◎調査・報告


山場を迎えるWTO農産物交渉

九州大学大学院 農学研究院 助教授 鈴木 宣弘


 WTO農業交渉における保護削減の方式(モダリティ)の議論が急ピッチで
進行している。平成15年2月に出された第1次議長案は、わが国やEUの主張する
「削減幅平等」のUR(ウルグアイ ラウンド)方式と、25%上限関税のような
「削減後水準の平等」を迫る米国・ケアンズ連合の主張の「折衷案」で、UR方
式を採用しつつも、高関税品目の削減幅を大きくし、また全体としての削減幅
もUR水準に比べてかなり大きなものとなっている。


数値提案

 各国の高関税品目というのは、多面的機能も大きい最重要品目であり、米国
等が主張する高関税品目ほど削減幅を大きくするというのは、多面的機能に配
慮すべきとするわが国等の主張と正反対の論理である。しかし、多面的機能を
有効に主張するには、多面的機能を最低限維持するために必要な関税水準とア
クセス数量の組み合わせを示すというような形で、多面的機能とモダリティの
提案とを結び付ける必要がある。

 何の交渉でも、「落とし所」を見出していくには、数字の入った対案が必要
である。例えば、われわれが、不動産の売買をする時でも、買いたい物件が5,
000万円で広告されていて、4,500万円なら買いだと思ったら、まず、4,000万
円で「指し値」する。そうすると、売り手の方が4,700万円でどうか、と言っ
てくる。そうしたら、中をとって、4,350万円でどうかと告げる。相手は、何
とか4,600万円にしてくれ、という。こうして、中をとっていき、4,500万円に
近いところで折り合いを付ける。

 米国も、「落とし所」を導くための交渉の出発点として、25%上限提案を出
してきた。わが国が交渉を有利に進めるには、「落とし所」をにらんで、米国
の25%上限提案に対する「指し値」をする必要があったかもしれない。例えば、
関税については、UR水準の延長(5年間に全体で36%、最低15%)が「落とし
所」であるなら、まず、その半分程度の水準を提案する、といった具合である。
しかし、EUが全体で36%、最低15%を提案し、わが国はEUの「UR水準」に同調
する形で、いきなり「落とし所」からスタートするような形になった。

 それを受けて、「UR水準」と「25%上限」との間を採る形で、一次案が提案
されたわけだが、今となっては、とにかく、UR水準を「最大限の譲歩」とする
姿勢を堅持することになろう。


米国の本音は?

 米国は「落とし所」を導くための交渉の出発点として、25%上限提案を出し
てきたと述べたが、UR交渉においても米国の最初の提案は、「関税の撤廃」と
いう非現実的なものだった。交渉の最初に、このたぐいの極端な「危険球」を
投げるのは、米国の常套手段ともいえる。

 実は、米国も本当に25%上限で決まってしまったら、かえって大変なことに
なるセクターを抱えている。例えば、米国の生産者乳価は1キログラム当たり
約35円で、ニュージーランドやオーストラリアの約20円の2倍近い水準である。
全米生乳生産者連盟は、関税水準が各国平等に25%になるのなら米国酪農にと
って不利ではない、といった見方を示してはいるものの、実際には25%の関税
だけで、ニュージーランドやオーストラリアと競争するのは相当な脅威であろ
う。事実、昨年末、オーストラリアとのFTA(自由貿易協定)の政府間交渉開
始が合意されたことに対して、全米生乳生産者連盟は強く反発している(農畜
産業振興事業団の海外駐在員情報2002.12月号等参照)。


カナダにも注目

 わが国の味方は、EUだけではないことにも注目する必要がある。カナダは穀
物等の非常に競争力のある農産物を持つ一方で、酪農が典型であるが、非常に
競争力の弱い品目も抱えている。

 このため、当初からカナダは、「カナダの穀物のように輸出指向の極めて強
い品目は、貿易を歪曲しないように関税を最大限引き下げる(ゼロにする)の
が妥当だが、酪農のように厳しい供給管理制度によって国内で必要な生産のみ
を行い、国際的にほとんど迷惑をかけていないtrade friendlyな品目は同列に
は論じられない。関税割当の枠内税率をゼロにする一方、輸入禁止的な枠外税
率は維持する、というのが最大限の譲歩だ」ということで、ケアンズ・グルー
プの一員でありながら、「UR合意で関税割当を導入した品目については、枠内
関税を撤廃することを条件に、枠外の輸入禁止的高関税は維持できる」という
提案をしてきた。

 従って、カナダは、この独自の交渉提案により、米国・ケアンズ連合の25%
上限関税の提案に同調しなかった。この点で、カナダの動向にも注目する必要
がある。


センシティブな品目は各国にある

 以上からも分かるように、米国もカナダも牛乳・乳製品のように、日本のコ
メに匹敵する基礎的食料として国民の食生活における特別な位置を占めるが、
競争力のない品目を抱えている。とりわけ、牛乳・乳製品については、米国で
も、「ナショナル・セキュリティの問題から、牛乳を海外に依存したくない」、
「酪農は公益事業のようなものだ」というような見解も聞かれるほどである。
しかし、牛乳・乳製品に関して、ニュージーランドとオーストラリアの突出し
た競争力に対抗できる国はなく、貿易の自由化はオセアニアの1人勝ちになる
と予想される。このため、カナダでは、「本当に酪農の保護削減を望んでいる
国は、ニュージーランドとオーストラリアだけだ。交渉の最初の段階は、総論
の合意を図るので例外措置は口に出せないが、ギリギリの最終段階にはカナダ
の酪農、アメリカの砂糖・酪農、日本のコメのようなセンシティブな品目で、
例外措置が「取引」されることになろう」(WTO担当P局長)との見通しがある。

 コメや酪農といったセンシティブな品目の取り扱いは、オセアニアを別にす
れば各国が抱える共通の問題であるから、こうした「基礎的食料」の取り扱い
を議論する形で、現実的な歩み寄りを模索する必要がある。


アクセス数量の取り扱い

 アクセス数量については、わが国はコメについての加重分を戻して欲しい、
と強く主張しているが、今のところ、なかなか賛同は得られていない。加重分
が生じた経緯が、自らの主張を通して特例を設け、その代償として受け入れた
措置について、後に方針を変更して取りやめたので戻してほしい、というよう
に見られるため、理解されにくい面があるのかもしれない。

 コメの加重分のみを特別に主張するというよりは、全体の問題として、消費
量の変化を考慮したミニマム・アクセス数量の見直しが必要であるとして、新
しい基準消費量に基づいてUR合意の最終水準の5%から出発し、5年間で8%ま
で増加する、というような提案を実現する中で、結果的にコメの加重分は元に
戻せるような形にもっていくことも可能ではないかと思う。また、わが国にお
けるコメの重要性は言うまでもないが、他の重要な農畜産物に対する措置も十
分確保できるようなバランスの考慮も必要であろう。

 なお、アクセス数量の運用については、たとえ国家貿易品目であっても、輸入
しても国内で買い手がいないようなものを無理に輸入することは、アクセス数
量の趣旨からして必要はないのではないか。あくまで、関税割当枠は、低関税
でのアクセス機会の提供であり、実需に応じて輸入されるべきではないか、と
いう視点での検討の余地があると思う。WTO協定上も、「国家貿易品目の場合
には、アクセス数量は最低輸入義務となる」という規定があるわけではないと
いうことには留意する必要があろう。


あらゆる形態の実質的輸出補助金への具体的提案

 さらに、輸出側の保護削減方式の提案も重要である。EUは輸出補助金に対し
て非常にセンシティブであるが、それはEUが輸出補助金に大きく依存している
からだけでなく、それらがWTO上「クロ」であるのに、他の輸出国には、「灰
色」や「シロ」の輸出補助金が山のようにあるからである。EUは、当初から、
WTO交渉提案において、「輸出信用(政府による債務保証)、食料援助、輸出
独占組織等、あらゆる形態の実質的輸出補助が削減対象に加えられない限り、
さらなる輸出補助金の削減交渉には応じない」と主張してきた。EUの輸出補助
金だけが減らされて、多くの他の輸出国は「灰色」や「シロ」の輸出補助金を
維持できることが、EUにとって非常に歯がゆいのは当然である。

 輸出信用は、米国がしばしば使うが、例えば、カーギルがアフリカでコメを
売る場合、最初から代金回収の見込みは少ないが、それでこげついた分は信用
保証した米国政府が補填するものだ。

 米国の新農業法下の穀物等の政策では、マーケティング・ローン(あるいは
融資不足払い)、固定支払い、不足払い、という3重の措置で、目標価格と国
際価格との差が農家に補填されるが、これらはすべて輸出補助金と定義するこ
とも可能である。

 わが国のような輸入国の立場からも、またEUとの協調を図るためにも、わが
国が、All forms of export assistanceの計量化についても積極的に具体的提
案を行えないものかと思う。例えば、WTO上「クロ」の輸出補助金が生産者価
格と輸出価格との差を財政(納税者)が負担するのに対して、輸出国家貿易に
よる隠れた輸出補助金は、国内価格あるいは一部の輸出先の価格を高く設定す
ることによって、消費者への隠れた課税を輸出補助金の原資としているもので
ある。これは、納税者負担か消費者負担かの違いだけで、経済学的には同等の
輸出補助金として定義できるが、現行WTO上は、消費者負担の場合は「灰色」
または「シロ」である。

 このタイプの輸出補助金は、カナダだけでなく、ニュージーランド、オース
トラリアでも使われている。米国の牛乳における差別価格制度である連邦ミル
ク・マーケティング・オーダー制度(FMMO)(Federal Milk Marketing Order)
も同等の性格を有する。これらの消費者負担型輸出補助金は、輸出補助金相当
額(Export Subsidy Equivalent)という形で、統一的に計量が可能である。
こうした提案をわが国が積極的に行なって、輸出国側を牽制するのも1つの交
渉のカードになり得るであろう。


AMSの過少申告問題

 国内支持合計額(AMS)(Aggregate Measure of Support)の削減について
は、その削減方法や削減幅の問題のほかに、過少申告問題をどうするか、とい
う点の検討が必要であろう。例えば、米国やカナダの乳価支持政策は、黄(削
減対象)のはずであるが、AMSのカウントにおいては、内外価格差計算におい
てかなり過少申告がなされている。少し具体的にいうと、酪農におけるAMSの
カウントについて米国農務省で確認したところ、米国の酪農におけるAMSは、
国内の政策価格(administrative price)を加工原料乳価支持制度(DPSP)
(Dairy Price Support Program)の支持価格100ポンド当たり9.9ドルを用い
て、国際参照価格(農林水産省牛乳乳製品課からの情報によると、北部ヨーロ
ッパからのバター・脱脂粉乳FOB価格をベースに換算した生乳トン当たり160ド
ル弱ということなので、100ポンド当たり約7.26ドル)との差額に全生乳生産
量を乗じて計算しているとのことである。国内の政策価格としてDPSPの支持価
格100ポンド当たり9.9ドルを用いていることは重大な問題である。DPSPの支持
価格は最低限のフロアであり、米国では、FMMOによって、用途別のメーカーの
最低支払い義務乳価が制度的に決められている。従って、administrative pri
ceは、FMMOにおける最低価格に基づいた加重平均乳価を使用すべきである。現
在は、乳価が下落しているが、通常、米国のFMMOによる平均乳価は13〜14ドル
であるから、米国が現在採用している計算式は、AMS額を本来の3分の1近くに
過少申告していることになる。こうした点の取り扱いも1つの交渉カードにな
ろう。

 最後に、交渉に対する姿勢に関して一言付け加えると、「わが身をきれいに
しておかないと交渉を有利に進められない」というのは、一見正しいようで必
ずしもそうではない。そもそも交渉とは、自分のことを棚に上げて相手を攻め
るものである。米国はいつもそうしている。また、場合によっては、相手のず
るい点を攻めずに、真似させていただいた方が得策となることもあろう。

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