信州大学 大阪府立大学 名誉教授 桂 瑛一
ヨーロッパには農村の美しさを競うコンクールがある。最近はわが国でもそう した催しが行われているが、美しさという基準に照らす限り、わが国の多くの農 村は雑然としていて、ヨーロッパの農村には劣るかもしれない。
しかし、本来、農村のすばらしさは、都市にはない独特の風情や味わいに見出 される。農村はしばしば自然の豊かな地域であるとされる。そうした見方は決し て間違ってはいないが、農村の特質を自然の豊かさだけでとらえるのでは余りに も不十分である。
農村には農業や農家の生活といった人の営みがあり、それぞれの農村には、独 自の歴史や伝統、そして文化が息づいている。豊かな自然と農業の営みや、農家 の生活がつくってきた歴史や文化が織り成して醸し出す風情こそが農村のすばら しさである。
都市化が進み農村が農村らしい風情を失っている面も否定できない。農村の風 情を取り戻すことは今後の課題であるが、それでも、農村を訪ねると、農村の歴 史や伝統や文化を体現したさまざまなものに遭遇し、いうに言われない趣を見出 すことができる。
筆者は数年来、農村を散策することの意義を提唱して来た。都市にはない農村 の風情に浸ってゆっくりと農村を散策し、農村の自然や文化に触れて農村を楽し み、心豊かなものを育んでいこうというねらいを込めている。
何かをきっかけにして農村を訪れ、その風情に浸って漫然と歩くことから農村 の散策は始まる。人それぞれに関心のおき所は違っても、ありったけの知性と感 性を動員して、農村の自然、農業の営み、農家の生活に目を向けてみよう。
農村には四季折々の変化がある。それだけに行くたびに新しい発見があるに違 いない。関心はやがて興味に変わり、それが募っていけば、そこにはいうに言わ れない充実感が沸き上がってくるであろう。それこそが農村の楽しみである。
農家の人と言葉を交わせば、それは異文化の交流である。知性や感性を豊かに することを促し、興味はさらに募り、心豊かなものを培い、自己実現といった域 に到達することも不可能ではない。
農村散策は体を鍛えるための歩きや名所旧跡巡りとは異なる。農村を歩いて農 村を楽しみ、心豊かなものを育んでいこうとするものである。少人数でゆっくり 歩き、ときどき立ち止まっては何かを観察するといったイメージである。
異文化交流は農家の人をも心豊かにするであろう。農村散策にふさわしい風情 のある農村づくりによって、農家の生活環境を良くする効果も期待される。農村 散策を楽しむ人に農産物やその加工品を販売する可能性もある。
しかし、農村散策の農村にとっての主なねらいは、農業、農村を支援する気持 ちを国民の間に強めることに見定めたい。農村散策がかけがえのない楽しみにな れば、農業あっての農村散策であり、農業、農村を大事にする機運が高まること が期待されるからである。目先の利益を追うのではなく、長い目でその意義を考 えることが重要である。
幸い国民の間に、精神的に豊かなものを求める兆しがみられる。しかも、その 一つのきっかけが農村にあるらしいという考え方を多くの人が持ち始めている。 農村散策という余暇のライフスタイルが受け入れられる条件が熟しつつあるとい えよう。
農林水産省はグリーンツーリズムの新しい方向を健康増進に見出そうとしてい る。心の豊かさ、癒し、ゆとりといったことを期待するものであり、農村散策の 出番であるともいえる。農村散策に如何にかかわれるか、畜産の課題としても受 けとめて欲しい。
日本人は旅先での買物や食事に強い関心を持っている。多くの農村に整備され てきたグリーンツーリズム施設は、そうしたニーズに対応して収入を得ることを 目指している。
農村散策は買物や食事を主な目的とするものではない。それだけに、何もなく 退屈な所とされる農村が、自然や文化の宝庫であり、興味を引くものに満ちてい ることを知ってもらう必要がある。
農村マップや農村カレンダー(農村の自然や農作業、農家の行事や祭事などの 暦)の作成は一つの具体的な手段になるであろう。畜舎、サイロ、たい肥センタ ーなどは、ライスセンター、選果場、温室、特徴のある農家建築物、氏神、石仏 などとともに道しるべともなり、ぜひマップに明記したい。
安全で品質の良い農産物にたい肥が不可欠であることが理解されれば、匂いに 顔をしかめることもなくなるであろう。家畜とのふれあいだけが心の豊かさに貢 献するというものではない。たい肥センターなども興味を持ってもらうのに格好 の存在である。見学可能な構造にしては如何であろうか。
かつら えいいち 信州大学・大阪府立大学名誉教授 農学博士(農業経済学・農産物流通論専攻) 兵庫県・大阪府卸売市場審議会、京都府カントリーウォーク推進事業、 信州農山村ふるさと運動などの委員やアドバイザー 著 書: 『青果物の流通』、『新食料経済学』、『農産物マーケティン グの基本的特質』、『カントリーウォーク』など著書・論文多数