◎調査・報告


DNAマーカーによる黒毛和種とF1との品種識別

神戸大学 農学部 助教授 万年 英之


はじめに

 最近、輸入牛肉を国産牛肉と偽装した事例に代表されるような、牛肉などの食品
を不当な表示で販売するという不祥事が起きている。正しく表示された牛肉の販売
は、消費者や生産者の受益といった点で重要である。わが国ではこれまでに農作物
の偽装表示が度々行われていたことが示唆されているが、偽装販売は輸入牛肉のみ
ならず、国産牛肉においても存在している形跡がある。ここでは、それら偽装販売
や牛品種の遺伝的背景、さらにわれわれの研究室が取り組んできたDNAマーカー
による黒毛和種とF1の鑑別技術の開発に関して紹介する。

偽装販売の背景

 ここで問題として取り上げるのは、F1(黒毛和種×ホルスタイン種)が黒毛和種
として偽装販売されることについてである。この偽装販売が注目され出したのには
いくつかの背景がある。現在、わが国で飼育されている肉用牛は、黒毛和種、褐毛
和種、無角和種、日本短角種の和牛4品種と、若干の外国種である。和牛4品種の中
でも特に黒毛和種の供用頭数は多く、その繁殖雌牛はわが国の肉用種繁殖雌牛総頭
数の約90%を占めている。


 一方、わが国で飼育されている乳用牛は、ほぼすべてがホルスタイン種で、この
他に若干のジャージー種が存在する。ホルスタイン種の雄子牛は乳用としては無益
なため、これまで主に肥育され国産牛肉として出荷されており、肉質は黒毛和種に
劣るものの安価な大衆肉として好まれている。しかし、平成3年に始まった牛肉の
輸入自由化に伴い、外国産の安価な牛肉が市場に大量に出回るようになった。この
外国産の安価な牛肉に対抗するため、国内ではホルスタイン種雌牛に黒毛和種種雄
牛を交配したF1の牛肉生産が盛んとなった。


 F1の毛色は黒毛和種と見分けがつきにくい上(実際は黒毛和種よりも黒色が強く、
わずかな部位ながらしばしば白斑が現れる)、肉質も黒毛和種とホルスタイン種の
中間に位置し、肉質の良いものは黒毛和種と見間違うほど出来のいいものも存在す
る。また、増体は黒毛和種よりも良く、平均価格は黒毛和種よりも安価である。こ
のような理由から、F1牛肉が高級黒毛和種牛肉に偽称販売されることがしばしば起
こっているようである。現在このような観点から、農林水産省は農作物の流れをト
レースできるシステム(トレーサビリティ)の構築に努めており、食肉の品質や安
全性を保証する重要な要素になると期待されている。このトレーサビリティを補完
する意味で、黒毛和種とF1とを正しく鑑別する技術、ひいては牛品種を正しく鑑別
する技術の確立が必要とされてきている。

黒毛和種とホルスタイン種の歴史的背景

 黒毛和種とホルスタイン種は、両品種共にヨーロッパ系牛(Bos taurus)に属す
るが、その成立起源はそれぞれ日本とヨーロッパである。黒毛和種の祖先となる在
来牛は、縄文時代後期から弥生時代初期に朝鮮半島より日本に渡来したとされてい
る。在来牛はもともと農耕用に利用されていたが、明治時代に入りいくつかのヨー
ロッパ品種との交雑による改良が試みられている。けれども、この輸入戦略は交雑
牛が在来牛より多くの給じが必要であり、農耕には適当ではないといった理由から、
失敗に終わっている。その結果、完全な純粋品種を再構築するために集団から交雑
種をすみやかに排除したとされている。


 一方、日本のホルスタイン種はヨーロッパあるいは北米と同じく、それら由来の
純粋種であると信じられている部分がある。しかし、この品種は明治時代、国民の
体格改善を目指して乳製品の摂取が推奨されたのを機に、その種雄牛が外国から輸
入され、在来の雌牛に累進交配されて、乳用牛の増頭が図られた経緯がある。この
品種も、長い年月にわたりより純粋種に近付けるため、純粋種の雄牛を用いて累進
交配が続けられてきた。しかし、われわれの研究では、国内ホルスタイン種の20%
程度が和牛のmtDNA(ミトコンドリアDNA)を有しているというデータも得ている。
従って、これら両品種では、他品種の遺伝子が幾分か残存している可能性があり、
これがわが国における両品種あるいはF1との識別を困難にしている原因ともなって
いる。


 それでは黒毛和種とF1を識別するためにはどうすればいいのか?牛肉偽装は枝肉
から小売までの間で行われるので、実際は小売における精肉を識別しなければなら
ない。よって、外貌比較などは利用できない。黒毛和種とF1の違いを見つけようと
するとき、F1ではホルスタイン種の遺伝子を有するわけであるから、黒毛和種とホ
ルスタイン種との違いを見つけ出すことが重要となる。これら両品種の違いは、体
毛色や泌乳量などが挙げられる。これら形質をコントロールしている遺伝子がわか
れば識別可能となるのだが、現在のところこれらの遺伝子は不明である。

AFLP法によるゲノムスキャニング

 このような背景から、われわれはAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism
)法という方法を用いてゲノムスキャニングを行い、両品種間の識別可能な遺伝子
領域を探るべく、研究を続けてきた。これは、(社)畜産技術協会、(株)ビー・
エム・エル、(独)農業生物資源研究所との共同研究などによって行われ、農水省
ファンドの事業に関わるものである。本法の詳細についてはここでは述べないが、
その他の技術に比べAFLP法は、1)ゲノム情報が乏しい種に対しても分析ができる、
2)ゲノム全体の多型を包括的に調べることが可能(ゲノムスキャニング)、3)再
現性に優れている、などが挙げられる。本研究の目的のように、どこに品種間の差
異を示す遺伝子領域が存在するのかが不明の場合、その箇所を探っていくのに適し
た方法といえる。


 図1はAFLP法の泳動図を示している。これでも泳動図の一部であるが、多くのDNA
バンドが観察されるのがわかっていただけると思う。矢印は両品種間で差異を示す
DNAバンドの例で、ここでは両品種とも10頭中、黒毛和種では1頭のみ、ホルスタイ
ン種では8頭の高頻度で検出されている。このような分析をこれまでに1,500プライ
マーセット、つまり1,500回電気泳動を行い、全体で60万本ものDNAバンドを検索し
た。その結果、両品種間で差を示すDNAバンドを得ることができ、これらを利用して
品種鑑別が可能であると考えている。
図1 AFLP法によるゲノムスキャニング

矢印は黒毛和種とホルスタイン種で遺伝子頻度が異なるバンドを示している

検出方法の簡便化

 有力なDNAバンドが得られたら、次は検出法の簡便化を図る。というのも、AFLP法
自体はやや技術を必要とする方法の上、精肉に対する識別には不適である。なぜな
ら、精肉は熟成が進んでいるため、取り出されるDNAはかなり分解が進んでおり、高
品質のDNAを必要とするAFLP法では識別が困難となる。そこで、違いを示すDNA領域
だけを取り出し、その領域に対するDNAマーカーを開発するのである。
実際には、AFLP法で得られたDNAバンドをクローニングし塩基配列の解析を行い、そ
の領域に特異的な検出法を開発するが、詳細は割愛させていただく。図2にその例を
示しておく。この方法だと、識別個体の遺伝子型がホモ(aaやbb)かヘテロ(ab)
も判断可能なため識別精度が上昇するばかりでなく、精肉サンプルからも判定が可
能となる。
図2 簡易法によるDNAマーカーの検出例

識別の精度

 このような手法を用いて、これまでに6つ程度の黒毛和種とF1を識別するDNAマーカ
ーの開発に成功している。これまで開発したマーカーは、ホルスタイン種に特異的な
マーカーであるが、これは両品種間の遺伝子頻度の差によるものである。
  例えば、上述のマーカーにおいて黒毛和種でaa型が100%、ホルスタイン種でbb型
が100%のようなマーカーが見つかれば、1つのマーカーでF1の識別が100%の確率で
可能となるわけだが、そのようなマーカーは見つかっていない。従って、実際は有効
バンドをいくつか組み合わせて識別を行う。現在のところ、5つのDNAマーカーを組み
合わせることにより、検出率が88.2%、危険率が2.0%の結果を得ている。ここでこ
の検出率とは、識別するF1の88.2%の個体がこの方法によって「F1である」と判定さ
れる確率のことであり、危険率とは黒毛和種の2%が「F1である」と誤判別をしてし
まう確率のことである。問題となるのは危険率の方である。なぜなら実際に黒毛和種
であるのに「F1である」と判定されれば、される方としてはたまったものではない。
これを回避する方法として、現在より精度の高いマーカーの開発を進めているが、そ
の他のマーカーを用いて再検査することによって、その判定精度を高めることも可能
と考えている。何より、われわれが開発した方法によって疑わしいと判断された商品
については、トレーサビリティによる個体識別を適用し、はっきりした識別を行うこ
とも可能である。

鑑定の実際

 これまでに開発したこのマーカーシステムを用いて、実際に販売されている精肉に
対して識別も試みた。わずか5個体であるが、表1にその結果を示す。このケースでは、
精肉0.025gからDNAが取り出され、すべての個体が「正しい」表示をしていたと確認
できた。この識別に要する時間は長くて2日、気合を入れれば?半日程度でその鑑定
が可能である。


 現在、識別精度を上げるためにより良いマーカーの開発に取り組んでいる。また、
このマーカーはF1と黒毛和種の識別のみならず、ホルスタイン種そのものに対する
識別も可能であり、さらに「不当表示」で世間を騒がせた輸入牛肉に対しても適応
できる可能性を持っている。これらについては検討中であるが、近いうちに成果が
まとまるであろうと考えている。

 このような識別法は、実際に「不当表示」をするものがいなければ、無用の技術
である。しかしながら、これまでのわが国の表示制度を考えた場合、必要なことで
あるかもしれない。また、消費者や生産者の安心や信頼といった点においても、意
味を持つことになるであろう。この技術、あるいはその他トレーサビリティの構築
によって、不当表示の撲滅につながり、消費者の信頼を勝ち取ることができれば、
その開発に携わっているものにとっては喜ばしいことである。


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