家畜の健康・福祉を重視する有機畜産への道日本獣医畜産大学・食料自然管理経済学教室 |
コーデックス有機畜産ガイドラインが2001年7月に採択されたため、WTO 加盟国である日本もそれを遵守して自由貿易を進める義務が課せられた。その ため現在、日本政府はJAS法の改正に取り組んでいる。今やアニマルウェルフ ェアや有機畜産の論議は、一部の消費者市民グループにどまるばかりでなく、 国際的な貿易交渉に提案された農業政策に関する問題であるとともに、大手企 業を含む食品産業の経営戦略の問題であり、また畜産科学研究の新しい領域の 開発の問題である。20世紀末から21世紀初頭にかけて人間と家畜の関係にお ける価値観の大きな転換が急速に進行しているのである。以下、畜産先進国で あるEUと大手食品企業の経営戦略の動向を紹介することで、少しでも日本の 畜産業界の有機畜産論議の糸口になれば幸いである。
日本の農畜産業、食品業界に関連する生産者、消費者、食品企業、行政担当 者、研究者のほとんどは、EU委員会が2000年6月28日のWTO農業交渉にお いて「動物福祉と農業貿易」という提案書を提出したことを注目していない。 その文書では「われわれはEU域内の高い水準のアニマルウェルフェアを奨励 し、消費者に動物福祉を考慮した商品を選択できるための正確な情報開示を行 い、農業と食品産業の国際競争力を維持する権利を持っている。そのために動 物福祉をWTO協定の中の非貿易的関心事項として取り扱うべきと考え、まず は多国間において動物福祉協定を締結すること」を要求している。現時点でも なお農業交渉は困難な壁にぶつかったままであり、日本は「農業・農村の多面 的機能保全のための農業補助金」政策ではEUと協調しているが、「家畜福祉 補助金」政策については理解不能の状態にあるといってよいだろう。われわれ は少しでも理解を深めるためにEUや世界の有機畜産への転換の現実を知る必 要がある。 ヨーロッパにおける動物福祉の思想形成と市民運動、政策化の歴史は長く、 その集大成ともいえる政策思想が1997年のヨーロッパ連合成立の憲法とも言 われるべきアムステルダム条約の動物福祉に関する特別な議定書の中に盛り込 まれた。そこでは「家畜は単なる農産物ではなく、感受性のある生命存在Sen tient Being」として定義された。これは21世紀世界における家畜と人間との 関係における価値観の転換を宣言したものといってよかろう。 EUは1991年にはEU有機農業規則を制定したが、有機畜産に関してはEU加 盟各国の地域性、気象条件、消費パターン、食習慣の違いを考慮しなければな らないことから市民による長い論議と検討がなされ、その結果有機畜産規則が 99年7月に付け加えられ、2000年8月に施行された。EUで有機畜産規則が成 立した背景には、まず、過去の家畜の健康と福祉に反した集約的畜産の反省が あり、そして有機農業や有機畜産が農村環境や生物多様性を保全する有効な手 段と認識されたからである。この有機畜産規則を制定するに当たって、アニマ ルウェルフェアは非常に重要な位置を占めている。 また、BSE(牛海綿状脳症)などの食品安全問題に対処するために2002年 1月に創設された欧州食品安全機構(EFSA)にも食品の危険性分析の科学的 評価アセスメントを行う8つの科学小委員会の1つとして「家畜の健康と福祉」 委員会があり、畜産食品と家畜飼料の生産・加工・流通・消費システムの各段 階においてアニマルウェルフェア基準からの科学的検査がなされることになっ ている。
消費者の価値観の転換に対応する大手食品企業の世界市場における経営戦略 の転換が急速に進んでいることも、日本にとっては今後の脅威となるであろう。 ファストフードの世界的多国籍企業であるマクドナルド社は、米国のハンバ ーガー販売額の42%、鶏卵使用量の3%(20億個)のシェアーを占めるチェ ーンであるが、アメリカ国内で採卵鶏農業者へのアニマルウェルフェア・ガイ ドラインを2000年8月から開始している。そのガイドラインはケージ面積を3 22平方センチメートルから464平方センチメートルへ拡大すること、強制換 羽を中止すること、Debeaking(くちばし切断)を段階的に廃止することで あり、その基準に基づいて農業者と取引契約を行うことに転換している。 また、マクドナルド社は2001年10月からイギリスにおいて大手スーパーマ ーケット、テスコ社等の食品流通企業と家畜福祉研究開発(R&D)農場Farm Animal Initiative(FAI)を開設して家畜のアニマルウェルフェア飼養技術 の開発に取り組んでいる。その一連の企業政策は強化されつつあり、2003年 6月には食肉部門においても、取引先の食肉生産農業者へ成長促進用の抗生物 質使用を段階的に取りやめるよう通達した。
食品のリスクアナリシス(危険性分析)が、今後21世紀の長い期間にわた って世界的に取り組まれなければならない課題となっている中で、畜産食品の 危害回避に関しては輸入濃厚飼料に依存している加工型畜産からの転換を視野 に置かなければ根本原因を断ち切ることができないといえる。有機畜産につい て論議を深めることが、そのような旧基本法農政によって導入され促進されて きた欧米型畜産生産力構造を根本的に見直す契機になり、消費者、環境保護・ 動物福祉活動に関わる市民と生産者、食品産業の連携による日本型の有機畜産 フードチェーンのモデル化とその具体的開発を進める糸口になると考えられる。 注:2002年6月にファームアニマルウェルフェア・イニシアチブ(JFAWI; Japan Farm Animal Welfare Initiative 畜産動物の健康と福祉を進め る研究会)という研究会が創立され、同年組織化された国際ファームアニ マルウェルフェア連合ICFAW に参加して協力関係をつくっている。ICFA Wは、家畜の健康と福祉問題を主要なプロジェクトに決定した国際獣疫事 務局OIE の会議にNGOオブザーバー資格出席権を与えられた。
略 歴 東京大学大学院農学系研究科農業経済学課程博士課程修了 (1974年) オランダ・ワーゲニンゲン大学客員教授(1991年-92年)、 オランダ農業自然管理水産省農業経済研究所客員研究員(1992-93年)、 イギリス・ロンドン大学ワイカレッジ客員研究員(1993年) 現在の研究テーマ 1.アグリフードシステムの国際比較 2.EU・オランダ・イギリス・スイス・オーストリアの農業自然環境保護政策 3.欧米と日本の農業企業形態(法人化)論 4.都市農業の国際比較 5.有機畜産・動物福祉政策論