流通事情「伊達の純粋赤豚」香港輸出と
東北大学大学院 農学研究科 |
1.はじめに
2004年7月21日、香港崇光(そごう)で「伊達の純粋赤豚」(以下、「赤豚」と略称)の販売が始まった(注1)。100グラム当たり58香港ドル(1香港ドル≒14円換算で約800円)と日本の平均的な豚肉小売価格と較べても3〜5倍高い価格にもかかわらず、在留邦人を含む現地富裕層から高い評価を受け好評を博しているという。アジア諸国の経済発展に伴う高所得層の増加により各地で高品質でおいしい食材に対する需要が高まっており、わが国農畜産物の輸出拡大の可能性も高まっているとして、農林水産省に輸出促進室が設置されたのは2004年4月1日のことであった。有限会社伊豆沼農産の「赤豚」香港輸出はそれに先立つ取り組みであり、後述するように関係機関の支援体制が未整備な下で輸出を実現するまでには相当の紆余曲折があったようである。
「赤豚」香港輸出の契機は、日本貿易振興機構(JETRO:ジェトロ)日本食品等海外市場開拓委員会が2003年11月に実施した海外現地調査(対象:食肉、目的地:高雄、上海、香港)にまでさかのぼるる。調査団の一員として参加していた伊豆沼農産の伊藤秀雄社長は、そこ(香港崇光)で宮崎県産の黒豚が高値で取引されている光景を目にする。これは、二つの点で伊藤社長に大いなる刺激を与えた。一つは、ちょうどその当時、豚肉の横綱である「黒豚」の本場鹿児島に乗り込み「赤豚」の販売を展開し始めたばかりの頃で、香港輸出は「赤と黒」の直接対決という話題性を一層高められると判断したことであり、いま一つは、世界有数の食材集積地である香港で「赤豚」が評価されるならば、それは地元宮城県迫町の生産者にとって大きな自信につながると考えたことである。伊藤社長はその場で香港崇光の売場担当者に「赤豚」の売込みを開始し商談を成立させた。
時間のロスだけではなく輸出先の政府から要求される特定の伝染病に汚染されていないことを証明するのに、どの程度の抗生物質残留検査や細菌検査をするのか、あるいは保健所の証明書は何枚必要かで、輸出者のコスト負担が大きく異なるが、明確な指針は示されておらず、県の関係部署でこの議論に相当な時間を費やしたという。 これらの輸出者の「時間」と「コスト」の問題は農畜産物の輸出を振興する際には第一に取り上げられなければならない課題である。 「赤豚」の商品受注から店頭販売に至るまで実に10カ月以上もの時間を要した背景は、以上のとおりである。この間に農林水産省に輸出促進室が設置され、わが国の農林水産物および食品の輸出促進に向けた総合的支援体制が整備されつつある。その内容を垣間みると、国内生産面での支援や販路創出・拡大への支援、円滑な輸出体制づくり、知的財産権・ブランド対策、流通効率化対策、等々と盛り沢山であるが、そのなかで今回の伊豆沼農産の経験が示唆するポイントは、輸出先国別品目別の情報管理(特に国別品目別の衛生条件や要求される検査項目のデータベースの作成など)の徹底と各種許認可権限の責任所在の明確化である。特に後者の許認可問題は縦割り行政の弊害そのものであり、少なくとも国内での産地別国別品目別の輸出情報の整理(不明な点があれば輸出産地に直接尋ねることができる)および前者に関連した国別品目別の輸出マニュアルの作成は急務であり、このことが個々の産地が具体的に「輸出」に取り組む際に必要不可欠な情報であると考える。
なお、輸出開始当初は「赤豚」一頭丸ごと(全部位)の出荷であったが、最近はモモ肉などが敬遠され、ロースや肩ロースといった特定部位の出荷ウェイトが高まっているという。モモ肉の需要が伸び悩むのは日本国内と同様の傾向であるが、このことは香港での「赤豚」の顧客(リピーター)がある程度絞り込まれてきた現れとも考えられよう。 3.伊豆沼農産のブランド戦略 1)伊豆沼農産の近年の経営概要
このような事業の多角化は、伊豆沼農産の外販比率(外販部門売上高÷総売上高)を押し下げ、経営安定化にも貢献しているように思われる。5年前、伊豆沼農産の外販比率は9割にも達し、特にPB商品受託加工部門の売上高は全体の半分を占めていた。もし仮にPB商品の大手発注先で何かしらビジネストラブルが発生した場合には、伊豆沼農産も存続の危機に直面せざるを得ない状況にあったのである。表 3に2003年度の部門別売上高構成比を示したが、それをみると最近はPB商品受託加工部門の割合も4割を切り、直販比率が全体の1/3を占めるまでに部門構成の内容が改善されている。
2)伊豆沼農産の経営理念と事業展開過程 さて、伊豆沼農産の前史である伊藤社長の就農から約30年間にわたる事業展開過程を5期に画期区分し、その特徴を整理要約したのが図3である。ここではブランド戦略を考察する準備として、伊豆沼農産の経営理念に焦点を絞って要点を述べることにしよう。
父親の急逝で大学受験の夢を断ち切り、地元の先輩や友人に農業生産のノウハウを教えてもらいながら一人前の農業経営者として成長してきた伊藤秀雄氏にとって、当時の薬剤投与に依存しながら生産性の向上のみを追求する農業のあり方は決して首肯できるものではなかった。また生産した豚をすべてと場に出荷し、自ら口にすることもなく、ましてやどこの誰がどのように評価しているのかさえもわからない加工・流通のあり方に強い疑念を抱いていた。折しも悪臭問題から経営規模の拡大に向けた養豚の用地取得を断念せざるを得ず、付加価値型経営への転換を目指し、伊豆沼農産(ハム・ソーセージの食肉加工と地域料理主体のレストラン)を創業する。1988年のことである。そこでは「農業には安全な生産物を責任もって消費者の口に届ける義務がある」という信念に基づき、『農業を食業に変える』という経営理念を掲げた。すなわち、地元の信頼できる生産者が飼育した豚を伊豆沼農産が独自の製法で加工し、その商品(例えば「伊豆沼ハム」)を責任もって消費者にお届けします、というフード・システムの構築である。
3)「伊達の純粋赤豚」のブランド戦略
さて、通常ブランドには保証、識別、想起の3つの機能があると言われているが、商品としての「赤豚」がそれらを満たしているかどうかを検討した結果が表4である。それによると、「赤豚」の構成要素はいずれの機能も充分に満たしており、潜在的に高い「商品力」を有していたことが確認できよう。 その高い「商品力」を背景に伊豆沼農産の採用したブランド確立戦術が、インパクトのある話題づくりとマスメディアへの露出によるプロモーション活動の徹底である。スタンダールの『赤と黒』をもじって黒豚の聖地鹿児島で試験的に販売したのもしかり、先述の香港輸出もしかりである。案の定、鹿児島での「赤と黒」の対決はマスコミ各社に取り上げられ大きな話題となり、その後念願の首都圏(三越恵比寿ガーデンプレイス店)での期間限定販売も実現した。メディアへの露出は、2003年2月からわずか1年半に限ってみても、全国紙で日本経済新聞2回、日本流通新聞(日経MJ)、スポニチ、日本農業新聞に各1回掲載され(いずれ写真入り)、全国放送のテレビでは主婦層に人気の「はなまるマーケット」や「とくダネ!」に取り上げられたほか、地元宮城テレビでは「赤豚に賭けた男」というタイトルで30分の特集番組(ドキュメンタリー)が制作・放映された。これらはいずれも取材依頼によるものであり、伊豆沼農産の経費負担はゼロである。地方の零細な食品製造会社(農業法人)にとっては、この上なく効果的な広告宣伝活動であったと言えよう。
その結果、「赤豚」は競合他社の商品に較べて割高ではあるが依然として着実に販売されており、ブランドの価格プレミアム効果は発揮されていると考えられる。また「赤豚」を使用した関連商品(赤豚カレー、赤豚ラーメンなど)もいくつか開発・販売されており、ブランド拡張効果も見えはじめてきた。しかし、全国的にみた場合には、「赤豚」を繰り返し購入している顧客がどの程度存在するのか把握しておらず、ブランド・ロイヤリティ効果については不明なままである。
4.おわりに
最後に、伊豆沼農産のブランド戦略に関する今後の課題について若干触れておきたい。先ごろ、伊豆沼農産の全社員(33名)を対象に実施したアンケート調査の結果(有効回答数21名)によると、回答者の全員が「赤豚」を伊豆沼農産のブランド商品と認知していたが、『伊豆沼農産』は企業ブランドになっているかという設問に対しては、「Yes」と回答した割合が5割弱にとどまっていた。このことは、今後伊豆沼農産が『人と自然へのやさしさをもとめ』「新しい農村産業」を構築していく場合に、大きな支障となり兼ねない危険性をはらんでいるように思われる。なぜならば、農村に足を運ぶ顧客にとっては、社員の何気ない行動の一つ一つが企業ブランドを評価する構成要素となるからである。たとえ「赤豚」が優れた商品ブランドであったとしても、『伊豆沼農産』という企業ブランドがそれに伴わないのであれば、顧客はいつ何時「赤豚」から離れてしまうかもしれないのである。幸いなことに伊豆沼農産は社員30余名の小さな組織である。全社員参加による研修もさほど困難なことではあるまい。是非早急に、先にみた5つのミッション(経営目標)を誠実に実行できるような体制になって欲しいと願っている。 |
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