で、飼料コストを下げながら、望ましい風味の豊かな牛肉を生産することが期待
できることである。

 個々の脂肪酸およびSFA、USFA、U/S、9-desat.に関する遺伝性を検討する
ことはその基礎的知見となる。しかしながら、際限なく不飽和度を高めることは
生物学的に不可能であり、食品として適度なバランスを持つ肉質の牛肉を生産す
ることを目標とすべきである。

 本研究の結果から、脂肪酸組成などについて推定した遺伝率から、その遺伝性
は中程度に高いことが推察された(表3)。特に、肉の柔らかさに関わる筋肉組
織中リン脂質の脂肪酸組成の不飽和度は遺伝性が高いことが推定され、肉質を改
良する上で重要な指標となるであろう。また、9-desat.は遺伝率が比較的高い
ことから、不飽和度向上のための遺伝的改良には有効な指標となる(Kimら)。

 以上のことから、蓄積体脂肪および筋肉組織中リン脂質の脂肪酸組成について
遺伝的に解析することは,肉質改良にとって有用な情報を提供するものと考えら
れる。

表3 蓄積体脂肪および筋肉中リン脂質の脂肪酸組成の推定遺伝率
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考察

 蓄積体脂肪の脂質性状を左右すると考えられる血液中代謝成分のトリグリセリ
ドおよび遊離脂肪酸濃度は、飼料条件によって有意に変化し、特に肥育が開始さ
れるにつれて蓄積体脂肪からのトリグリセリド動員による遊離脂肪酸濃度上昇は
見られず、むしろ低下する傾向が見られた。肥育期においては、蓄積した脂質成
分を代謝・利用されないように血漿中遊離脂肪酸濃度は低く維持されるように管
理されることが望ましいと思われる。また、肥育中期においては、トリグリセリ
ドと遊離脂肪酸の不飽和脂肪酸組成の割合が格付評価間で逆転する傾向が見られ
たことから、この時期に蓄積体脂肪の脂質性状を左右するような鍵となる点が存
在する可能性があった。

 枝肉形質の改良を進めるに当たり、特に肉質形質には蓄積体脂肪および筋肉組
織中リン脂質の脂肪酸組成(特にUSFA、9-desat.)を指標とすることが有効で
あることが示唆された。また、それを組み合わせることによって、総合的にバラ
ンスのとれた望ましい脂質を有する枝肉を遺伝的に改良することも可能であると
考えられた。

 家畜の遺伝的改良は、目標に到達するまで長期化する傾向にあり、従ってその
手段には高度な正確さと低コスト化が要求される。この問題を解決するための1
対策として、若齢時に測定可能で、両性からの情報が得られ、サンプリングが容
易で、そして経済効果の高い形質と相関の高い生理指標を見出することである。
しかしながら、これまで遺伝的な生理化学的指標に関する研究は、その経済形質
を生産する過程における複雑さから、困難であった。それは、指標同士の相互作
用や相互経路の複雑さについていまだ解明されてはいないことにもよる。今後の
課題として、実験動物などの選抜実験を通じて得られた動物の特徴を十分に調査
し、それらを参考に経済形質に関する検討を行っていくことが重要であろう。ま
た、正確に各指標の遺伝性と遺伝的価値(Genetic merits)を推定・評価しなが
ら、また直接的な選抜などを行って、生理化学的指標に関する遺伝情報を蓄積し
ていくことが必要と思われる。

 本研究は、須田義人博士(現在東京大学農学部附属農場特別研究員)の全面的
協力の下で実施されたものであり、同博士に対して深く感謝します。


参考文献

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