はじめに
当機構は平成16年度、肉用牛生産対策の一環として地域肉用牛振興対策事業をスタートさせた。本事業は、平成15年度まで行われた肉用牛生産基盤安定化支援対策事業の内容を一部組み替えるとともに、新規就農円滑化モデル事業を取り込んだ肉用牛生産に関する総合対策事業である。
その中でも、本事業の目玉となる地域肉用牛振興特別対策は、地域の自主性および創意工夫を生かしたいという現場の声を汲み上げて創設されており、他の畜産業振興事業と同様に事業実施要綱をはじめ、「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」などの諸規程を遵守することを前提に、肉用牛の生産基盤の安定化に資する取り組みを広範に実行できる仕組みとなっている。
そこで、本事業の概要を説明するとともに、地域から発信された創意工夫のアイデアの中から、今後、本事業に取り組む上で参考となる事例をいくつか紹介したい。
1.事業の仕組み
本事業の内容は以下のとおりである。
(1)新規参入円滑化対策事業
社団法人中央畜産会が実施主体となって実施する事業で、肉専用種繁殖経営への新規参入の促進のため、農協等が飼養管理施設等(牛舎等)の整備、繁殖雌牛導入、農地の借り入れを行い、新規参入者に貸し付けを行う。
(2)肉用牛改良増殖強化対策事業
社団法人家畜改良事業団が実施主体となって実施する事業で、優良種雄牛の造成と広域利用のため、優良な育種資源の確保・利用、集中的な後代検定等を行う。
(3)肉用牛繁殖雌牛能力評価等対策事業
繁殖雌牛等の能力評価の推進のため、枝肉情報の収集、分析、提供等を行うとともに、候補種雄牛生産のための優良雌牛の確保、後代検定推進のための普及啓発等を行う。なお、(3)以降は社団法人全国肉用牛振興基金協会が実施主体となって実施する。
(4)肉用子牛市場流通促進対策事業
肉用子牛の市場流通を促進するため、集出荷計画の策定、取引情報の提供、機器の整備等を行う。
(5)肉用牛生産性向上等対策事業
肉用牛の効率的な生産技術の普及等のため、効率的な肥育方式の改善等のための実証調査、指導者研修等を行う。
(6)地域肉用牛振興特別対策事業
地域の自主性と創意工夫を生かした(1)優良雌牛の導入、低能力牛のとう汰、指定交配等の推進、(2)肉用牛ヘルパー活動の推進、(3)遊休農地等を活用した日本型放牧の推進などの多様な肉用牛生産の取り組みを実施するための「地域肉用牛振興基金」の造成を支援する。
なお、本事業はそれぞれの実施主体に設けられた全国基金を使用して行われるが、(6)の事業については国(機構)と地域が1:1(一部の事業は2:1)の割合で拠出した地域振興基金を都道府県の実施主体実施が造成して事業を実施することとしている。
2.地域肉用牛振興特別対策事業
地域肉用牛振興対策事業の目玉は、何と言っても上記(6)の事業によって地域の自主性や創意工夫を反映させたアイディアを具体化して実施できることであり、その自由度の高さが魅力となっている。
本事業に取り組む都道府県団体(「指定団体」)は、あらかじめ都道府県知事に協議し、地域の取り組み実態に即した○○県地域肉用牛振興特別対策事業実施要領(「地域実施要領」)を策定し、その中で実際に実施する事業内容やそれを行う肉用牛生産集団などの位置付けを定義することとしている。また、地域実施要領は、地域の酪肉近代化計画に即した地域の肉用牛振興の方向性に沿ったものであることも義務付けられている。このことから、地域実施要領に従うことで地域の肉用牛振興の方向性に沿った事業がおのずから行われる仕組みである。
地域肉用牛振興特別対策事業は九つのメニューから成り立っているが、そのうち、「肉用牛ヘルパー活動の推進」、「優良雌牛の導入、低能力牛のとう汰、指定交配等の推進」、「地方特定品種等の振興に必要な事業」および「離島等及び山振地域における肉用牛の振興に資する事業」の4項目は内容的に前身事業からの継続メニューである。一方、「産地の牛肉の消費拡大の促進」、「個体識別システムを活用した銘柄化の取り組み」、「遊休農地等を活用した日本型放牧の推進」および「生産性向上に資する器具機材の導入、簡易施設等の整備」などは新たに設定された項目であり、肉用牛生産基盤の拡大のために生産者が取り得る選択肢はかなり広がったと言える。
3.平成16年度地域肉用牛振興特別対策の事例
以下に平成16年度に採択した地域の創意工夫が十分に生かされた優良事例を幾つか紹介する。
(1)森林再生型放牧の取り組み(島根県)
(1)放牧の開始
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海岸線にかけて放牧地が拡がっている
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島根県八束郡鹿島町和牛改良組合は、肉用牛の生産性向上と併せ治山効果・漁業資源の回復を掲げた「森林再生型放牧」に取り組んでいる。
同組合は平成13年度、ア、飼養管理の低コスト化、イ、有用木による森林の再生化、ウ、海への土砂や濁水の流出防止による魚介類の餌(プランクトンや海草類)の生育助長という「一石三鳥」を狙った取り組みをスタートさせた。当初は、山林に牛を放すことに対する不安から地元の同意が得られなかったが、放牧による効果を目の当たりにして地元漁業組合などもさらなる土地の提供に同意するまでになり、15年度には7ヘクタールの山林を整備した。
(2)平成16年度地域肉用牛振興特別対策事業(遊休農地等活用放牧推進)での取り組み
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海岸の森林に放牧された肉用牛、定期的に餌場へ出てくる
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放牧地に設けられた電気牧柵など
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平成16年度は、新たに取得した10ヘクタールの土地を電気牧柵で囲い、発情発見後に牛を捕獲し、人工授精作業を楽に行うためのスタンチョン付きのパドック3基および飲用水設備を整備した。
(3)今後の取り組み状況
また、現在は組合員が自宅のそばの牛舎などで牛を飼養しているが、現状ではさらなる増頭や新規組合員の参入が困難なため、平成17年度には同事業(生産性向上施設等整備)により、共同で利用する簡易牛舎建設の計画申請を予定している。このように共同で肉用牛を飼養できる場所を確保することで休日を取得するなど、組合員にも活気を呼び起こそうとする計画である。
同組合は、今後、放牧地たる海岸の森林が活性化することで、地域の畜産を含めた第一次産業が発展していくことを期待している。入牧した当時はメダケやネザサなどが密生していた放牧地も、これらを牛が食べることでみるみる雑草がなくなると同時に、牛が歩き回ることで牧道ができ、人が入ることが困難であった場所に簡単に入れるという効果も生まれている。また、将来的には生産した牛肉を地元の精肉店などで販売し、消費者に「安心・安全」をうたった牛肉を提供するとともに、地域の子供達に牛と触れ合える体験学習の場としても利用したいと考えている。
(注)当該放牧地は計画申請以前の段階から電気牧柵が設置されていたが、遊休農地等活用放牧推進事業は本来、新たな放牧地を創出する事業であるため、新規にこの事業に取り組まれる場合は、電気牧柵や有糸鉄線などの整備も可能である。
(2)種雄牛適正交配システムの構築(兵庫県)
(1)システム構築の背景
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日の出農協の適正交配システムのホストコンピューターなど
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兵庫県では古くから、兵庫県産但馬牛のみでの改良、すなわち閉鎖群育種が行われてきた。和牛の交配は、永く血統と体型を指標として経験と勘により行われ、有名な種雄牛に集中する傾向があった。特に牛肉の輸入自由化以降は肉質の優れた特定の種雄牛への集中傾向が一層顕著になり、近親交配の度合いを示す近交係数の高まりが懸念されるようになった。また、自分が飼養する牛から生産される子牛の能力を知りたいという畜産農家の要望が増してきた。
そこで、近交係数の低下を図るともに、育種価などの血統情報を活用し適正な交配を推進するため、兵庫県と神戸大学の共同研究によって交配種雄牛助言ソフト「MSAS−エムサス」(以下MSAS)が開発された。
(2)平成16年度地域肉用牛振興特別対策事業(その他地域における肉用牛振興に資する事業)での取り組み
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携帯端末を使い農家の庭先で飼養者に交配情報を説明する人工授精師
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兵庫県津名郡の日の出農業協同組合は、人工授精時に畜産農家の庭先で授精履歴情報の確認を行うとともに、MSASでの交配シミュレーションを行うことで適正な交配を農家に助言し、適切な種雄牛の選択を指導する試みを行っている。
まず、手のひらサイズの携帯端末機器を農協所属の人工授精師が携帯し、授精申し込みのあった畜産農家の庭先で該当する繁殖雌牛の血統書に貼付されたバーコードを読み取る。この情報はインターネットにより日の出農協のデータベースにアクセスされ、当該個体の授精履歴を確認することができるとともに、蓄積されている種雄牛データと照合し交配シミュレーションの結果が得られるというものである。交配シミュレーションには、仮想交配される種雄牛ごとに枝肉重量や歩留、ロース芯面積、バラ厚、脂肪交雑などの期待育種価および近交係数が表示される。
これにより畜産農家は携帯端末機器の画面を見ながら人工授精師の説明を聞き、近交係数の上昇を抑制しつつ好みの種雄牛を選択できる。
(3)期待される効果
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人工授精師の車に積載された種雄牛精液と適正交配システムの携帯端末
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本システムにより、人工授精時の過誤を防止するとともに、希少系統の維持および増殖、近交係数が低く健康で飼い易い子牛の生産など優良な後継雌牛や肥育素牛の生産が期待される。同時に個体識別番号や子牛登録、子牛基金加入時の確認情報としても活用でき、事務の正確性の向上ならびに簡素化も期待できる。
実施主体の社団法人兵庫県畜産会は、将来的には本システムを各地域の授精現場に配布し、普及に努めたいとしている。
本システムは、兵庫県と神戸大学の共同研究によって生み出されたMSASを高度利用するものであり、民間による研究の活力を生かした地域畜産の発展に貢献する例と言える。
(3)遊休農地保全のための放牧牛の新規導入(高知県)
(1)耕種農家が放牧を開始
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遊休農地で草を食む土佐褐毛和種の繁殖雌牛(平成15年度の展示放牧)
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中山間地域を多く抱える高知県の肉用牛生産振興施策は、肉用牛繁殖経営を中山間地域における複合経営の機軸として位置付け、耕作放棄地などを利用した放牧の推進により、低コスト化・省力化による収益性の向上を目指している。
こうした地域では従来、過疎化や高齢化による担い手不足から耕作放棄が進行し、農地の公益的機能低下や鳥獣害増加を招いていたが、県や地元関係機関の取り組みにより平成15年度から無畜農家に繁殖牛を貸付け、中山間地の耕作放棄地解消を実証展示する試みがスタートした。さらにこの考え方を一歩進めて、本来の肉用牛振興対策として、整備が開始された放牧地を粗飼料基盤とし、地域における新たな肉用牛の繁殖農家の定着や繁殖雌牛の増頭の取り組みが生まれた。
(2)平成16年度地域肉用牛振興特別対策事業(肉用牛繁殖基盤強化対策他)での取り組み
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電気牧柵が張られた放牧地の様子(平成15年度の展示放牧)
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高知県高岡郡窪川町の無畜農家8戸が「おきつ和牛組合」を組織し、地域ぐるみで放牧による肉用牛飼養の実証展示を行うものである。当集団は、電気牧柵2基を整備するとともに、褐毛和種の繁殖雌牛3頭を導入する。耕作放棄地や休耕田にイタリアンライグラスを播種することで冬季の飼料を確保し、牧草の生育に合わせて放牧地を換えることにより年間を通じた適正な放牧管理を行う。ただし、耕種農家であることから肉用牛の扱いがやや不慣れなため(実証展示で肉用牛の飼養経験は有する)、繁殖雌牛の選定に当たっては気性のおとなしい放牧経験牛の導入を予定している。また、実証展示事業の実績により2月〜3月からの放牧が雑草の成長阻害などに最も適しているとし、この時期に放牧開始を予定している。
(3)新たな有畜農家の誕生、さらなる増頭に期待
近隣の耕種農家も興味を示していることや、窪川町や地元JAも積極的にこの取り組みに協力していることから、県をはじめとしたの関係機関の技術指導などが加われば、新たな肉用牛飼養農家が次々に誕生する可能性は高い。当地域は全くの無畜地帯であり、肉用牛飼養農家の新規参入という観点から大きな意義を持つものと思われる。地域のリーダー格の耕種農家が参加していることもあり、肉用牛飼養が地域における基幹産業へ発展することも大いに期待されるところである。
4.終わりに
肉用牛生産を取り巻く環境は、歴史的背景やその成熟度によって異なり、そこから生まれる創意工夫の内容も地域によって千差万別である。生産基盤の整備が脆弱な地域と肉用牛生産が既に盛んな地域があるとすれば、それぞれに振興策の軸足を置くべき位置も異なってこよう。本事業は平成16年度から始まったが、地域肉用牛振興特別対策は地域の声を反映して創設されただけに、事業の実施に当たっては適切な執行と管理が行われ、これを永く続けられるように留意する必要があると考えている。
取り組まれる方々もそうした主旨をご理解の上、関係者の間で十分に話し合い、地域の実情に合った自主性や創意工夫をしっかりと具現化した上で積極的に取り組んでいただきたい。
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