◎今月の話題


牛飼いおばさんの夢

NPO法人 田舎のヒロインわくわくネットワーク
代表理事 山崎 洋子

 西の空一面どんより曇り、天井を切り裂くかのように稲妻が走った。雷が鳴って一斉にばらばらとあられが降り始めた。冬将軍の到来だ。「寒くなったらさすがに客も来なくなったな」夫が空を見上げてつぶやく。私の住んでいる福井県の三国町は平安時代からの港町でもあり、北前船の寄港地として栄えた。ところが明治に入って鉄道が敷かれるときに「港町に鉄道はいらぬ」という町民の反対にあって、近隣の町村から取り残された。かつて三好達治や、高見順などの文学者が住み、俳人の伊藤伯水さんや前衛画家の小野忠弘さんが暮らした穏やかな静かな町だ。眼前には日本海、奇岩景勝の東尋坊がそびえる。村部には豊かな水田や、丘陵地の畑が広がる。その三国を再び活気に満ちた町並みにするために、商工会や民宿、漁家や農家、国民休暇村など、三国町に住む有志が集まって「三国湊魅力作りプロジェクト」が始まった。海草を使った荒磯染め、甘エビ天丼、豆乳スイート。人が動き出すには斬新な起爆剤が必要だ。しかも町の人と農村部の人やものが動く仕掛けが必要である。

 ある日のこと、夫が言った。「おい、ジェラートはどうだろう?イタリアへ行ってこようぜ!」「牛や鶏はどうするの?」と聞くと、「息子にみてもらえばいいじゃないか。そのために帰ってきたのだろう?」グリーンチャンネルの農業番組を作るアグリネットで畜産番組の担当をしていた息子が三国へ帰ってきた。東京は人間が住むところじゃないと言うが、本当は取材で日本各地の畜産農家を訪ね、自分で実際にやりたくなったらしい。

 わが家では現在30頭ほどの牛と、放し飼いで鶏を400羽ほど飼っている。牛の方は和牛繁殖と肥育だ。夫が肥育をやり始め、私は繁殖を始めた。繁殖と肥育では牛の飼い方が全く違う。肥育は、太らせて良質の肉質の牛を作る。繁殖は太らせると種がつかない。種がつかないと子牛が生まれない。子牛が生まれないと収入にならない。なんとかして子牛を生ませたいと考えているうちに、家畜人工授精師になった。近所のおじさんたちに頼まれて、母牛に種をつけて歩いているうちに疑問が出て、もっと詳しく受精の仕組みを知りたくなった。そこで北海道の家畜改良事業団へ通って受精卵移植師になった。そのうちに血統のいい牛をそろえ、自分で自由に牛の売買ができるように家畜商の免許を取った。初めて自分の牛を一頭買いに行った。そうすると、牛の世界を通して、流通や経済の仕組みが見えてきた。今まで牛に餌をやって子牛を生ませ、育てていたときには見えなかったことが、母牛の体の仕組みを通して見えるようになった。

 顕微鏡下のシャーレにきらめく受精卵、生命の宇宙。体いっぱいに浴びる自然の光や風の刺激、ホルモンのバランス、健康で安全な餌や飲み水。ストレスのないゆったりした暮らし。当たり前の自然の環境がいかに大切か。牛を通して現代の人間社会のさまざまな矛盾が見えてきた。経済優先で高カロリー高たんぱくを追求し、知らず知らずのうちに牛に与えられていた肉骨粉。回りまわって牛が牛を食べるという共食いの中から発生したと思われるBSE。抗生物質乱用の薬剤耐性菌。アジアで猛威を振るう鳥インフルエンザ。家畜から人間に大切なことがいっぱい見えてくる。肉や牛乳、卵など畜産物が農場と町をつないで、食べてくださる人達にメッセージを送ることができないだろうか。思い切って、イタリアへジェラートの視察と勉強に出かけることにした。メンバーは赤いちゃんちゃんこを着た夫、町おこしのスタッフ福島君、それに私の3人。2005年2月から3月にかけてのことだった。

 ジェラートとはイタリアでアイスクリームやシャーベットなどの氷菓の総称を言う。映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーン演じるアン王女がスペイン広場で食べ歩きしているのがジェラートだ。昔、貴族が山の岩穴に雪を詰めて、夏にとり出して食べたことから始まった。日本でも、加賀藩の前田の殿様が、金沢の山のほうの岩穴に冬の間雪を詰め、夏になって庶民と一緒に食べたという氷室の伝統が伝わっている。風の冷たいローマの町を寒さに震えながらジェラートを食べ歩いた。店の数20数軒。食べたジェラートは数十種。夏にはショーケースに100種類も並ぶという。イタリアは食べ物が豊富。地元で取れた新鮮な食材を大切にする。ジェラートはその代表的なものだった。通訳の紹介で「ジェラート・ピカ」を経営するジェラート協会会長夫人のマリアさんの厨房でジェラートの作り方を教わった。トマト、ホウレンソウ、ラズベリー、野菜や果物、ナッツ・・・牛乳や卵をベースに新鮮な素材なら何でもできる。目からうろこの食べ物だった。

 イタリアから帰って4月下旬、町おこしの事務所を借りて、小さなジェラート店をオープンした。店の名前は、ローマ神話の健康の女神の名前をいただいて、「カルナ」。オープンすると、人通りのなかった町の中にたくさんの人が訪ねてきた。若いカップルや学校帰りの子供たち、孫に手を引かれてやってくるお年寄り。百円玉3枚しっかり握ってショーケースの前で迷う子供たち。ジェラートをほおばる幸せそうな笑顔。見ているだけで楽しくなる。三国の海水を汲んで作った塩のジェラート「三国の海」。合鴨の田んぼで作った「古代米リゾット」。ホウレンソウやニンジン、トマトなど、季節の素材を使った私たちのジェラートも数十種類を超えた。レモン、ラフランス、イチゴ、ブドウなど「田舎のヒロインわくわくネットワーク」の仲間たちから送ってもらった素材も加わった。ジェラートが町と農村をつなぎ、全国に散らばるヒロインネットワークや畜産ネットワークの仲間たちの心強い応援やアドバイスをもらった。北陸は、夏が去り雪の降る季節となった。これからジェラート・カルナの冬物語が始まる。先日、ホーリーという名のジャージー牛が雌の子牛を生んだ。ジャージー牛乳と放し飼いの鶏の卵と無農薬の小麦を使って、プリンやシュークリーム、ロールケーキ作りが始まる。息子が帰ってきたように私たちの物語をのせて、三国の町に子供たちが帰りたくなるような、若者たちの夢のある町や店を作りたい。牛飼いおばさんからジェラートおばさんになった私の夢である。

 


やまざき ようこ

プロフィール

昭和23年石川県小松市生まれ。昭和46年早稲田大学教育学部卒業。以後、音響効果の仕事に従事していたが、結婚を期に農業を始める。夫・一之と共におけら牧場にて和牛繁殖・肥育を行う。農業体験施設・ラーバンの森を運営。町おこしで三国の街中に「ジェラート・カルナ」でジェラートを製造・販売。全国の農村女性のネットワーク・NPO法人「田舎のヒロインわくわくネットワーク」代表理事。雪印100株運動など、食の安全や文化、教育にかかわる活動を行う。主な著書に「田舎のヒロインが時代を変える(家の光出版)」他。


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