◎専門調査レポート


生産者によるミルクプラントの取得と運営
−岩手県洋野町(有)おおのミルク工房の事例−

宮城大学食産業学部
教授 川村 保

1.はじめに

 酪農を取り巻く経営環境は厳しさを増している。酪農経営が需要や乳価の低迷によって厳しい状況に置かれているのみならず、そのことが生産者の減少につながり、また実需者側との競争関係もあって、ミルクプラントの運営にとっても経営環境は厳しいものとなっている。また、乳業の効率化のためにミルクプラントのスクラップ・アンド・ビルトも行われている。

 本レポートで紹介するのは、岩手県洋野町の(有)おおのミルク工房である(以下、「おおのミルク工房」と記す)。おおのミルク工房は、生産者が中心になって組織した有限会社である。それまで農協により運営されていたミルクプラントを取得し、運営を行っている。

 この事例を通じて、畜産の生産者がそれまでは農協などによって運営されていた川下の加工や流通段階にどのように関わっていくべきか、若干の検討を試みたいと思う。


2.会社の成り立ち

(1)会社の立地環境
 おおのミルク工房は、平成17年1月に主に酪農生産者によって設立された新しい会社である。代表取締役は自らも大規模な酪農家である田村英寛氏、資本金1,300万円、従業員8名(パート3名含む)であり、牛乳の加工・販売(卸売)を行っている。まず、この会社の立地している岩手県北部の立地条件や会社の設立の経緯についてみておこう(注1)。

 岩手県の県北部は本州では有数の酪農地帯となっている。元来、冷涼な気候であり、北上山地の丘陵地帯が緩やかに広がっているという地形もあって、米・麦など穀物生産よりは畜産に向いた風土であった。戦前から軍馬などの馬産地として有名であったが、第二次世界大戦の後、戦後の緊急開拓で入植した開拓農家などが酪農などを開始した。戦後の地域政策として行われた北上山系開発の中でも草地開発や公共牧場の整備、畜産経営の施設の近代化などの事業が行われた結果、今日では畜産地帯として知られるまでに発展してきた。

 おおのミルク工房が立地する岩手県九戸郡洋野町(ひろのちょう)も酪農地帯として知られている。会社のある地区は、元々は大野村であった地区であるが、隣町であった種市町との町村合併(2006年1月)の結果、新たに洋野町となった。

 旧大野村は酪農で有名であったが、その他にも木工デザインでも知られており、村おこしや地域活性化の取り組みでは定評のある村であった。

 おおのミルク工房は、旧大野村の村おこしのシンボル的な場所である「おおのキャンパス」の一角に立っている。「おおのキャンパス」は道の駅、産業デザインセンター(木工や食品加工の体験研修施設など)、グリーンヒルおおの(宿泊施設)、パークゴルフ場などの複合施設であるが、国道から施設の中を通って裏の方に出ると、大野共同模範牧場(公共牧場)の広大な草地が広がっており、本州とは思えないような、まるで北海道に行ったような景色となっている。その景色の中におおのミルク工房の瀟洒(しょうしゃ)な建物が建っている。


(有)おおのミルク工房の社屋および工場

(2)会社設立までの経緯
 おおのミルク工房が現在使用している施設が完成したのは平成5年のことである。当時、牛乳の商品化を目指して国と県の補助事業を導入して農協のミルクプラントを整備した。折から、D会という首都圏の産直組織が、日本短角種の牛肉の取引を岩手県北部の山形村(現、久慈市)で行っており、旧山形村や旧大野村を含む地域で活動していた農協や地域の農家との間で取引関係があったが、D会にも牛乳にも取引を広げようという意向があったことから、牛乳取引も始まった。

 しかし、数年後にD会は牛乳の仕入れ先を岩手県から静岡県など別の県に切り替えることになり、このミルクプラントの経営は、「1回目のピンチ」(田村社長による表現)を迎えた。この時のピンチは、新たに取引先を開拓することで活路を開いた。新たな取引先は関西圏のIスーパーであった。

 新たに取引を開始したものの、Iスーパーとの取引はなかなか厳しいものであった。遠距離であることからの輸送費の問題があったし、Iスーパーの品揃えのためにアイテム数を増やすことが求められるなどの取引条件上の問題もあった。このことなどもあって、経営的に赤字になってしまい、「2回目のピンチ」に直面することになったという。

 「2回目のピンチ」に際して農協の理事会はミルクプラントを休止させる方向で議論を一時進めたものの、補助事業を利用して作った施設である事情を考慮し、本来の目的であるミルクプラントとして活用する道を探すこととなった。

 そこで自らも大型の酪農経営を営む生産者であり、また農協の理事や畜産部会の役員も務めていた現社長の田村氏らが中心になって、管内の酪農家や関連の業者の人たちに働きかけて、おおのミルク工房を設立することとなった。

(3)資本関係など
 会社の設立に当たって出資者となった人たちは主に酪農家である。同じ農協の部会に所属していた酪農家16戸の17名(1戸は夫婦)が出資し、そのほかに、在京の地域の特産品を開発している企業を経営する企業家や旧大野村の商店主、この施設への牛乳の運搬を請け負っている会社の関係者など、総勢23名が出資し、資本金1,300万円の有限会社として設立された。田村社長は、最初は4〜5人の出資者で終わるかと思っていたが多くの人が賛同して出資者になってくれたと語っているが、それだけ生産者にとってはかけがえのない施設であり、また地域経済にとっても期待されるところの大きい施設であったことがうかがえる。

 企業形態として有限会社を選択したことについて、田村社長は、自らの酪農経営も有限会社であったので、特に他の企業形態を考えることなく、自然に有限会社の形態を選んだと語っているが、同時に、農業者に限定しないで出資者を募ることができることを有限会社形態のメリットとして挙げていた。実際のところ、町内の商工業者や在京の企業家からの出資も得ており、有限会社の形態をとったメリットは発揮されている状況である。

 しかしそれでも資本金が1,300万円と限られていることもあり、過大な投資は困難であるために、施設の日常の運営・維持管理はおおのミルク工房の責任で行うものの、工場建物・事務所も含めてミルクプラントの施設一式は農協からの借入れ、用地は洋野町からの借入れ、という形をとっている。また、後で触れるように会社設立後に設備の改善のために5,000万円の投資を行っているが、その投資はおおのミルク工房ではなく、設備の所有者である農協と大野村が負担している。

 このようにおおのミルク工房という会社は、固定資本に関わる部分では極力身軽にして損益分岐点を引き下げるような経営を目指しているようである。調査時点では、経営が軌道に乗り生産の規模が拡大するとともに資本強化も課題となりつつあり、増資に協力しそうな人も何名かいるので、本格稼働後1周年になるのを機に、近いうちに増資の提案をしてみたいと社長の田村氏は考えているとのことであった。


(有)おおのミルク工房の衛生的な工場の様子

(4)人的体制
 おおのミルク工房の社員は8名である。工場長は他の村のミルクプラントでの経験もある技術者であり、経理販売の担当者は農協が運営していた頃からこのミルクプラントを担当していた方、製造と検査を担当する女性職員が3名、さらに配達を担当するパート社員が3名という内訳になっている。設立当初は5名体制であったが、営業が質量ともに拡大するのに対応して、8名体制に規模拡大したものである。


3.会社の現状

(1)会社の製品、販売の状況
 おおのミルク工房は、現在、旧大野村管内の3戸の生産者の生産する牛乳を受け入れている。これらの生産者はおおのミルク工房の出資者でもある。昨年の実績では1日当たり700〜800リットルの生乳を受け入れ、現在は1日当たり2,000リットルの生乳を受け入れている。

 生産した牛乳は、宅配、産直施設での販売、県内スーパーへの出荷などで販売するほかに、洋野町および隣接する久慈市内の学校給食への供給も行っている、すべて自社ラベルで「おおのミルク村 ゆめ牛乳」の名前で販売しており、他社の委託生産などは行っていない。なお、牛乳は1リットル、500ミリリットル、200ミリリットルの3種類のサイズで販売されているが、200ミリリットルのものは主に学校給食用の製品である。

 また、牛乳のほかにはヨーグルト、アイスクリームも生産している。アイスクリームは5種類の味のアイテムがある。

 初年度である平成17年1月〜12月の第1期の決算報告によると、2,800万円余りの売上額を示しているものの営業利益段階で赤字となっているが、これは初年度であったために、すべての活動が軌道に乗るまでに数カ月かかったことによるものであり、今後、販売量、売上額が伸びるにつれて収支状況は改善されるものと考えられる。


おおのミルク村 ゆめ牛乳


(2)品質管理
 おおのミルク工房の戦略の一つは、製品の品質へのこだわりである。製品の品質については味の面と安全管理の面と、二つの面でのこだわりがみられる。味の面については、酪農家が自分の家で搾った牛乳を弱火で沸かして牛乳本来のコクと旨味を引き出しているのと同じような味を実現しようと加熱殺菌の方法を工夫している。しかも生産者側の判断だけではなく消費者の評価も重視しており、牛乳の加熱殺菌処理の温度と時間を決定する際に試飲アンケート調査を行ったことに、この会社の牛乳の味へのこだわりが端的に示されている。このときのアンケート調査では直売所のお客さんなど600名に上る人々を対象に、3種類の異なる方法で加熱殺菌処理を行った牛乳を試飲してもらった。その結果、85℃、20分という処理方法が半数以上の支持を得られたことにより、この方法が現在の処理方法として採用されている。

 また、安全管理の面については、現在の施設はほとんどHACCP対応できるレベルの施設を導入していることに端的に表れている。食の安全安心が消費者の関心事となっている現状で他社と競争していく上では、品質管理の重要性は今後とも変わらないだろうと思われる。

(3)地元重視のマーケティング
 おおのミルク工房では販売ルートの中心を地元の市町村に置いている。宅配は洋野町、久慈市のほか、久慈市の南に位置する野田村、普代村に及ぶ。また、地元の食料品店のすべてに商品を卸しているほか、直売所などでも販売されている。スーパーへの出荷もあるが、出荷先は八戸市を中心として青森県や岩手県などに店舗展開しているUスーパーと、盛岡市を中心に主に岩手県内に店舗展開しているJスーパーとなっている。

 地元を重視したマーケティング活動であるが、これは関西圏のIスーパーとの取引で経験したことを反面教師として対応しているものと考えられる。輸送費の心配はほとんど無く、また地元のスーパーであることから、過度な圧力を受ける問題も生じにくい。実際にスーパーでおおのミルク工房の製品の牛乳は1リットル当たり228円で販売されている。この価格は牛乳がスーパーのロスリーダーとして扱われる中で、一定の地位を確保したものと考えられる。

 また、学校給食への供給については、おおのミルク工房が引き継ぐ前には、200ミリリットル入りのパックの充填設備がなかったので300ミリリットル入りのカートンを代用して大野村内の学校に供給していたが、新しくおおのミルク工房が経営を引き継ぐに当たり、経営方針として学校給食への供給に力を入れることになった経緯もあって、新たに200ミリリットルの充填設備を導入している。事業規模は5,000万円であるが、大野村と農協が費用を2,500万円ずつ負担している。地元のサポートがあることは企業側にとっても心強いところである。

(4)製品開発
 上記のように基本的には地元重視の姿勢をとっているおおのミルク工房であるが、他方で首都圏での販売も検討中である。出資者の中に在京の企業の経営者がいることは既に紹介したところであるが、その企業は地域の特徴のある商品を開発・販売しており、その会社の社長と協力して、新しいブランドでの商品開発を考えているという。ブランド名は『和酪』と決定しており、新しい牛乳のパッケージデザインも既に完成済みとのことである。

 リスク管理をする一方で、着実に製品の幅、取引先の幅を広げていこうとする経営姿勢が見て取れる。

(5)将来へ向けての展望
 順調にスタートを切ったおおのミルク工房であるが、田村氏は将来へ向けていくつかの戦略を温めている。一つは、おおのミルク工房に牛乳を出荷している牧場をHACCP対応農場として整備し、HACCP認証を受けようというものである。この取り組みは製品の安全安心を実現することにより付加価値を高めようとする試みであり、家畜保健衛生所、農業改良普及センター、県の振興局などの指導を得ながら、現在、1戸の酪農家がその準備を進めている。この取り組みが成功すれば、ほかにまねのできない特徴を持った牛乳として差別化が可能になり付加価値を付けて販売することが期待される。

 また、現在1日当たり2トンの処理を行っているものを最大で10トンまで処理量を増やしたいという希望もある。現在の施設では処理能力が5トン程度なので、1日2回転させることにより可能であるというのが田村社長の考えである。その場合、処理した製品としての牛乳をどこでどのように売るかという課題が出てくる。販路、販売エリアをいかに拡大していくかが課題となっている。


4.生産者が運営する組織のあり方

(1)販路・マーケットパワー・リスク分散
 おおのミルク工房の事例をみてきたが、最後にこの事例から見て取れるいくつかの論点についてまとめておきたい。

 最初は販路に関する論点である。おおのミルク工房は小規模な組織であるために関西のIスーパーのような量販店が厳しい取引条件を求めてくると、そのマーケットパワー(市場支配力)には対抗できない。しかも運送コストを考えると、遠隔地との取引はそれだけ不利になることも考慮しなければならない。従って、生産者による組織の立ち上げの時点では、最初から遠隔地の大手量販店を取引相手とするのは、必ずしも得策とは言えないであろう。

 また、リスクの分散という面でも大手の量販店との取引には難しさがある。小規模なミルクプラントが量販店との取引をする場合に、その量販店など少数の出荷先に販路が集中してしまうことがあり、そうなるとそのミルクプラントはその量販店との取引を中止することは難しくなってしまう。取引先はミルクプラント側が販路を失うことをおそれていることを知っているので、厳しい取引条件を提示してくるのである。これは理論的には厳密な契約を締結することなどで解決できるものと思われるが、量販店側のマーケットパワーという現状に即して考えると、取引相手をうまく選択することでリスクを逓減するしか解決法がないと思われる。

 このような状況を考えると、現在、おおのミルク工房が洋野町や隣接市町村の学校給食への供給に力を入れていることは興味深い。学校給食用は入札などの形で典型的な価格競争になるために利益幅は薄いが、一定量が確実にさばけるという意味ではリスクが小さいからである。

(2)組織形態と組織の活力
 設立の経緯でも述べたように、おおのミルク工房の施設は、かつては農協が所有し農協により運営されていた。現在は、施設の所有者は農協、運営者はおおのミルク工房という形になっている。

 農協の経営全般についてここで論ずる余裕はないが、若干の論点だけは提示しておきたい。一つには、一般に農協の組合員は多様化が進んで専業農家が多数を占める状況ではなくなっており、それと一人一票制という意思決定の方式が相まって、農協の意思決定において専業農家の意思が反映されにくくなっているという全国的な傾向がある。その一方で酪農は日本農業の中で最も構造改善が進んだ部門であり、酪農専業のプロの経営によって担われている。このため酪農家にとっては多様化した組合員構成を持ち、多角経営を行っている総合農協というものが生産者の組織としてベストの組織形態ではなくなってきている。アメリカの新世代農協などは専業農家のみをメンバーとして、特定の農産物の加工・販売などの狭い分野を活動の領域(ドメイン)として成功している。もちろん、日本とアメリカでの農業構造の違いがあるので単純にアメリカの新世代農協型の組織原理が好ましいと言うことはできないが、限定されたメンバーによる付加価値形成という面ではおおのミルク工房にも通じるものがある(注2)。

 ところで、この問題については農協系統側でも認識されてきており、酪農に限らず稲作などでも専業的な農家の要望にいかに応えるかが課題となっている。今年度開催予定のJA全国大会での議案の中では、「JAの集出荷施設の収支確立と共同利用施設を核とした利用者の共同活動の支援」という項目があり、農協の中に共同利用施設の利用者を中心とした生産者の小集団を作っていく取り組みにも触れられている。例えば、「JAいがほくぶ」の共同利用施設の利用者が農事組合法人「白鳳梨生産組合」を設立してJAとの連携の下で白鳳梨のブランド化に取り組んでいる例が示されている(注3)。また、カントリーエレベーターを単位とした生産者の組織を作り、農協の所有するカントリーエレベーターの運営を、その施設を利用する生産者の組織の運営に委託することなども考えられるが、組合員の多様化や広域合併で大きく複雑な組織となった現在の農協の中に、生産者の意思決定が直接的に反映されるような小組織を作っていくことはこれからの農協にとっても課題となっている。

 おおのミルク工房の事例はこのような農協における動きを先取りしているように思える。生産者は自らの生産物を自らの責任で販売するという選択肢を得ることになり、それが意欲の喚起や組織の活力にもつながっている様子が社長の田村氏や社員の浅水氏の話からうかがうことができた。農協の側としても設備を所有し設備投資の主体となるなどの負担はあるものの、農協にとっての経営リスクを削減することにもつながっているし、しかも専業的な農家集団を組織内に引き留めることにもつながっているというメリットもあるものと想像される。


(有)おおのミルク工房の田村社長(右)と筆者(左)

(3)地元の地域経済や地域社会との関わり
 おおのミルク工房の名前にもある大野村が町村合併により洋野町になったことは先に述べたとおりである。しかし、社長の田村氏は「おおの」の名前に地域社会への思いを託しているようである。元々大野村が酪農に力を入れてきたことが今日の酪農地帯を築く礎となっていることや設備増強の投資の半分は大野村が引き受けてくれたことなど、おおのミルク工房と旧大野村との縁は深いものがある。

 また、旧大野村の商店主などが出資に応じていることにも注目しておきたい。地域経済にとって酪農が重要な産業であることは地元の非農業者によっても理解されているのである。

 生産者が運営するおおのミルク工房のような企業にとっては、地域社会の人々は良き顧客であり、良きサポーターでもある。学校給食などを通じて地域社会への浸透を図っていくことは迂遠なようであるが、着実な戦略といえるであろう。


5.終わりに

 以上、紹介してきたように、おおのミルク工房は農協の組織から生産者の組織として新生することによって、新たな発展の道を歩み始めている。企業の持つメリットと生産者の組織であるというメリットをうまく統合しながら運営されている姿は、ミルクプラントのみならず、米麦のカントリーエレベーター、青果物の集出荷施設、味噌豆腐などの地場食品の加工施設などの施設の運営のあり方にも多くの示唆を与えていると思われる。今後のおおのミルク工房の着実な事業展開を期待したい。

 謝辞
 今回の調査に当たり、(有)おおのミルク工房代、表取締役の田村英寛氏、企画営業係の浅水巧美氏には大変お世話になりました。紙面を借りまして、心より御礼申し上げます。

 注1 おおのミルク工房については、昨年(2005年)の『デーリィマン』9月号、pp.14-15において、設立後、約半年が経過した時点での状況について紹介されている。

 注2 アメリカの新世代農協については、例えば、大江徹男著『アメリカ食肉産業と新世代農協』日本経済評論社、2002年や、磯田宏著『アメリカのアグリフードビジネス−現代穀物産業の構造分析−』日本経済評論社、2001年のpp.232-250.などを参照のこと。

 注3 全国農業協同組合中央会『食と農を結ぶ活力あるJAづくり−「農」と「共生」の世紀を実現するため−(JA全国大会組織協議案)』2006年のpp.23-24を参照のこと。


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