◎今月の話題


牛肉トレーサビリティを生かす情報提供

放送大学京都学習センター
所長 宮崎 昭



トレーサビリティの完全施行

 牛肉トレーサビリティ法が平成16年12月1日から完全施行された。いよいよ輸入牛を含む国内で飼養されるすべての牛から得られる牛肉に関して、消費者の手許に生産・流通履歴情報が届き、疑問があれば遡及可能となった。画期的なシステムの構築を喜びたい。

 13年9月、国内初のBSEが発生して以降、食の安全・安心にかかわる不祥事が相次いで発覚し、食品の安全性や品質に対する関心が高まったことを受けた国民的議論がようやく結実したのである。これで安心と思いきや、昨年12月7日に早くも耳標を偽って子牛を販売した不届き者が逮捕され、農水省は「制度の根幹を揺るがす問題で極めて遺憾」とのコメントを出した。

 筆者はこれを食料需給の長い歴史の中で醸成された悪い体質が現れたとみた。有史以来、わが国では食料が常に不足気味であった。そのため生産・流通の力が消費より強く、消費者は手許に届いた食料をどんなものでも有難くいただき続けた。それがここ数十年の間に、国内生産の振興と輸入の拡大で食料があり余り、選択権がすでに消費者に移っている現状に、生産・流通が十分に気付かなかったのである。モノ不足で我慢することが美徳で、食べもののことを口にするのは卑しいといわれた時代は過ぎ、今は一億総グルメといわれて久しいのである。

フランスの先例では明るく活用

 トレーサビリティについては思い出がある。1992年、フランスでブレス鶏を食べたとき、丸と体をオーブンで焼いてソースをかけたこの高級料理には、農場でこの若鶏が付けていた金属バッジが添えられていた。記念に持ち帰るほど美しかったが、個体識別の脚帯はレストラン保管であった。これぞトレーサビリティの走りであった。

 ブレス鶏は1919年に主に偽ワイン防止を目的に生産者が流通、レストランなどを誘い込んだ原産地銘柄呼称を守る運動の結果成立した原産地呼称に関する法律によって、産地、品種、飼養方式、食鳥処理が厳しく定められてきた。原産地統制呼称制度(AOC)は完全に民主導で進められ、官は法整備などで支援をするにとどまり、違反があれば生産中止命令がでて、裁判所に告発もされる。こうしてこの国で高い品質の農産物の生産と流通が守られてきた。

 トレーサビリティはもとより食品の付加価値や安全性を高めるものではないが、ブレス鶏のように最高の品質を狙う生産努力を消費者が正確に読み取れる仕組みである。この先例に習って今後は生産・流通履歴情報を苦情処理対応などでなく、「こんな良い生産をしている」、「こんな優れた処理・加工が行われている」、「こんな質の高い流通、販売に努めている」などと明るく活用して欲しい。

知識なしで情報提供は不可

 トレーサビリティの活用次第で、今後は高度な情報の伝達も可能になる。そこで生産、処理・加工、流通、販売そして消費にかかわる人々は今まで以上に賢くならなければならない。各段階での取組みについてより多くの知識と経験を持ち、相互理解のための交流を行うことが望まれる。特に情報媒体が多岐で、情報量が多いこの時代、国の内外を問わず、あらゆる方向にアンテナを張り巡らせることが肝要である。

 良い情報は、生産では数多い優良経営事例に学ぶとよい。処理・加工では対米牛肉輸出のため整備された食肉処理施設やHACCP施設を参考にするとよい。流通では物流に高度なノウハウを持つ企業や協同組合の活動に注目するとよい。販売ではよく売れている店舗やスーパーをのぞくとよい。この一連の流れを効率的に学ぶには、地域の産直の好事例が参考になろう。

消費者は畜産業をもっと知ろう

 消費はすべての国民がかかわるが、この大勢は日常牛肉を好んで食べるのに牛肉の知識に乏しい。それを豊かにする努力が望まれる。これからの消費者は牛肉料理にどの部位をどのように使うのか、自らの目と腕を鍛えなければならない。難しがらずに、外食時少し気を付けたり、テレビの料理番組を気軽に役立てよう。

 消費者の多くが畜産物が好きな割に畜産業の多くを知らないし、また知ろうともしなかったのは不思議な国民性ではある。畜産業をよく知れば、食生活が楽しく充実するのは必定であるし、牛肉の品質に注文をつければ自らコスト負担の覚悟がいることも理解できる。よく知れば一握りの不届き者が現れただけで全国的な不買運動が起こる事態は避けられる。風評に迷わされるのは確固とした自分の考えが定まっていないからで、それは実は恥ずべきことなのである。

 今後は民・官を挙げて、トレーサビリティ導入の趣旨と精神の理解を深め、その信頼性を高く維持するため、国民のすべてがもっと牛肉についての知識を深くするように努力して欲しいものである。


みやざき あきら

プロフィール

 昭和36年京都大学農学部卒業、40年京都大学助手(農学部)、49年同助教授、平成元年同教授、6年文部省農学視学委員 、10年京都大学大学院農学研究科長・農学部長、11年京都大学副学長を経て、13年4月より現職、放送大学京都学習センター所長


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