1.生産効率一辺倒への反省
「畜産コンサルタント(平成15年1月号):(社)中央畜産会発行」の新春特別企画『女性が語る"畜産の昨日、今日、そして未来"』に、『「人も牛も快適に暮らせる農場」をモットーに』、『牛舎の周りを花いっぱいにして楽しい農業、「楽農」を目指したい』などの意見が寄せられていた。これを新春の夢に終わらせることなく、新しい良い時流と捉え、21世紀のわが国の畜産に生かして欲しいものである。
20世紀の畜産は多くの国で効率が重視され、「人も家畜もともに快適な環境に生きる」ことが難しかった。特に家畜にとって、飼育環境は厳しかった。それはわが国でも同じで、和牛が肉用牛として歩むとともに、生産効率の追求が加速されていった。その結果、かつて和牛を農宝と呼んで大切に扱った歴史は過去のものとなって、牛は生産のための機械のようになった。
このなりふり構わない畜産物の生産に対して、ようやく最近、反省する余裕ができたのは、量的に満足な畜産物が入手できる時代に入り、質的問題にも関心が寄せられることになったからであろう。
その状態にわが国より早く入った欧米では、家畜の愛護と福祉に関心がもたれ、すでにイギリスでは1968年に法律ができ、家畜にとって最良の飼養管理とはいかなるものかを解説した冊子が農業改良普及制度の中で畜産農家に配布されていた。
筆者は17年前にそれを、「畜産におけるアニマル・ウェルフェア―家畜の愛護と福祉―(畜産の研究 第40巻1号:(株)養賢堂)」の中で紹介した。そこには、1.牛は安全な条件下で飼育されなければならない。2.牛は快適な状態で飼育されなければならない。3.牛は良心的な飼育管理を必要とする。という項目で、心掛けるべきことを文章化している。
しかし、当時は生産効率が何より大切と考えられていたためか、家畜の愛護と福祉に関心を寄せる余裕がなかったようである。しかし時代が変わって、スローライフがもてはやされることになり、畜産物に対しても、安心、安全が求められるようになった今日、畜産物を生産する家畜への関心が高まっている。そこで、「畜産コンサルタント」誌上で興味ある発言をされた、栃木県矢板市の津久井良江さんの(有)津久井ファーム、滋賀県土山町の山本春江さんの山本牧場、そして広島県三和町の温泉川みどりさんの(有)安瀬平牧場の3つの酪農経営を訪れ、牛も人も快適に暮らせる牧場づくりに向けての努力を現地で聞き取り調査した。
2.(有)津久井ファーム (栃木県)
乳牛の気持ちを汲んで
(有)津久井ファームは平成2年に多頭化に踏み切り、フリーストールに現在、経産牛130頭、育成牛60頭を家族2人と常雇2人で飼育している。この経営のモットーは、「牛が快適に暮らし、人も気持ちよく暮らせる農場」にすることである。津久井夫妻は就農以来、話せぬ牛の声に耳を傾け、快適な環境づくりに努力してきた。
他所から導入した牛はしばらくは落着きがないこと、それまで手荒い処理、たとえば耳を切った牛などは人を見ると逃げること、さらには給餌でも搾乳でも、担当者が変わり、作業手順がいつもと違うと牛はなじめないことに気付いていた。そこでできる限り牛の気持ちを察して、安心できるように心掛けた。牛舎に心地良いBGMを流したところ、牛も人も気持ちが落ち着く様子であったが、ある時若い人がドラムの入ったメロディをかけたり、野球中継をかけると、牛がばたついた。
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音楽を聴いて休む牛((有)津久井ファーム)
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結局、人の都合で何かをすれば、牛には快適でないことが多いと知り、それを避ける努力をしたので、今ではフリーストール内で牛は食べるか休むかで、落ち着かないのは発情中のものだけということになった。筆者が写真を撮ろうと近寄っても、牛は動じなかった。
これを続けるうちに、これが人にとっても快適だと知り、動物好きが牛の都合を優先させていく過程で良い酪農経営になるとの信念を持つに到った。今ではそれに加えて、地域の水源を汚染しないようにふん尿処理に気を配り、週一回夫婦でテニスコートに通って自らも生活をエンジョイしながら、明るい経営を展開している。
3.山本牧場 (滋賀県)
高能力牛にはふさわしい環境を
山本牧場は昭和46年に多頭化に踏み切り、40頭対面・自然流下式牛舎を建設した。現在、家族2人で経産牛40頭、育成牛17頭を飼育している。しかし、30年近く経って、牛舎は老朽化が進み、使い勝手が悪くなった。
飼槽表面のコンクリートが腐食し、石が浮き出して凹凸が目立ち、大きな穴もできた。そこに落ち込んだ残飼が腐敗しても、完全に取り除くことが出来なかった。この飼槽はくぼみ型であったので、飼料が牛床より低く置かれていたし、牛床の汚れが入り込んだり、ウォーターカップの水が流入し、夏季にはハエが発生するほどであった。
一方、乳牛がここ30年間でかなり大型化したので、ません棒に擦れて首タコが目立ち、採食時、つらそうであった。また、飼槽に乗り出して横臥する牛たちは起立時にません棒に体をぶつけた。牛床はロストル製で、スノコの上で後脚を傷める大型牛がいるので、ゴムマットを敷いたところ、脚を滑らせたが、構造上、敷料を使うわけにいかなかった。
このように旧い牛舎は、今では乳牛を飼育するのにふさわしくなくなったので、後継者へバトンタッチをするまでに改造したいとの希望を強く持ち始めていた。
折しも滋賀県では、畜産技術振興センター、畜産振興協会および農協の畜産技術者たちが、北海道で牛舎改善に熱心に取り組む農業改良普及員、村上明弘氏のことを知り、平成9年12月に招いて話を聞くことにした。翌年1月技術者2人が北海道に行って1週間、村上氏の下で寝食を共にして、カウコンフォート(乳牛の快適性)について研修し、滋賀県下に普及させようとした。3月には再び村上氏を招いて指導を受け、それに取り組んだ酪農経営の第1号が山本牧場であった。それが成功したので、今では県下20経営が部分的なものも含めて、カウコンフォートに取り組んでいる。
県下にカウコンフォートを普及させるに当たり、村上氏への信望の厚さを忘れることはできない。同氏は現地指導の折に、酪農家が集まりやすいようにと、20時から24時まで熱心に指導されたので、皆が驚いた。それを聞いて、筆者はアメリカの農業改良普及制度の調査で、1983年にテキサス州ダラスに行ったときのことを思い出した。
テキサスA&M大学普及チームのビル・スミス氏は、昼間、筆者を大学関係者に会わせたり、放牧牛を見に連れて行ってくれたりした後、夕方から200km離れたジャック郡に連れて行ってくれた。そこで、19時から集まった作業服姿の農民に新しい技術の解説を親切に行い、22時近くになってから、ダラスへと向かった。大学に戻るとビルは走行距離を台帳に記入し、トラックを勤務先の車庫に納め、その後自分の車に乗換えて筆者をホテルに送ってくれた。彼はそれから50分も走って自宅へ戻って行った。
農業改良普及員は「互助の精神 ―それが改良普及の原点なり―」を守り、能力ある人がその能力に応じて他人を助けることで、社会は一層良くなると信じて働いているのである。
手ずからのカウコンフォート
平成10年6月から翌年3月にかけて、カウコンフォートのための改造が行われた。作業は家族の手ずからで行われたが、県下で初めての試みゆえ、農協職員も手伝った。
飼槽に関して、牛床より5cm高い平らなコンクリート製のものを作り、牛床との間に仕切りを設けたところ、採食が楽になり、飼料の無駄が減り、清掃も従前の3分の1の時間で済んだ。しかし、しばらく使っているうちに表面にヌメリが生じ、ザラザラと荒れ始めたので、コーティングを施したところ、常に飼槽は乾くようになった。また、ウォーターカップを75cmの高さにすれば、従前のように前脚をカップに入れることはなくなり、一段と清潔になった。
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カウコンフォートで動きが改善(山本牧場)
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ません棒は取り外し、ニューヨークタイストールに改めたところ、採食行動が改善され、乾草の食下量が増え、食滞も以前より少なくなり、乳牛の腹幅が広くなった。また、起立時に体をパイプにぶつけることもなくなった。牛床には175cmのゴムチップ成形マットレスを敷いたところ、寝起き動作が楽になって、起立時に滑ることもなく、よく休むようになった。ところが、牛の前方への動きが自由になった分、前に立ち始め、マットレス上にふん尿が落下して牛体を汚し、除ふん作業もやりにくくなった。
そこでタイストールの水平レールを元のません棒の位置に戻し、マットレスを165cmに縮めたところ、状態は改善されたが、それでもふんがマットレスの上に落ちることがあったので、カウトレーナーを使うと効果的で蹄がいつも乾燥している。
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カウトレーナーが効果的(山本牧場)
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乳量は、平成10年7月には7,600kgであったが平成15年3月には8,530kgと増加した。初産牛でも1日搾乳量は30kgを超えるようになり、高泌乳牛に見掛ける激やせ現象もない。さらに乳房炎が目に見えて減少し、体細胞数は20万以下になった。
この経営では家族が力を合わせて、今後も牛をみながら改造に心掛けるつもりで、次はウォーターカップをもう少し高くして飲みやすくしたり、盗食防止板を設けたいといっている。このようにして、牛の世話をしながら気付いた些細なことにも配慮して、牛を快適な環境で飼育しようとしている。
4.(有)安瀬平牧場 (広島県)
運動させれば牛は良くなる
(有)安瀬平牧場では、北海道で酪農を学んで昭和48年に酪農経営に参加した温泉川氏が夫人と義弟夫婦の4名で、景色の良い丘陵に昭和50年にキング式牛舎を建設して、60頭規模の酪農を目指すことになった。しかし、北海道とは立地条件が異なり、年月を経るうちに難しい問題に遭遇することになった。
トンネル式牛舎は雨の多い土地柄ゆえ換気が不十分で、アンモニア臭がきつかった。牛舎内は薄暗く、閉塞感があった。対面式飼育のため、搾乳が別々のラインとなり不便であった。加えて、乳牛が改良によって大型化したので、寝場所が窮屈でストレスが強いと思われた。
飼槽はタイル張りであったが、長年の使用ですっかり剥がれ、残飼が入り込んで腐敗しがちで、そこにウォーターカップの水がかかり、状態をさらに悪化させた。ません棒は体型に合わなくなり、首タコが目立った。その改善にません棒を15cmほど前方に移したかったが、常に満杯の舎内では作業もできなかった。
牛床にはマットが敷かれていたが、各牛間の仕切りが腐ってなくなったので、牛が斜めに休むため、ふん尿がマットに落下し、牛体は汚れるし、起立時に滑った牛が脚を傷め、また乳頭の踏みつけもみられた。そこでオガクズを撒いたが改善効果はなく、牛は常に劣悪な状態に置かれ、かわいそうだといつも思っていたという。
5年ほど前、牛舎脇の空のブロックサイロをパドックとして一部の牛に開放し軽い運動をさせたところ。乳量のピークが高いことを知った。また、乾乳牛に2ヶ月間、十分ではないけれども、運動をさせたところ、目に見えて脚が丈夫になることも知った。そこで、これからの経営は牛本位で、牛に快適なものにしたほうが、良い効果が得られるのではないか、人の勝手を優先させるのはやめようと思った。
念願のフリーストールに踏み切って
幸い若い後継者がいたので、念願のフリーストールを平成14年6月に完成させた。そこに入った牛の様子を夫人は次のように語った。「首綱1mの1畳半ほどの牛床から自由に歩き回れる、自由にいつでも飼料が食べられる、水も飲める、高い屋根の下で暑い時には涼しい陰へと、寒い時には陽だまりへ、好きなところに行ける、そして寝る時には乾いたベッドで・・・、当たり前のことが、こんなにも良いものかと感動でした。」
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快適な環境でくつろぐ牛((有)安瀬川牧場)
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その言葉どおり、フリーストールは屋根を従来のものより1.4m高くして、周りに一切風をさえぎるものはなく、完全な開放式である。屋根に多数取付けられた換気扇は一方は飼槽へ、一方はベッドに向けて穏やかな風を送り、アンモニア臭など全くない。飼槽は常に乾いている。
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敷料が充分なベッド((有)安瀬川牧場)
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ベッドはコンクリートを使わず、土を積み上げたところに、厚さ5cmのマットを敷き、その上にオガクズに石灰を5%混ぜて2週間ねかせた敷料を20〜30cmの高さに置いている。牛は快適らしく、ほとんど1日中、そこで静かに休み、人が近づいても気にしない様子である。
朝夕の搾乳時には旧牛舎を改造して設けたアブレストパーラーに牛が通う。8頭搾りのパーラーの空いたところに牛が入り、常に満杯になるが、9頭目の牛が通路の控えに待つのを見て、思わず、「あんたは偉い」と誉めるという。
フリーストールに飼育するようになって乳量が増加しているようである。乳量が平成13年の8,800kgから、平成14年に9,600kgになったのは、フリーストールにした後の半年が役立ったと考えられている。体細胞数も30万以下に減少した。受胎までに要する平均授精回数は同一人が担当しているのに平成14年9月の2.3回から、平成15年9月の2.1回となっている。分娩間隔も1ヶ月早まった。
牛は運動に慣れ、以前見られた飛節の腫れもなくなり、通路を走っても、滑って股さきになるものもなくなった。ただし、冬季、パーラーへの通路が凍結すれば、敷料を撒くことを忘れない。
このように牧場では、牛に快適なフリーストールを導入したことで、牛が喜んでそれに応えて高い生産能力を発揮してくれたように思われ、牛も幸せ、人間も幸せの「楽農」になりつつあると話している。
5.カウコンフォートを越えて
酪農において、近年、カウコンフォートへの関心が深くなっている。それは乳牛がスーパーカウになっているので、飼養管理もそれに相応しいようにすべきだとの認識によるところが大きい。牛群検定の305日乳量は過去15年余りの間に、2,000kg以上も増加した。これは遺伝的能力の改良が著しかったためである。その結果、代謝量が大きくなった乳牛は、従来どおりの飼養管理条件下に置かれては、心理的にも肉体的にもストレスは増すばかりであろう。しかし、そうは言っても既存の牛舎、施設を根本的に改めることは容易なことではない。そのため、できることから徐々にでも改善して、快適な環境づくりをしようという運動がカウコンフォートなのであろう。それに当たっては、人の都合よりも牛の都合を優先させることが肝要である。その結果、乳牛の生産能力が向上すれば、人にとって嬉しいことになる。
しかし、21世紀の畜産において、それだけで十分とは言えない。カウコンフォートにおける環境づくりは実は根底に人の利益追求というエゴイズムが見え隠れしている。したがって、今後はもっと高い文化的指標として、家畜の愛護と福祉の追求へと進まなくてはならない。
わが国で今日、動物の愛護といえば、「家畜は食べても良いのに、鯨は駄目」などと主張する外国の団体の極端な動きが話題になりがちであるが、実は人間の文化が目指す到達点の一つなのである。
一足早く家畜の愛護を進める欧米では「牛や豚は人間に食べられるために神様が創って下さった。」などと言うものの、家畜が生きている間は、安全で快適な環境で、良心的な飼育に努めるべきだと考える人が増えている。そして最後に食用に供するため、どうしてもと殺しなければならない場合には、できるだけ苦痛を感じさせないように心掛け始めている。我々も、その点は見習うべきであり、先進国としての日本の畜産はアニマル・ウェルフェアの問題をこれからは避けて通れないように考えられる。
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