◎専門調査レポート


離農の危機を救う 酪農ヘルパー傷病時互助制度
―北海道中標津町ヘ ルパー会社(有)ファム・エイ―

日本大学生物資源科学部 教授 小林信一

1.傷病時互助制度とは

 傷病時互助制度をご存知だろうか。酪農ヘルパーは、酪農家の休日や冠婚葬祭などの際に、酪農家に代わって搾乳や給餌を行う助っ人として、その知名度も高いと思われる。現在全国に361のヘルパー組合やヘルパー会社が組織され、組合員となっている酪農家戸数も17,773戸と酪農家全体の7割を超え、特に北海道では9割近い(平成18年8月現在)。1農家当たりの年間利用日数は17.2日と、ほぼ月1回半の割合で、月2回以上利用の農家も全体の1/4となっている。

 酪農家がヘルパーを利用する理由は、冠婚葬祭や休日の取得が主だが、中には事故や病気のために作業ができない時に、ヘルパーを依頼するケースも見られる。特に、傷病が重篤で入院が長期にわたる場合は、これまでならば離農せざるを得ない場合も、ヘルパーによって経営存続が可能になった例が実際に各地で見られる。傷病時互助制度はこのような酪農家の傷病時を対象としたヘルパー制度だが、その味噌は長期間のヘルパー利用による多額の支払いを軽減するために、あらかじめ組合員が基金を積んで、もしもの際には割安で利用できる点だ。

 こうした、傷病時互助制度は、各地で自主的に生まれたが、平成9年からは国(独立行政法人農畜産業振興機構(当時は、農畜産業振興事業団)を通じて実施した(以下同じ))がパイロット事業として、この制度の普及定着のために助成事業に乗り出してから急速に拡大した。

 平成16年度では、34都道府県の196利用組合(全国の52.8%)が131の互助組織を作り、11,082戸(利用組合参加農家の52.8%)の酪農家が参加している。互助制度は経営主のみではなく、家族などの酪農従事者などにも参加資格があるので、制度に参加している就業者数は27,129人(1戸当たり2.4人)に達している。これ以外にも国の助成事業の対象になっていない互助組織もあるので、実際はさらに普及していると見られている。

 互助制度の仕組みは組織によってそれぞれ少しずつ異なり、ヘルパー料金の負担軽減期間は14日から傷病による利用全期間まで(国による助成要件は、連続して5日以上利用としている)、また利用負担軽減割合も20〜70%と幅が広い(平成16年の実態、以下同じ)。生産者による拠出金は、1戸当たり17,369円(1人当りでは7,095円)だが、組織によっては市町村や農協などの助成を受けているケースも見られる。

 平成16年度1年間に傷病時互助制度を利用したのは、30都道府県101組織の893人で、1人平均22日間のヘルパー利用が負担軽減対象となっている。22日間のヘルパー利用料金総額は347,318円(1日当たり15,784円)だが、このうち174,575円が補助の対象として減額され、農家が実際に負担したのは半額以下の169,722円であった。補助額のほぼ半分は互助組織の積立金からの拠出であり、残りは国からの助成によっている。平成9年度からの累積では、補助対象者は4,519人、補助対象利用日数は103,123.5日、利用金額約16億円で助成額は8億円以上に達している。

 こうした互助制度によって、廃業の危機を免れた酪農家のケースを以下に具体的に見てみよう。


2.傷病時互助制度を利用した酪農家

@新規就農の夢を継続できた村上洋史さん、美幸さん夫妻 
 村上洋史さん(33歳)は横浜市出身で、平成15年に北海道道東の中標津町で新規就農した。就農した翌年の16年9月11日に、家族で屈斜路湖に車で出かけた帰りに、自損事故を起こし、家族4人全員が入院することになってしまった。奥さんの美幸さんは弟子屈の病院、洋史さんと2人の子ども(1、5歳)は釧路の病院に運ばれた。手や足を骨折した美幸さんと子どもはそれぞれ3週間、1週間ほどで退院したが、顔面を複雑骨折した洋史さんは、結局復帰までに約3カ月を要することになってしまった。洋史さんは事故から10日後の9月20日に、東京の病院に転院し10月10日に退院した。退院後1週間程度は牧場に帰ったが、その後、再び横浜の実家から東京の病院に通い、本格的に復帰したのは12月になってからであった。結局、9月11日から12月19日までの約3カ月の間、毎日ほぼ2人の傷病ヘルパーに牧場の搾乳・給餌作業を任せることになった。

 事故は夕方起きたが、一緒に出かけていた近所の人が農協に通報してくれ、その夜の搾乳は、ヘルパー、近所の人、農協の職員が駆けつけ、奥さんのけがの処置が終わるのを待って、牛についての指示を聞いて行った。当時は放牧しており、牛の分娩もなかったので、人に任せやすい時期ではあったが、2番草の収穫は近所の人が、また親しい農家の友人が牧場全体のチェックをしたりと、地域の人々が協力して村上牧場を支えた。しかし、そんな地域の協力があっても、ヘルパーが日常の搾乳・給餌作業をやってくれなかったら、やっとかなえた新規就農の夢も、就農わずか1年であきらめなければならなかっただろうと、村上さんは当時を振り返って話してくれた。専任ヘルパーの錦織さんが主に担当したが、農家の子弟で構成される「青年ヘルパー」の手助けもあった。ヘルパーに委託した間も酪農経営に大きな問題もなく、牧場のリース料約300万円も支払え、新たな借金をする必要もなかったという。

 村上さんは早稲田大学の商学部出身だが、在学中から酪農に興味を抱き、東京八王子のジャージー牛のヨーグルトで有名な磯沼牧場で実習を行った。美幸さんは、そこでヨーグルト作りを担当していたが、共に北海道に渡って新規就農を目指すことになった。その後、中標津町のマイペース酪農の提唱者である三友牧場や、吉川牧場で実習経験を積んだ後、北海道農業開発公社が行っているリース牧場制度を利用して就農の夢を実現した。

 村上さんは、それまでヘルパーを利用したことはなかったそうだが、この事故をきっかけに定期的に利用するようになり、現在は奥さんの実家の東京や村上さんの実家の横浜に帰るために、1週間程度のヘルパー利用を行っている。また、昨年8月には傷病時互助制度を奥さんの切迫早産で再び利用することになった。

 結局、事故の年に村上さん夫婦が傷病時互助制度でヘルパーを利用した日数は、9月11日から12月19日までの延べ186.5日(2人対応の場合は2日、朝、晩どちらか1回の作業の場合は0.5日と計算)と翌年の2月23日から3月16日までの延べ42日間の合計288.5日だった。このうちほとんどは、ファム・エイのヘルパー2人での対応だったが、45日間は青年ヘルパーに依頼した。利用料金は当時の利用料金が1人1日当たり22,500円(青年ヘルパーの場合は16,800円)だったので4,884,750円に達したが、互助制度のおかげで支払い総額を2,193,050円まで抑えることができた。ちなみに互助会が負担した1,841,200円の半額は国からの助成を受けている。


村上氏ご一家

 

A長期入院による経営の危機を乗り越えた長正路ちょうしょうじ清さん 
 中標津町の長正路清(56歳)さんが、がんの治療のために札幌の病院に入院したのは、平成13年10月初めであった。当時奥さんの八世栄さんと娘の恵美さんと一緒に乳牛約130頭(経産牛70頭)、草地57ヘクタールの牧場を経営しておられたが、娘さんが後継者として就農して2年目のことだった。

 入院中の約半年の間、傷病ヘルパーを1名派遣してもらったが、女性には難しかった除ふんや給餌のための機械操作のほかに、除雪作業もやってもらい本当に助かったと感謝されていた。吹雪の時は2晩ほどヘルパーが泊まりこんでくれたことも、心強かったという。ここでもやはり、親戚や地域の酪農家の手助けもあって、離農をせずに経営を立派に継続された。今は娘さんが結婚してお婿さんを加え、復帰された長正路さんと一緒に家族4人で牧場を切り盛りされている。現在は年間14〜15日、連続して3日間ほどリフレッシュなどのためにヘルパーを利用しているという。


長正路氏ご夫妻

 

3.(有)ファム・エイと傷病時互助制度


(1)わが国最初の民間ヘルパー会社(有)ファム・エイ
 村上さんや長正路さんの牧場にヘルパーを派遣したのは、わが国で民間企業として初めて平成元年に酪農ヘルパー事業を立ち上げた(有)ファム・エイである。社長の臼井勝也氏は、中標津町でビル清掃などの会社を経営されていたが、農協や行政の要請を受けて、ヘルパー業務を受託することになった。


(有)ファム・エイ社長 臼井勝也氏

 

 ファム・エイは現在、中標津町の中標津農協、計根別農協と隣の別海町にある上春別農協のヘルパー利用組合と契約を結び、3農協合計で400戸以上の組合員を対象とする、わが国でも有数の規模のヘルパー事業を展開している。ファム・エイに所属しているヘルパーは現在25名で、その平均年齢は28.2歳で、18歳から最高齢は41歳、また出身地は、府県11名、北海道14名、うち女性4名(北海道出身者3名)と多様である。農家後継者も多いが新規就農希望者もおり、ファム・エイから巣立って酪農経営を行っている元従業員もいる。実際に小生の研究室出身者にもファム・エイから新規就農を果たしたOGが2名、また兼務している経済学部の教え子がやはりファム・エイで働いた後、富良野で新規就農を果たした。こうしたヘルパー事業への貢献によって、同社は、平成8年に第2回ホクレン夢大賞を受賞している。

 

(有)ファム・エイと各利用組合の関係


 
(有)ファム・エイの渡部専務(左)と武富課長(右)(ヘルパー)

 


(2)中標津農協ヘルパー利用組合の傷病時互助制度
 ヘルパー事業は3農協管内の生産者が設立したヘルパー利用組合が事業主体となって、ファム・エイはヘルパー要員の派遣を請け負っている。傷病時互助制度でも同様に、利用組合ごとに互助組織を設け、基金を作って対応している。このうち村上さんらが加入している中標津農協ヘルパー利用組合の互助制度を中心に、以下に説明する。

 中標津農協は平成9年から互助制度を立ち上げ、11年からは国の助成事業対象となった。ちなみに計根別農協は平成17年度から、上春別農協は18年から国の助成事業である酪農ヘルパー利用拡大推進事業(傷病時利用円滑化)に参加した。2農協は以前から傷病時互助制度を行っていたが、事業立上げ当初、国の事業に乗るための要件である「利用組合参加農家のほぼ8割が互助制度に参加する見通しにある」点をクリアできなかったことから、事業参加が遅れたという。

 現在、中標津農協ヘルパー利用組合の加入農家208戸全戸が互助会に参加している。事前に登録すれば、加入農家の雇用者や実習生も含め酪農従事者は全員加入可能で、現在の参加者数は571名を数える。

 互助会の積立金は1戸当たり毎年1万円(平成9年度の発足時は3,000円)だが、基金が不足したときは追加徴収できることになっている。実際に平成16年度には基金が底をつき、2万円の追加徴収を行った。一方、利用料金の負担軽減については、現在連続5日以上利用を条件に利用開始から30日までを限度としている。ちなみに、他の2互助会の負担軽減日数限度は60日である。ただし、中標津の場合も、組合長が特に認めた場合は期間延長が可能とされている。実際に前述した村上さんでも、90日以上が負担軽減の対象となっている。さらに、組合員の出産も予定日の2週間前から出産後3週間の間の連続して5日間以上のヘルパー利用を対象に、30日間を限度に、利用開始日から負担軽減を受けることができる。しかし、実際には出産による利用はさほど多くはないようだ。

 負担軽減額は1日1人当たり利用料金22,050円のうちの10,550円で、農家負担額は11,500円である。他の2互助会では13,550円の負担軽減を行っており、互助会による違いが見られる。実は通常のヘルパー利用の際に、利用料金として各利用組合がファム・エイに支払う額は23,625円だが、傷病時の場合は長期利用ということでファム・エイのサービスとして徴収する利用料金を22,050円に下げている。また中標津農協の利用組合では通常のヘルパー利用でも23,625円の料金に対し、6,825円を組合負担で軽減し農家負担額は16,800円となっている。したがって、通常時の農家負担額と傷病時の農家負担額11,500円との差は5,300円と少ないように思うが、通常のヘルパー利用料金23,625円からの軽減額は12,125円と5割を超えている。他の2農協の利用組合も軽減額は異なるものの、通常時利用に対しても軽減措置をとって農家が利用しやすいようにしている。こうした軽減策が可能なのは、農協などからの助成を得ていることによる。平成16年度までは町から毎年300〜400万円の助成が支出されていたが、財政難から平成17年からは助成が廃止され、代わって農協が負担を継続してきた。また、中山間地域直接支払いからも一部の利用助成がなされている。


4.酪農家の事故・病気と傷病時互助制度

 中標津農協ヘルパー利用組合の互助制度利用実績は、平成17年度で25件、460.5日で、1件当たりでは18.4日と全国より若干短かった。25件の内訳は、病気13件、けが11件、死亡(病気)1件であった。病気は様々であるが、運動器官系障害が5件、悪性腫瘍、婦人科疾患が各2件などで、けがでは骨折が5件とほぼ半数を占め、腰や首の捻挫、打撲など作業時の事故が多いと推察される。農作業時の事故発生状況を見ると平成17年度に同農協管内で40件発生しており、そのうち8件が入院の必要なものであった。8件の内訳は搾乳中に発生したものが3件、電動ノコギリやトラックなど機械従事関係が2件などとなっている。機械化の進展に伴い農作業中の事故は増加しており、全道のデータでは平成17年度だけでも農業機械関係での死亡事故23件、負傷940件が報告されている。また、牛関係では死亡事故はなかったものの、負傷は1,603件と農機事故を上回っている(表)。平成8年度からの10年間の累積では農機関係で229人が、牛関係でも5人が亡くなっている。農業従事者1,000人当たりの事故件数は19.6人と約2%だが、中標津町を含む根室管内では17年度の割合が急増して32.0件、3%以上に達している(図)。この数値は酪農家のみを対象にしているものではないが、毎年少なくない酪農家が農作業事故にあっていると思われる。

表 機種別事故発生状況(北海道)

 

図 農業就業者1000人当たり事故の推移

 

 農作業中の事故を減少させる取り組みが優先されるべきだが、事故にあった際のバックアップとしてこの傷病時互助制度は、経営の継続を図り、農家の暮らしを守る大きな役割を果たしている。酪農家をはじめ農業者の高齢化が進む中で、病気の発生も増えていくと思われることを併せて考えると、傷病時互助制度の維持拡充は今後ますますその重要性が高まっていくだろう。


5.傷病時互助制度の課題と今後

 ヘルパー制度自体が、酪農家の休みを保障することで、過重労働による事故や病気を防止しているという面も指摘されるが、以上見てきたように、傷病時互助制度はより直接的に傷病のため離農の危機に直面する農家を支援する点で大きな役割を果たしている。しかし、この制度の維持・発展には課題も多い。

 まず、傷病時のヘルパー要員の確保は、どの組合も苦労している点である。傷病利用は突然に、しかも長期対応が必要とされる。すでに予約が入っている中で、タイトな要員をやりくりして傷病対応を行うのはたやすいことではない。いざという時のために傷病ヘルパーを確保している組合もあるが、傷病利用は常にあるわけではなく、経営的にもそのためだけの雇用は厳しい。また、後継者などの臨時ヘルパーで傷病時に対応する組合も多いが、後継者がほとんどいない地域や、他の農家のヘルパーを行う労力的な余裕がある農家がいないケースも増えている。

 福祉の国、北欧のノルウェーは、農家の休みを保障するのは国の役割との考えから、ヘルパー利用に対し、国から7割程度の補助があるが、さらに傷病時のために公務員ヘルパーを地方自治体が雇用している。(注)傷病利用がない場合は通常利用も出来るが、傷病時利用を優先するという約束で行っている。日本のヘルパー関係者にとっては、夢のような話だろう。また、単にヘルパーの人員確保の問題にとどまらず、村上氏のケースのようにヘルパーに搾乳・給餌などの作業のみではなく、経営感覚をも要求される場合もある。ヘルパー個人に経営管理のすべてを要求することは難しいことから、農協などが経営全体に目配りするバックアップ体制を作る必要と考える。加えて、地域によっては、新規就農希望者などとの連携も考えられるだろう。

 また、利用酪農家側からの要望も多い。通常3カ月程度が多い負担軽減限度日数の延長や連続5日以上の利用といった日数の要件緩和の問題、あるいは子どもや老人の入院などの際の看病も対象とするといった対象内容の拡大などである。これらは傷病時互助制度先進国であるオランダなどではすでに行われている。したがって工夫次第では実現の可能性はあるが、問題はやはり組合の経営収支だろう。オランダの傷病時互助制度の負担軽減最高日数は2年間に及ぶ。しかし、同時に農家の負担額も多い。公的助成の今後を見据えつつ、農家負担のあり方を含めた利用組合の収支改善の方向を模索する中で、傷病時互助制度の一層の充実が求められている。

 
(注)海外の農業ヘルパー制度の詳細については、「酪農ヘルパー」(酪農ヘルパー全国協会発行)を参照されたい。


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