◎調査・報告


牛丼チェーンのメニュー戦略
─アメリカ産牛肉の輸入停止と再開─
(平成18年度畜産物需給関係学術研究収集推進事業)

信州大学 経営大学院
教授 茂木信太郎


1.アメリカ産牛肉の輸入停止と「牛丼」メニューの消失

 2003(平成15)年12月24日、アメリカでBSEの疑いのある牛が見つかり、わが国は即刻アメリカ産牛肉の輸入を停止した。日本の港を目指していた船荷のアメリカ産牛肉もすべてアメリカに戻された。

 それまで、わが国の外食産業を代表する「牛丼」チェーンでは、ほとんどの牛肉食材をアメリカ産輸入牛肉に依存していたため、直ちにメインの食材が払底するという事態となった。主要牛丼チェーンでは、ここから1カ月と少々の間に、メニューから「牛丼」が消失した。

 「牛丼」業界トップの「吉野家」は、2004(平成16)年2月11日を最後に「牛丼」の販売を停止した。2番手の「松屋」も3番手の「すき家」も同じ月に「牛丼」の販売を停止した。

 「吉野家」は、その後にアメリカ産牛肉の輸入が再開されるまで、メニューから「牛丼」メニューが復活することは無かったが、「松屋」は中国産牛肉(加工牛肉)を使用し、「すき家」は、オーストラリア産牛肉を使用して、半年ほどの経過後に「牛丼」メニューを復活させた。

 以下では、「牛丼」トップチェーンの「吉野家」と2番手の「松屋」のこの間の動向をつまびらかにして、外食産業における食肉需要の要諦を確認してみることとする。また、両者とも「中国」進出を標榜しているので、併せて「中国」対応の実相に触れてみる。




2. 「吉野家」の経営判断

 「吉野家」のアメリカ産牛肉の輸入停止時における対応は、確たるものであった。当初より、アメリカ産牛肉輸入再開までは、「牛丼」メニューを復活させないと断言して、そのように実行した。

 識者やコンサルタントなどからは、このときの経営判断を疑問視する声も小さくなかった。なぜなら、「吉野家」は、「牛丼」単品経営なので、売るメニューがなくなれば、「吉野家」は、倒産するか、そうでなくても経営的な弱体化は必至と憶測されたからである。

 しかしながら、「吉野家」のメニュー戦略は、とにかくこれを機会に「牛丼」に代わるメニューを開発して定着させるということに決め込み、「牛丼」メニューの復活は、ただひたすらアメリカ産牛肉の輸入再開を待つというものであった。

 「吉野家」は、なぜかたくなにアメリカ産牛肉にこだわったのか。
 それは、「吉野家」の「牛丼」を支える牛肉の質と量と価格とが、アメリカ産以外には調達することができないからであった。

 「吉野家」をはじめとして牛丼チェーンが牛丼用食材として使用する牛肉は、(1)肉用牛の、(2)グレインフェッド(穀物肥育)で、部位は(3)「ショートプレート」(ばら肉)と相場が決まっている。

 「ショートプレート」は、ほかの部位と比較して、(1)ファット(脂肪)比率が格段に高い、(2)価格が圧倒的に安い、という特徴がある。

 高級しゃぶしゃぶや高級すき焼きに使用されるのは、サシ(脂肪分)の入った霜降り肉であるが、ジューシーで柔らかく、脂質をたっぷり含んで旨みのある牛肉を求めると、「ショートプレート」は、高級霜降り肉もどきとして、大層具合がいいのである。

 「ショートプレート」の部位は、1頭当たり約10キログラムの量である。

 「吉野家」は、牛丼販売停止直前では、店舗数は約1千店舗あり、年間牛肉使用量は、約3万トンであった。牛丼並盛(67グラム使用)換算で、約4億5千万杯である。(実際の牛丼販売数は、大盛、特盛があるので約3億5千万杯である。)

 さて、3万トンの「ショートプレート」を10キログラム=1頭で頭数換算すると300万頭となる。

 わが国の年間と畜頭数は110〜120万頭である。当時は一部に国産牛肉を使うことが提案されたりしたようだが、残念ながらこの意見は現実性を欠く。

 「吉野家」がオーストラリア産牛肉を調達することについては、オーストラリアの年間と畜頭数は1千万頭前後であるので、可能性が無いわけではないが、総数の3分の1ほどの追加需要が発生するとなると、価格は暴騰するであろうから、これも現実味に乏しい。また、オーストラリアでは、部位別取引ではなく、セット販売取引が主流であること、グレインフェッド(穀物肥育)が少なく、グラスフェッド(牧草肥育)が主流であることなどからも、使用が困難である。

 実は、「吉野家」では、アメリカでBSE騒動が起こる前の段階で、1年半をかけて世界中の牛肉産地状況と供給条件を調べ上げていたとのことである。その結果、アメリカ産牛肉を欠いて現実に確保し得る「ショートプレート」は、せいぜい100店舗分ないし必要量の1割程度であるという結論を有していた。これでは、1千店舗を擁する「牛丼」チェーンとしては体を成さない。

 従って、アメリカ産牛肉の輸入が途絶えたならば、「吉野家」のメニューから「牛丼」を消して、ほかの代替メニューを投入するということは、ほとんど既定の戦略であったと思われる。

 ちなみに、「吉野家」の世界中の牛肉事情調査は、社内で「ミートプロジェクト」と呼ばれていた。この発足は、2001(平成13)年10月である。すなわち、それまで安全であると繰り返し政府が主張していたにもかかわらず、わが国でBSEの発生が確認されたのが、2001(平成13)年9月であるので、「ミートプロジェクト」の発足は、その1ヵ月後になる。明らかに、世界中のどこで何が起こるか分からないという経営陣のリスク感度を体化した措置である。このプロジェクトの一応の完了は2003(平成15)年5月、アメリカでBSE発生が取りざたされる約半年前であった。


3. 「松屋」の経営判断

 「松屋」では、「牛めし」という。
 「松屋」も、アメリカ産牛肉の途絶を前にして、「牛めし」の販売を停止した。(「吉野家」の「牛丼」最終販売日は2004(平成16)年2月11日、「松屋」の「牛めし」最終販売日は、2月14日であった。)

 「松屋」の「牛めし」も、その使用食材はアメリカ産牛肉であったからである。その理由は、上で述べた「吉野家」の場合と同様である。「牛めし」に仕向く部位である「ショートプレート」が、格安で安定的に調達できる以上は、ほかの選択肢を取る必要は無い。また、そうしなければ、競合するほかのチェーンに敗退しないとも限らないからである。

 しかしながら、「牛めし」の販売停止後の行動において、「松屋」は「吉野家」とは異なった。第一に、いち早く「豚めし」(豚丼)を新メニューとして投入して、定番化したことである。第二に、「牛めし」メニューを同2004(平成16)年10月に復活させたことである。

 「豚丼」メニューの投入は、「吉野家」ではためらわれたものである。「豚丼」のメニュー特性が「牛丼」に近すぎて、「牛丼」で培ってきたブランドイメージに好ましからざる作用が働くことを懸念していたからである。「吉野家」で「豚丼」メニューが投入されるのは、「松屋」など他チェーンの「豚丼」投入の成功を見てからの後追いとしてである。

 「松屋」での「豚めし」の発売は、2004(平成16)年1月19日であり、これは「牛めし」が店頭から消える2月14日よりも1カ月以上も早い。

 この理由は、「松屋」では、一つには「豚めし」の開発体制がアメリカ産牛肉の輸入停止の以前から進んでいたからである。

 いま一つには、「松屋」のメニュー戦略が、「吉野家」のような単品主義でなく、定食主義であるためである。
 「松屋」のメニューは、各種定食(牛焼肉、豚生姜焼、豚焼肉)、カレーとある。だから、「豚めし」も、これらメニューとの並びで、いってみればそこそこの平均点を取れそうな内容ならば、投入にためらうところは無いのである。

 「牛めし」復活の理由の一つもここにある。「吉野家」ほどにこだわりが無かったからだといえる。さらには、「吉野家」ほど大量に牛肉を使用していたわけでもないということもあるし、「吉野家」の「牛丼」が消えているうちに勢力を拡大しておきたいという意向もあろう。

 「松屋」が2004(平成16)年10月に「牛めし」を復活したときのメニュー名は「本格派 牛めし」という。「本格派」とは、意味深長な表記である。が、最も意図するところは、アメリカ産牛肉を使用していないということであろう。

 復活となったこのときの食材は「中国産とオーストラリア産牛肉とのミックス」であった。その約1年後の2005(平成17)年9月には、「中国産牛肉」を使用した「新作 牛めし」を発売した。さらに翌2006(平成18)年5月には、「オーストラリア産牛肉」を使用した「牛めし」を一部店舗から発売し、同年8月にはこれが全店で扱われるようになった。

 繰り返すと「松屋」の「牛めし」の食材料である牛肉の産地は、「中国産とオーストラリア産牛肉とのミックス」からはじまり、「中国産牛肉」に移行し、「オーストラリア産牛肉」へとシフトしている。これは、新産地の牛肉の肉質の見極めと調理との相性の試行研究の結果だという側面と、そのときどきの輸入牛肉の市況(価格)や各国輸出団体・政府の働きかけとそのインセンティブなどの諸事情の反映という側面がある。「中国産」については、次項で述べるように「松屋」全体の戦略問題も絡むと思われる。

 そして、「吉野家」でも「松屋」でも、国産牛肉は、検討俎上(そじょう)に乗っていない。それはファストフード業態では、仕入れ価格が高すぎるからである。また、出回っている国産牛の主力はホルスタイン種(乳用種)であるが、ホルスタイン種は、和牛など肉用種と比べて脂肪交雑が少なく、肉質の点でも好まれないからである。


4. 「中国」進出の動向

 「吉野家」の海外進出は早い。

 もともとは、牛肉の買い付けを目的にアメリカ、コロラド州デンバーに現地法人を設立しているが、その2年後の1975年には同市でヨシノヤ1号店を開店している。現在は、ロサンゼルスを中心にカリフォルニア州とニューヨークで80余店舗がある。

 以降、紆余(うよ)曲折はあるが、海外進出は積極的で、1980年代後半(昭和60年代以降)からは台湾、香港(当時)、中国、フィリピン、インドネシア、タイ、韓国、シンガポール、オーストラリアへ進出している。(インドネシア、タイ、韓国は、後に撤退。)

 中国では現在、香港、北京、上海、深せんに出店している。

 「吉野家」の海外政策は、進出先立地からみると、環太平洋圏である。海外進出の目的は、「牛丼」(ビーフボール)メニューを核とした「吉野家」チェーンのビジネスモデルを移植することと、人材の交流を進めて相互に能力の向上を図るということのようである。

 そのためか、あるいはこれまでの経験のためか「吉野家」の海外出店先のメニュー戦略は、必ずしも日本と同様の単品主義ではなく、現地仕様のメニューもある。また、食材調達も現地事情を優先するというものである。

 しかし、先述した「ミートプロジェクト」では、「吉野家」の海外店舗網が、情報収集基地として存分にその目的機能を発揮したと思われる。

 「松屋」は、2004(平成16)年11月に青島(チンタオ)に1号店をオープンし、翌2005(平成17)年12月に黄島(ファンタオ)に2号店をオープンしているが、現在この2店舗である。

 従って、「松屋」の「中国」出店の意図は、なお将来に備えての現地での実験と情報収集というパイロットプランの範囲にあると思料される。

 他方で、「松屋」は、アメリカ産牛肉の輸入停止に直面してからは、食材の調達先として「中国」を現実の視野に入れ始めたと思われる。

 実際、先述した2004(平成16)年10月の「松屋」での「牛めし」メニュー復活の際には、中国で穀物肥育されたブランド牛「山東黄牛」を使用しているとアピールした。

 また、「豚めし」メニュー食材の豚は、2004(平成16)年1月の発売時には生肉を使用していたが、2005(平成17)年9月に「新作 豚めし」に改める際に、生肉使用から「中国」で加熱加工した肉へと切り替えた。現在、同社は、「中国」に7カ所の協力工場があり、「豚めし」食材肉は、これに全面依存している。

 こうした一連の取り組みもあり、「松屋」では、主要食材の調達の多くを「中国」にシフトさせようという構想を見せた。しかしながら、現時点では、この構想が力強く推進されているという様子は見られないようである。

 なぜならというに、第一に、アメリカ産牛肉の輸入再開がなったところで、「牛めし」メニューの食材は、2007(平成19)年2月から当初のアメリカ産牛肉に戻されている。

 第二に、「中国」への店舗出店はいわば実験にとどまり、食材調達は、現地工場への「豚めし」用食材の加工生産の委託にとどまる。

 そして、第三に、この間に日本国内において、加工場の大規模な整備を実施しているのである。特に2006(平成18)年には、静岡県富士市に同社「富士山工場」を竣工して、それまでの「嵐山工場」(埼玉県嵐山町)と合わせて、国内1千店舗体制の供給体制を構築しているのである。

 従って、「松屋」の食材調達の「中国」シフトという方針は、アメリカ産牛肉の入手難の時期における短中期の対策的な側面が強かったと思われるのであり、今後の展開については、相対的にニュートラルな構えであると見られるのである。


5. 「牛丼」メニューの消失と復活で判明したこと

 アメリカ産牛肉の輸入が停止されたほぼ2年後の2005(平成17)年12月12日にこの輸入停止措置はいったん解除されるが、間を置かずに翌2006(平成18)年1月20日に輸入再停止となる。そして、同2006(平成18)年7月27日に輸入再々開となる。

 「吉野家」に「牛丼」が復活するのは、2006(平成18)年9月18日(1日だけだが)で、その後、時間限定・期間限定で少しずつ販売を増やして、2007(平成19)年3月からは全店で午前11時から夜12時までの販売時間として「“ほぼ”復活」と宣言した。(ちなみに、復活なった「よしぎゅう」の食材牛肉は、「主にアメリカ産牛肉」であると、店頭の大型ポスターにて告知されている。「主に」というのは、「その他」があるということにほかならないが、メキシコ産牛肉が1割程度ブレンドされている。先述した「ミートプロジェクト」の成果である。)

 このアメリカ産牛肉の輸入停止と再開劇を通してみて、「牛丼」チェーン業界で観察された「食材」問題から、次のことが指摘できる。

 1)アメリカ産牛肉の圧倒的な競争力の強さを実証したこと。「吉野家」は、アメリカ産牛肉にこだわり続けて「よしぎゅう」ブランドを守り抜いたと、市場から高く評価された。また、「松屋」も、一時の「中国」「オーストラリア」シフトをたちまちに戻した。

 2)翻って、「牛丼」チェーンからみると、国産牛肉の供給力には、価格、品質、安定供給、数量など多くの採用に困難な点があることが、明示された。「国産」牛肉は、市場では、「国産」という表示そのものがブランド化(高価格を許容する消費者心理)しているようである。

 3)「豚丼」(豚めし)メニューのこの方面における定着を実現したこと。おそらく、「牛丼」メニュー健在なれば「豚丼」メニューは、日の目を見たかどうかもわからないところであった。(特に「吉野家」においてはそうであろう。)

 4)畜肉食材を主力メニューとする業態で「鶏肉」メニューが、姿を消したこと。本稿では触れていないが、例えば「吉野家」では、アメリカ産牛肉の輸入停止前には執ように試みていた「焼鶏丼」だが、この間の新メニュー勝ち抜き戦にて敗退した。

 5)外食チェーンは、市場飽和の環境下にあり、「牛丼」など既存メニューの品質向上には最大の努力を傾注するとともに、新メニューの開発と普及にも腐心しなくてはならないという課題を負っている。この課題は、単一の業態を拡大していくという手法ではなく、新業態を開発して成長させるという手法を主体とするようである。(この点は、上の本文で詳述できなかったが、アメリカ産牛肉輸入再開後に一層顕著になってきたところである。)

 主力食材が入手できなくなり主力メニューが消失したときに外食チェーンはどのように振る舞うか。

 企業化・チェーン化が進んでいなかった「牛タン料理店」は、主要食材=主力メニューの消失とともに、業態そのものが消失した。そして、食材入手経路が復活しても、業態の復活は見られないままでいる。

 これに対して、「牛丼」チェーンは、生き残って「牛丼」メニューを復活させている。しかも、それは単純な復活ではなくて、企業力の再生やら激化する外食市場の再編の核化を伴うようである。

 アメリカ産牛肉の輸入停止・再開問題は、かようにして、外食産業界全体に対して多大な影響を及ぼしてきたと見られるのである。本稿は、そうした業界全体の動向をうかがう上での代表的なケースを考量したものである。


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