◎ 専門調査レポート


生産振興

肉用牛生産を活気づける組合活動

放送大学京都学習センター所長
宮崎 昭

はじめに

 宮崎県綾町は、県中央に位置する中山間地域で、森林率が約80%である。40年近く前まで林業で栄えたが、林業が衰退の一途をたどる中で、「夜逃げの町」とまで言われるほどの沈滞を経験した。しかし、今では照葉樹の森を活かした町おこしに成功し、年間100万人以上の観光客が訪れ、2004年度毎日・地方自治大賞、優秀賞を受賞した。その目玉とも言うべき綾手作りほんものセンターは、町内で生産される有機農産物、加工食品、工芸品など、特産物の展示即売でにぎわっている。

 この活気あふれる町には、肉用牛生産を活気づける二つの施設があって、全国の肉用牛関係者から強い関心が寄せられている。

 その一つは平成16年度畜産大賞最優秀賞に選ばれた宮崎県乳用牛肥育事業協同組合(以下「乳肥農協」)直営の肉用牛研修センター(以下「センター」)で、13年4月から乳肥農協のブランドとして販売されるようになったハーブ牛(宮崎ハーブ牛として商標は翌14年に完了)の生産技術体系がそこで生まれた。

 もう一つは、JA綾町キャトルステーション(以下「ステーション」)で、3年前の本誌の専門調査で訪れた鹿児島県菱刈町でみたキャトルセンターが、3カ月齢の黒毛和種子牛を出荷までの6、7カ月間まとめて預かることで空いた牛舎スペースを母牛増頭に回し、さらに高齢者の負担軽減にも役立てている事例を紹介したが、実は当ステーションを参考にしたということで、そのご本家がここにあった。


事例1.乳肥農協センター
苦労が多かった乳肥農協の歩み

 昭和42年、全国開拓農業協同組合連合会(以下「全開連」)が乳用種肥育事業を提唱したとき、宮崎県の開拓者は積極的に試験事業に参加し、やがて47年、乳肥農協が乳用種雄子牛の肥育を主要な事業とする専門農協として発足した。当時、総頭数は2,654頭で1戸当たり35頭であったが、現在、それぞれ1万9,150頭、560頭という大規模なものになった。

 この間の発展はもっぱら全開連方式と呼ばれる肥育技術に負うところが多かった。柱と屋根の簡易な牛舎を利用して、約14カ月という短期間で乳用種肥育牛を出荷するものであった。55年頃から全組合員が古電柱と間伐材利用で牛舎を安く手作りした。

 しかし、乳肥農協は、発足後まもなくオイルショックに見舞われ、素牛の購入費、飼料費などの経営資金をすべて借入金に頼らざるを得なくなった。そこで、農業信用基金協会に加入するなどして対外的な信用の強化を図りつつ、農林中金から組合が一括融資を受け、幾度かの経済変動による経営危機を乗り切った。その過程で60年以降、全戸に飼料タンクが設置され、バラ輸送により飼料供給コストをキログラム当たり5円安くすることに成功した。

 経営が安定するにつれて、組合員は、従来の全開連方式から一歩も踏み出さずにいることに疑問を感じた。九州全域で一律の肥育技術が、果たして当地で100%ふさわしいのであろうか。全開連は栃木県那須に研修所を持ち、そこで多くの技術を開発してきたが、これからは自然条件が違う当地に適した技術を自分たちで作りだそうという気分になった。そこで、平成2年以降、低コスト肉用牛生産実証展示事業を実施して、組合員研修、技術試験そして、実証展示のために、このセンターを立ち上げた。


センターにおける技術開発

 もともと、乳肥農協では、飼料の供給は全開連指定工場の日清製粉且ュ児島飼料工場(現在、日清丸紅飼料梶jが担当していたが、系統ということで、技術指導はもっぱら全開連が担当し、商系の技術者は遠慮がちであった。しかし、平成2年以降、会社が積極的な技術指導に乗り出した。

 センターがまず取り組んだのが、交雑種肥育であった。それまで一般的であった乳用種肥育は平成3年の牛肉輸入自由化によって、価格の安い輸入牛肉との厳しい競合にさらされると考えられたので、肉質で外国種に勝るものとして、交雑種の肥育技術のマニュアル化に努めることになった。センターは技術面で組合員のリスク回避的な役割を担っているので、新しい肥育技術の試験を行って、その結果を展示するなど積極的に活動した。その結果、現在、乳肥農協では交雑種が乳用種を上回り、全体の7割を占めるに至った。

 次に、県内の乳牛飼養頭数が1.7〜1.8万頭という状況の中で素牛が常に不足するので、既に九州管内から集められていたが、更なる規模拡大とともに関東・中部からも集められるようになっていた。そこで産地の特徴などが確認できるまで、新しい産地からの素牛は組合員の牛舎に直接入れないで、センターで飼育することにした。それに際して最も事故率が高い導入直後の育成について、スターターの試験を繰り返し、一般の牛舎で5%近い事故率を、センターでは3%にすることができた。今でも産地の特徴をつかむまでは、センターが育成を担当し、それが明らかになってから、ほ育育成技術を組合員に伝え、それ以降素牛は直接組合員の牛舎へ導入するようになっている。なお、組合員の中には、事故率をセンター並みに低めようと努力する動きもあり、技術面で良い競争心が生まれている。


差別化商品をつくろう

 センターが次に取り組んだのは、差別化商品作りであった。乳肥農協としては、交雑種と乳用種から生産される牛肉が和牛と輸入牛肉の中間的な品質ながら、中には輸入ものとの競争に苦しめられそうなものも多いとの見通しがある中で、特に組合青年部から、自分たちが生産する牛肉にほかの牛肉と差別化できる特性・個性を持たせ付加価値を高めたいという声が出た。

 センターはその声に応えて、当初はスターターから抗生物質を除いたり、肥育飼料からモネンシン(飼料添加物の一種)を除去するなど工夫をしていたが、やがて飼料添加物ではなく、自然の薬効が望めそうなハーブを飼料に混ぜてはどうかと、11年から試験を始めた。

 センターのスタッフに加えて、飼料会社の技術者、さらに全開連の技術者である獣医師も1人加わって研究を続けた。会社側に熱心な家畜栄養学の研究者がいたことは、新技術開発に拍車をかけた。ハーブは飼料会社が手当てしたものを1ロット20頭程度の肥育牛を用いて、スクリーニングを繰り返し、11種のハーブが適していることを確かめた。特に現在研究を進めている4種混合が最も優れているという。肥育牛の枝肉データを取り寄せ、技術評価を四半期ごとに繰り返した。これが基本となって、ハーブに加えてビタミンEを強化した飼料による宮崎ハーブ牛飼養管理体系が生まれたが、ハーブは健康イメージを持つこともあって、差別化商品にふさわしいと、まもなく商標登録にこぎ着けた。

 現在、乳肥農協が生産する約2万頭の肥育牛がこの統一マニュアルで飼養されるまでに普及し、ハーブ牛として供給される肥育牛も年間9千頭に達している。生産から販売までのこの一貫した生産・販売体制に消費者は高い評価を与えているという。


実証展示のための牛舎づくり

 肥育牛は40平方メートルに5〜6頭、ゆったりと飼われている。肥育が進むにつれて、それを3〜5頭に減らすとともに、常に牛にストレスのない環境を与えるように心がけている。組合員への指導も、それに近いものにするように特に交雑種では肉質を良くするためにストレスを減らすことを勧めている。もっとも組合員ではそれよりわずかに多い収容頭数になっている。センターの牛舎は実証展示用でもあるので、ふん尿処理が容易な作りになっていて、組合員に参考になる工夫が随所に見られる。しかし、補助事業であったので手作りではない。そのため組合長の発案でセンターが組合員との一体感を共有できるように、手作りの実証展示牛舎も建設した。組合員、乳肥農協、全開連、飼料会社、運送業者など50名余りが作業に奉仕活動をしたので、牛舎内の通路にその全員の名前が掲げられていた。


手作りの実証展示用牛舎


常に新しいものへの挑戦

 現在も新しい技術開発への努力が続けられている。例えば、乳用種が大型化して今までのスターターでは骨組みが大きくなってしまい、逆に肉付きが悪くなる点について、スターターを新しく開発するのが良いかどうかを検討している。また、交雑種についても、和牛に近い、もっと体幅のあるものにするためのスターターの研究も始めている。

 飼料給与方法についても工夫を重ねてきた。もともとここでは、配合飼料と粗飼料を別々に給与していたが、牛によって粗飼料の選び方が異なって、肥育牛の増体が不揃いとなることがあった。そこで増体を斉一にするとともに機械よる給餌ができるようにコンプリートフィードを利用することにしたが、ペレット状のこの飼料は混ざり難かった。そのため、16年末からコンプリートフィードを配合飼料の形で給与するようになった。その際、従来の給餌用バケットでは粗飼料が引っかかって、飼槽内で配合飼料と粗飼料の混ざり具合が悪くなった。そのバラツキを少なくするように改良したバケットを試作して、17年度の農畜産業振興機構の畜産業振興事業の国産牛肉市場開拓緊急対策事業(新規)に補助申請をしている。この事業は前年度に農水省生産局畜産部に設置された乳用種在り方検討会の提言に基づいて実施されたもので、検討会に関わった1人として、このような形で役立っていることを知りうれしかった。

 センターは現在700頭規模の飼養頭数で、そのうち、育成中の子牛は150〜200頭、残りは肥育牛である。スタッフは9年目になる乳肥農協の職員で32歳の場長を含む3名であるが、研修生として乳肥農協の若い職員が半年間勉強中である。研修生制度では、後継者も希望すれば受け入れてもらえることになっている。

 このように肉用牛研修センターは綾町から県下の乳肥農協組合員に極めて有益な情報発信を続け、この町に活気を与えている。


改良された給餌用バケット


事例2.JA綾町ステーション
子牛預託で農家支援

 ステーションは、繁殖農家の規模拡大を支援するため、町内の中規模和牛繁殖農家で生産された3カ月齢の子牛を、せり市に出荷できる約10カ月齢まで預託する育成施設と、地域一貫生産体制を確立するために肥育試験を行って実証展示する施設から成り立っている。

 平成5年度低コスト肉用牛生産特別対策事業による補助を受けて、現在、育成牛が150頭、肥育牛が200頭飼育されている。

 育成施設がつくられた理由の一つは、町内の人口の6割が60歳以上という場所柄、高齢者による繁殖を支援することであった。町内104戸の繁殖経営農家のうち38戸がこれを利用しているが、そのうち30戸が5〜6頭規模の高齢者である。もう一つの理由は、8戸の多頭飼養農家が更なる規模拡大のために母牛の飼養を増やしたいためである。ある者は手間のかかる子牛育成を外部に依頼したいと考えたし、またある者は、子牛を預けることによって余裕が生じた牛舎内のスペースに母牛を入れたいと考えた。増頭のために牛舎を増築するにも、立地条件がままならなかったり、建築費用が高くつくことを望まないのであった。育成施設が子牛を預かってくれて、7カ月間に6〜7万円で済むのは安いので、預けたいと望む農家は数が多い。


希望者の多い預託制度

 しかし、JA綾町では、新農政が目指す担い手農家を育成し、生産基盤を強化するとともに魅力ある肉牛繁殖経営の実証展示を行うことにより後継者不足の解消など、綾町肉用牛の振興を目的として国の補助事業で、1戸当たり繁殖牛頭数60頭規模という3戸の繁殖農家によるJA綾肉用牛繁殖センター(マザーファーム)を7年度に立ち上げており、そこから年間60頭の子牛をステーションに入れることを決めている。そのため、町内農家からは90頭しか預かれないという。

 毎月27日が子牛を入れる日に当たるが、出生日の関係で早期に母牛から離されることになれば、母牛の発情が早くなるという効果も知られていて、ステーションの利用希望は強いものがある。

 ステーションが受け入れた子牛には直ちにワクチンが接種され、健康管理に万全が期されることもあって、導入後しばらくは下痢が発生することはあるものの、過去5年間、死廃事故がないのも預けたがる人が多くなる理由である。もっとも、肺炎の心配がある子牛は、ほかの子牛に迷惑になると受け入れを拒否したことはある。ステーションとしては事故を想定して、子牛1頭当たり千円を基金(見舞金)として積み立てているが、幸いにしてそのような支出がないので、離農する人にはそれを返金している。


哺育育成中の黒毛和種子牛


肥育の実証も順調

 ステーションで預託育成された肥育素牛は群飼されているので、肥育牛舎に導入される時、飼いやすく、総じて規格が揃っていて、その後の肥育効率に優れていて、市場平均より、1頭当たり2〜3万円高いが、良い売り先を持っている。そのため、ステーションの肥育部門は、これらの特徴がよくわかる肥育素牛を市場で買い戻したいとの希望が強いが、現実に実証展示用牛舎に戻る素牛は3割程度になっている。残りの7割ほどの肥育素牛は町内農家が市場に出荷したものの中から買い入れている。肥育期間中、密飼いを避け、ストレスがないように配慮され、特に肥育後期には、1ロットに2頭しか収容しないことにしているので、肥育牛の仕上がりは良好で、実証展示にふさわしいものとなる。

 ステーションから市場に出される肥育素牛の評判が良いことに刺激を受けた農家の中には、競争心を持って、自分の牛舎で飼育する子牛が肥育素牛として高く売れるように、飼養管理に意を尽くすようになったというから良い波及効果が町内でみられることになる。

 肥育牛の販売先は大阪方面が7〜8割で、顧客も決まっている。残りは地元のAコープの売店に並べられる。

 綾町では有機農業は「食」の源と認識されていて、野菜は露地ものでも施設ものでも、また果樹として主力の日向夏も、いずれも元肥指定書に基づいて、畜産農家から出るたい肥を10アール当たり2トン入れることを推進している。その結果、消費者に信頼されているので、肥育牛もその評判の良い流通チャンネルに乗せられる過程で綾町産肉牛は安全で信頼できるとの評価を受けつつある。

 このようにキャトルステーションは綾町をさらに元気づけるものと考えられ、事実、全国各地から見学に訪れる人も多い。


JA綾町キャトルステーション牛舎 
右:佐藤 泰氏 左:筆者


補助金を活用した指導事業

 今回訪れた組合の二つの施設はいずれも国の低コスト生産推進特別事業による補助金を有効に活用して、地域の肉用牛生産を活気付けた好事例である。それらは肉用牛生産において難しいとされる子牛育成技術の改善や、消費者に受け入れやすい安全で信頼感がもてる肥育牛生産技術の開発という農家にとって関心の深い問題に正面から取り組んだものである。しかもその成果を実証展示することによって、レベルの高い生産技術を地域に発信、普及した点が注目に値する。

 かつて補助金を受けて、農協が各地に直営の肥育センターを作ったことがあった。子牛価格が安いならば、地元で肥育しようとの考えが基本にあったが、その多くは技術面で失敗し、施設は遊休放棄された。しかし、綾町のセンターとステーションはいずれも農家の期待に十分こたえて、新しい飼養管理技術を開発し、それを実証展示することにより、地域を活性化させていた。そのためには並々ならぬ苦労を乗り越える努力があったことであろう。しかし、それこそが組合の本来的な役割を自覚した活動と思われる。それを忘れたり、以前に失敗して負債を生じたため及び腰となって、指導事業から撤退したかのように、もっぱら資金と資材を供給するだけで、JAバンクとやゆされる組合がある中で、この二つの施設の活用は今後、肉用牛のみならず、あらゆる農業の発展に参考にして欲しいものである。


技術開発と普及の重要性

 この調査によって筆者は、新しい技術を生み出し、実証展示し、普及させることがいかに重要かを改めて感じたと同時に、23年前に米国で農業改良普及の活動を調査したことを思い出した。かの国では農業改良普及こそが農業発展に欠かせない重要なことと理解されていた。

 もとより欧米では古くから農業は篤農家の努力と創意工夫によってのみ発展すると信じられていた。しかし、米国に移民した入植者が西部を開拓しようとしたとき、全く新しい自然環境の中で教えを請う人々を見つけられないまま、農業生産上様々な困難に遭遇することになった。大地は開拓魂だけで立ち向かうにはあまりにも厳しかったのである。

 そこで農業技術の革新と普及に高等教育機関を活用しようと1862年、各州に農科大学を設置することが決まり、1887年には農業技術の研究と実習を行うため、広大な敷地を持つ農業試験場が併設されることになった。その中にある農業改良普及の分野が農業技術の試験、試行と経営展示をすることによって、米国の農業は大発展して、今日の状況に至った。農科大学は実際に農業を行う人々のために創られ、「国民に開かれた大学」と呼ばれ、農民は作業着姿のまま、農業改良普及担当の研究室を訪ね、教えを請うことはもとより、疑問を投げかける。


官から民の技術指導に向けて

 この制度がいかに高い評価を受けているかは、ワシントンD.C.にある米国農務省の建物が、インディペンデンス・アベニューをまたいで本館と別館に分かれその間に二つの陸橋が架けられているうち、一つには最も長く農務長官を務めたウイルソンの名が、そしてもう一つには、農業改良普及制度の創立者であるクナップの名が冠されていることからも明らかであろう。

 わが国においても、戦後、農業改良普及制度が導入され、農業の発展に大きく役立ってきたが、近年、公務員定員の大幅削減の波に洗われ、昭和40年に全国1,123カ所に18,745名の職員が配置されていたのに平成16年にはそれが417カ所に9,365名となってしまった。

 しかし、上述したとおり、その重要性はいささかも変わらないので、国でできないことを組合などが補いつつ肉用牛生産をはじめ農業全般の発展に力を尽くして欲しい。

 その点に関して、現在、政治、経済の世界で官から民へと民間の活力を活かし、規制緩和に努めながら新しい国づくりが模索されていることに習って、センターにおけるハーブ牛の生産技術開発が、以前のように飼料供給が系統とか商系とかで明確に不可侵とされた時代には考えられなかった形で立派に成功していることを参考にしていただきたいものである。


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