◎専門調査レポート


地元に支持されるチーズ工房を目指して 

−北海道白糠酪恵舎の取り組み−

帯広畜産大学 畜産学部  講師 耕野 拓一

 




はじめに

 北海道白糠町の若手酪農家を中心としたグループがチーズ工房「酪恵舎」を
設立した。地元の牛乳を使って製造・販売されるチーズは、モッツアレラなど
をベースにしたイタリアタイプのものである。地域の特産物へと、地元の期待
も大きい。現地を訪ね、設立までの道のり、現状、課題について調査した。以
下ではまず、日本のチーズ市場の特徴、北海道におけるチーズ生産の現状につ
いて述べておきたい。


チーズ市場の特徴と北海道のナチュラルチーズ生産の現状

 日本における牛乳・乳製品の市場構造は、寡占型と二極集中型のタイプがあ
ることが大きな特徴となっている。バターや粉乳は典型的な寡占市場であるが、
中小規模のメーカーが多いチーズや飲用牛乳類は二極集中型の市場構造にある。
日本のチーズ市場における平成12年の大規模乳業メーカーの生産集中度は53.8
%で、この数値はここ数年低下する傾向にある一方で、中小規模のチーズ工房
の生産集中度は増加傾向にある(注1)。

 13年度の直接消費用ナチュラルチーズの国内生産量はおよそ約1万4千トン、
このうち北海道は約4割を生産している。昭和60年代、北海道で5〜6カ所であ
ったチーズ工房は、14年には61カ所に増加した。このうち大手メーカーは13カ
所で、残り49カ所の多くは生産量が年間数トン規模の小さなチーズ工房である。
これら小規模チーズ工房から生産されるチーズ生産量は年間250トン程、この
うち農家工房から生産されるチーズは80トン(27工房)、第3セクター・JAか
ら50トン(9工房)、会社などから120トン(15工房)が生産されている状況に
ある(注2)


白糠酪恵舎の設立までの経過

 白糠酪恵舎は北海道東部の釧路管内の白糠町にある。白糠町は釧路市から車
で約30分、酪農と漁業が盛んな人口約1万1千人の町である。現在、釧路管内に
チーズ工房は7カ所、酪恵舎は白糠町で唯一のチーズ工房である。釧路管内で
生産される生乳は506,100トン(13年度)、この多くは管内の大手乳業メーカ
ーに出荷しており、地域住民はそこに酪農がありながら、地元で生産された牛
乳を使った乳製品を食べることができない。そこで自ら起業化し、地域の人た
ちに乳製品を提供し、地域の乳食文化を醸成したいというのが酪恵舎設立の動
機である。白糠酪恵舎は町内若手酪農家(14牧場)を中心とした20人により13
年4月に設立された。その代表でチーズを製造するのが井ノ口和良氏(39歳)
である。福岡県出身の井ノ口氏は帯広畜産大学を卒業後、白糠町にある釧路西
部農業改良センターに勤務していた。今から7年前から地元酪農家とチーズの
試作などを行い、地域の方々とチーズづくり体験や料理講習会を開いてきた
(表1)。
【酪恵舎:写真右は工房、
左は住宅】
表1 酪恵舎の設立まで(平成13年以降)


 ヨーロッパと日本のチーズ消費形態の大きな違いは、日本では主にチーズを
単体で利用するのに対し、ヨーロッパでは食材としての消費が多いことである。
また、日本ではヨーロッパに比べ、フレッシュタイプのチーズ消費は少ない。
これらの点から日本のチーズの潜在的市場は食材としてのチーズとフレッシュ
タイプのチーズにあると考えた。そこで、日本と食文化が比較的似ていると思
われるイタリアのチーズをベースに地域食材にマッチしたチーズづくりを目指
し、井ノ口氏はイタリアでチーズの技術を習得した。場所は北イタリアのピエ
モンテ、スローフード運動の発祥の地である。この近くにはヨーロッパ最大の
米作地帯があり、米を食べ、自然食材が豊かである点、また近郊には漁港があ
り、白糠町と地理的環境が類似していることも、この地を技術習得の場所に選
択した理由である。 

 酪恵舎設立に当たり必要となった総事業費は約3,200万円。このうち、1,200
万円は自己資金、1,000万円は酪恵舎構成員からの出資、1,000万円は白糠町と
国からの補助金(各500万円)、1,000万円は借り入れで資金が調達されている。
敷地面積1,560平方メートル、この中にチーズ工房と住宅がある。建設された
施設・機械は、製造施設として調理室、事務室、チーズ熟成庫3室、チーズバ
ット400リットル1台、パステライザー(牛乳の殺菌冷却機)20リットル1台な
どである。

 白糠町からの補助金は「白糠町活性化対策促進条例」に基づいて交付された
ものである。これは町内に在住する個人や団体が、特産品の開発や町おこし創
出などの事業に対して、町が補助金を交付するもので、昭和61年から行われて
きた。この条例は事業を起こすのに必要な技術研修にも適用され、井ノ口氏の
イタリアでのチーズ研修費に対しても50万円の補助金が交付されている。白糠
町では、この事業による助成を過去10数件行っているが、酪恵舎のケースが一
番の成功事例とのことであった。

白糠酪恵舎の特徴

組織について

 酪恵舎は代表の井ノ口氏と周辺の若手酪農家などから構成される株式会社の
形態をとっている。井ノ口氏はチーズ職人であり、酪農家ではない。チーズづ
くりに利用する生乳は酪恵舎の構成員である酪農家から提供されるものを利用
している。道内には49カ所の小規模チーズ工房があるが、チーズ職人と酪農家
から構成される株式会社の形態は道内でも珍しい。こうした形態を取るに至っ
た理由として、井ノ口氏は@資金調達力、A意志決定の早さ、B会社の社会的
信用力の3点を挙げている。

 酪恵舎に牛乳を提供する酪農家の1つ、林善幸氏(40歳)の牧場を訪問した。
林氏は酪恵舎の取締役という肩書きも持つ。牧場は酪恵舎から南へ約3キロメ
ートルのところにある。林氏は昭和56年に父親から経営を引き継ぎ、白糠で酪
農を行ってきた。労働力は奥さんと2人で、3人の子供がいる。経営土地面積は
40ヘクタール、総飼養頭数は75頭、うち搾乳牛は34頭と、周辺酪農家と比較し
経営規模は比較的小さい。しかし、グラスサイレージ主体の飼育と牧草の適期
刈りにより、年間1頭当たり平均乳量は9,500リットルであり、これは地域平均
の約8,500リットルを大きく上回る水準にある。年間の生乳出荷量は350トン、
このうち約10%の35トン程の生乳が酪恵舎のチーズづくりに利用されている。
林氏は酪恵舎に参加するまでは、もともとチーズが大嫌いであったが、酪恵舎
の役員として活動をしているうちに、今では毎晩の食卓にチーズは欠かせない
存在になった。地元の学校給食やレストランに自分の牧場で生産された牛乳が
チーズとして出されることが非常に大きな励みになっている。
【酪恵舎に牛乳を提供する
林善幸氏】
チーズについて

 酪恵舎で現在製造しているチーズはイタリアタイプの10種類である(表2)。

表2 酪恵舎のチーズ
・フレッシュタイプ(モッツァレッラ、トゥミン、リコッタ)
・セミハードタイプ(トーマ・シラヌカ、テネレッロ・シラリカ、
          スカモルツァ)
・ハードタイプ(モンウィーゾ)
・その他製品(ミルクジャム、イースギーキャラメル、チーズの雫)
 フレッシュタイプがモッツァレッラ、トゥミン、リコッタの3種類、セミハ
ードタイプがトーマ・シラヌカ、テネレッロ・シラリカ、スカモルツァの3種
類、ハードタイプがモンウィーゾの1種類の7種類である(モンウィーゾは15年
3月から販売)。最も生産が多いチーズがモッツァレッラで、全体の約30%を
占める。この他に生産されているものとして、ミルクジャム、イースギーキャ
ラメル、チーズの雫の3種類がある。主な製品の特徴として次の点を強調して
いる。

モッツァレッラ:酪恵舎一押しのチーズ。ほんのりと甘味があり、サラダ系
の生食に適している。調理にも使え、塩・コショウをし、オリーブオイル、バ
ジルを添えると良い。
【酪恵舎のモッツァレッラ】
トーマ・シラヌカ:80日間熟成させたチーズ。くせが無く食べやすいが、わ
ずかに酸味があり、ワインと一緒に食べても、すりおろしてパスタにかけても
おいしい。

テネレッロ・シラリカ:90日以上熟成させたチーズ。柔らかく、くせはない
が、熟成チーズ特有の旨みがある。ミディアムの赤ワインと相性が良い。

チーズの雫:ミネラルたっぷりのホエイと愛媛県産の無農薬レモンを合わせ
た新しいタイプの氷菓である。

 製品の価格はモッツァレッラが100グラム350円、トーマ・シラヌカが100グ
ラム380円、テネレッロ・シラリカが100グラム400円、チーズの雫が一個(90
ml)200円などどなっている(税別)。

 チーズの製造はほぼ曜日によって決まっている。火曜日はトゥミン・スカモ
ルツァ、水曜日はテネレッロ・シラリカ、リコッタ、木曜日はモッツァレッラ
の製造とパック詰め、などとなっており、金曜日は配達となっている。一週間
のうちで最も忙しいのはモッツァレッラを製造する木曜日で、この日は外部か
ら工房に電話をするのは控えてもらっている。アルバイトとして木曜日に構成
員の2名の女性が作業を手伝っているが、基本的にチーズの製造・配達・在庫
管理は、現在のところ井ノ口氏1人で行っている状況である。作業は通常、朝6
時から夜7時半頃までで、休日はない。
【酪恵舎のミルクジャム】


経営の現状について

 酪恵舎がチーズの販売を開始してから1年、販路は確実に拡大してきている。
その特徴は地域に密着した販売方法にある。白糠町と釧路市を中心とした地場
消費の割合が販売量の8割を超える。この地域密着型の酪恵舎の活動を支える
のが、グッチーズ(Good Cheese)である。グッチーズは酪恵舎のチーズを応
援する団体として13年6月に組織された。当初100人でスタートした会員は14年
12月には400人を超えるまでに増加している。会員の多くは白糠町や釧路市を
中心とした方々であるが、東京や九州の方も会員に含まれている。この会の代
表を務めるのが、酪恵舎の構成員でもある田口秀男氏(39歳)である。田口氏
自身も白糠町北部で酪農を行っている。グッチーズの活動は、地元でのチーズ
料理講習会の開催、食に関するシンポジウムの開催、イベントへの酪恵舎チー
ズの出品、ホームページの管理、会報やバースデーチーズの発送などで、年会
費は1,000円である(注3)。これらのイベントは田口会長を始めとする地元会
員のボランティアで行われている。チーズ料理講習会は既に2回行われている
が、ここで提案された料理は10種類程あり、15年度にはチーズ料理のレシピ本
を作成する計画である。北海道で、小規模チーズ工房がこのような組織を持っ
ているのは非常にめずらしい。会員の口コミでの評判が、以下で述べる販路の
拡大にも非常に役立っている。

 酪恵舎は工房での小売りも行っているが、独自の販売店舗は持たない(注4)。
その取引先は多様である。現在、酪恵舎のチーズを扱う販売店は白糠町内で6
店舗、釧路市内で6店舗、その他道内で2店舗ある。販売店の中には地元の精肉
店と米穀店も含まれている。井ノ口氏の話では「イタリアでは、精肉店でチー
ズを販売しているのは普通」とのことであったが、北海道の精肉店や米穀店で
チーズを扱っているのを非常に興味深く感じた。釧路市内で酪恵舎のチーズを
扱う米穀店を訪問した。ここでは、ジャポニカ米とインディカ米を掛け合わせ
たハイブリッド米を販売しており、酪恵舎のチーズとこのハイブリッド米で料
理されたリゾット料理の提案を模索していた。また、酪恵舎のチーズは白糠町
や釧路市の12のレストラン、パン屋などで食材としても利用されている。この
中の1つ、釧路市内の寿司屋も訪問した。ここで酪恵舎のチーズを使って提供
されていたのは、トゥミンを利用した「トマトの熱化粧」というトマトサラダ
風の料理であった。毎週金曜日がチーズを配達する日であるが、井ノ口氏は配
達を兼ねて、チーズ料理講習会を通して得られた、地元食材を使った新しいチ
ーズ料理アイデアの提案も行ってきた。チーズ料理の提案を行いながら、販路
の開拓を行うというのも酪恵舎の1つの特徴といえる。

 輸送技術の発達はあるものの、酪恵舎の主力商品であるフレッシュタイプの
チーズをおいしく食べることができる期間は3日間である。このため、消費範
囲は白糠を中心とした地域に限定される。酪恵舎についてうかがった役場の方
の話によると、地元の人は水曜日にモッツァレッラを買わないそうである。理
由は毎週木曜日にモッツァレッラが製造され、金曜日には新鮮なチーズが店頭
に並ぶことを知っているからである。酪恵舎のチーズが、着実に地元に定着し
つつあるのを実感した。

 酪恵舎の13年度のチーズ販売量は1.6トン、14年度の販売量は3.5トン程にな
る見込みで、販路は着実に拡大しつつある。しかし、売上げは損益分岐点であ
る1,500万円には達していない状況である。現在、1カ月当たりの平均売上高は
約100万円、年間売上高は1,200万円程である。販売計画では、15年度の販売量
は5トン、16年度には6.5トンを想定しており、15年度の後半には経営が黒字に
転換する予定である。
【酪恵舎のトゥミン】


 

酪恵舎の課題

 地元住民の圧倒的な支持を受け、販路を量販店に求めず、地道に自ら販路を
開拓してきたこと、そして乳食文化の地域定着にかける関係者の熱意が、酪恵
舎のこれまでの展開を支えてきたといえる。酪恵舎の当面の課題を挙げると、
次のようになる。

@ 設立から1年以上が経過し、これまでのところ順調に販売を伸ばしてきた
 が、経営はまだ軌道にのっていない。施設の製造能力からチーズ生産量の増
 加は可能であるが、それに伴う確実な販売先を確保しなければならない。

A 酪恵舎チーズの応援団として設立されたグッチーズは、400人を超えるま
 でに成長した。地場産チーズの振興を図る上で、こうした組織を持つ意義は
 大きい。組織の持続的運営が課題である。

B 酪恵舎で現在ホエーを使った製品はリコッタとチーズの雫の2種類がある
 が、ホエイの多くは未利用である。栄養価や環境負荷の軽減などの点からホ
 エイの有効活用は重要である。この点については、ホエイと鮭を使った新し
 い製品の開発を検討している。

C 現在、基本的にチーズの製造・配達・在庫管理などは、井ノ口氏1人で行
 っている状況にある。近い将来の生産数量の拡大、組織の運営、新製品開発
 の必要性などを考えると、現在の体制では対応が困難であろう。酪恵舎の次
 のステップアップを視野に入れた組織のあり方を検討する段階に来ている。


小規模チーズ工房の発展のために

 10年に「指定生乳生産者団体が行う生乳受託販売の弾力化について」という
農林水産省畜産局長の通達が出されている。この通達は、指定生乳生産者団体
制度を評価しつつ、国際化の進展が予想される中にあって、消費者ニーズの多
様化に対応した牛乳のブランド化、自己処理による付加価値販売等による自由
な経営展開を求める声に応えたものである。つまり、自ら生産した生乳の一部
を指定生乳生産者団体に販売委託せずに、自ら加工処理することが可能となり、
加工処理施設を持つ酪農家に対して、差別的な生乳を生産し、加工するインセ
ンティブが付与されたことになる(注5)。既に説明したように、現在北海道
にはナチュラルチーズを製造する多くの小規模工房があり、ナチュラルチーズ
の消費量が伸びている状況を考えると、その数は今後も増加することが予想さ
れる。二極集中型の特徴を持つチーズの市場構造を考慮すれば、今後、中小の
チーズ工房を中心とした製品の差別化が1つの重要な方向性として示唆される。

 14年11月29日から12月1日にかけて北海道十勝管内の帯広市で、「ナチュラ
ルチーズ・サミットin十勝」が開催された。十勝ナチュラルチーズ振興会が14
年前から開催してきた、このサミットの今回の目的は、国産ナチュラルチーズ
の評価基準確立に向けた官能評価を試みることであった。フランスやイタリア
ではAOC*やDOP**などの原産地呼称制度が普及しているが、日本ではこのよ
うなチーズの評価基準は定着していない。小規模チーズ工房の生産するチーズ
が、消費者から地域ブランドとして差別化され、認知されるには、こうした制
度の普及・定着とともに、酪恵舎にみられるような地元に根ざし、地元に支持
される形での差別化・展開が重要であろう。酪恵舎のますますの飛躍を期待し
ている。

注1)牛乳・乳製品の市場構造の特徴に関する記述は、金山紀久「牛乳・乳製
  品のフードシステムの現状と課題」2002年度第2回北海道農業経済学会大
  会シンポジウム報告資料を参考にした。

注2)北海道のナチュラルチーズ生産の現状については北海道庁酪農畜産課資
  料より。

注3)グッチーズのホームページアドレスは
    http://www2.odn.ne.jp/g-cheese/index.htm

注4)グッチーズのホームページにおいて、ネット上でのチーズ販売が2002年
  11月から開始されている。

注5)この点に関する記述も金山(注1)を参考にした。

  

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