◎今月の話題


油脂の栄養評価が変わり、畜産物の評価も変わった

名古屋市立大学 薬学研究科 教授 奥山 治美








動物性脂肪、コレステロール悪玉説の崩壊

 半世紀前に、「動物性脂肪は血中コレステロール値を上げるので悪玉、リノー
ル酸の多い植物油はそれを下げるので善玉」、という説が確定したかに見えた。
コレステロール値が高くなると、動脈硬化が進み成人病になると考えられた。こ
の考えは、今でも医療の現場に残っており、動物性脂肪の多い肉類、コレステロ
ールの多い卵などが重要なタンパク源であるにもかかわらず、制限されることと
なった。ところが、このコレステロール仮説はほぼ完全に崩壊してしまった。動
脈硬化・心臓病や多くの癌、アレルギー過敏症などに対して、主要な危険因子は
リノール酸の摂りすぎであり、動物性脂肪やコレステロールではなかった。魚に
多い脂肪酸(*EPAや**DHA)は、リノール酸からできるホルモン様物質の過剰
産生を抑えることによって効果を発揮していた。

 一方、血中コレステロール値が高いと心臓病になりやすい、というのは医療の
常識であったが、この常識も崩れた。成人病検診を受けた一般集団を対象とする
と、血中コレステロール値が高い群ほど、@癌死亡率が低く、A総死亡率が低か
った(長生きであった)。どうやらこれまでの常識は、大病院中心の先天性高脂
血症を多く含む集団についての結果であり、一般集団には当てはまらないようで
ある(参照:心疾患予防―コレステロール仮説から脂肪酸のn-6/n-3バランス
へ、学会センター関西、2002年)。これらの結果は、これまでの畜産物の評価
を決定的にくつがえすものである。


餌が変わると畜産物の脂肪酸バランスが変わる

 油脂の脂肪酸は体内での代謝に基づき、三系列に大別できる。@飽和脂肪酸と
一価不飽和脂肪酸(オレイン酸など)の系列(体内でも糖質や蛋白質から作られ、
動物性脂肪や菜種油、オリーブ油などの主成分)、Aリノール酸、γ-リノレン
酸、アラキドン酸などn-6系列(体内で作られず、成長、生殖生理などの維持に
必須)、およびBα-リノレン酸、EPA、DHAなどn-3系列(体内で作られず、
脳・網膜などの機能維持に必須)である。動物にとってn-6系列とn-3系列は食
物由来であり、食物のn-6/n-3バランスが変わると体のすべての組織(畜産物)
で、この比が変わる。一般にリノール酸は種子(特に家畜飼料となるコーン、大
豆)に多く、α-リノレン酸は葉、根に比較的多い。そこで牧草と濃厚飼料で育
てた家畜のn-6/n-3比には大きな差が生じる。この食物連鎖は人でも同じであ
り、上述の病気の予防のためには逆に、「リノール酸摂取を減らし、α-リノレ
ン酸系を増やす」ことが必要であることがわかった。すなわち動物性脂肪もコレ
ステロールも、これらの病気に対して主要な危険因子ではなかった。日本脂質栄
養学会は、「リノール酸摂取を減らす方向に転換する」という提言を、世界に先
駆けて採択した(2002年)。

必須脂肪酸の食物連鎖―牛・羊と豚・鶏の違い

 動物性脂肪やコレステロールは、従来、言われていたほど危険なものではなく、
コレステロールはむしろ癌や脳卒中を予防する善玉とみなすことができる。そこ
で畜産物の油脂の中で問題となるのは、リノール酸である。ところが、牛や羊で
は反すう胃の細菌がリノール酸を水素添加してつぶしてしまうので、牛肉、バタ
ー、羊肉などはリノール酸含量が極めて少なく、お勧め食品である。ただし、牛
の肝臓、腎臓にはn-6が多い。

 一方、反すう胃を持たない豚や鶏では餌のn-6/n-3比の影響を受けやすい。
すでにわが国でも10年も前に餌の選択によりn-6/n-3比を低くした畜産物の試
作に成功しているが、需給が伸び悩んでいる。昨年になってこの比を従来の10
以上から1まで下げた鶏卵が市販され、また、医療分野でもこの比を3まで下げ
た流動食が伸びており、この比を下げる油脂栄養の方向は着実に進んでいる。


安全性の高い畜産物

 日本人は先進国の中では最も多く魚介類を摂取している国であり、心臓病は欧
米の4分の1以下となっている。魚の多食は多くの病気を予防する利点があるが、
一方ではダイオキシンの問題もある。健康増進のためにも食事を楽しむためにも、
安全性の高い肉や魚の供給が求められている。安全性の問題は農薬や環境汚染の
問題を避けて通れないが、直面している問題はリノール酸(n-6)であり、その
含量の少ない牛、羊製品はそれだけで安全性が高い。また、n-6/n-3比を下げた
豚、鶏製品は健康増進のためにお勧めである。国の諮問委員会は油脂栄養の理解
が15年ほど遅れており、今だにコレステロールを下げる方向を支持(指示)し
ているが、畜産業界もn-6/n-3比の低い畜産物のメリットを積極的に広報すべ
き時が来ている。

おくやま はるみ

略   歴:
	昭和43年 東京大学大学院薬学系研究科修了(薬学博士)、
	      同年 東京大学薬学部 助手
	同 47年 名古屋市立大学薬学部 助教授
	同 54年 名古屋市立大学薬学部 教授(生物薬品化学講座)
	平成14年 名古屋市立大学大学院薬学研究科予防薬食学分野(改組)
	現在に至る

併   任:	
 平成3年〜9年 日本脂質栄養学会 会長
 平成13年 大連大学(中国)客員教授
 同年 大連医科大学(中国)客員教授

受   賞:
	日本薬学会奨励賞
	日本脂質栄養学会功労賞

学会評議員:
 日本薬学会、日本生化学会、日本脂質栄養学会

研 究 分 野:
 食べ物の選択によって脳・網膜機能、行動パターンが変わる機構の研究
	リノール酸摂りすぎによるアレルギー過敏症、癌、心臓脳血管病の増加 
  −基礎的、臨床的研究−
	脂質栄養の新方向の確立


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