◎調査・報告


外食メニューのトレンドと食肉業界の課題

信州大学 経営大学院
教授 茂木信太郎


1.外食産業の発展とその後

(1)外食産業急成長のヒミツ     
 人々の外食の歴史や外食施設の社会的供給の歴史は古いが、近代的な経営スタイルをとった外食産業の歴史は、1970年代(昭和40年代後半)に始まるとみることができる。外食店舗の運営にチェーンレストランの仕組みが取り入れられて、この手法が普及していくことで、外食店舗を社会的に短期間で急速に増加させることが実現されたからである。

 チェーンレストランとは、従って、外食店舗の大量生産・大量供給システムであると評することができる。このような大量生産・大量供給システムを作り上げるために外食店舗運営においてそれまでの飲食店経営とは異なるさまざまな領域でイノベーションが達成された。その分野は、食品・料理技術は言うに及ばず、経営技術や物流面など多岐にわたる。

 その一方で、このような外食店舗量産システムが社会に受け入れられたのは、拡大する需要が存在したからである。

 はじめに需要ありき。当時のわが国の経済社会は、まさに高度経済成長の真っただ中。人々の暮らし向きは短期間で電化されて近代化し、物量的に向上著しかった。実際、1970年代に外食産業が急成長をはじめると、社会は、「“遅れてやってきた”成長産業」であるとか「“最後の”成長産業」などと評してはやし立てたものである。

 この観点から外食産業成長の要因、すなわち外食需要拡大の要因を指摘すると、第一に人々の生活条件が高度化して食生活が豊富化する方向に進んでいたということである。そして、その後四半世紀にわたりほぼ毎年1兆円ずつ市場規模を上乗せしていくというほどの大規模なスケールで成長を続けることができたのは、食市場の中で、「内食」(家庭内食)を浸食し続けることで、食市場における外食のシェアを拡大してきたからである。

 要するに人々の食需要そのものの拡大と、内食需要からの振り替えという2つの需要拡大要因があったわけである。こうして、あらかじめ拡大する需要があればこそ、外食産業にとって腐心されるべきは、いち早くの市場獲得競争、すなわち量産システムの構築である。

 この点で、チェーンレストランの経営上の優位性は群を抜いたものであった。いくつかの特筆すべき事例を紹介すると、例えば、「すかいらーく」のセントラルキッチンシステムがそうであるし、「マクドナルド」の教育システムがそうである。また、「小僧寿し」などのフランチャイズシステムもそうである。

 「すかいらーく」のセントラルキッチンシステムは、店舗における生産性を飛躍的に向上させるとともに、自社物流のコア施設として構築することで、「すかいらーく」というチェーンレストラン全体の経営効率を格段に高めて、経営資源を店舗拡大に向けて有効に投入する経営手法の確立を実現したのである。

 「マクドナルド」の教育システムは、店舗労働力の基幹部分を自前調達・自前育成する仕組みである。従前、外食店舗の調理労働は、特別の閉じた労働市場と見なされており(実際今でもかなりの部分でそうであるが)、店舗拡大のためには調理労働の調達システムを従前の状態に放置したままでは不可能なことであった。「マクドナルド」の教育システムは、この制約を徹底的に解除したのである。

 こうして、数多のチェーンレストランが勃興(ぼっこう)して市場で覇を競い合い、拡大路線を続けた。需要拡大期の競争戦略である。

(2)外食産業市場縮減の時代
 外食産業市場は、1990年代後半に至ると(和暦元号が平成に変わって数年後から)、成長市場から反転して、減少傾向を呈し始める。粗い推計値であるが、外食産業市場規模は、1996(平成8)年には、29兆円を超えて30兆円をうかがうほどであったが、これがピークであり、その後は毎年減少を続けて直近では24兆円台となっている。

 こうした事態が、産業というくくりではなくて、特定の製品市場分野で起こっていたのであれば、誰が見ても衰退市場という烙(らく)印を押されるところである。すなわち、特定製品は、製品のライフサイクル論によれば、生成期、成長期、成熟期を経て、衰退期に順に移行すると一般化されている。こうした製品のライフサイクル論がすべての製品に当てはまるとは言いかねるが、しかし、多くの製品に共通する見方であることも確かである。

 外食産業の市場規模の推移をグラフに描けば、1990年代半ばをピークとして左右対称の典型的なカーブを描いている。タイトルを何か別の製品名に書き換えておけば、誰が見ても直近の様子は、衰退期の最中である。

 しかしながら他方では、チェーンレストランの経営的な優位性である店舗量産体制は破棄されていない。市場の受容力からみると、外食産業は経営システムとしては明らかに店舗の過剰生産体制下にある。また実際、そうした供給力の追加的な実現は、現段階でも繰り返されているところであるし、そうした経営意思を有したチェーンはいまだに多数ある。

 こうなると外食産業界は過当競争下にあると言わざるを得ない。過当競争下では、一般にこの市場にある経営体の収益率は低位とならざるを得ない。それゆえ、R&D(研究開発)のための原資も十分なものが期待されなくなり、開発力がなえることで開発競争が後手に回ると市場全体から見たときの業界の魅力度が衰えていかざるを得ない。

 というのも、外食産業市場は、これまで、家庭内食市場からシェアを奪取してきたように、家庭「内食」市場と直接的に競合しているのであり、また、1990年代(平成年代)に入って急成長している「中食」市場とも競合しているのである。したがって、「内食」市場や「中食」市場における食品メーカー、流通産業、コンビニエンスストア業界などでも継続的に開発競争にいそしんでいるのであるが、そうした隣接競合市場に遅れを取ることは必定であるからである。

 外食産業市場を担うチェーンレストラン業界は、個別企業の新機軸を交えた努力健闘はあるものの、業界全体としてはなお苦戦が続くと見ざるを得ないのである。


2.外食産業のメニュー問題

(1)食生活変化の基本軸
 外食産業の生成期すなわち高度経済成長の終わりの頃ではまだ、国民の食生活は物質的に十分に満たされた状態であるとは言い難かった。

 戦後の復興期から高度経済成長期にかけては、国民の食生活は、まず生存と生活に必要な量を満たすという基本的な課題を辛うじてクリアしていくという状況であった。実際、1960年代前半(昭和30年代)ごろまでは、わが国の食品産業政策は、製糖・製粉・製油といった特定の品目を伸張させるように展開された。

 これらの品目は、(1)装置産業型の製造製品である、(2)原単位当たりの製品熱量が高い、という特徴がある。すなわち、いったん装置が稼働し始めると、国民の必要熱量を極めて効率的に供給できる代物である。しかし、他方で、(3)原料の海外依存度が高いので、対外貿易上の工夫は必要であった。

 また、当面の農水産物としては、生産コストが相対的に低位であることを期待できたコメと魚介類の大量供給を求めて、自給率の向上を目指した。このときの時代の記憶が、後に日本型メニューの原型であるかのように刷り込まれていく。

 それはともかくとして、一方では、海外産品、他方では自給産品という違いはあったが、総じて低コストで熱量効率のよい食料調達の基本構造が完成した。

 次には、食需要の高度化という言い方もされるが、「動物性たん白の供給」と「副食材料の確保」という課題に進んでいく。農法的には、水田稲作から果樹・野菜の畑作へ、水産漁業から畜産へという流れである。もちろん、これらは当事者において確と認識されていたわけではない。全体の歴史を俯瞰(ふかん)する中で筆者が集約した言い方である。

 高度経済成長期の終わりのころになると、コメの自給は達成され(1967(昭和42)年)、ここから特別会計である食糧管理会計上の膨らみ(高コスト化)が問題とされるようになり、1970(昭和45)年には、コメの生産調整が開始されるという事態となった。にわかに、果樹(ないし野菜)と畜産という掛け声が声高となった。

 一方では、高度経済成長下のインフレーションと都市部における人口集中に青果物の相対的な需要過多が頻出して、物価と供給問題として都市部への野菜供給が国民的な課題となった。ここから価格安定を求めての産地直結への期待も芽生えはじめる。

 かくして食生活そのものが、必要熱量の確保という課題から抜け出し、「動物性たん白と副食の豊富化」に関心が移行し始める時期と呼吸を合わせるのである。これらは近代化志向という社会全体の志向性と同調して「食生活の洋風化」潮流と表現されることが一般化した。

 そしてこの時期は、外食産業のスタート時と重なる。

 外食産業の発生期とは、食生活上の期待として、「食の洋風化」という言葉を伴いながら、より高質な甘味への需要もあれば、動物性たん白への渇望もあったという時代である。

(2)食のトレンドを担ったメニュー群
 外食産業が1970年代(昭和40年代後半)にスタートした。今では、ファストフードもファミリーレストランも日常語となっているが、当時は、まだこれらの言葉も無かった。

 ファミリーレストランという言葉は、「すかいらーく」の店舗の様子を取材した記者が新聞紙面で使用したことが始まりであり、ファストフードという言葉は、「マクドナルド」や「ケンタッキー・フライド・チキン」(以下「KFC」)の店舗増設とともに普及した言葉である。

 その「すかいらーく」は、1号店が1970(昭和45)年の開店である。「KFC」も同じ年であり、「マクドナルド」は、1971(昭和46)年である。

 ファミリーレストランは、「すかいらーく」開業後100近いブランドが族生するが、抜け出したのは、「すかいらーく」「ロイヤルホスト」「デニーズ」の3ブランドで、これらは、しばらくしてファミリーレストラン御三家と呼ばれるところとなった。

 「マクドナルド」は、主力メニューがハンバーガーであるので、ハンバーガー(レストラン)チェーンともいう。ハンバーガーチェーン市場には、しばらくして「ロッテリア」「モスバーガー」ブランドも参入し、その後に「明治サンテオレ」「ファーストキッチン」「森永ラブ」なども加わり、さらに「ベッカーズ」などもある。

 「KFC」の主力メニューは、看板通りフライドチキンである。「チャーチス・フライドチキン」や「カントリーファーム」「エル・ポヨ・ロコ」というブランドも類似のメニューで同じ市場への参入があったが、ほとんど「KFC」の独占状態となった。

 こうして、外食産業の急成長をけん引したブランド名を挙げてみたが、それらの中心メニューには共通性がある。

 「すかいらーく」というよりもほとんどのファミリーレストランでは“ハンバーグ”(ハンバーグステーキ)が、中心メニューである。

 「マクドナルド」は、ハンバーガーである。そして、「KFC」は、フライドチキンである。

 “ハンバーグ・ハンバーガー”も、“フライドチキン”も、見事なまでに「高カロリー、高たんぱく」、あるいは「食の洋風化」のトレンドを担うメニューであった。

 かくして、外食産業の急成長は、(1)「家庭内食から外食へ」という生活スタイルの変化の方向を演出する装置としての社会的ニーズへの対応と、(2)提供するメニューの食材料の構成(牛肉、鶏肉)が拡大する消費者ニーズへストレートに対応するものであったこと、といういわば二重の意味で拡大するニーズ領域を進攻したものであったが故である。

 また、上述したところであるが外食産業そのものが数々のイノベーションを実現したことで、(3)食の供給者として相対的に高い生産性と競争力を主張することができたことも、成長力のスピードとパワーアップの要因であった。

 この点は、さらに、いま指摘しているメニューの食材料が需要面で優位性があったということにとどまらないで、(4)メニューの特徴として巧妙な仕掛けがあったということが重要である。この点を次項で述べる。

(3)決め手となった食肉メニュー
 “ハンバーグ・ハンバーガー”の主要食材は牛肉である。

 牛肉は、長らくわが国の畜産振興ないし農家保護を目的として、事実上コメと並んで国家の統制物資であった。これをIQ(インポート・クォーター)品目とすることで、輸入制限を敷き、国内供給量全体を管理して、需要に対して常に供給不足の状態としてきた。そのため、牛肉食材・牛肉メニューは、価格的にはすぐれて高額な高級品アイテムとしての市場地位が確立していた。

 牛肉あるいは牛肉メニューは、「食の洋風化」トレンドを担う代表品目であるとともに、そのいわば頂点にも立つ「憧憬(しょうけい)」食品であった。

 外食産業は、その「憧憬」食品をリーズナブル(値頃)な価格で提供することを、メニュー上の仕掛けによって実現したのである。

 “ハンバーグ”も“ハンバーガー”も、牛肉を精肉状態からさらに加工してミンチ肉塊とする。ここには、(1)異なった部位の肉を混ぜ合わせることで、味覚上ならびにコスト上効果的な混合割合を案出することができる、(2)同様に異なった種類の食肉などを混ぜ合わせることができる、(3)同様に食肉以外のつなぎを混ぜ合わせることができる、というメニュー上の特徴がある。

 もっとも、“ハンバーガー”の元祖アメリカでは、肉塊が牛肉100%でなければ「ハンバーガー」と呼称することができない。わが国でも1970年代後半(昭和50年代)に至って業界団体が組織され規格(JAS)を定めて、牛肉混入割合を決めて級の格付けをするようにしている。そこで、上の(1)の例を米国の場合で挙げてみよう。

 牛の飼養方法には穀物肥育と牧草肥育がある。前者は米国産で高コスト、後者は豪州、ニュージーランド産で低コストである。前者の場合でも、脂身の多い部位の市場価値は劣位である。そこで、後者の赤身の多い部位と前者の脂身の多い部位とを別々に調達してミキシング(混合)すれば、精肉からミンチした肉よりはるかに低コストでしかも肉味のよいパティ(肉塊)が調達できることになる。実際のハンバーガーチェーンがこうしたかどうかは筆者のよく知るところではないが、米国が世界最大の牛肉生産国であり、同時に世界最大の輸入国であるゆえんである。

 ちなみに、「マクドナルド」の“ハンバーガー”は、当初価格レギュラーサイズが1個80円であり、ほぼ45グラムの牛肉100%のパティをパン(バンズ)に差し挟んでいたので、これ(牛肉)だけでもお値打ちだとして広報していた。

 「ケンタッキー・フライド・チキン」は、庭先養鶏から大規模養鶏への畜産技術の転換を始めた際に用意された外食という流通チャンネルである。ちなみにブロイラーは、わが国では肉用若鶏の総称であり、品種的に特定されている。つまり大量生産に仕向く品種である。

 肉質的にもやわらかく脂質が乗りやすいので、料理法としては「フライド(油揚げ)」に適性がある。

 かくして、ここでも、(1)「高カロリー、高たんぱく(油と肉)」を担うメニューであるということ、(2)相対的に市場価格で優位性のある大量生産のブロイラーを食材素材とすることで、時代をけん引するメニューとして、急成長の要因を内包していたのである。


3.市場飽和への道

(1)円高による食卓事情の変化
 1980年代後半(昭和60年代以降)になると、食卓事情に大きな変化が起こった。急激な円高による海外食材の輸入急増と、国内の食材加工過程の海外への移転である。

 開発輸入の試みや開発投資が積極化して、鶏肉などは、東南アジア各地において、日本市場を目指す産地形成が活発化した。例えば、この時期に急成長した外食産業業態の居酒屋チェーンでは「焼き鳥」メニューが定番であるが、これの食材の串刺し作業は、国内の相対的に高まった人件費を嫌って、海外工場の役割となった。

 その後も円高傾向はやむ気配なく、為替相場は高止まりして推移するようになった。

 かくして、1980年代の終わりごろになると、一方では食料品の内外価格差が社会的なテーマとなり、他方では、ガット・ウルグアイ・ラウンドによる農産品の輸出入規制が国際問題となった。

 こうした事情を背景として、この間に食卓事情が一変した。IQ指定や価格的なネックなどにより、それまでに供給が制限されていて、市場の需要量実勢に対して過小供給であったエビ・カニなどの甲殻類、牛肉など高級食材が、広範囲に出回るようになったのである。

 IQ品目であった牛肉は、1991(平成3)年に輸入自由化された(関税は維持されているが)。ここから、牛肉メニューをめぐる外食産業の新しい動きが活発化して、この時代の外食産業界を特徴付けるところとなった。

 その一つは、牛肉メニューをうたう新世代の外食チェーンが急成長したことである。いま一つは、既存業態によって食市場全体を巻き込んで仕掛けられた激烈な価格競争のぼっ発である。

 ここで新世代の外食チェーンとは、焼肉メニューを掲げた焼肉チェーンである。

 ここでの注目すべきイノベーションは、調味料メーカーによる「タレ」(つけタレ)の開発と、焼肉の最中に立ち上がる煙を焼肉網の周囲から吸い込んで煙を室内に排出しないという「無煙ロースター」の開発である。店舗内に充満する煙のために客層や利用機会が極めて限定されていた焼肉料理店が、牛肉食材の入手やすという条件を得て、一挙に増店を開始したのである。

 1990年代(平成年代)すなわち牛肉の輸入自由化措置の後に、急成長した焼肉業態として、私は「安楽亭」「焼肉のさかい」「牛角」を焼肉チェーン御三家と呼ぶが、前二者は、ファミリーレストラン市場(立地)に出店の主舞台を置き、後一者は、居酒屋市場(立地)に出店の主舞台を置いた。

 結果として、既存業態が立地を埋め尽くす状態となっていたファミリーレストラン立地では、店舗の出店力(成長力)の限界が相対的に早く訪れた。1990年代に成長業態であった居酒屋立地での出店力の限界は相対的に遅れてやってくるところとなった。

 しかし、いずれにしても21世紀に入る頃には、市場飽和を迎えるところとなる。

(2)低価格政策の帰結
 外食産業の雄、「マクドナルド」が2000(平成12)年に仕掛けた「平日半額バーガー」キャンペーンの威力は凄まじかった。

 「マクドナルド」は、210円で販売していたハンバーガーを1995(平成7)年に130円とした。円高と牛肉自由化がもたらした激安価格である。これを平日半額で販売するというキャンペーンである。つい5年前には210円であったものが65円となる。およそ3割の価格だ。

 有無を言わせぬ強引な引力が発生した。なにしろトップブランド自らが垂範するのであるから、影響力もすさまじかった。たちまちのうちに、食市場全体に低価格ドライブがかかった。デフレウェーブと呼ぶ。

 ファミリーレストラン業界では、既にして低価格業態へのシフトが進行していた。「すかいらーく」は「ガスト」というブランドを投入して、リーダーシップを発揮していたが、「夢庵」「バーミヤン」という低価格業態も連動して、大規模数の店舗を布陣する動きに拍車をかけた。あるいは、牛丼の「吉野家」は、400円で販売していた牛丼(並盛)を280円とした。コンビニエンスストアでも値引き販売が始まり、スーパーマーケットでも割引価格セールの頻発状態となった。

 食市場は、しばらく低価格、激安価格一辺倒となり、市場飽和感を醸成した。「食傷ぎみ」という言葉があるが、食市場それ自体が、「食傷ぎみ」となってしまったのである。

 「マクドナルド」は、2年間で「平日半額バーガー」キャンペーンを終了させるが、以降はメニュー価格問題に一貫性を欠くことで、ブランドを棄損した。

 他方、おなじく影響力の大きかった「吉野家」の280円牛丼は、アメリカでBSEが発生したことを奇貨として、市場に反発されることなく、すなわちブランドを棄損させずに低価格から脱出することに成功して、2006年9月からは380円で牛丼(並盛)を復活させている。

 いずれにしても、食市場における主要な競争舞台は、低価格競争という時代を過ぎることができた。しかしながら、この間に、特に円高を契機として以降は、食材料ないし食品としての市場飽和感は、常態化するところとなり、外食産業に至っては、市場そのものの縮減に遭遇するところとなったのである。


4.メニュー開発混迷の根拠

(1)「食品価値」の地位低下
 かつての「高カロリー、高たんぱく」志向が受け入れられた時代から進んで、食料品の供給が一巡することによってこの志向が満たされて以降は、食に対する消費者ニーズは多様化の時代となった。1980年代(昭和50年代後半)には「本物志向」や「高級志向」が叫ばれ、1980年代の終わりごろには「グルメ志向」が本格化した。

 この頃までは、すなわち「本物志向」「高級志向」「グルメ志向」などと表現されているうちは、まだ「食品価値」を求める志向性だと認めることもできるが、2000年以降(平成10年代)になると、市場飽和を背景として「食品価値」そのものよりも、「健康価値」を探るようになってきた。「健康価値」という言い方になると、「食品価値」を求める志向性だということができなくなる。

 そして、食品に付帯してきた「食品価値」の地位は、急速に低下してしまった。要するに、食材や食品に体現された物的性格そのものよりも、目で見たり手で触ったりすることのできない「情報価値」に購買動機の優先権が移ったのである。

 そうした「情報価値」の特質としては、市場需要を特定品目に長期にわたって集中させるということではなく、いくつもの食品、食材の「情報価値」を入れ替わり立ち代りに開発したり発見したりする。また種類の異なる食品を多数にわたって同時並行で求めるようになる。「情報価値」には、飽和点がないからである。

 外食産業のメニュー政策は、従って、21世紀に入って以降は、いわゆる決め手を欠くような状況となる。つまり、何か代表的な食材、食品、メニュー(料理)を見つけて訴求するという手法が通じなくなったからである。「情報価値」にとっては、食材、食品、メニュー(料理)はなんでもよいのである。たまたまそこにあった食材、食品、メニュー(料理)でもよいし、わざとらしく開発して見せてもよいが、要するに、1対1的に対応させることができないのである。

 この点で、かつての“ハンバーグ”“ハンバーガー”や“フライドチキン”が「高カロリー、高たんぱく」志向を直接的に担えた頃とは、状況が違っているのである。

とりあえず、外食産業のメニューは多様化の一途をたどっているが、それは目的としてそうなっているのではなく、飽食市場へのやむを得ざる対応として、結果的にそうなっているということである。

(2)メニュー政策からみる食肉業界の課題
 食肉業界に対して、あえて提言をするならば、食肉そのものの「情報価値」に関するエビデンス(証拠、証拠明示)を発信し続けることである。

 飽食市場下で消費者に求められるところとして食市場が欲する食材ニーズは、「食材、食品、メニュー」タームでのニーズではなく、例えば「健康価値」などの「情報価値」を裏付けてすくい取ることのできる「情報価値」だからである。この「情報価値」を「情報価値」たらしめるものがエビデンス(証拠、証拠明示)にほかならないのである。

 もちろん、そうだからといって、これが決め手となって、ヒットメニューにつながるという保証はない。これらは食市場で残っていくための必要条件である。繰り返すと、飽食市場下では、ヒットメニューの十分条件は、「ないものねだり」なのである。

 しかしながら、いま述べた必要条件に仕立て上げる「情報」は、どのような角度からでもつくりだすことができるものである。「情報価値」は、第三者が定めたスケールを使って物性を客観的に表現するというものではないからである。市場の感性に働きかけて縦横無尽なのである。市場との対話力や市場変化の芽を見つけることで、幾様にも可能性を発見することができるであろう。


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