◎今月の話題


農協から総合農社へ

株式会社 菅原事務所
代表取締役 菅原 文子


農村景観の創造と再生をめざす

 ヨーロッパアルプス山岳地帯の高地農畜産業は、零細さを補うに足る観光客
を世界中から集め、国民の健康にも寄与している。美しい山岳観光地アルプス
は、そこに山があるから美しいのではなく、そこに農業と畜産があることによ
ってさらに美しいのだ。

 農畜産業と観光業が一体となって山岳農民の経済を支えていると言っても、
そこには徹底した美意識に貫かれた環境景観形成が国を挙げてなされなければ、
人を充足させ、惹きつける健康的な観光地とはならない。一村まるごと展開さ
れ、面としての広がりのある美しい農村景観の創造と再生は、21世紀を生きる
次世代たちのために取り組まなくてはならない命題だろうと思う。

 農村景観の再生と書いたが、かつて日本にはアルプスの農村に劣らない、ふ
るさとの名に値する美しい村があった。ある日気が付くと、農業は取り返しが
つかないほど衰退し、農村は姿を消し、農民が誇りを喪失した社会に変貌して
いた。宮澤賢治はこのような時代が来ることを予感していた詩を残している。
「法印の孫娘」(抜粋)である。

  新時代の農村を興しさうにさへ見える
  うつくしく立派な娘のなかにも
  その青ぐろい遺伝がやっぱり眠ってゐて
  こどもか孫かどこかへ行って目をさます
  そのときはもう濁り酒でもばくちでもない
  一千九百五十年から
  二千年への間では
  さういふ遺伝は
  どこへ口火を見付けるだらう

 賢治が予感したように、まさに1950年から2000年の間に、大量にエネルギー
と資材を消費する商工業社会へと日本は大きく変わった。私たちは欲望の歯車
が止まらないままに、大量に作って捨てる暮らしに慣れきってしまった。農業
衰退の理由を自由化、農政、農協などさまざまに言うが、何よりも法印の子孫
たる私たちが贅沢になり過ぎ、もったいないという気持ちを忘れた精神の衰退
にこそより多くの原因がある。

 民衆の悲しみを己が悲しみとした賢治が世を去って二年後、寺山修司が生ま
れた。己が悲しみに民衆を巻き込んだ寺山が、『書を捨てよ、街へ出よう』を
出版したのは1967年、第二次高度成長のさなかであった。その書き出しが「ぼ
くは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。」で始まるのは象
徴的だ。

 ためらいもなくアメリカに傾斜していった多くの戦後日本人群像の一人であ
った寺山が生きた時代に形を成した日本は、今、地鳴りをたてて揺れている。
呻き声をあげながら倒れてゆくのを、政治家と官僚の力だけで支えることがで
きるか。反省なき成長を続けるなかで溜め込んだ疲労と因果の法則によって倒
れようとするとき、それを支えるのは、賢治が願い、また信じた民衆の善なる
意思と希望の力ではないのか。


救国の力は地方から

 歴史を振り返れば、救国と再生の力は常に地方からやってきた。善なる意志  
と希望を抱いた人々が息を潜めてわずかに残る地方、農山村の声に耳を傾けた  
いと、今夏、私は岩手県、長野県の農村を訪ねた。 

 岩手県岩泉町では短角牛肥育農家の畠山さんの放牧場を見学した。屠られ、  
人々の生命の糧となる家畜はせめて生きている間は不自然な飼われ方をせず、  
食卓では感謝の言葉を捧げられなければならない。主に牧野で飼養されてきた  
地方特定品種は、国を再生させる地方の力の象徴であり、地方からの使者に思  
えてならない。私は今、短角牛のオーナーになる試みを考えている。素牛を買  
って預け、子牛が生まれたら第三者か預けてある牧場に売る。あるいは肥育後  
に精肉に加工してもらい希望者に売る。成長具合はメールで知らせてもらい、  
小牧場主になった気分と地方特定品種へのささやかな応援ができるかもしれな  
いという夢だ。すべての産業で大量生産、大量消費から個別の細分化された製  
品へのニーズが高まり、製品開発もそれに合わせる方向にある現在、牛肉にお  
いても地方特定品種は必ず一定の消費ニーズがあると私は確信している。サシ  
を基準にした牛肉格付けだけでは、今や消費者の要請に応え切れなくなってい  
る。 

 人間が食べられない草を家畜が食べて人間の糧食に換える、本来の畜産の姿  
である野シバ放牧のすばらしさはかねてから聞いてはいたが、眼前に広がる田  
野畑村熊谷牧場の何という美しさ、農山村の美であろうか。カウベルの音が野  
に響き、牝牛たちが搾乳のために呼ばなくても自分で戻ってくる。心打たれる  
聖なる光景だ。このような農村にあっては自らを農民と言うことに誇りが、都  
市住民が農民と呼ぶことに尊敬が込められる。

農協から総合農社へ

 長野県川上村は高原野菜の有数の産地だ。この村が優れているのは、明治22  
年に8村が合併して川上村になって以来、全林野のうち三分の一を村有とし残  
りはすべて集落の入会とした。「川上村が成功した要因の一つは入会権が保護  
され、高原野菜産地へ発展する時期に村民に平等に開拓地を提供し、ほとんど  
の農家が規模の拡大を実現できた」(信州大学人文部社会学研究室)からであ  
る。 

 川上村の歴史に照らせば、市町村合併の時代を迎えた今こそこれを好機と捉  
え、農業公社、農協、全国農業会議所、農業委員会をすべて包括した総合農社、  
あるいは農業協同公社に編成しなおしたらどうか。公益と利益の中間的な法人  
であり、重なっている仕事を一本化して新規就農希望者にわかりやすい道筋を  
つけ、農地のより一体的な管理、農村産業の振興と、景観の創造、再生に団結  
して取り組まなければ、農業も日本も没落の一途を辿るという危機感を抱くゆ  
えの提言である。 

 理想も希望も、宮澤賢治がそうであったようについに実らぬとしても、理想  
も希望も語られない社会はさらに悲惨である。  

すがわら ふみこ

プロフィール 
 
立教大学 文学部 日本文学科卒業(1964年) 
株式会社 菅原事務所 代表取締役  
株式会社 ゲオ 顧問  

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