北里大学 獣医畜産学部 助教授 有原 圭三
細菌、カビ、酵母といった微生物を利用した発酵食品は、世界各地に非常に多 くの種類のものが存在している。わが国では、その高温多湿の気候と、植物性食 品を中心とした食文化から、漬け物、納豆、味噌、しょうゆといった発酵食品が、 長い歴史をかけて発展してきた。一方、ヨーロッパ諸国では、乳や肉といった畜 産物を発酵させることにより、風味や貯蔵性を向上させた食品が多く作られてき た。ヨーグルトに代表される発酵乳は、わが国でも既に一般的な食品となってい る。しかし、発酵ソーセージなどに代表される発酵食肉製品は、わが国ではいま だに一般的な食品とはなっていない。 発酵食肉製品は、豚肉を初めとする食肉を主原料とする食肉製品であるが、そ の最大の特徴は、製造過程に微生物の関与があることである。原料の違いと共に、 発酵に利用する微生物(細菌、カビ、酵母)の種類や発酵方法(温度、期間など) により、さまざまな製品が造られ、特にヨーロッパの市場では、多様な製品を目 にすることができ(図1)、欧米諸国では、食品科学領域の研究対象としても重 要なものとして認識されてきた。 図1 欧米で見られる発酵食肉製品の例 筆者は、発酵食肉製品は今後、わが国で大きな需要の伸びが期待できる数少な い畜産食品と考えている。しかし、発酵食肉製品がわが国の市場で受け入れられ るためには、日本人の消費者ニーズに応えた製品を開発する必要がある。このよ うな製品として、保健的な機能を付加したいわゆる機能性食品に注目し、筆者は 機能性発酵食肉製品の開発に関する研究を進めている。本稿では、機能性食品と しての発酵食肉製品の可能性について、これまでに筆者らが手掛けてきた食肉製 品への微生物や酵素の効果的な利用法の開発に関する研究成果を紹介しつつ論じ ることにする。
食肉は栄養素に富むため、微生物の増殖が速やかに進行し、腐敗しやすい食品 でもある。このような食品素材に、発酵、塩蔵、燻煙といった方法を巧みに組み 合わせて導入することにより、冷蔵・冷凍技術が存在しなかった時代でも、食肉 製品を長期間、安全に貯蔵できるようにした技術には、驚くべき知恵があったと 言えよう。また、発酵過程中に生成されるさまざまな風味成分が、食肉を新たな 魅力をもつ食品に変換させた。代表的な発酵食肉製品である発酵ソーセージは、 一般に、細切した豚肉などの原料肉に脂肪、塩漬剤(食塩、亜硝酸ナトリウム)、 糖類、香辛料、発酵スターター微生物を添加したソーセージミックスから製造さ れる。ソーセージミックスを羊腸などのケーシングに充填し、発酵させる。欧州 の伝統的な製法では比較的低温で長期間、米国の近代的な大規模製法では比較的 高温で短期間の発酵が行われる場合が多い。表1にスターターとして利用される代 表的な微生物を挙げた。また、図2には、凍結乾燥スターター製品(微生物粉末) の例を示した。近年、わずかずつではあるが、日本でも発酵食肉製品の輸入・販 売や生産が増えつつあり、以前に比べると目にする機会が増えてきている。国内 で製造されている発酵食肉製品の例を図3に示した。 表1 発酵食肉製品に利用される主なスターター微生物 図2 発酵食肉製品の製造に用いられるスターター乳酸菌 (凍結乾燥パウダー、ドイツ製)
図3 日本国内で製造されている発酵食肉製品の例 (左:ベーコン、右:ミートスプレッド)
食品を製造する際に、微生物による発酵過程を設けることにより、一般に貯蔵 性やし好性が向上することが知られている。これに加えて、最近になって、多く の発酵食品が健康に役立つ機能を有していることが明らかにされてきた。わが国 の代表的な発酵食品である納豆に含まれるナットーキナーゼが血栓症の予防に極 めて有効な作用を示すことなどが例として挙げられる。このような保健的機能が 見い出された発酵食品は多く、発酵食品は機能性食品として新たな注目を集める ようになっている。畜産食品では、ヨーグルトなどの発酵乳では保健的な機能性 に関して、非常に多くの研究が行われており、スターター微生物として利用され ている乳酸菌の持つ役割について多くの角度から検討されている。特に最近では、 プロバイオティクスという概念の導入が盛んである。プロバイオティクスの代表 的な定義として「ヒトや動物に投与した際に、内在性微生物相の改善によって、 消化器系、呼吸器系、泌尿器系などを対象に広く宿主の健康に好影響を与える、 生きた一種もしくは混合微生物」というものがある。プロバイオティクスの主な 保健的機能として、腸内環境の改善による下痢・便秘の軽快、コレステロール低 減、血圧降下、免疫賦活などが挙げられる。プロバイオティクスとして用いられ る微生物として代表的なものに、消化管由来の乳酸菌やビフィズス菌を挙げるこ とができる。このようなプロバイオティック乳酸菌を利用したヨーグルトを初め とする発酵乳が、国内外を問わず多く製造・販売されており、人気のある商品群 となっている(図4)。 図4 保健的機能を備えた付加価値の 高い発酵乳製品 プロバイオティック乳酸菌を食肉製品製造に利用すれば、保健的な機能性を持 たせることにより、付加価値の高い食肉製品を開発できることは容易に考えられ ることであったが、われわれがこの研究に着手するまで、この種の研究・開発を 行った記録はなかった。また、食肉製品の場合、発酵食品に限らず、機能性食品 としての研究や開発が乏しく、多くの消費者は食肉の摂取が生活習慣病につなが ることを危惧している現状もある。このような状況を重視し、われわれは微生物 を利用した機能性食肉製品の開発に関わる研究に着手し、これまでに基礎的なデ ータを蓄積させると共に、実際の製品開発にも関心を持ってのぞんできた。
発酵乳製品では、製品中に血圧降下ペプチドなどさまざまな生理活性成分が、 乳酸菌の作用により生成されることが良く知られていた。これまで発酵食肉製品 を機能性食品として捉え、この種の成分を検索した研究は全くなかったが、われ われはプロバイオティック乳酸菌を利用した食肉製品の保健的な機能をより明確 にし、付加価値の高く消費者ニーズに合致する食品を開発するための基盤となる 知見を得ることができた。乳酸発酵させた豚肉ホモジネイトは、食肉タンパク質 の分解により、血圧降下作用、抗酸化作用、抗ストレス作用を備えていることを 初めて示すことができた。これらの知見は、保健的な付加価値の高い新しい食肉 製品の開発に寄与する貴重なものであると自負している。 筆者らのスクリーニングにより見出された乳酸菌Lactobacillus rhamnosus FERM P-15120で発酵させた豚肉ホモジネイトの血圧降下作用を、自然発症高血圧ラット に経口投与することにより調べた結果、対照群に比べて、有意に血圧降下が認め られた(図5)。この発酵豚肉ホモジネイトに含まれる血圧降下作用を有する成分 を明らかにするために、精製・同定を行った結果、8つのアミノ酸からなるオクタ ペプチド(Val-Phe-Pro-Met-Asn-Pro-Pro-Lys)が主要有効成分であることが判明 した。このペプチドは、筋肉の主要タンパク質であるミオシン中に存在する配列 (76−83)であることから、発酵ホモジネイトを調製する際に、食肉のプロテア ーゼと乳酸菌(L. rhamnosus)の作用により生成したものであると推定された。 このオクタペプチドは、血圧降下ペプチドとして、これまでに報告されていない ものであり、新規の血圧降下ペプチドと判断した。 図5 Lactobacillus rhamnosusで発酵させた ホモジネイトの血圧降下作用
血圧降下作用の他にも、発酵豚肉ホモジネイトのいくつかの生理的機能の解析 を試みた。その中で、今後、さらに検討することにより有望なものとして血糖値 上昇抑制作用が見出された。糖尿病は、血糖値のコントロールが十分に行われな くなる疾病であり、現在、わが国でも多くの人が苦しんでいる。このような状況 から、血糖値の上昇を抑制する作用を有する食品が、近年、いくつか開発されて いる(図6)。今回の検討では、まず、食肉そのものには血糖値上昇抑制作用が ないことを確認し(図7A)、次に発酵豚肉ホモジネイトを投与した場合の効果を 検討した(図7B)。図7は、試料(豚肉ホモジネイトなど)をラットに経口投与し て30分後に、続いてグルコース溶液を投与した後の血糖値変化を示したグラフで ある。発酵豚肉ホモジネイトを投与した群では、血糖値の最大値(グルコース投 与30分後)が対照群に比べて低いと共に、投与60〜120分後にかけて血糖値が急速 に低下していることがわかる。この実験結果から、発酵豚肉ホモジネイト中には、 発酵により新たに血糖値抑制成分が生成していることが推察される。 図6 血糖値上昇抑制作用が期待できる食品の例(ヤクルト、蕃爽麗茶)
図7 ラットに予め豚肉ホモジネイト(A)や発酵豚肉ホモジネイト(B) を投与した場合のグルコース経口投与後の血糖値の変化
筆者らの検討により、血圧降下作用に加えて、血糖値上昇抑制作用が乳酸菌を 用いて調製した発酵ホモジネイトに存在することが示された。これはこれまでに 報告のない知見であり、今後、さらに検討する価値のあるものと考えている。わ れわれは、当初、発酵乳によく利用されてきたプロバイオティック乳酸菌の食肉 製品への利用を検討してきた。一連の研究により、このような乳酸菌を利用する ことにより、付加価値の高い新しいタイプの食肉製品を誕生させることができる ものと確信するに至っている。さらに乳酸菌による発酵により生成される生理活 性ペプチドなどによる高い保健的機能性を食肉製品に付与できることが明らかに なった。現在、乳酸菌(Lactobacillus rhamnosus FERM P-15120)を利用した試 作品(発酵ソーセージ)の調製を進めており、図8のようなものが試験的に作ら れている。また、このような発酵食肉製品を調製する際に、スターター微生物と ともにタンパク質分解酵素を併用することにより、効率よく生理活性ペプチドを 製品中に生成させることができることも示されている。今後、市場調査や販売方 法の検討を行い、早い時期にわれわれの研究成果を生かした、付加価値の高い新 しいタイプの食肉製品が誕生することを期待している状況である。 図8 Lactobacillus rhamnosusを用いて試作した 発酵食肉製品(発酵ソーセージ)
筆者らの研究成果は、これまで保健的機能性をもつ食品として捉えられてこな かった発酵食肉製品の新たな可能性を発掘したものである。しかし、これまでに、 われわれが見出した保健的機能性は、おそらくごく一部分のものに過ぎず、今後、 さらに検討を続けることにより、食肉製品の新しい魅力を発掘できるものと考え ている。とりわけ、近年、食肉や食肉製品に対する消費者の厳しい視線があり、 食肉科学に携わる者として、消費者が食肉や食肉製品を正当に評価できるような 科学的データの蓄積に努めたいものである。これまでの検討では、微生物による 発酵や酵素の作用を重視したが、原料となる食肉そのものの保健的機能性につい ても、その解明は甚だ不十分なものであり、われわれはこの方面からのアプロー チも試みている。
【参考文献】 1) 有原圭三(1995): 発酵肉製品製造に用いる機能性スターター乳酸菌の分 子生物学的育種. 平成5年度畜産振興事業団畜産物需要開発調査研究事業 報告書. p.43-59. 2) 有原圭三, 藤井俊弘(1996): 高機能乳酸菌の利用による日本人のし好性 に合った発酵型食肉製品の開発. 平成6年度畜産振興事業団畜産物需要開 発調査研究事業報告書. p.123-132. 3) 有原圭三(1997): 食肉製品にも乳酸菌の利用を! ミートジャーナル 34(5) : 135-141. 4) 有原圭三(1997): プロバイオティック乳酸菌の食肉製品への利用. 食肉 の科学 38 : 47-56. 5) 有原圭三(1998): 乳・肉・卵製品の機能性食品としての展開(1)−畜産 食品領域における特定保健用食品−. 畜産の研究 52 : 459-465. 6) 有原圭三(1998) : 乳・肉・卵製品の機能性食品としての展開(2)−機 能性畜産食品の現状と展望−. 畜産の研究 52 : 575-584. 7) 有原圭三(2000): 乳・肉・卵製品へのプロバイオティック乳酸菌の利用. ミルクサイエンス 49 : 183-188. 8) 有原圭三(2001): 乳・肉・卵を原料とする機能性食品の開発動向. 畜産 コンサルタント 37 : 10-16. 9) 有原圭三(2001): 微生物を利用した新しいタイプの食肉製品の開発. 畜 産の情報 140 : 18-26. 10) 有原圭三(2001): プロバイオティック微生物を利用した食肉を原料とする 付加価値の高い食品および機能性食品素材の開発. 平成12年農畜産業振興 事業団畜産物需要開発調査研究事業報告書. p.31-45.