◎今月の話題



韓米FTA推進の背景と
韓国畜産業の将来


韓国嶺南大学校
教授 趙 錫辰

交渉推進の背景

 韓米両国は、2006年2月3日自由貿易協定(FTA)の交渉開始を宣言し、6月から本格的な交渉を始め、10ヵ月が経過した今年の4月2日に交渉を妥結した。続いて、去る6月30日ワシントンで両国の通商代表による韓米FTA協定文の調印が行われ、今後両国の議会での批准を残している。韓チリFTAでは、交渉開始から妥結まで3年掛かったし、韓日FTAが民間レベルでの共同研究に合意してから今年で9年目を迎える。それに比べると、2005年現在経済規模が韓国の16倍もあるアメリカとの交渉が、実に超スピードで妥結したのである。それでは、アメリカはなぜ韓国との交渉にそれほど強い意欲をみせ、また、韓国もなぜ農業を犠牲にしながらそんなに急いで交渉を妥結したのか。それこそ疑問だらけの交渉であったといわざるを得ない。

 一言でいえないが、その背景には両国の間の複雑な政治経済的な利害関係が絡んでいるものと思われる。まずアメリカは、近い将来に予想される韓日中FTAに懸念をもっていたようである。従って、韓国市場において日本や中国をけん制するとともに、アジアに対する経済的影響力を拡大するための前哨基地として、韓国を選んだものとみられる。さらに、米議会調査局が韓米FTAはほかのアジア諸国とのFTAに比べ、アメリカに一番大きい実益をもたらすと予測したのも一因であろう。

 韓国にとってみれば、まず韓米FTAは短期的には対米貿易赤字をもたらすが、中長期的には経済成長と雇用創出効果があるとみている。しかし、農業部門に限れば、世界最大の農産物輸出国であるアメリカとのFTAは、長期的に韓国農業に壊滅的な打撃を与えかねない。それにもかかわらず、政府はあえて農業界の猛反発を無視し、国民的合議の手順まで省略しながら、アメリカとの交渉妥結に踏み切ったのである。その背景には、韓国経済のサンドイッチ危機論※を打開し、アジアのハブを目指そうとする経済的側面での焦りが働いたものとみられる。政府が韓米FTAの批准も待たず、今度はさらに世界最大経済規模のEUとのFTA交渉に出たのは、そのような説に対する傍証ともいえよう。

 そのほか、核を含む北朝鮮問題やアメリカの貿易促進権限(TPA)の期限切れの問題など、韓米両国の間の複雑な政治的利害関係も作用したものと思われる。


韓米FTAの影響と反応

 当初、農林部は交渉に入る前に生産者団体に対する意見収斂(しゅうれん)を通じて、かなり保守的な譲許案をまとめていた。しかし、交渉の間際になって農業問題での交渉が決裂するのを避けるため、畜産物を含む大部分のセンシティブ品目まで譲ってしまった。このような結果に対し、畜産農家を中心とする農業界の反発はもとより、農林部自らが“韓米FTAは前例のない全品目に渡る関税撤廃で、中長期的に農業、農村、農民の解体的危機を免れない”と語っている。反面、アメリカは、交渉開始の前から交渉妥結の前提条件云々しながら要求してきた牛肉の輸入再開を含め、農業部門の目標をほぼ達成したといえる。それを裏付けるかのように、交渉妥結の直後、150の農業団体が署名した韓米FTA支持書簡が米議会に送られた。結局、農業問題において、韓国は米(コメ)を除外するという名分を、アメリカは畜産物を中心とする主要品目に対する関税撤廃という実利を選んだ交渉であった。


今後の対応と展望

 韓国農林部は去る6月28日、韓米FTAに対応するための「農業分野補完対策(案)」を発表した。そのなかで、今後畜産部門の生産基盤維持のため、専業農家を中心に支援対策を展開する方針を明らかにした。同時に、伝家の宝刀のように言われているブランド化を軸に、トレーサビリティーや原産地表示制度の強化、と畜税の廃止、廃業補償、農家ごとの所得補償直払いなどで対応する構えである。これらの支援対策の範疇(はんちゅう)に、兼業農家は含まれないが、高齢農家については引退を促進するための経営移譲直払い制度を実施することにした。しかし、このような補完対策の実施に必要な財政負担に対する納税者の同意が得られるかはまだ明確ではない。その上、既に国内産牛肉より高い豪州産和牛肉が輸入されており、長期的にはアメリカ産和牛肉の輸入可能性も否めない。したがって、牛肉のブランド化戦略が次第に挑戦に直面するのは時間の問題であろう。飲用乳に限られている酪農は消費が停滞ないし減少するなかで、高い乳価のため、消費が伸びているチーズの国内生産が困難であり、飲用乳の輸入可能性も排除できない。豚肉や鶏肉も規模拡大やブランド化だけでは内外の価格差を埋め切れない。したがって、韓国の畜産は今後大幅な縮小均衡を強いられ、やがては命脈を維持することさえ容易ではないかも知れない。

※「サンドイッチ危機論」とは、2007年1月韓国の代表企業である三星の李健熙会長が最近韓国経済は、“追いかけてくる中国と、逃げて行く日本の間に挟まれている”と話したことを指す。さらに3月初めに彼は、“韓国経済は気をつけなければ、5〜6年後には混乱に直面しうるし、三星も例外ではあるまい”と警告することによって、大きな反響を呼び起した。


趙 錫辰(CHO, SUK JIN)

プロフィール

1969年 韓国建国大学校 畜産大学畜産学科卒業
1976年 帯広畜産大学大学院畜産学研究科酪農学専攻修了
1979年 北海道大学大学院農学研究科農業経済学専攻修了(農学博士)
1979年〜現在 韓国嶺南大学校助教授、副教授を経て1989年より食品産業経営学科教授
〈各種委員〉
韓国農林部畜産審議委員
韓国農林部酪農産業発展対策協議会委員長(現)
韓国農漁業・農漁村特別対策委員会委員


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