◎専門調査レポート
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牧畑の伝統に基づく和牛放牧
−島根県隠岐郡西ノ島町−
鳥取大学 農学部 教授 小林 一
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はじめに
本稿では、島根県隠岐島の西ノ島町で、島全体に広がる自然草地や山林を使
って伝統的に続けられてきている和牛放牧を取り上げ、離島という特殊な地理
的・社会的条件を島民の知恵によって活かし、肉用牛和子牛の生産振興に実績
を上げている実態を紹介する。西ノ島町の放牧は、400年以上も前から存在し
ていたといわれる牧畑制度に歴史的な起源を持つ。離島の特殊な条件下ではあ
るが、地域資源を活用した在来農法を基盤にしながら和子牛の産地形成を図っ
てきている点で、同町の放牧は貴重な地域事例であるといえる。
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ゆったりと時間の流れる放牧風景
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地域農業及び肉用牛飼養の概況
隠岐島は、島根半島の北方40〜80キロに位置する日本海に浮かぶ島である。
隠岐島は、島後と島前と呼ばれる2つの島に分かれており、2島で島根県隠岐郡
を構成している。島後は円形のもっとも大きな島で、西郷町を含む1町3村から
なる。島前は、島後の西南方向の西ノ島、中ノ島、知夫里島の3島からなって
おり、西ノ島町を含む2町1村がある。島域の総面積は350平方キロメートルで、
人口は2万5千人である。隠岐島は、大山・隠岐国立公園を構成する雄大な美し
い自然景観を持ち、また、後鳥羽上皇や後醍醐天皇の配流とゆかりをもつ歴史
の島として、毎年多くの観光客を集めている。
西ノ島町は、隠岐島の島前の西北部にあり、漁業と観光、畜産を基幹産業と
する町である。近年は高齢化と過疎化の進行によって大幅に人口が減少し、産
業基盤の後退が目立ってきている。そうした中にあって、肉用牛を基幹とする
畜産の振興に対して、自然環境保全や農村定住条件の維持、地域活性化等の観
点から大きな期待が寄せられている。町内の人口は2000年現在で3,804人であ
り、最大であった1950年当時の7,500人に比較してほぼ半減した状況にある。
農業の現状について見ると、全体的に生産基盤の弱体化が目立っており、特
に耕種農業の衰退が顕著である。ただし、黒毛和種の肉用牛を基幹とする畜産
だけは、ほぼ安定的な生産状況を維持してきている。
2000年農業センサスによれば、町内の農家戸数は99戸である。そのうち販売
農家数は51戸で、全体の約半数を自給的農家が占める。1970年の農家戸数は505
戸であり、最近の30年間に約2割の水準にまで大幅に戸数が減少した。また、
販売農家に占める専兼別農家割合は、第一種兼業農家18%、第二種兼業農家51
%、専業農家31%となっている。しかし、専業農家数16戸のうち男子生産年齢
人口がいる農家はわずか2戸しか存在しない。農業従事者総数に対する65歳以
上の高齢者比率は55%となっており、農業労働力の高齢化が著しく進んだ状況
にある。
西ノ島町における農地の状況を見ると、畜産的土地利用を目的とした耕地以
外の採草地や放牧地が広大な面積で存在する。そして、以前にあった水田や畑
地が水田転作や耕作放棄等によって、採草地や放牧地に転換されてきた。200
0年農業センサスによれば、町内の経営耕地面積は57ヘクタールしかなく、そ
の内訳は水田39%、畑58 %となっている。他方、耕地以外で採草地、放牧地
として利用された土地が16 1ヘクタールある。水田や畑では、販売を目的とし
た作物生産が行われていない。町役場の資料によれば、2000年時点で町内には
水田99ヘクタール、畑52 4ヘクタールが存在することになっており、センサス
データと対照すると、管内の耕地面積が大幅に減少している実態が明らかにな
る。
西ノ島町での家畜飼養状況について見ると、2002年現在で町内の農家の約
半数に相当する49戸で855頭の黒毛和種の肉用牛を飼育している。また、肉用
牛の他に11戸の農家が135頭の馬を飼育している。これらの牛馬のほとんどが
放牧によって飼育されている。
町内の肉用牛飼養農家は、いずれも和子牛の生産を目的とした繁殖経営であ
る。管内には肉用牛の肥育経営は存在しないが、これは割高な購入飼料、肉用
牛運搬の不便性といった離島の特殊条件に由来するところが大きい。西ノ島町
における近年の肉用牛飼養動向を見ると、総農家数の動きと同様に飼養戸数が
大幅に減少しており、1981年の146戸に比較して現在は34%の水準にまで後退
してきた。ただし、飼養頭数については飼育農家の規模拡大によって全体の頭
数を維持してきており、1戸当たりの平均肉用牛飼養頭数は17.4 頭にまで増大
してきた。平坦な耕地の乏しい西ノ島町において、このような平均飼養頭数の
増大が可能になるのは、地域の自然草地や山林を活用した放牧によるところが
大きい。
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壮大な傾斜地での親子放牧
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牧畑の伝統にもとづく和牛放牧
西ノ島町で現在行われている放牧は、当地域で長年にわたって続けられてき
た牧畑と深い関係を持っている。牧畑は隠岐島だけに存在した特殊な制度であ
るが、かつての牧畑の姿は歴史の推移と共に変化し、今日ではすっかり消滅し
て原形を見ことはできない。しかし、現在も続けられている牛馬の放牧には、
牧畑制度による土地利用慣行が色濃く残されており、放牧を成立させる重要な
条件となっている。そこで、隠岐島の牧畑制度について、JA隠岐どうぜんの資
料を参考にして簡単に紹介しておく。注1)、注2)
牧畑は特定の地域を牧柵で区分し、区分した地区ごとに期間を区切って、麦
や大豆等の作物を栽培したり牛馬を放牧したりする輪換営農方式である。牧畑
では原則として4区を1組とし、地区と地区の間に牧柵を張り巡らして、放牧中
には牛馬の散逸を防ぎ、作物の栽培期間中は牛馬の侵入を防ぐ仕組みをとる。
牧畑の主要な特徴は次のように整理できる。
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地区
と地区の間の牧柵
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(1)土地は私有地であるが、放牧に関しては共同利用の方式をとる。耕作地
における作物の収穫や採草地での採草には私有権が存在するが、放牧は
すべて共同で私有権の意識を持たない。住民は普通、2〜3の牧区に土地
を保有している。
(2)私有地を耕作する場合も、牧場として輪換する際に支障が生じないよう
に、牧畑の制度に従って作物の栽培を行わなければならない。
(3)牧柵や水飲み場の設置、およびそれらの修繕・維持、牛馬の牧替え作業
は、地区内の全戸による共同作業とする。
(4)牧畑による土地の輪換方法では、あき山、麦山、あわ山、くな山の名称
が付けられた4つの牧区を1組として、順番にそれぞれの作物の栽培と放
牧が行われるように仕組む。
あき山:放牧してほとんど空いている牧区をいい、1年間の放牧の後に
麦を播く畑となる。
麦 山:あき山の翌年に麦を播いて収穫し、引き続き大豆、小豆を栽培
する畑で、本牧ともいう。
あわ山:麦山の次の年に放牧とあわ・ヒエの作付けに利用される牧区
をいう。
くな山:あわ山の翌年に大半の期間が作付けに利用され、空き状態の
ない牧区をいう。
(5)4月までの草の少ない時期には2牧区に牛馬を放牧し、5〜11月頃までの
草の多い時期には1牧区に放牧する。また、主食である麦を作付けする
前には地力の回復を図るため、1年間牛馬を放牧する。
(6)放牧は建前上、住民の誰でも自由に行うことができる。そのため、牧畑
の維持管理は、牧司と呼ばれる指導者(昔は村役人的な性格を持った)
の指示に従って、地区住民の共同作業によって実施される。
このような方式をとる牧畑がいつから行われるようになったのか、その起源
は定かではない。ただし、古くは吾妻鏡(1188年)に隠岐島の牧畑についての
記載があり、また、西ノ島町に残る検地帳(1613年)にも記録が残されており、
こうした史実から牧畑が長い歴史を持つ制度であることがわかる。
上記のような牧畑の原形となる土地利用は、戦後しばらくの間続いたが、食
料事情の好転に伴って麦等の穀物自給の役割が後退し、さらに、わが国の経済
成長に伴う農業労働力の他産業流失による影響を受けて牧畑の耕作は次第に衰
退し、1960年代の後半には完全に姿を消すことになった。ただ、放牧の仕組み
だけはその後も存続して、本牧だけの考えで牧畑の管理が行われるようになり、
2牧区を組み合わせて4年周期で利用されるようになった。西ノ島町で今日実施
されている放牧は、牧畑由来の放牧と牧場放牧、林間放牧が混在する形となっ
ている。
西ノ島町に今日まで引き継がれている牧区は19箇所ある。それらは 1963年
に牧野法によって管理規程を設け、公共牧野に組織替えして今日に至っている。
牧畑の総面積は2,296ヘクタールと広大である。最大面積を持つのは由良牧の
259.2ヘクタールであり、最小は島根牧の8.5ヘクタールである(表参照)。
由良牧には2002年時点で各牧区を通じてもっとも多い264頭の和牛が放牧され
ている。
公共牧野の草地に関しては、町内では戦後の一時期、植林が盛んに取り組ま
れたことから、牧区の約75%が人工林や雑木林となっており、荒廃が目立つ状
態にある。牧野の草地の大半は芝草である。大正末期から草地改良が実施され
るようになり、昔から自生していた芝草草地に対してクローバが混播されたた
め、今でも放牧後にはクローバの草勢が復活する。現在は例年、1牧区1ヘクタ
ールを基準にして団体営農草地改良事業を導入し、草地改良が手掛けられてい
る。
牧畑の運営管理には、昔は牧司が直接当たっていたが、現在では町から農協
にいったん業務委託され、その後、農協から牧司に対して再委託する方式がと
られている。そして、牧司の監督・指導の下に、地区住民が割り当てられた部
分を分担する形で牧区の管理を行っている。また、放牧中の家畜は地区の住民
が全員で管理するという昔からの慣習があり、今でも放牧中の牛馬に何か事故
があれば互いに知らせ合う協同の精神が根付いている。
公共牧野の利用資格は、町民で乳牛・和牛を飼養する人か、1年以内に飼養
計画が確認できる人となっている。個人の放牧頭数には上限が設けられておら
ず、春先に牧区単位に話し合いをもって放牧の方法を決定する。放牧利用料は
各牧区とも同額で、年間、繁殖牛1頭当たり2,500円である。
現在の和牛放牧の年間作業計画を見ると、3月中旬〜11月下旬までの約8ヵ月
間が放牧に当てられており、その後の冬期間は牛舎内飼育、あるいは牛舎周辺
にある個人牧での放牧となる。放牧期間中は毎日、あるいは長くても1週間おき
に牧区を見回って牛の健康状態を確認し、発情や怪我の発見、栄養補給、ダニ
駆除、予防注射等の管理作業を行う。分娩予定の2週間前には個人牧に移して管
理を徹底するように指導がなされている。繁殖については、現在はすべて人工
授精によっており、牧の中に設置された繋留施設で人工授精が行われる。
和牛放牧の先進事例
ここでは放牧によって黒毛和種の繁殖牛を町内でもっとも多く飼育する、三
度地区の若松牧場を紹介する。三度は、西ノ島町の西南部に位置する海沿いの
集落である。
若松牧場は、二世代夫婦と長男の5人による家族経営である。家長の若松栄
次郎さん(67歳)は、妻の時江さんとともに黒毛和種の繁殖牛の飼育を長年に
わたって続けてきた、優れた経営者である。長女の松尾真弓さんは、東京農業
大学畜産学科を卒業後、松江市で会社勤めをしていたが、結婚して長男が誕生
したのを契機に、郷里に帰り実家で畜産の跡継ぎになることを決意した。真弓
さんのご主人である松尾英次さん(41歳)は、西ノ島町に移り住むまでは和牛
飼育の経験が全くなかった。移転後すぐに栄次郎さんから繁殖牛の飼育につい
て指導を受けるようになり、今では優れた飼育技術を習得して真弓さんととも
に牧場労働の中心的な役割を担っている。公共牧野に牛を放牧する春から秋の
期間は農作業に比較的余裕ができるため、この時期に英次さんは魚釣りの磯渡
し等の渡船業を営んでいる。2002年からは、栄次郎さんの長男が松江市からU
ターンして営農に加わるようになった。
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元気な若松牧場の経営者たち
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若松牧場では、恵まれた家族労働力によって現在64頭の黒毛和種の繁殖牛を
飼育している。4月中旬から12月末の期間は公共牧野に放牧するようにしてお
り、冬期間を畜舎で飼育する。ただし、冬期間であっても給じと若齢子牛への
授乳の時間帯にだけ繁殖牛を牛舎に繋留するようにしており、それ以外は牛舎
周辺の個人牧を用いて牛が自由に牛舎の内外を移動できるようにしている。牛
舎は木造スレート製と木造ブリキ製の2棟があり、全体で80頭の収容能力があ
る。牛舎はいずれも自分で建設したものであり、牧場では徹底した経費節減に
努めている。
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牧野の中に設置された繋留施設
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若松牧場では、長尾牧(ながおまき)と老屋牧(おいやまき)の2つの公共
牧野を主に使用して放牧を行っている。夏場は大半の牛を老屋牧に放しており、
長尾牧には発情の状態を観察する必要のある牛を放牧する。冬場には畜舎に隣
接する個人牧を利用するようにしている。
当牧場では、米生産調整政策によって水田を牧草地に転換し、イタリアンラ
イグラスのサイレージ生産に割り当てている。サイレージ作りのための機械と
して歩行用のモーア、テッター・レーキ、ロールベーラ、ラッピングマシン等
の小型作業機を自己所有している。サイレージ生産は栄次郎さんが担当してお
り、5月と9月に年2回の収穫作業を行う。自家生産したイタリアンライグラス
サイレージで、舎飼となる12〜3月までの冬期間の粗飼料使用量の約半分を賄
っている。
公共牧野への放牧期間中の飼養管理に関しては、毎日、朝と晩に栄次郎さん
が見回り、和牛の健康状態を注意深く観察する。給じは、発情の状態を確認す
る牛に濃厚飼料を与えるだけで、一般の牛に対しては行っていない。給水も特
別には行っておらず、放牧地の中にある涌水池に牛が移動して自由に飲んでい
る。発情が確認された牛に対しては、人工授精士の資格を持つ真弓さんが、牧
野の中に設置してある繋留施設を使って種付けを行う。種付けに用いる精子は、
茂重桜や藤桜、雷電といった島根県の保有牛が中心である。分娩は牧野の自然
状態で行うようにしており、事故はほとんど発生していない。
放牧牛の衛生管理については、週に1度、共済の獣医師が巡回し、必要な措
置をとってくれる。子牛に対しては、生後30日と60日目にピロプラズマ対策の
注射を施し、年齢の浅い若牛にはカンテツ対策のワクチン注射をする。市場出
荷前の子牛に対しては、混合ワクチンを注射する。放牧中のダニ対策について
は、1〜1.5カ月の間隔ですべての牛に対して自家労働によって薬剤散布を施し
ている。
冬場の舎飼期間中の飼養管理については、朝と夕方の2回に分けて飼料を給
与する。飼料は、購入した米国産の乾草チモシーと自給によるイタリアンライ
グラスサイレージを主体に与えている。畜舎での飼育労働は家族全員で行う。
生産した子牛は、生後8カ月での出荷を目標にして仕上げていく。市場出荷
の1カ月前には舎飼に移すようにしており、雄子牛は自家で去勢して240キロ
グラム、雌子牛は220キログラムに仕上げることを目指している。ただし、西
ノ島町では牛の競り市が年間に3回しか開催されないため、生後4 カ月を過ぎ
た子牛については、競り市の開催日に合わせて飼育調整を行う。そのため、市
場出荷する子牛には生後5〜10カ月のばらつきが生じることになり、これが個
体間での販売価格の格差につながっている。
子牛の生産実績に関しては、2002年度には60頭の子牛を販売した。老廃牛の
販売と併せて年間の売上高は約1,800万円になる。放牧を主体にして飼育して
いるため、牛の健康状態は良好で、繁殖牛の分娩間隔は、ほぼ12カ月となって
いる。親牛によっては15〜16回分娩したものもあるが、高齢牛から生産された
子牛の市場価格が低くなってしまうため、当牧場では平均で5〜6産させてから
親牛を淘汰するようにしている。繁殖牛は主に自家更新によっているが、その
際には優しくて足腰が強く放牧に耐える牛を残すようにしている。経営外部か
ら導入する繁殖牛も、放牧の飼養環境に適した地元の隠岐島の牛を購入してい
る。
放牧による和子牛の生産について、若松牧場では次のように積極的な評価を
与えている。
当牧場にとって、放牧はそれなしで牛飼いを考えることができないほど重要
な役割を持つ。その理由の第1は、放牧によって飼育労働が大幅に軽減され、
多頭飼育が可能になる。第2は、放牧を主体にして飼育すると、繁殖牛や子牛
の健康状態を良好に維持することができ、繁殖障害や生理障害による疾病や事
故の発生率を低く抑えることができる。第3は、投下労働の軽減と同時に、飼
料費や減価償却費等の削減に結び付き、わずかな生産費で子牛生産ができる。
第4は、放牧によって軽減した夏場の飼養労働を他の事業部門に振り向けるこ
とができる。英次さんは、夏場の遊休期間を活かして渡船業を営み、世帯所得
の増加に役立てている。
若松牧場では今後の営農方向に関して、行き届いた飼養管理を行うために繁
殖牛の適正飼養規模を家族労働力1人当たり25〜30頭と見積もり、老夫婦の高
齢化や副業との関係を考慮して繁殖牛70頭の飼養規模を目安に考えている。肥
育部門を導入した繁殖肥育一貫経営への転換は、離島という隠岐島の立地条件
や現在の経営状況から判断して困難であるとしている。当牧場では、頭数規模
から見ると現状がベストに近い状態にあるが、放牧地の草地管理に努め飼養管
理の徹底を図って、優良な素牛生産にさらに力を注いでいく計画である。
おわりに
西ノ島町は、離島による特殊条件をかかえながらも、島内に豊富に存在する
自然草地や山林の地域資源を活用して、放牧による和子牛生産に島民を上げて
取り組んできた。中国地方や島根県では、肉用牛の飼養農家数ばかりでなく飼
養頭数を大幅に減少させた市町村が少なくない。そうした中で同町では、高齢
化や過疎化の進行に対抗しながら、放牧のメリットを発揮させて多頭化を通じ
た畜産経営の改善に努め、和子牛産地を安定的に維持してきた。離島の条件不
利を逆手にとり地域資源の有効利用を基盤にして、黒毛和種による肉用牛の生
産振興に成果を上げている事例として大いに注目される。
特に特色のある点は、和子牛生産の要となっている放牧について、歴史的な
伝統を持つ牧畑制度の慣行が、今もなお大切な役割を担っていることである。
隠岐島独自の制度として歴史と伝統を持って長く継続されてきた牧畑は、今日
では消滅してしまって原形をとどめていない。しかし、牧畑を支えてきた地区
内の全戸共同による相互扶助の精神や、その中軸となる土地利用調整の機能は
今日もなお継続されており、放牧を存続させる社会的基盤を形成している。牧
畑は確かに隠岐島に独特の制度ではあるが、底流を貫いている農家間共同や集
団的土地利用の精神は、わが国における今後の放牧のあり方を考える際に、貴
重な示唆を与えてくれるものとして評価できる。
最後に、西ノ島町における放牧を基礎とした肉用牛の生産振興に関わる今後
の課題について、今回の実態調査から明らかになった主要な項目を指摘してみ
ることとする。
第1に、和子牛の市場評価向上のための取り組みの課題である。西ノ島町で
生産された和子牛は、肥育用および繁殖用素牛として雌牛は主に北海道向け、
去勢牛は栃木県や長野県、その他地域に出荷されている。その際の和子牛の市
場取引価格は、通常平均で30万円程度にとどまっており、県平均を下回る低い
水準にある。西ノ島町では、放牧を主体に和子牛の生産を行っているため、生
産費を節減することにより、多頭飼育農家の場合には経営費を和子牛1頭当た
り15〜17万円に抑制して、所得の実現に結び付けているのが実情である。和
子牛の販売価格の向上を産地として本格的に追求するには、町内の肉用素牛を
用いた肥育実証、そのための肥育実証施設の整備、出荷した和子牛に対する生
産実績の追跡調査等の活動を積極的に展開していくことが大切である。また、
西ノ島町では3、7、11月の3回しか牛の競り市が開催されない。そのため、生
後8カ月での出荷が基準となる和子牛に対して、適切な飼育管理を行いにくい
条件をかかえている。こうした市場開設条件の改善も検討を要する事項である。
第2に、肉用牛飼養の担い手労働力の確保に関する課題である。西ノ島町で
は、肉用牛飼養に従事する農業労働力の高齢化が顕著に進んでおり、これが飼
育農家の減少に結び付いている。同町の肉用牛の生産振興を中心的に担う農業
経営の育成・確保が急務である。そのためには、公共牧野単位での生産組織活
動の活性化は基より、牧区を横断した町や農協単位での研究会、研修会、連絡
協議会等による生産者を巻き込んだ組織活動を盛んにしていくことが大切であ
ろう。また、町役場では、深刻な社会問題となっている町内での過疎化・高齢
化の進行を阻止する目的で、優遇策を講じて島外からの新規移住者を募る対策
を講じてきている。同様の取り組みを畜産に焦点を絞って展開してみることも
有意義であろう。
第3に、公共牧野の維持管理に関わる課題である。西ノ島町では、牧区の多
くが人工林や雑木林によって占められており、牧畑の荒廃が目立つ状態にある。
特に、町東部の旧黒木村の一帯では肉用牛の飼養頭数が減少し、先牧や済牧の
ように使用されなくなった牧区が生じている。そうしたところでは、管理の不
行き届きから牧区が森林に戻った状態となり、再利用が閉ざされようとしてい
る。また、後山牧に典型的に現れているように、松食い虫や台風被害、塩害に
よって松枯れが進んだ牧区では、秋グミ、ノイバラ、オニヤブキ等が増殖して
草地の荒廃が進んできている。そのため財政的基盤を確保して、牧区に対する
管理用道路の整備や草地改良、給水施設および牧柵の改修・整備といった放牧
のための基盤整備に継続的に努力していくことが重要である。
謝辞 ────────────────
本稿執筆のための現地実態調査に対してお世話になった島根県隠岐支庁、JA
隠岐どうぜんの関係者、並びに若松栄次郎さん、松尾真弓さんを始めとする若
松牧場の皆様に厚くお礼を申し上げる。
─ 注 ────────────────────────────
1)JA隠岐どうぜん業務資料「西ノ島町における牧畑制度」による。
2)隠岐島の牧畑農業に関しては、比較的多くの研究成果がある。それらの中
の代表的な研究といえる三橋時雄氏の『隠岐牧畑の歴史的研究』では、牧畑制
度の特色を次のように整理している。「(1)全村民が強固な共同入会放牧権
を総有し、所有地が無くても牛馬が飼えること、(2)牧畑制度の牧畑には土
地私有権と共同入会放牧権とが共存すること、(3)耕牧輪転組織としての牧
畑は原則として4区から構成され、4年を周期として輪転されること、(4)牧
畑における作物の種類や播種収穫の時期などは共同放牧という関係から制約さ
れ、一種の耕地強制の性格を持っていること、(5)牧畑制度の下における牧
畑地は牛馬のふん尿と休閑とによって地力が保持され、原則としては施肥しな
いこと、(6)牧畑の維持管理は、村民から選ばれた有給の牧司の指示により
、村民の共同作業で行われること等である。」(三橋時雄『隠岐牧畑の歴史的
研究』ミネルヴァ書房、1969年、p.3)
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