◎今月の話題


 

イノベーションを認知する

 日本大学 商学部・大学院
  教授 梅沢 昌太郎


食の安心と安全とブランド

 食の安全への関心は、依然として高いものがある。この7 月には食品安全委
員会が発足し、農林水産省も全面的に組織を変革し、消費・安全局が設置され
た。
 
 消費者・生活者の視点に立って、食の安全を保証する行政の仕組みができた
ことになる。そのことによって、失われた食の安心への回復が期待されている。

 安全は論理的なものであり、安心は情緒的なものであると言えるが、その両
方をつないでいたのがブランドなのである。

 その安心と安全を結ぶ糸が切れてしまったことが、一番の問題なのであり、
行政への安心感を取り戻すプロセスが、今回の改革であると言うことができる。
 

イノベーションが評価されていない

 一連の問題を見て気になることは、食における生産・加工と流通の現状が、
消費者に正確に理解されていないということである。

 BSE問題に関して、権威あるテレビ局から取材を受けた。その時、BSEは酪農
の問題であることを、担当者が知らなかったことに驚いたことがある。生産段
階での影響は酪農事業者に深刻であったことは、関係する人々なら周知の事実
であったはずである。権威あるマスコミ関係者ですらこの程度の理解なのであ
る。

 また、イノベーションがほとんど理解されていないことも、非常に気になる
ことである。

 特にF1牛(交雑種)という酪農と牛肉生産にまたがる偉大なイノベーション
を、消費者が正しく理解していないことが、将来に禍根を残すのではないかと
心配している。

 最近、気が付いたことは、国産牛肉の表示が非常に少なくなって、黒毛和牛
と和牛、あるいは国産和牛の表示が増えていることである。また、アメリカや
オーストラリアの表示の牛肉売場のスペースが確実に増えているのである。

 食肉統計では、半数以上が今までのような「国産牛肉」の表示で小売りされ
るべき、牛肉である。BSE問題が人々の関心を呼び起こす以前は、「国産牛肉」
の売場スペースは、今よりもその割合が多かったと思われる。

 売場から姿を消した乳雄や老廃牛の牛肉は、フードサービス企業などの業務
用途にその市場を見出したのであろうか。しかし、このビジネスの世界では、
輸入牛肉のウエイトが高く、国産牛肉の大きなマーケットではないはずである。 

また、交雑種が「国産牛肉」の4割以上を占めているわけだが、店頭で「F1」
あるいは「交雑種」という表示の牛肉は、まったくないわけではないが、実際
にと畜されている割合を反映しているとは、とうてい言えない店頭風景が展開
されている。

 なお、この稿を書くに当たって、大手チェーン小売企業2社を含む、8社の店
舗を調べてみた。わたしの研究棟の前にある小規模な地域スーパーだけが、
「国産牛肉・・交雑種・・乳用牛と黒毛和牛の交配種」とはっきり表示された
ラベルを貼ったパック牛肉を販売していた。なお、ごく最近北関東を主にチェ
ーン展開しているスーパーで国産牛肉(和牛と乳牛の交配)という表示を見た。

 このように「国産牛肉」との表示に加えて、「交雑種」と表示して、安くて
美味しい国産の牛肉が食べられることを、消費者に伝えるべきなのである。そ
れが不十分ということは、イノベーションの成果が、正しく消費者に伝えられ
ていないことでもある。新しいことへの挑戦というイノベーションの成果が、
生活の場に結びついていないことでもある。 生産者の立場からは、その表示
の責任は自分たちにはないと言うかもしれない。しかし、消費者はそのような
言い分を、弁解としか受け取らないであろう。
 

新しい食育とビジネスモデルの変更

 このような状況を生みだした責任は、消費者の側にもある。「本来、価格が
高いはずの品質の高い牛肉が、安く、継続的に供給される」ことは、どこかに
無理があるのである。そのメカニズムを消費者は、もう少し勉強すべきである
と考える。さらに、イノベーションに対して、柔軟な態度をとる必要があると
ともに、それが食の選択を豊かにすることを、認知する必要がある。

 その意味では、いま話題になっている食育問題では、栄養や朝食のあり方な
どの食生活の側面だけでなく、生産・流通・消費のメカニズムとイノベーショ
ンが正しく理解されることが求められている。

 また、事業組織の側としては、イノベーションを正しく伝達できるようなビ
ジネス・モデルをつくる必要がある。短期的な売り場の利益をミドルマネージ
ャーに追求する仕組みでは、食問題の闇を解消することはできない。表示を偽
ってでも利益を得るという企業人の行動は、現在の事業評価の仕組みにも原因
があると言えるからである。

 トレーサビリィティと同時に、トラッキングが重視されているのはこのよう
な理由による。事業組織からのマイナス表示も積極的に開示することが、今日
的な課題である。

 同時に消費者もそのような企業の姿勢を受け入れる社会的な成熟度が求めら
れている。拒否の姿勢だけでは、情報は正しく流れない。

 酪農・畜産の事業ではイノベーションが安全と安心を保証するだけではなく、
食を豊かにすることを積極的に伝達することが求められている。

 また、遠ざかったといわれて久しい「食」と「農」の距離を「コミュニケー
ション」によって短縮することが、食に携わる者の責務にも思えてならない。

うめざわ しょうたろう
昭和35年早稲田大学政経学部卒業後、社団法人日本能率協会経営コンサルタン
ト、社団法人農協流通部研究所調査研究部長、高千穂商科大学教授を経て、現
職、博士(農学)

 著  書	
  『農業経営のためのソリューション・マーケティング』
 	(社団法人 全国農業改良普及協会) 
  『農業マーティング』(J A全中) 
  『テキスト農業マーティング』 (社団法人 全国農業改良普及協会) 
  『ミクロ農業マーケティング』(白桃書房) 
  『食品のマーケティング』(白桃書房)他多数

農政審議会専門委員、第6次卸売市場審議会委員を歴任、現在、トレイサビリ
ティ実証委員会委員長など。


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