「甘い」、「酸っぱい」、「しょっぱい」、「苦い」
味覚の基本は「甘い」、「酸っぱい」、「しょっぱい」、「苦い」の4つ味である。この4つの味に対応する 味蕾が舌などの口内にあり、味を感じ取って味覚信号を脳へ伝えている。味覚はただ自然に発達するものではない。味覚を発達させるためには、適切な時期に基本的な味を認識させ、 味蕾( を“開花”させてやる必要がある。
かつては、海沿いではさんまを、山沿いでは山菜や川魚を食べさせることにより、魚の内臓の「苦味」、山菜の「えぐ味」を通じて、子供たちの「苦味」を感じる 味蕾( を“開花”させていた。
核家族化がさらに進み孤食の時代になった今、街にはファストフードが溢れかえり、大量生産された加工食品が食卓を席巻している。これらは「食べやすい味」を研究された食品であり、「苦味」を感じることはまずないものである。ファストフードなどを全面的に否定するつもりはないが、今の日本の食は一見豊かになっているように見えるものの、実は味覚的な複雑さは確実に希薄になってきている。
食の教育の実践
何年か前からシェフ仲間と組合を結成し、各地の小学校を回って食の教育に取り組んでいるのも、こうした状況をプロの料理人として憂慮したからにほかならない。味覚の発達にとって重要な時期である小学3年生には、味覚の基本となる4つの味を確かめさせる授業を行っている。また、現在、この活動で主に対象としている小学6年生には、まず地元の食材についての学習や市場見学などを重ねた上で、地元の食材を生かしたメニューを考えてもらっている。当日は、生の食材の味がプロの料理人の手によってどのように変化するかを体験させるだけでなく、子供たちにも実際に料理を作ってもらう。
この活動は、単なる味覚教育にとどまらず、地元の食材についての学習を通じて、地域の食文化や産業、食品の流通を知り、ひいては食の安全や環境問題を考えるきっかけとなる。いわば、スローフードを体感できるものである。
スローフードは、イタリアのトリノ近郊の小さな村で始まった伝統的な食文化を保存する運動である。トリノにファストフードが進出し、地元の小規模な店がつぶれていったことがきっかけとなった。もともと、イタリアでは幅広い分野で家族単位での手作りの生産が残っていたことも、この地でスローフードが始められた大きな要因である。この運動は決してイタリアに限ったものではない。その土地、風土の食文化を大切にしようという運動である。日本なら日本の伝統的な食材や生産方法、料理などを未来に伝承していこうというものであり、私自身も出身地である北海道のスローフード協会の設立に深く関わっている。
食の大切さ・命の大切さを伝えていくこと
最近、学校給食などでの食べ残しが多いと聞く。限られた予算で栄養を重視して作られるものだけにやむを得ない面もあるが、食べ物は食べてもらえなければ意味がない。この中で、地産地消の取り組みを行っている学校では食べ残しが減少しているという。地産地消とは、その土地で生産されたものをその土地で消費することで、子供たちの親や親戚の育てた野菜や食肉が給食に使われている学校において、その傾向が顕著であるという。こうした食材の背景を子供たちなりに敏感に感じ取った結果、食材を大切にする心に目覚めたのではないか。
また、食べるということは自然の中の命を摘み取る行為であるとも言える。牛肉や豚肉が生きた牛や豚から得られるだけでなく、野菜も命を持つ植物である。命の問題は一種のタブーではあっても、避けては通れない問題である。
アイヌでは、すべてのものに神が宿ると考えていた。熊の毛皮は寒さから身を守ってくれる。鮭は空腹を満たしてくれる。野菜は健康を保ってくれる。すべてに神が宿っており、神が守ってくれている。だからこそ、彼らは、すべてのものは棄ててはいけない、粗末にしてはいけない、必要とする最低限しか採ってはいけないというルールを守っていた。彼らはすべてのものを神として扱い、祈りをささげていた。厳しい自然の中で生きるためには、物に対する感謝は人間自身を守ってくれることに繋がっていた。宗教的な問題ではなく、アイヌのこうした感謝の気持ちのなかに、現在私たちが子供たちへ食の大切さ・命の大切さを伝えていくためのヒントが隠されているのではないか。
食べ物の本当の味だけでなく、食や命の大切さ・素晴らしさを理解できる大人に成長するように子供たちを導くことができるのは、現在大人である私たち以外にはいない。
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