◎専門調査レポート


家畜衛生

肉用牛経営へのHACCP導入と農場ブランド

東京大学大学院 経済学研究科 
助教授 矢坂 雅充


1.はじめに

 このレポートでは、乳用種去勢牛の育成・肥育経営で、HACCPとトレーサビリティの一体化を目指した総合的な農場管理システムを導入した事例を通じて、より安全で信頼性の高い牛肉生産の課題を検討する。

 有限会社阿部ブラーザーズファーム(以下「阿部ブラーザーズファーム」という)は北海道千歳市で、乳用種去勢牛およびF1の育成・肥育一貫経営を行っている。2003年9月現在で、飼養頭数は920頭、うち乳用種去勢牛が540頭、F1が380頭である。場長の都地氏は農場所有者から経営を任されており、労働力は場長夫婦を含めて5人である。

 阿部ブラーザーズファームでは2002年12月1日に農場におけるHACCPの考え方に基づく衛生管理(以下「農場HACCP」という)を開始した。それはHACCPとトレーサビリティの確立を目標とする仕組みであるといえよう。HACCPは予測される危害を効率的に回避するための仕組みであり、一方、トレーサビリティは未知の、あるいは予測できない危害に対応するために食品の迅速な追跡・回収と遡及を可能にする仕組みである。手法は重複するものの、目的の異なるこれらのシステムを、畜産の現場で農場管理システムとして融合しようとしている。

 しかも、そこでは経営内の農場HACCP導入に限らず、初生牛を供給する酪農経営との連携が図られている。乳用種雄牛の初生牛はこれまで一般的に家畜市場などで購入され、育成段階以降の肉牛経営にとって、その飼養管理状況は不明であり、ブラック・ボックスに喩えられることが多かった。わずか1週間から10日余りの飼養期間でありながら、その間の飼養管理情報は記録されていないことが多く、当初は初生牛を購入した育成経営に伝えられる情報はごくわずかに限られていた。牛トレーサビリティ法が施行された2003年12月以降は、生年月日などの基礎的なトレーサビリティ情報はインターネット上で公開されることとなった。しかし、飼養管理情報は自発的に付加される情報であり、法的には規定されていない。乳用種去勢牛の育成・肥育経営が、より詳細な情報提供や衛生管理基準を導入しようとしても、つねに初生牛の付加的情報とのリンクが障害になっている。

 そこで本稿では、阿部ブラーザーズファームの農場HACCPの取り組み内容を中心に検討する。まず農場HACCPの成立条件、要点を整理する。農場HACCPの仕組みを詳細に紹介することは、紙幅の関係上できないが、おおよその特徴は理解されよう。さらに当該農場における農場HACCP構築にとどまらず、酪農経営と育成・肥育経営との連携によって、乳用種去勢牛のチェーン・トレーサビリティ確立が目指され、それによって乳用種去勢牛肉、いわゆる国産牛のブランド化の新たな方向が模索されていることを明らかにしよう。

(有)阿部ブラザーズファーム都地氏(右)と石狩家畜保健衛生所加藤指導課主査(左)

2.農場HACCP導入の背景

 阿部ブラーザーズファームが農場HACCPを導入したのは、2002年12月である。日本でBSE罹患牛が発見されてから1年余りでしかない。導入時期から推察されるように、農場HACCP導入の最大の契機は、BSEによる牛肉市場の混乱であった。いま少し詳しくみておこう。

(1)BSEパニックからの回復

 北海道で生産されている「宗谷の黒牛」(交雑種)は、BSE罹患牛が発見された後も販売量は減少しなかった。生協との産直販売である上に、出荷牛の生産履歴情報が管理され、消費者に開示されていたからであると考えられた。当然ながら、この事例はBSEパニックで牛の出荷が止まり、ただ同然でしか販売できない牛肉市場のなかで、将来の希望を示すシグナルとして肉牛生産者に注目されることになった。

 阿部ブラザーズファームの出荷牛も、ホクレンのスーパー向け販売はBSEパニックのさなかでも継続されていた。ホクレンの担当者の農場視察を日常的に受け入れるなど、日頃の交流に基づく信頼感が取引の継続につながったと評価された。安定的な取引を実現するためには、小売業者・消費者の信頼を獲得することが不可欠であることが強く印象づけられた。

 とりわけ乳用種去勢牛肉は「国産牛」と表示され販売されているものの、和牛よりもBSEの影響を強く受けた。乳用種去勢牛の出荷が過半を占めている阿部ブラーザーズファームでは、それだけ危機感を強く抱くことになった。一般にそれは、輸入牛肉の上級品質クラスと肉質が似通っており、消費者への訴求力は弱い。BSEパニックからの立ち直りを図るためには、肉質の向上だけではなく、安全性の確保と信頼感の回復が求められていると考えられた。牛の飼養過程・牛肉の生産過程が的確に管理され、牛肉に何らかの問題が生じたときには、記録保管された情報を積極的かつ迅速に開示する体制を整え、消費者の不安を解消することの重要性が再確認されたのである。さらに危害を有する可能性のある牛肉流通を追跡して確実に回収するとともに危害の原因を遡及する仕組み、いわゆるトレーサビリティの確保が、消費者の牛肉への信頼性回復への近道であると判断された。

 しかし、和牛よりも乳用種去勢牛のトレーサビリティ確保は困難である。乳用種去勢牛の素畜は肉牛経営外部の酪農経営から供給され、そこで生産履歴情報が途絶するからである。酪農経営は生後1週間から10日後に初生牛(ヌレ子)を肉牛育成経営に販売する。その際、先にふれたように、初生牛の飼養管理情報は肉牛育成・肥育経営には伝えられない。牛の出生から一貫した生産履歴情報を把握し、必要に応じて生産履歴情報を消費者に開示しようとしても、初生牛生産にまで遡ることができない。牛肉生産の源ともいえる初生牛の飼養管理情報への消費者の関心が高いにもかかわらず、それにアクセスすることは難しい。

 それでは初生牛の飼養管理情報を把握できるのは、初生牛を自ら生産している一部の酪農メガファームなど、酪農部門をもつ肉牛経営に限られてしまうことになる。小売業者・消費者の信頼を回復するためには、牛の衛生管理の徹底に加えて、初生牛の出生からのチェーン・トレーサビリティの確保が、組織的に実現されなければならない。阿部ブラーザーズファームが目指したのは、まさにこうした初生牛生産からの農場管理であった。

(2)作業マニュアルによる従業員の教育

 肉牛経営、とりわけ乳用種去勢牛の育成・肥育経営では、飼養頭数の拡大に伴なって、従業員の作業マニュアルが必要になってくる。消費者の信頼を獲得するためには、牛肉の品質が安定的に揃っていることが要求されるからである。誰が作業を担当するようになっても、作業手順や内容が変わらないようにしなければならない。

 さらに乳用種去勢牛は一定頭数のロットで取引されるのが一般的であり、それだけに肉質の均質性が求められる。酪農経営においても、いわゆるメガファームと呼ばれる大規模酪農経営で、作業マニュアルの策定が不可欠となっていることが思い起こされよう。

 新規雇用などで従業員の構成や作業分担に変化が生じた場合でも、それぞれの作業内容が変わらないように、作業の標準化とそれを効率的に導入するための作業マニュアルが必要になる。従業員の教育体制の整備、作業の標準化という側面からも、農場HACCPの導入が迫られていたことになる。

 このように阿部ブラーザーズファームは、BSEによって著しい影響を受けた乳用種去勢牛経営であり、またより安定した品質の牛肉を供給し、市場の評価を高めるための従業員教育を求めていた。農場HACCP導入の必要性が強く意識されたといえよう。しかし、そのためには初生牛の飼養管理情報の掌握、農場HACCPシステムの検証など、より信頼性の高いシステムにするための課題に直面することとなった。

 そこで以下では、農場HACCPの具体的な手順を検討する前に、それが成立するために必要とされた酪農経営や関係機関との連携・支援についてふれておこう。

3.農場HACCPの成立条件と支援体制

 農場HACCPに限らず、一般に普及していないシステムを経営に導入するには、農場経営者の果敢な判断、他に先んじようとする積極的な姿勢が求められよう。しかも農場HACCPでは、外部の人・組織の支援が欠かせない。さまざまな役割が分担されて、農場管理システムがスタートした。順に主なポイントについてみておこう。

(1)農場経営者の意思決定

 阿部ブラーザーズファームはオーナーズカンパニーで、農場責任者の都地氏を含めて全員が従業員である。従業員との良好な意思疎通に加えて、肉牛経営を食品産業の一部門として捉えるという経営姿勢を貫いてきた。畜産経営を特別視せず、衛生管理や経営管理の向上は食品企業として当然のこととして受け止めてきた。農場HACCPの導入に際して、こうした都地氏の農場責任者としてのリーダーシップが決定的に重要であったことはいうまでもない。BSEパニックは、肉用牛経営を他の食品企業に引けを取らない衛生管理システムを備えた事業に発展させていくための契機として利用されたといえよう。

(2)経営外部の支援体制

 農場HACCPの導入に対する支援者の熱意に支えられながら、HACCPとトレーサビリティ・システムを組み込んだ農場管理システムが構築されることとなった。代表的な支援機関の役割についてみておこう。

ア)ホクレンからの呼びかけ

  ホクレンは畜産経営推進方針に基づいて、2004年秋までに全道内の10農場で、農場HACCP導入を試みている。阿部ブラーザーズファームも、この10農場の一つとして位置づけられ、モデル事業を活用した農場HACCPの導入を薦められた。ホクレンがいわば農場HACCP導入の発起人であった。

  少し農場HACCPについて触れておく方が便利であろう。畜産物の安全性を確保するために、農場段階での記帳運動が進められている。それは徐々に進展しているものの、農場の作業情報が体系的に記録・保管され、マニュアルが策定されている事例はごく稀である。一般的には作業記録をカレンダーへのメモ書きなどですませている経営も多い。しかもその作業記録を検証し、記録情報の信頼性を担保することができるような体系の構築はほとんど検討されていないといってよい。

  農場HACCPを導入している農場の間でも、そのレベルは多様である。衛生管理やトレーサビリティに関する情報が的確に記録保管され、第三者機関の検証に耐え得るようなシステムが構築されているのは、都地氏が経営する阿部ブラーザーズファームのほかに1農場あるのみであるという。農場の経営者による内部検査を含めて、農場HACCPシステムの信頼性を外部に対して示そうという認識があまりみられないというのが実態なのである。

  ちなみに同じく北海道で、2003年度に畜産農場への農場HACCPの普及・定着を目的とする農場衛生管理強化対策事業が実施された。モデル農場として参加した農場のHACCPに対する取り組み内容は一様ではない。HACCPの基礎知識を習得しようとして事業に参加した農場も含まれている。事業への参加農場数はやや多く、乳用牛101戸、肉用牛25戸、豚15戸、めん羊1戸となっているが、それほど畜産経営のHACCPへの取り組みが進捗しているわけではない。HACCPでは記帳、保管、検証といった作業を日常的にこなしていかなければならず、農場HACCPの導入は畜産経営にとってまだ高いハードルとなっている。

  このような状況のもとでは、農場HACCPが広く普及するには相当の時間がかかり、面的な普及にはなじまない。産地銘柄を形成し得るほど多数の畜産経営がHACCPを導入することは期待できそうにない。むしろ特定の革新的な農場を選抜して農場HACCPの導入を支援し、個別経営ごとの「農場ブランド」を実現する方が、農場HACCP普及の近道であると考えられたのであろう。

  ホクレンは都地氏の企業経営者としての経営姿勢を高く評価し、農場HACCP導入を呼びかけることにした。この総合的な農場管理システムを構築していくために、いわば併走者としての役割を果たすことになった。

イ)農協・家畜保健衛生所・獣医師の支援

  阿部ブラーザーズファームが所属する農協では、素牛や生産資材の購入、肥育牛の販売、資金調達などの系統利用率が高い。肉用牛に関する地域の流通拠点になっており、農協を窓口として、ホクレンが事業を展開する条件が整っていた。ホクレンの現場機関として、農場HACCP導入の環境整備に当たることとなった。たとえば後にみるように、地域の家畜疾病などの危害モニタリング機能が、農協によって担われることになった。農協管内の畜産経営の情報はほぼ一元的に農協に集約されており、家畜の衛生管理にかかわる重要な情報は、阿部ブラーザーズファームにいち早く伝えられるからである。

  家畜保健衛生所、獣医師の支援・協力は、農場HACCPの設計および運営に深くかかわっている。家畜保健衛生所指導課の加藤主査は、農場の多様な作業のフローチャートを、写真などを用いて網羅的に整理した。それは農場の一般衛生管理マニュアル策定の前提となる基礎データとなり、CCP(重要管理点)や衛生管理基準などの設定に寄与することとなった。

  また地域の開業獣医師が管理獣医師の役割を担うこととなった。管理獣医師はたんなる担当獣医師ではなく、農場を定期的に訪問して、家畜の健康管理全般について相談を受けるカウンセラーとして位置づけられる。病畜に対する薬を渡すだけでは、HACCP管理の一翼を担うことにはならない。阿部ブラーザーズファームでは、週1回、管理獣医師と従業員とのミーティングが定期的に開かれており、地域で発生している疾病情報や、家畜衛生に関する一般的な知識についての啓発が図られる。管理獣医師による農場および家畜のモニタリングもHACCPに組み込まれており、出勤簿も用意されている。

  当初、農業共済組合(NOSAI)の獣医師に管理獣医師の役割を担ってもらうことも検討された。しかし、上記のような診療とカウンセリングなどを行うためには、獣医師が定期的に特定の肉用牛経営に訪問しなければならない。それはNOSAIの組織として対応できないことがわかった。現状では地域の開業医に管理獣医師を依頼せざるを得ない。逆にいえば、地域の開業医による積極的な支援が、阿部ブラーザーズファームの農場HACCP導入の重要な支えになっている。

 以上みてきたように、農場HACCPを農場単独で導入することはきわめて難しいことが理解されよう。HACCPのアドバイザー、管理獣医師、生産資材や家畜取引を担当する農協・企業、と畜場などが連携して初めて円滑にシステムを構築することができる。

 それは一つには、この農場HACCPシステムが事業者間の連携によるトレーサビリティ・システムを内包しているからである。すぐ後にみるような酪農経営との飼養管理情報のやりとりや、小売業者への生産履歴情報の提供などを実現するためには、関係する事業者との連携が欠かせない。

 いま一つには、農場HACCPの信頼性を担保するために、外部検査を自ら組織化しなければならないからである。農場HACCPの運営状況を経営の外部から検証してもらうことで、システムの信頼性が担保される。この検証作業を実施するために、システムの導入にかかわった機関・企業からの協力を得ることが必要になった。農場HACCPは農場(場長・従業員)と関係機関の強い信頼関係に基づく連携・支援のもとで実現しているのである。

農場での危害因子を掲げたフローチャート

4.農場HACCPの構築と酪農経営との連携

 阿部ブラーザーズファームでは、日々、作業中に記録されたメモを、作業終了時にHACCP小屋で台帳に転記することになっている。記録簿である台帳は、以下のように多岐にわたっており、一日の作業がそれぞれの台帳に体系的に記録される。

 基本的なデータは、次の6つの台帳に整理される。(1)飼養管理日誌、(2)初生牛飼養管理報告書、(3)導入牛管理記録、(4)飼料受入記録、(5)動物医薬品・注射針管理記録、(6)出荷管理記録によって、初生牛の出生から、育成・肥育飼養過程、肥育牛の出荷状況までの情報が記録・保管される。これらのうち、飼養管理日誌はほ育・育成・肥育といった段階別に記録され、飼料受入記録は収納タンクと対応づけて記録される。それ以外の台帳は牛の個体識別番号(あるいはロット番号)と対応づけて記録されており、トレーサビリティが確保されることになる。

 さらにこれらのデータを補完するために、以下のような台帳が用意されている。(1)薬剤・医療用具受入管理記録、(2)疾病発生記録、(3)管理獣医師診療状況記録、(4)敷料受入管理記録、(5)肥料受入管理記録の5つの記録簿である。育成・肥育飼養過程のなかで、牛の健康あるいは危害に関与する医薬品、肥料、敷料などの受入・管理情報が記録・保管されていることがわかる。

 こうして上記の基本台帳と合わせて、11の管理台帳が用意されている。これ以外にも、人工授精証明書や飼料成分表示表などの参考記録がファイルされており、それらもすべてHACCP小屋に保管されている。

 このHACCP小屋には、作業服・長靴といった服装で気軽に出入りすることができる。しかも作業終了時に忘れずに立ち寄るポイントとして、事務所の前に設置されている。記録作業を日常的に意識し、慣習づけるための工夫であるといえよう。さらにこれらの記録は、飼料安全法を考慮して、8年間という長期にわたって保管される。

 では、具体的にどのように農場HACCPが肉用牛経営に導入されているのだろうか。主な点についてみておくことにしよう。

阿部ブラザーズファームのHACCP小屋
社員による記帳作業

(1)飼養管理

 農場での危害因子は(1)食中毒菌の汚染、(2)抗菌性物質残留、(3)注射針の残留、(4)BSEと定められ、農場HACCPの導入が検討されることとなった。

壁に揚げられたCCP(重要管理点)

ア)食中毒菌の汚染

  周知のように、農場での食中毒菌をゼロにすることはできない。食中毒菌は自然空間につねに存在する。外部から初生牛が継続的に導入され、農場を外部環境と遮断することはできないからである。そこで、農場では食中毒菌ではなく、牛の体表の汚れを危害因子と位置づけた。そのために牛床の管理方法、敷料の交換頻度、使用量が定められる。おがくずの投入量や敷料交換の日数など、どの従業員でも理解できるように、具体的な数字で作業の進め方を示している。さらに牛の汚れを検証するために、目視での評価だけでなく、と畜場出荷時の洗浄料金記録を指標として用いている。と畜場では体表の汚れに応じて料金を徴収しているからである。牛生体洗浄料金の支払い実績によって、牛の汚れ具合を第三者に示すことができることになる。牛舎の洗浄についても、清掃や消毒の手順が規定されている。たとえば、竹ぼうきによる給餌通路の清掃、クモの巣の除去、給餌前の飼槽清掃、水槽の点検、敷料の交換といった具合である。

  また、牛が接する施設などからサルモネラやO157が検出されるか否かを確かめるために、月に1回、検査が行われる。O157が検出されると、出荷前50日間の生菌製剤の投与、牛床への消石灰の散布が行われる。

  サルモネラが検出されれば、当然ながら、抗生物質が投与されることになる。先にみたように、農場を閉鎖された空間に置くことはできないので、農場は常にこれらの菌の混入リスクにさらされている。そのためにも定期的な検査が欠かせないのである。

イ)抗菌性物質の残留

  牛肉への抗菌性物質の残留を防ぐために、すでにみた疾病・治療に関する記録、いわば牛のカルテが用いられる。抗菌性物質投与による出荷制限期間が、安全性の確保のために通常の2倍に設定されている。しかもこうした措置どおりに牛が管理されていることがカルテによって確認されなければ、農場からの出荷は中止される。頻繁に治療を繰り返した牛は、肝機能の障害によって残留の恐れも多くなるので、とう汰の措置が取られている。

  抗菌性物質の残留の有無は、消費者にとって重大な関心事である。あいまいな判断や記録では、残留の可能性を明確に否定することができない。1頭ごとの治療履歴を明確に把握し、管理することによって、抗菌性物質の残留検査を出荷牛全頭に導入しなくても、残留している可能性がないことを示すことができることになる。

ウ)注射針の残留とBSE

  薬剤の注射針の残留や肉骨粉が混入していたとされる代用乳の給餌は、初生牛の飼養段階で生じやすい。そこですぐ後にみるように、酪農経営からの記録に基づいて、初生牛導入の可否が判断される。

  牛への注射針の残留は、と畜場にとって大きな危害である。注射針は金属探知器では完全に発見しきれないからである。枝肉、部分肉の段階で注射針の混入が見逃され、消費者がそれで被害を受けることになれば、農場の信頼が大きく損なわれるだけではなく、社会的な問題に発展する恐れもある。阿部ブラーザーズファームでは、注射針残留の可能性があれば、その牛をとう汰して、出荷しないことをマニュアルに定めている。一般的には、と畜場に注射針の残留可能性を届け出ればよいとされているが、その情報を出荷時まで経営内で間違いなく引き継いでいく負担は重いからである。さらに牛の治療ごとに治療前後の注射針の数が一致することを確認し、一定月齢以上の牛は治療しないようにして、注射針が残留する可能性をできるだけ排除している。

  BSEの感染リスクを排除するために、購入飼料についても同様の対応措置が採られる。初生牛に対しては、給餌された飼料の内容が確認できない場合、その初生牛の導入は見送られる。また育成牛および肥育牛に対する飼料の安全性を確保するために、マニュアルで飼料の取り扱い手順を規定している。具体的には、信頼し得る飼料メーカーの選択、飼料表示の確認、交差汚染防止の確認などがなされる。豚やニワトリ用の飼料の混入を避けるために、牛用飼料専用車による配達もいち早く飼料業者に要求してきた。

  さらに納品書には運転手名とトラックの車番が記入され、飼料が投入された飼料タンク番号と対応づけられている。飼料の安全性確保とともに、トレーサビリティを確実に担保していることがわかる。

(2)初生牛の導入

ア)初生牛飼養管理報告書

  JA道央千歳営農センター管内の酪農経営21戸と連携して、初生牛の投薬・飼料給与情報の記録・保管を要請している。記録・保管される情報は、およそ以下のようになる。(1)牛個体識別番号、(2)生年月日、(3)品種、(4)性別、(5)初乳給与の有無、(6)代用乳の商品名、(7)スターター(人工乳)の商品名、(8)治療薬の商品名、(9)抗菌製剤の商品名、(10)注射針の残留という項目である。そこには初生牛の基本的な出生記録に加えて、飼養期間中の飼料や病気治療の状況が記録される。具体的には酪農生産者の口頭による申告に基づいて、上記の項目が初生牛飼養管理報告書に記載され、その内容を酪農生産者が確認して署名する。酪農経営自らが記録、モニタリングするといった仕組みは組み込まれていないが、酪農経営者と都地氏との相互の信頼関係のなかで初生牛の飼養管理情報の信頼性が担保される。

  同様の理由から、導入後の初生牛に対する疾病検査、食中毒菌検査は行われない。初生牛の購入契約を結んでいる酪農経営とは、日常的なつきあいを背景にした信頼関係が築かれており、全頭検査は不要であると考えられている。さらに地域の酪農経営で発生した疾病状況は、農協がほぼ把握しており、問題が生じれば、すぐに連絡される体制になっている。不特定の酪農経営からの初生牛導入ではないので、検査以外の手法で信頼性を担保する方が経済的な負担も少なく、効率的であるといえよう。

  では、酪農経営の初生牛の飼養管理状況を、導入元の戸田牧場の事例でみておくことにしよう。

イ)戸田牧場における初生牛飼養管理

  戸田牧場は阿部ブラーザーズファームに初生牛を出荷している酪農経営の一つである。乳牛飼養頭数80頭(うち経産牛45頭、育成牛35頭)で、毎年、初生牛を24〜25頭出荷している。

素牛導入元の戸田牧場

  (1)飼養管理

   初生牛の免疫力を高めるために、まず6時間以内に初乳を飲ませている。初乳を確実に飲んでいるか否かが、育成段階以降の牛の健康状態を大きく左右するからである。生後、4〜5日間は初乳を与え、その後は人工乳(スターター)に切り替える。

   初乳を飲まない子牛は、分娩時に何らかの異常があったものと考えられ、十分な看護を必要とする。とくに初生牛は下痢をすることが多く、生菌剤や抗生物質を投与して治療する。その後、ふん便検査で完治したことが確認されなければ、出荷することはできない。下痢などで治療を施した初生牛のカウハッチは、水洗いして日に当てられる。さらに治療方法の検証、改善に役立てるためにも、これらの治療内容を記録して阿部ブラーザーズファームに伝達することになっている。

   戸田牧場は酪農経営におけるHACCP導入のモデル事業にも参加しており、作業内容の記録・保管への意識が高い。出荷後、初生牛に問題があれば、その飼養管理に関するデータにフィードバックする。もし母牛にトラブルの可能性がある場合には、共済獣医に診療を依頼する方針を立てている。初生牛のトレーサビリティを確保することで、トラブルの原因を解明し、対応策を講じることが可能になっているのである。

生まれた初生牛(オス)は、全て阿部ブラーザーズファームに販売される

  (2)初生牛取引

   週1回、生後1週間から10日齢の初生牛が、市場の平均価格で取引される。生まれた初生牛はすべて阿部ブラーザーズファームに販売されることになっている。初生牛を市場出荷や相対販売してきたときの取引条件と比べて、メリットが大きいという。阿部ブラーザーズファームとの直接取引では流通マージンを取られることがない。さらに初生牛を引き取りにきてくれるので出荷の手間がかからないという利点も大きいと評価している。

   初生牛の飼養期間は短いので、飼養管理・治療情報の記録あるいは記憶も負担にはならないという。むしろ初生牛取引をつうじて、都地氏と飼養管理についての情報・意見交換が日常的に行われ、乳牛の飼養管理にもフィードバックされているといえよう。

  (3)初生牛の生産費

   初生牛は酪農経営の副産物である。生後、わずかな期間で出荷してしまうので、一般的には飼養管理や生産費への関心も低いといえよう。

   戸田牧場では雌子牛と同様に、初生牛の飼養管理に細心の注意が払われる。早産の初生牛は、1カ月余り飼養してから出荷されることもある。それだけに初生牛の生産コストへの関心も比較的高い。初生牛の生産費は、出生後の初生牛の飼養管理コストだけでは済まないという。乳牛(母牛)への人工授精経費や2カ月間の乾乳期の経費も勘案されるべきであると考える。こうした酪農部門と重複する経費を案分して初生牛の生産費を推算すると、おおよそ2万4千円程度になる。この生産費の水準をふまえると、初生牛1頭当たり3万6千円の販売価格が確保されないと採算性に乏しいと受け止められている。言い換えれば、初生牛をたんなる副産物ではなく、酪農経営の一つの事業部門として捉えていることが、初生牛生産の収益性への関心を喚起しているといえよう。

ウ)導入初生牛の選定

  酪農経営との意見交換を密接にとりながら、初生牛に対する適切な飼養管理と飼養管理状況の報告を求めている。阿部ブラーザーズファームは初生牛の出生から出荷までの情報を把握した上で、導入の判断を下している。初生牛導入基準に基づいて目やに・呼吸・下痢・へその芯の大きさ・体温によって健康状態をチェックし、体重や体格(骨格)を調べて導入の可否を判断する。

  初生牛導入時には再度、初生牛とその飼養管理情報や個体識別番号とが照合されて、記録される。このような酪農経営の初生牛生産から肉用牛経営の育成牛飼養への情報伝達によって、初生牛のトレーサビリティが確保されている。

(3)肥育牛の出荷

 肥育牛出荷時には個体識別番号を確認した上で、健康状態、体表汚染、抗菌性物質の出荷制限期間、注射針の残留、輸送車の清掃・消毒および敷料交換がチェックされる。目視で健康状態をみるとともに、先にみた記録台帳で治療歴や針の残留可能性などが確認されるのである。このとき体表に汚れがある場合には、出荷を最低2週間延期して、汚れを除去してから出荷する。

 さらに肥育牛に関する付加的な情報が、と畜・部分肉製造業者、流通業者に伝達される。

 と畜場に対しては肥育牛出荷証明書が提出される。出荷牛の基本的な情報である個体識別番号、品種、性別に加えて、次のような情報が記載される。(1)健康状態、(2)体表の汚れ、(3)抗菌性物質の残留、(4)注射針の残留、(5)肉骨粉混入飼料の給与という飼養管理情報が、個体識別番号ごとにリストアップされる。

 また阿部ブラーザーズファームの牛肉を取り扱っている特定の小売業者にも、出荷牛履歴証明書が食肉センターを通じて送付される。すなわちホクレンショップおよびA社小売チェーンには、一般の肉用牛肥育生産者からは伝えられない付加的な情報を記載した帳票が添付されているのである。A社の店舗ではこの証明書に記載されている情報が開示されてきた。

 この証明書には、基礎的トレーサビリティ情報である(1)個体識別番号、(2)品種、(3)生年月日、(4)性別、(5)出荷年月日、(6)と畜年月日、(7)と畜場名などに加えて、次の情報が記載されている。すなわち、(8)初生牛の生産農場名、(9)初生牛導入年月日、(10)給与飼料(配合飼料、粗飼料、子牛段階の飼料など)の飼料名・販売元、(11)肉骨粉混入飼料の不使用といった初生牛と飼料に関する付加的情報である。すでにみてきたように、抗生物質などに関する情報を開示することも可能であるが、消費者・小売業者の対応をみながら情報開示のあり方を検討することにしている。

 農場HACCPによって必要となる消毒剤、生菌剤などの資材だけで1頭当たり4,000円程度の生産コストが割り増しになると推定されている。と畜場および小売業者への情報伝達を含めて、データ記録・保管などに要する手間などを考慮すれば、付加価値を高めるための投資的経費も少なくない。現在のところ、小売業者は付加的な情報開示、安全と安心をアピールした阿部ブラーザーズファームの牛肉に対してプレミアムを支払っていない。したがって、農場HACCPを確保するためにかかわる経費はもっぱら生産者によって負担されている。

 もっとも農場HACCPの導入によって、生産効率が向上するというメリットも存在する。牛の個体管理と衛生管理の向上によって、疾病が減少し、飼料管理も効率化するので、農場HACCPは生産者に負担だけをもたらしているわけではない。安全と信頼性が確保されていることによる従業員の不安感からの解放も無視できないであろう。

 以上みてきたように、飼養管理、初生牛の導入、肥育牛の出荷などについて、危害要因が特定されている。それぞれについて危害防止措置、作業手順、記録方法(台帳の指示)、モニタリング手法、改善措置といった危害防止のための一連の作業が規定される。これらの規定は「肉牛農場HACCP衛生管理マニュアル」としてまとめられており、従業員はこのマニュアルに即してそれぞれに分担された作業を行い、すでにふれたように、作業終了時にHACCP小屋で作業記録を台帳に記録する。

(4)トレーサビリティの確保

 阿部ブラーザーズファームが構築した農場HACCPは、衛生管理システムとしての機能を持つとともに、トレーサビリティの確保を重視している。先にみたように、酪農生産者から初生牛を導入する際に、初生牛の生産履歴記録が確認されて引き渡される。この記録は牛の個体識別番号によって、育成・肥育飼養管理情報と対応づけられながら保管される。こうして初生牛の出生から肥育牛の出荷までトレーサビリティが確保される。

 いま少し立ち入ってみておこう。飼料の受入に際しては、トラックのドライバー名、車番が記録され、その飼料が保管されたタンク番号と照合されて記録・保管される。導入牛の去勢作業や農場内における牛の牛舎移動なども、それぞれ牛の個体識別番号と対応される。それが場長に報告され、作業記録が台帳に残されていく。さらに動物医薬品・注射針管理記録台帳、いわば牛のカルテに、疾病治療履歴が牛個体ごとに記録され、管理される。トレーサビリティ・システムの枠組みのなかに、HACCPが組み込まれていると考えてもよいだろう。

 繰り返し確認しておけば、初生牛段階から育成・肥育段階に至るまで、危害防止措置などの作業を含めた牛の飼養状況が、牛の個体識別番号と対応付けられている。トレーサビリティ情報の記録・保管はすべてコンピュータで処理されているわけではないが、帳票や管理台帳といった紙によるデータであっても、HACCP小屋に体系的に保管されているので、迅速な情報の遡及あるいは追跡が可能になっている。

(5)システムの検証

 農場HACCPシステムが有効に機能しているかどうかをチェックするためには、第三者による検証が必要とされる。およそ四半期に一度、経営外のメンバーによって、各種の記録簿が点検される。農協、ホクレン、家畜保健衛生所、管理獣医師、NOSAIなどによって構成される農場HACCPの支援チームが検証に当たり、と畜場や小売業の関係者、農場の従業員が同席する。農場HACCPの信頼性を担保するために、場長自らが台帳を検証するという内部検査だけでなく、第三者機関が客観的に衛生管理システムを検証する必要があるからである。

 もっとも日本ではまだこのような衛生管理システム、トレーサビリティ・システムの第三者検査は普及していない。検査を実施する第三者検査機関も未発達である。そこで、いわば次善の策として、農場HACCPの導入を支援してきた「農場HACCPチーム」を第三者検査組織として位置づけている。農場の現場で危害防止のために取られた措置への講評、問題点の指摘と改善方法の提案が行われる。オープンな場での検証によって、「肉牛農場HACCP衛生管理マニュアル」のバージョンアップが図られている。

 こうした検証の場で従業員のHACCP、トレーサビリティへの理解が高められ、より効率的で信頼性の高いシステムの構築が可能になっていくといえよう。

5.課題

 以上みてきたように、阿部ブラーザーズファームの農場HACCPは総合的で革新的なシステムである。導入時期が早かっただけでなく、そのシステムの体系性や検証可能性、さらに外部検査によるシステムの信頼性の確保、乳用種去勢牛肉の農場ブランド化という目標への到達が目指されているという点で、きわめて意欲的なシステムだからである。今後HACCPとトレーサビリティが一体化した農場管理システムを導入しようとする畜産経営に、まず参照されるべき先行事例であるといえよう。いうまでもなく、日本の乳用種去勢牛肉の市場評価を高め、これまで競合関係にあったアメリカ産牛肉に対する差別化を図る重要な手法として評価される。

 今後はこのシステムの改善を図ることもさることながら、農場HACCPの普及、定着に向けた本格的な議論が求められることになろう。そこで最後に、阿部ブラーザーズファームの農場HACCPへの取り組みが、さらに多くの乳用種去勢牛の育成・肥育経営に広まっていくための課題について整理してみることにしよう。

 第一に、HACCPやトレーサビリティ・システムの意義についての理解である。アメリカ産牛肉の輸入が停止され、乳用種去勢牛の牛肉価格も比較的堅調で推移している。BSEパニックの際の乳用種去勢牛肉市場の崩壊ともいえる混乱が忘れ去られ、HACCPやトレーサビリティへの関心が鈍くなっているとすれば、それが最も基本的な課題であろう。

 消費者の牛肉への関心は、抗菌性物質の残留可能性や牛に給餌される飼料内容に集まる傾向にある。そのためには農場へのHACCP導入によって危害が発生する可能性を排除していく衛生管理が欠かせない。またBSEやダイオキシンなど、不測の危害発生に対して消費者の被害を食い止めるために製品を回収し、危害の由来を突き止め、その原因を明らかにするトレーサビリティを確保することも必要である。消費者に安全で信頼される牛肉を提供するという、肉牛生産者としての社会的役割が常に思い起こされなければならないだろう。農場HACCPは短期的な牛肉の付加価値生産を実現するためのシステムではない。それは長期的に安定した牛肉消費市場を築くための投資である。アメリカ産牛肉輸入再開を控えて、市場動向に不透明性が高まっている乳用種去勢牛肉生産ほど、こうした長期的な視点に立った生産システムの革新が望まれている。 

 第二に、ビーフチェーンの連携・協調についてである。牛肉の安全と安心を、牛の出生から小売店舗の牛肉販売まで確保するためには、生産・流通を貫いた牛肉事業者の連携が不可欠である。とくに乳用種去勢牛肉の場合、酪農経営の協力が欠かせない。酪農経営は生乳生産だけでなく、乳用種の肥育素牛を生産している。牛肉の安全と安心確保は、酪農生産者の責務でもある。阿部ブラーザーズファームにおける酪農経営と乳用種育成経営との連携手法は、その一つの試みである。初生牛の全頭買い入れを保証することで、初生牛の飼養管理状況の管理責任を酪農生産者に求めている。

 初生牛の飼養管理が適正に評価されることの重要性が酪農経営に浸透するためには、初生牛の価格形成のあり方が再検討されなければならないだろう。肉用子牛生産者補給金制度改革の市場への影響が注目されるが、それだけでは充分でない。育成経営が初生牛導入に際して明確な判断基準を設け、それを価格形成に反映させていくという業界としてのルールづくりなどが検討されるべきである。

 またEUの牛のトレーサビリティ・システムが採用しているパスポート制の機能も一考の価値があろう。もっとも情報技術の革新によって、パスポートの形態を取らなくとも、ICタグなどを活用して育成経営が必要とする初生牛の飼養管理状況が伝達されることが可能になるといえよう。

 第三に、外部検査のあり方についてである。HACCPやトレーサビリティ・システムの信頼性を確保するためには、事業者自身による内部検査だけでなく、外部の組織による客観的な検査・モニタリングや改善への提言が継続的に行われる必要がある。

 阿部ブラーザーズファームでは獣医師、家畜保健衛生所、肥育牛販売事業者(ホクレン)などの支援を受けて、農場HACCPチームが組織された。日本でも有機JASや特定JASの展開とともに、少しずつ第三者検査機関の業務が広がりつつある。しかし、いまのところ第三者検査機関の数も、またそれらを監査する行政の仕組みも不充分といわざるを得ない。と畜場・部分肉製造事業者や家畜保健衛生所など、HACCPについてすでに一定のノウハウを持つ組織や、農協や地方自治体などの営農指導・監督組織がHACCPやトレーサビリティの専門家を育成して、農場HACCPの外部検査チームを結成する手法は、より現実的な対応かもしれない。畜産経営の身近なところに農場HACCPの相談相手がいることは、きわめて重要な普及・定着条件だからである。

 第四に、農場HACCPの認証制度、農場ブランドの確立についてである。生後1週間程度であっても、その間の初生牛の飼養管理情報が育成経営に提供されることで、一貫した生産履歴情報が開示された牛肉販売が容易になる。牛の飼養管理、飼料、投薬などの適正な管理、それらに関する付加的な情報提供とトレーサビリティの確保といった高度な農場管理システムの構築を通じて、牛肉の市場評価が高められていく。

 生産情報公表JASの認定を受けることも一つの手法であろう。しかし、JAS制度に限定せず、ビーフチェーンを通じた新たな認証制度を設定することも可能であろう。たとえば、生産者・農協、と畜・部分肉製造事業者、量販店・生協などが協議して「農場システム認証」の規格を整備し、認証された農場の牛肉を適切な管理の下で消費者に提供する加工・流通ルートを確立する。多くの農場ブランドの牛肉が登場するとともに、それらは定められた規格を遵守し、客観的な検査・モニタリングを受けることで信頼性が確保される。牛肉市場に新たな牛肉カテゴリーが形成されていくことになろう。

 こうした認証制度によって牛肉の付加価値が消費者によって評価され、それに対応した高価格が維持されるならば、初生牛の飼養管理を整備し、生産履歴情報を提供する酪農経営に対するプレミアム支払いも定着することになる。それは酪農経営、育成経営、肥育経営の連携システムによって実現された牛肉評価である。酪農経営もビーフチェーンを構成する事業者として、一定のプレミアムを受けることになろう。

 一方、小売業者においても黒毛和牛よりも安価な乳用種牛肉で差別化商品を取り揃えることが可能になる。認証された牛肉のプレミアムコーナーなどの設置によって、牛肉製品の多様化も図られる。とくに認証牛肉の分別加工によって、認証牛肉の切り落としやミンチ肉・ハンバーグが販売されるようになると、部位別の需給調整も容易になることが期待される。

 農場ブランド構築に向けた取り組みは、今後、ビーフチェーン全体の評価を高めていく牽引車としての役割を果たしていくに違いない。

参考文献:加藤一典・浅井敏文・西原純一・三上祐二「自主管理の向上をめざした肉牛農場HACCPの実践」『畜産の研究』58−7、2004年7月

※調査に際して、阿部ブラーザーズファームの都地絋光氏をはじめとして、北海道石狩家畜保健衛生所・加藤一典氏、ホクレン・渡辺邦雄氏、大部博史氏、みなみ動物病院・南保範氏、北海道畜産公社・芦原亘氏に大変お世話になった。記して篤く御礼を申し上げる。


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