山形県/杉澤 隆宏
今年で21回目となる米沢牛肉まつりが平成13年8月8日夕、市内松川(最上川) の河川敷公園で開催され、県内外から集まった約1,200人が米沢牛のすき焼きに 舌鼓を打った。まつりは米沢牛の銘柄確立と消費拡大を図ろうと、米沢市、山形 おきたま農協などで構成する米沢市農業まつり実行委員会(会長:高橋幸翁市長) の主催。 きめ細かい霜降りと口解けのいい甘味のある脂肪が特徴の米沢牛は、食通なら ずとも高級和牛の銘柄として全国に知られており、また、日本を代表する伝統銘 柄の産地として「西の松阪・近江、東の米沢」と称されるほどその歴史は古い。 よねざわ豆本(尾崎茂一著)によれば、戦国時代、近江国蒲生郡(滋賀県蒲生 町)日野城で生まれた蒲生氏郷が、伝統銘柄産地を結ぶキーパーソンである。氏 郷は後に秀吉に仕え、天正12年(1584年)伊勢松坂城主、その6年後には会津若 松城主に就き、現在の米沢市のある置賜地方も領した。 その後、上杉氏が藩主となり、天和元年(1681年)米沢藩主が牛の飼育を奨励 したのが記録に残る飼育の始まりとされ、実際に牛肉を食べたという記述は市史 によれば明治元年、官軍に牛2頭を献上し、医師や負傷兵に調理して出したのが 最初となっている。しかし、飼育の歴史からみれば明治以前から置賜の人は牛肉 を食べていたと考えられる。 米沢牛が名声を得るきっかけとなったのは、英国人洋学教師チャールズ・H・ ダラスによるもので、明治8年に横浜に戻るとき和牛を持ち帰り英国人仲間に食 べさせたところ、その食味に驚き大好評を得たというエピソードから米沢牛の恩 人と言われている。明治中頃、横浜の問屋と特約販売し好評を博し、「米沢牛」 が広く世間に知られるようになった。明治32年には、奥羽本線開通を機に置賜地 方の牛が米沢駅から貨車積みされ横浜に大量に出荷されるようになり、米沢牛と しての銘柄が確実なものとなった。 時代が変わっても、先人たちが残した文化、技術等に甘んじることなく、生産 者、農協、食肉業者および行政が一丸となって米沢牛を歴史・文化として振興し ており、12年4月には衛生的で近代的な施設を兼ね備えた食肉センターが完成し、 生産、流通、出荷が地域内で行われている全国でも稀な銘柄牛産地としてますま すの発展が期待されるところである。
【米沢牛肉まつり会場風景】 |
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【まつりで提供された 「米沢牛」1キログラム】 |