酪農業と結合したナチュラルチーズ・プラント
北海道大学大学院農学研究院 教授 飯澤 理一郎 |
1.増大著しい小規模ナチュラルチーズ製造所酪農をめぐる情勢がますます厳しさを増していることは、いまさら指摘するまでもあるまい。飲用乳消費は伸び悩み、乳製品需要も好転の兆しは見られず、乳価の引き下げ圧力は一向に弱まる気配すらない。2005年度末には生乳主産地北海道で生乳廃棄すら行わざるを得ない状況に追い込まれ、今や、「減産型」の生産調整を余儀なくされているのである。 しかし、全く展望がないかと言えば決してそうではない。牛乳やほかの乳製品の需要が伸び悩む中で、この間、ナチュラルチーズの消費量がほぼ一貫して伸び続け、特に1990年代に入り、伸び率を大きく高め、今や15万トン台に達しているからである(図1参照)。周知のように、国産ナチュラルチーズの生産振興を目指して、1987年、チーズ向け生乳が「不足払い」の対象から外され、既に始まっていた大手乳業メーカーによるナチュラルチーズ生産に拍車をかけ、また、酪農家による自給用生産や小規模なプラントなども徐々に見られるようになっていった。 そして、1996年にいわゆる「9・9通達」が廃止され、乳業施設の最低生産規模にまつわる規制が大きく緩和されたことを受け、北海道では、ここに紹介する「半田ファーム」をはじめとする小規模なチーズプラント、酪農兼業とも言えるプラントが陸続と設立されることになるのである。北海道農政部資料によれば小規模チーズプラント数は2004年度末現在、十勝地域の16を筆頭に渡島地域の8、根室・網走・根室地域の各7などトータル71に達し、その裾野が急激に拡大してきたことを物語っている(表1参照)。 表1 北海道のチーズ工場の分布(2004年)
図1 ナチュラルチーズ消費量の推移(1976〜2004年) 資料:農林水産省 牛乳乳製品課 資料より作成
2.ナチュラルチーズ製造へ向け胎動半田ファームは十勝地域の中心地・帯広市からバスで1時間半ほど南下した大樹町に立地し、45ヘクタールの採草地(うち15ヘクタールは借地)、5ヘクタールの放牧地で130頭の乳牛(うち搾乳牛80頭)をフリーストール・ミルキングパーラー方式で飼養している。働き手は夫婦2人とパート3人。パートのうち1人は牧場担当、1人はチーズ製造担当で、もう1人は牧場と製造の両方を担当する。 大樹町は酪農を中心とした町で、2万頭ほどの乳牛が飼養され、生乳出荷額は68億4千万円と管内トップの座を占めている。町内で生産された生乳はほぼ全量、雪印乳業大樹工場に搬送され、カマンベールやストリングなどのナチュラルチーズや他の乳製品に加工されている。 半田ファームの経営主、半田司氏は酪農学園大学を卒業後、北海道の雄武町で人工授精師として働いたのち、1979年に後継者として就農した。当時の搾乳牛頭数は40頭ほどと北海道平均を大きく上回っていた。その後、総合資金を借り入れフリーストール牛舎やミルキングパーラーを導入し、搾乳牛頭数も徐々に増やしていった。飼養規模の拡大を軸に、順風満帆に見えた経営も、1980年代中葉以降、次第に雲行きが怪しくなってきた。総合資金借入の時に100円/キログラムと見込んでいた保証乳価は85年の90.07円/キログラムをピークに、86年87.57円、87年82.75円、88年79.83円と下がり始め、また、それに追い打ちをかけるように生乳の生産調整が始まったのである。 中央が半田司氏(左:飯澤 右:庄子) 乳価下落と生産調整の中で、総合資金などの借入金の元利を償還していかなければならない。とことん経費を切りつめていわゆる「効率的」経営を目指すか、あるいは市乳化や乳製品製造などを取り入れて経営の「多角化」を目指すか。大いに思案した結果、半田氏の出した結論は後者の「多角化」の方向であった。そして、大消費地域から遠隔地にあることや賞味期限の問題、また他の生産者との競争や「製品差別化」の問題などを勘案し、多くの先達が取り組んでいた市乳化の方向を断念し、時間を置けば置くほど良くなるとされていたナチュラルチーズの製造に挑むことを選択したのである。 早速、ナチュラルチーズ製造の研究に取りかかった(1990年頃とされる)。当時、ナチュラルチーズの消費は伸びてきたとは言えいまだ6万トン前後と少なく、決してなじみのある食べ物とは言えなかった。まして、国産物はほんの少量で、大手乳業メーカー以外での製造は散見される程度にすぎなかった。ナチュラルチーズの製造技術の習得に当たって力になったのは、同じ十勝地域で先駆的にナチュラルチーズ製造に手を染めようとしていた宮嶋望氏(共働学舎新得農場代表)であり、彼の呼びかけで開かれたフランスから講師を招いてのチーズ作りの講習会であった。また、「ナチュラルチーズ・サミット・イン十勝」が1990年に開催され、「十勝ナチュラルチーズ振興会」が1991年に結成されるなど、ナチュラルチーズ作りの雰囲気が十勝地域に醸成されつつあったことも、彼の背を大いに押していっただろうこと、疑いない。 講習会の中で、半田氏が特に学んだのは熟成の技術と考え方であり、中でもその土地にすむカビや乳酸菌などとの共生の中でこそ良いチーズが出来るということ、そして「日本の漬け物と同様に、チーズには家の味・地域の味がある」ということであったとされる。土着の微生物との共生・共存という点で、チーズ作りはまさに、土壌細菌などと共生・共存してこそ成り立つ農業と共通的な基盤を持ち、その延長線上に位置するものとも言えよう。 こうした準備を経て、半田氏は取りあえず牛舎の一角を利用し、ナチュラルチーズの試作を開始した。周りからは「チーズはナンセンス」「大手メーカーでも大変なのに」とか「衛生管理も解らないのに」など、様々な批判を受けたと言われる。案の定、当初、年1千万円から2千万円もの赤字を出したが、その後、様々な工夫を重ねる中で、赤字も次第に解消出来るめどが立っていった。 3.品質面で「全国区」的な評価を獲得こうして、技術的なめどは立ったものの、いざ本格的に製造を開始するとなれば牛舎の片隅というわけにはいかず、それなりの加工施設を設置しなければならない。「9・9通達」の解除を見越して、半田さんは1995年4月、プラント設置の申請をした。しかし、大きな問題が残されていた。ほかでもないプラント設置の資金調達である。周りに「チーズはナンセンス」などの声が渦巻く中で農協が融資に応じてくれるとも思えなかった。資金は思わぬ所からやってきた。幸というか不幸というか、1996年の正月に自宅が火災に遭い、火災保険で自宅の再建のみならずプラントの設置も出来たのである(プラント設置には一部、町の一村一品運動の補助金も活用)。 出来上がった建物は一階に、必要最小限に抑えた住居部分と約70平方メートルのプラントを備え、二階に喫茶店兼直売店を配したものである(写真1、2参照)。ナチュラルチーズ・プラントの設置許可は「9・9通達」の解除を待って下り、その後、衛生検査を受け、1996年12月6日に本格的な操業を開始した。原料乳はもちろん自家製で、現在、年間の生乳生産量480トン前後のうちの約1割ほどの、50トンをチーズ製造に回している。 写真1 半田ファームのプラント・喫茶店全景 写真2 階の喫茶店兼直販所 チーズ製造用の生乳は搾乳後、直接プラントに搬入されるが、帳簿上はいったん、ホクレンに出荷され、後に改めて買い戻したことになっていることは言うまでもない。それではマージン分だけ損をするのではないかと思われる向きもあるかも知れないが、決してそうではない。チーズ向け乳価は、ホクレンのプール乳価より特段に安い40円/キログラムほどに設定されており、仮にホクレンを通さなかった場合に比べて「プール乳価−チーズ向け乳価」の差額分だけ得する勘定になるのである(図2参照)。 図2 酪農家がチーズ向け原料乳を買い戻した場合の乳代清算 資料:ホクレン「指定団体情報」より作成
さて、製造されているナチュラルチーズはセミハードタイプの熟成物である(写真3参照)。熟成期間は物によって1.5カ月から8〜9カ月と幅があるが、何れの場合も定期的に表面を磨き、反転を繰り返しながらよりおいしいチーズへと熟成させていく。熟成の過程で、どうしても肌つやがうまく整わないものは途中でブドウの絞りかすに浸け、併設のピザ・ハウスで出しているピザの原料として使っている。主要3商品は「その土地から生まれたチーズ」との思いを込めて、オーチャード、チモシー、ルーサンと牧草の品種にちなんだ名前が付けられている(図3参照)。 写真3 熟成中のチーズ
図3 半田ファームの「農家製チーズ」パンフレット ところで、半田ファームのチーズの品質はすこぶる良好と言えそうである。周知のように社団法人中央酪農会議では1998年から国産ナチュラルチーズの製造技術向上と消費促進を目指して「オールジャパン・ナチュラルチーズ・コンテスト」をほぼ1年おきに開催しているが、半田ファームのチーズは2・3・5回(5回目のコンテストには52団体から115種類のチーズが出品された)に優秀賞を、4回には特別審査員賞を獲得しているからである。その意味で、半田ファームのチーズは「全国区」でその品質が保証されていると言っても良かろう。 4.「客を大切に」をモットーに多くのリピーターを獲得現在、製造されているチーズは年間5〜6トンで、売上高は2,000万円余。 もちろん、当初はそんなに多くはなく、一日2万円余、年間600万円ほどであったが、3年目には1,000万円を超え、その後も概して順調に売上げを伸ばし2006年には2,200〜2,300万円に達しそうな勢いとなっている。プラント付設の喫茶店兼直売所と宅配便での売り上げが7〜8割ほどを占め、残り2〜3割が小売店や卸売業者への出荷や各種物産展での販売となっている。 直売所への来客数は年間1万人ほどとされる。月・火の定休日および1月の休業を除くと年間おおむね220日ほどの営業と想定されるから、一日平均の来客数は45人ほどの勘定になる。45人が多いか少ないか、議論のあるところであろうが、先に触れた半田ファームの所在地からすれば「すこぶる多い」と思えるのは私だけではあるまい。来客の半数は十勝管内からであり、そのうちの半数、延べ2,500人ほどは大樹町内からとされる。大樹町の人口は6,300人ほどであるから、数多くのリピーターが町内にも存在していることを、その数値は物語っていよう。また、半数を占める十勝管内以外からの来客者の中には、わざわざ名指しで訪れる者も少なくないとされる。 とは言え、半田ファームでは「来てくれた客を大事にする」こと以外、特別な販売促進活動やPR活動を行っていない。半田氏がそもそもチーズ製造に手を染めたのは乳価下落分を補てんし、酪農業を維持するためであり、「ここで一山当てて企業的な展開を」などと考えたわけではなかったからである。そのせいもあってか、喫茶店兼直売所も至って質素な作りだし、プラントで使う器具なども市販の「ポリ容器」や「バット」に工夫を凝らしたものが多い(写真参照)。半田ファームの成功の秘けつは案外、そんなところにあったのではないだろうか。無理な投資はせず、「身の丈」に合った範囲にとどめるとでも言えようか。また、「一人一人の客を大事にすること」がいかなる販売促進活動やPR活動にも勝る有力な宣伝手段であることを教えてくれている。 市販のポリ容器やバットを利用したチーズ作り 5.養豚農家と提携し廃棄物のホエイを新たな資源にところで、チーズ製造には「ホエイ」がつきものである。生乳10キログラムから出来るチーズはおおよそ1キログラムで残り9キログラムはホエイとして残る。ホエイには5〜6%ほどの炭水化物(乳糖)と100グラム当たり2.8×106個(北海道立十勝圏食品加工技術センターの分析結果による)ほどの乳酸菌が含まれているために単純な廃棄は禁じられており、それをどう処理するかは絶えず浮上する問題となっている。 酪農家の小規模なプラントの場合、自家の乳牛に給与するケースも多いようであるが、半田ファームでは2003年以降、町内の養豚農家「源ファーム」の求めに応じて飼料として供給している。豚へのホエイ給与は世界的に見れば決して珍しいことではなく、特に欧州では広く普及しており、生ハムの本場として名高いイタリアのパルマではホエイを給与しない限り「パルマハム」と名乗ることは出来ない。ホエイを給与した豚の肉質は柔らかく、脂肪分の味も良好と言われる。源ファームではホエイを給与した豚を「ホエー豚」のブランドで卸売業者やレストランなどに直接出荷し、すこぶる高い評価を得ており、生産が追いつかないほどに引き合いがあるとされる。また、ホエイ給与後、子豚の病気は減少し、増体能力も改善されたと言われる。 確かに、ホエイを自家の乳牛に給与し「処理」したとしても大きな問題は生じないが、多分に、それで乳牛や生乳に新たな付加価値が付くということはあるまい。あくまでも「廃棄物処理」のレベルにとどまるのである。半田ファームでは「廃棄物」を逆手に取り、地域の養豚農家に提供することによって、新たな付加価値を生んでいるのである。「酪農・チーズ製造・養豚」が結合した一種の産業クラスターと言って良い。 6.必要な本格的な技術普及機関の設置半田ファームのチーズ作りは10年目を迎えた。この10年間に国産ナチュラルチーズを取り巻く環境は大きく変化した。折からのワインブームもあってか、それと相性の良いナチュラルチーズは日本人の食生活の中に確かな地位を占めつつある。こうしたことを背景に北海道の各地に酪農家などの手によると思われる小規模プラントが次々に産声を上げ、また、大手乳業メーカーも本格的な増産態勢を敷きつつある。 こうした中で、半田氏の関心は若手技術者の育成や製造技術の普及、更なる向上に向かっているようである。「自分はチーズ作りの研究を始めて15年かけてようやくここまできた。若い人々が自分と同じように、もう一度15年かける必要はない」と彼は言う。確かにその通りで、意のある若手酪農家が更に15年かけてチーズ作りのイロハから学んでいくのはいかにも時間と資源の無駄と言える。そのためにも、宮城県の蔵王酪農センターのようなナチュラルチーズの生産技術の普及拠点を北海道でも持つべきであるというのが、彼の主張である。名付けて「北海道チーズ大学校」。そこでは、チーズだけではなく、アイスクリームやミルクジャムなどの製法を教えても良いかも知れない。それを語る彼の目は、先駆者としての誇りに溢れた、満々とした情熱と自信とをたたえたものであった。 今日「地産地消」が叫ばれ、また「食育」「食農教育」が叫ばれている。食料の生産過程が巨大化し、流通過程も余りにも長大になり過ぎ、またそう菜や弁当などの調理済み食品が氾濫する中で、食生活が「乱れ」を通り越して「無定型」「グチャグチャ」とでも表現せざるを得ないほどになってしまったことが、その背景にあると言える。「地産地消」を進め、「食育」「食農教育」を押し進めるためにも、半田ファームのような、酪農業と結合した小規模プラントの存在は重要であり、また、その裾野を広げるためにも、小規模な加工技術など研究・普及する機関の設置が求められているのではあるまいか。 |
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