◎専門調査レポート


「地産地消」に参加し、地域に共生する大型養鶏業
─広島県世羅町の養鶏場(有)ゆう食品の取り組み─

筑波大学大学院 生命環境科学研究科 教授 永木 正和

1.地域と畜産経営

 今、地産地消は地域農業活性化の重要な手段となっている。地産地消は、一面では地域活性化のための地域公益的な事業である。しかし、そのためには、既存の市場に割って入る策がなければならない。ビジネス活動としての側面を決して侮れない。現実は決して甘いものではない。生まれてまもなく消えゆく運命をたどる地産地消は山ほどある。成功は、決して地場市場の大きい小さいで決まるものではない。既存の市場に食い込んで行く戦略性があり、参加者の真剣さと熱意である。

 ここに紹介する広島県世羅郡世羅町は日本の地産地消の優等生と言える。現に、平成18年3月に全国地産地消推進フォーラム2006で農林水産大臣賞を受賞している。ここの地産地消は「世羅高原6次産業ネットワーク」なる独創的なコンセプトで戦略を描き、実践してきている。詳細は後段に述べるとして、地域の農業者が組織をつくって地場農産物の直売所、加工施設を運営しているのであるが、それが町内のあちこちに立地し、そして商品仕入れ、加工、関連の物流事業で緩やかに連携し、いわばネットワークを形成している。しかも、観光農園が点在し、町内をドライブして、農村景観や農園内を観光して楽しめるのである。農村に広がる緑のパノラマと食を満喫できる町である。こうして、地産地消と農村・農園観光がセットであり、それによって広島や福山の市民を呼び込む魅力を演出している。それが大きな地産地消の購買力を形成しているのである。

 ところで、千客万来の精神で、町外からも消費者を呼び込むこのパワーは、地元生産者のさまざまな取り組みがあるが、最も重要なことは、地域の農業者の全員参加である。季節それぞれの品数の豊富さ、地場の伝統食材へ加工した食品、民芸品などなど、安全で心のこもった商品、素朴で伝統を感じさせる商品を取り揃えられることである。遠来の購買客に常に期待感を持たせるものがあってこそ、購買客が立ち寄ってくれるのである。それを実現するにはお年寄や婦人の出番は多い。だが、もう一つ忘れてはならないのは、これまで大消費地向け出荷販売を志向していた中核専業農家にも参加してもらう必要があることである。地産地消への取り組みの初期段階は、農村婦人グループの小さな活動であることが多いが、世羅町のような町を挙げて取り組む規模ともなると、地域のプロ農家が商品供給の主体者にならなければならない。

 その場合、畜産経営は数少ないが地域の中では専業大規模で、法人経営もある。また、酪農を除いては、直接、取引業者と契約し、飼料購入、生産物販売する畜産経営は少なくない。地域自立型、自己完結型と表現できようが、内実は孤軍奮闘型、独立独歩型で地場に繋がりを持たない閉鎖的な経営が少なくない。最近の伝染性疾病の多発を考えれば、そうなるのも理解できるところではあるが、家畜ふん尿の資源化はもちろんのこと、遊休農地の放牧利用、飼料稲生産利用の取り組み、食品残さ物の飼料化など、いずれも域内の耕種農家や異業種との繋がりが重要である。

 本稿が取り上げる大型採卵養鶏業の「(有)ゆう食品」は、鶏卵の販売と有機たい肥の販売で、地域にはなくてはならない存在になっている。地場雇用にも貢献している。地域に根付き、地域に支えられた養鶏業である。100%配合飼料に頼っている今日の中小家畜経営は、騒音や、特に夏の悪臭、ハエなどの発生、一方で防疫上の理由から集落から離れた場所に立地し、周囲の農家とは没交渉的でありがちであるが、(有)ゆう食品は、もう一つの企業養鶏のあり方を提案してくれている。さらに付け加えるなら、ご主人の亡き後を引き継いだ夫人が、遺志を継いでさらに発展させてきていることである。その経営手腕はいわずもがなであるが、加えて女性としての細やかな気配りと強じんな忍耐力が経営に生かされ、ご主人の敷いた路線を踏襲しながらも、さらに新展開への境地を開き、今の揺るぎない経営へと発展させてきている。以下、本稿は(有)ゆう食品の経営発展の系譜をたどりながら、大型養鶏経営の一つのビジネスモデルを探りたい。


2.地産地消とは

 地産地消には決まったカタチはない。地産地消に取り組む者のアイデイアと消費者に訴えるココロが形作るコミニティ・ビジネスである。私がアメリカに留学していた30年前であるが、住んでいたミネソタ州で農村を走ると、りんご農場が見晴らしのよい道路端にしゃれた店を開いていて、休憩がてらに立ち寄った客に自慢のりんごを振舞い、りんごの直売やりんご狩りを営業していた。地元の野菜や加工食品も直売していた。一方、カナダのモントリオールからケベックに向かって車を走らせていた時、そこはきれいな緑のパノラマが広がる道路であったが、ポツリと一人のおばあちゃんが道路端にオーブン釜を据えてパンを焼いていた。私の家族はその焼きたてのパンをいただきながら景色を堪能していた時、おばあちゃんが私の子供に優しく話しかけてくれて、そこから私たちの会話がはずんだ。お年寄りの暖かく優しい言葉で、その場は和んだ。緑の空間と手作りの焼きたてパンとおばあちゃんとの親しげな会話の3要素が癒しの場を演出した。取り上げた事例は産地の直売というものであろうが、思えばこのような心和む雰囲気こそが地産地消の原点であり、そしてそれは万国共通であろう。

 すなわち、(1)地元で生産された農産物を地元販売、地元消費しようという地産地消は、万国に共通する生産者、消費者双方の思いであるということ、そして(2)地産地消はどんな形であってもよいが、売る人と買う人の気持ち(マインド)が通じ合い、満足感を実感できることが大切だということである。

 日本にもそのような原型的な地産地消は昔からあった。それが脚光を浴びるようになったのは一昨年の食料・農業・農村基本計画に取り上げられてからであろう。現代の地産地消は、個別的な地元直売を地域組織化したもので、地場の生産者と消費者が共同参画し、コミュニティ・ビジネスとして育てるものである。重要な点は、生産者と消費者がしっかりコミュニケーションを取り合い、信頼し合い、消費者が欲しいものを双方が納得する値段で継続的に取引する関係を築くことである。今、消費者が欲するものは、ホンモノの食材である。ホンモノとは、第一に安全な農産物である。その次に、新鮮で本来の味覚を堪能させる旬のもの、地場伝統料理の特色ある食材、さらには健康食、自然食、機能食というものも含まれる。過剰な装飾や包装は不要である。地場なら保管や流通にかかる経費も節減できる。それらのいずれもが既存スーパーに対する商品差別化の重要な手段である。

 地産地消を契機として消費者を生産の場に受け入れ、さまざまな農村交流、農村体験が広がる。教育の場やコミュニティに食育が広がる。それはあるべき食生活や食文化を取り戻すとともに、地場農業を応援することとなり、地場農業を元気付けて、地場経済の自立循環性を高める。最終的に、わが国の食料自給率の向上につながる。地産地消にはこういうシナリオが描けるのである。

 先に、地産地消はコミユニティ・ビジネスであるといった。「ビジネス」と言った裏には避けられない市場競争があるからである。だが、「売る」というビジネスではなく、「買ってもらう」という発想のビジネスであるということを強調しておきたい。満足して買ってくれるリピーターになってもらうために、生産者がなさねばならない商品づくりやマーケティングの方策があり、消費者から商品に裏打ちされた信頼を獲得する日常的なコミュニケーションがある。それをどのように工夫し、どう構築するかのビジネスである。“日常”とか“リピーター”という言葉は地場の繋がりの中でこそ生まれる。それがあるからこそ地場で展開する地産地消である。地産地消は地場の生産者と消費者の二人三脚の市民活動であると言っても過言ではない。


3.ひな型形のない地産地消、そして「世羅高原六次産業ネットワーク」

 ところで、地産地消のカタチはさまざまである。北海道の帯広市に、今や新名所になっている「北の屋台」がある。市の中心部のビルの谷間に20軒の屋台が並んだ一角がある。それが屋台村である。木造りベンチが並び、肩を触れ合わせながら飲み食いしているのはどこででも見かける屋台風景であるが、創作料理の居酒屋から中華、西欧料理店までが軒を連ねていて、観光客が多い。食材はできる限り地元調達を建前としている。地元の契約農家から野菜類を、地元漁業協同組合から魚介類を毎日、直接仕入れている。中には野菜農家、畑作農家、畜産農家が共同営業する直営の屋台もある。夏場には屋台村の広場で「夕焼け市」を開催しており、契約農家や漁協の直売が催される。この屋台村は、郊外の大型スーパーに出かける購買客を市内に引き戻す、観光スポットにして観光客を引き付ける、市内でレストランを創業しようとする者や調理師になろうとする者の「起業塾」の役割、そして地産地消を目的としている。ユニークな地産地消の取り組み方である。

 もう1つ紹介しよう。鳥取県の西端に位置する日南町では「朝どれ野菜」という愛称で地場野菜を岡山市内のスーパーで販売している。中山間地域で、生産者は高齢者、婦人が主体であるために少量多品目である。これでは大市場向け長距離輸送販売には適さない。地場で「朝どれ野菜市」を始めたが、非農家世帯は多くなく、地場の購買力は小さい。そこで岡山市の卸売会社がコーディネーターとなって岡山市内のスーパーでインショップ型の地産地消を営業している。朝どり野菜を各生産者が集荷場に搬入し、粗選別してトラックに積み込む。高速道路を走ればスーパーの開店に間に合わせて陳列できる。インショップ型は品揃えの苦労が緩和される利点があり、高齢者が担う小規模産地には好都合である。地産地消の拡張型であるが、1つの地産地消の範ちゅうに入れてよい。

 3つ目の地産地消が、「(有)ゆう食品」が参加している「世羅高原6次産業ネットワーク」である。広島県の中国山地に立地する世羅高原(平成16年に世羅町、世羅西町、甲山町の3町が合併して世羅町になった)で、第一次産業である農林業(観光農園を含む)の地元農家、第二次産業の食品加工業、第三次産業の直売所まで、地産地消にかかわる者を53の活動グループに組織し、そしてこれを町内完結型の一貫的地場産業群のネットワークを形成している。グループは産直市場、直売農園、地域生産者組織、フルーツ観光農園、フラワー観光農園、食品加工所、レストラン、JA、地元高等学校などである。そして、その中心に平成18年3月にオープンした本ネットワーク直轄運営の拠点直売施設「世羅夢高原市場」がある。アンテナショップの役割を担っている。町内に散らばる各直売店舗は個性を発揮し、競争関係にあるが、その一方で、商品開発、産地ブランド化、イベント企画、アンテナショップなど、地域一体的にセールス・プロモーション活動を行い、人材、施設、市場情報、技術を共有し、仕入れ農産物、加工食品を相互に融通し合い、相乗効果を引き出している。ナシ、ぶどう、かんきつ、りんご、ももといった果物が豊富にあり、米、野菜や松茸など、そして酪農と養鶏の畜産がある。観光フラワー農園がある。


 多様な経営形態の農業経営が展開するとともに、丘陵や谷あいなど、変化に富んだ山村の景観を堪能しながら、案内板を頼りに、くねった道路をドライブすると、次々に直売所が出現する。人口2万人弱の小さな町であるが、平成17年度の入り込み客数が121万人、売り上げが14億円、地場農産物を原料とする加工品は50品目であるから、町にとって地産地消は基幹産業である。世羅夢高原市場の入り口には「お帰りなさい」という看板が立っている。リピーターとなって何度も来て頂きたいという思いが込められているが、まさしくその戦略で域外から顧客を呼び込んでいる。

 世羅夢高原市場には季節に応じた果物や高原野菜が店舗に並び、秋には松茸も登場する。この豊富な地元農産物に加えて、地場産原料による加工商品としての目玉商品は、「豆乳うどん」、「アイスクリーム」、そして「卵ごはんセット」である。1つ目の豆乳うどんは福山市内の製麺業者との共同開発による逸品である。風味豊かで実に美味しい。

 2つ目は地場食材を豊富に使ったアイスクリーム(正式な販売商品名は「手作りジェラート」である。ジェラートとはイタリア原産で、アイスクリームの一種、アイスクリームよりも密度が濃くてコクがある。)である。このアイスクリームは町内で酪農を営む岡田牧場の夫人が長い試作研究の期間を経て、平成13年から製造を始めたものである。搾りたて牛乳と近隣の栗、ポーポー(バンレイシ科)の実、ゆず、キウイフルーツ、よもぎ、焼き芋、西洋梨などを使って製造している。岡田牧場は「酪農教育ファーム」の認証を受けており、学校、地域の子供会、観光客を対象として牧場内での酪農実習を含む体験学習や交流などに熱心に取り組んでいる。牧場内に製造室がある。牧場でオーダーメイドのアイスクリームやバターの製造体験、直売、乗馬、牧場見学、喫茶まで楽しめるようになっている。数少ない畜産農家メンバーの中にあって、開放された牧場として世羅高原第6次産業ネットワークに欠かせない存在である。なお、岡田さんはネットワークの主導メンバーとしても活躍している。

 3つ目の目玉商品である「卵ごはんセット」(調査当時1セット3,000円)は、(有)ゆう食品らのアイデイア豊かな傑作商品である。贈答用品として開発したこだわり農産物である。つまり、水車で精米した減農薬米、特徴あるエサ(後述)を給与した(有)ゆう食品の卵、世羅町産大豆を原料として卵かけご飯専用に開発した醤油、この卵かけご飯にマッチしたやはり地場産のウリのかす漬けからなる。それぞれにこだわりがあり、わざわざ専用醤油まで開発するという徹底ぶりであるが、これが実に購買者心理をくすぐっている。

 以上3品は年間を通じての売れ筋商品である。


4.(有)ゆう食品の養鶏経営概況

 わが国の鶏卵は95%という高い自給率を維持している。これは輸入飼料に依存したケージ飼育で生産効率の維持向上を実現しているからである。畜産統計によると、中小規模採卵鶏飼養経営層は飼養停止や規模縮小により戸数が減少している。経営者の高齢化と後継者不足、環境問題、鳥インフルエンザへの懸念などによる。だだし、大規模飼養経営層での飼養規模の拡大が進んでいるため、総飼養羽数は横ばいに推移している。平成18年の畜産統計で採卵鶏の成鶏めす飼養羽数規模別構成比をみると、「10万羽以上」を飼養する大規模飼養経営層は、戸数で10.7%のシェアであるが、羽数では60.2%のシェアに達しており、しかもこの割合は年々増大する傾向にある。採卵養鶏では、生産性の向上を図るには、やはり飼養管理、施設投資、飼料購入、鶏ふん処理のあらゆる面でスケール・メリットを働かせることが重要な手法である。農地を必要としないことからも、それは現実的、かつ有効な経営発展の手段になっている。

 さて、(有)ゆう食品は、広島県の中央、福山市から1時間半、標高400〜500メートルの中国山地に位置する世羅町で採卵鶏経営を営む。ご主人と死別後、夫人である吉宗八栄美さんが代表取締役に就任している(現在、51歳)。母が取締役である。長男は独立して、隣地で旭鷹(きょくほう)農園という有料フラワー農園を経営している。29歳の若さながら、55千平方メートルの丘陵に春はチューリップ、夏はひまわり、秋はダリアが鮮やかに咲き誇る花農園の経営者である。そのほかにイチゴ狩り、大根祭り、バーベキュー広場、グッズ売店を展開する町内屈指のフラワー観光農園である。次男と三男は大学生、長女はOLをしている。母親と4人の子供を養育しながら、養鶏場を経営し、そして地産地消活動にも参加するという一人三役をこなしてきた“細腕の肝っ玉母さん”である。家訓は「やりたいことを自由にやらせる」であり、押し付けはしない。しかし、責任感を植え付けること、本人がやりたくなる環境作りが大事だとも言う。これは養鶏経営における社員の仕事分担の基本方針でもあるとのことである。なお、三男は大学卒業後、長男のフラワー農園の経営に参画する予定である。

 現在の飼養羽数は、成鶏17万羽、育すう3万羽である。鶏卵の日生産量は約14万個であり、西日本でも屈指の大型養鶏場である。品種は、白レグ系のジュリアが11万羽、褐色系のボリスブラウン2万羽ともみじ4万羽である。販売商品にバラエティを出すため、褐色系を増羽中で、黄身が多く、おいしいという評価を受けており、外観がきれいなもみじ種を増やしている。現在の購買客の評価基準はおいしさであるが、地産地消販売は消費者の反応をモニターする手段にもなっている。販売戦略は「生産性よりもおいしい卵」、そして「販売商品のバラエティ」で、地産地消での売れ方や購買者層を観察しながら品質改善に最大限の努力を払っている。その技術対応は品種の選択とエサがポイントである。ピーク時の産卵率は、ジュリアが95%で、もみじが91%であるが、それでももみじ種を増羽しているのは、販売戦略に基づいている。エサはEM菌を添加、その他にガーリック、海草などを添加した独自の自家配飼料を給与している。この独自飼料がうまみを出していることの確かな手応えを得ている。好評を得ている卵の味を裏付ける企業秘密の配合飼料は、ここの養鶏場の特徴であり、堅実な経営成績を支える第一の成功要因である。

 現在の経営組織は、執行役員の下に養鶏部門、GPセンター、販売部門の3部門体制を敷いていて、労務体制もこの組織に対応している。まず養鶏部門に10人の正社員を配している(うち、女性3名)。内訳は、育すう舎に1人、成鶏舎に3人、機械オペ・保守と機械掃除に3人、たい肥舎に3人である。いずれも専従方式であるが、相互に作業補完の連携をとっている。GPセンターは常時10名の従事体制であるが、雇用者数は13人である(うち、女性10名)。そのうち、8人が正社員、3人がパート、2名が外国人研修生である。販売部門には6人を配している。うち2名の事務職員、営業と配達に4名の男性職員を置いている。なお、当然ながら、事務職員は農場全体の経理も担当する。女性社長の厳しい観察眼と、その一方で細やかな目配りやソフトな対応が生産の技術過程や後述の商品コンセプト、そして労務管理に反映している。女性社長が築いてきた社風、経営全体の切り盛りの仕方は第二の成功要因である。



(有)ゆう食品吉宗社長(右)と著者


5.(有)ゆう食品の経営展開

 生い立ちを振り返っておこう。先代が畑作複合経営として養鶏を開始している。現社長で前経営者(夫)の夫人である吉宗氏は昭和51年に結婚したが、これを機に場所を移転し、3万羽養鶏を開始した。直後に2年続きの寒波に襲われたものの、昭和53年には8万羽にまで拡大している。さらに昭和58年〜平成4年の間に高床式4段ケージ鶏舎、GPセンター、育すう場、たい肥舎を順次整備し、25万羽養鶏にまで経営拡大した。この際に農場を有限会社法人にした。

 JAが鶏卵を取り扱わないことから、飼料は商系から購入している。ただし、資金融資や販売代金窓口などではJAとの良好な関係を維持している。当時は、鶏卵販売は地元の専門の集卵・卸販売業者を通して関西と広島で販売していた。しかし、この鶏卵卸業者に後継者がいないのと、単独ではさばききれない取扱量になったので、鶏卵卸業者からのれんと施設を買い取って自らの販売を開始した。昭和61年のことであるが、これが販売部門を経営に取り込んだきっかけである。広島市内に販売営業所を置き、広島市を中心に直接販売を始めた。ここまではほぼ順調に経営発展してきた。

 転機は突然やってきた。社長であった夫が平成9年に病死した。当時、環境対策が強く言われ始めた時期であり、卵価低迷の時期でもあったので、一時は養鶏業を廃業しようと考えたが、自分に与えられた唯一の天職は主人が用意してくれた養鶏業であると思い直し、経営を継続することとした。しかし、「鶏は命がけで卵を産んでくれている」、「自分が無理をすると、鶏に無理をさせることになる」との思いから、目の行き届く範囲の規模に縮小し、鶏の負荷も軽減するために4段ケージを3段ケージの薄飼い開放舎にした。暑熱に弱い鶏であることに留意すべく、薄飼いにすることで夏季の体力を温存させ、疾病発生を抑制する効果を得ていることを確信している。なお、45日齢までのひなは、換気、採光、温度、湿度を最適制御したウインドウレスで、通常仕様よりもゆったりしたスペースで飼養している。45〜120日齢の中すう鶏舎は開放型鶏舎にして、やはり通常仕様よりゆったりスペースにしている。アニマル・ウエルフェアの考え方に近づこうとしている全体的なゆったりスペースはここの養鶏場の第三の特徴であり成功要因であるう。

 成鶏舎は上述したとおりの構造の開放型である。成鶏にもスペースを確保するとともに、陽を当てて健康に飼養することに留意している。また冬季はビニール・カーテンで保温、夏季は換気扇で換気と温度調整をしている。朝夕2度の点検で鶏の健康状態、鶏舎内環境を点検している。防疫対策として、1.5カ月に一度の血液検査を行っている。照明は朝の4時から夜8時までである。145日で5割が産卵を開始、180日で95%が開始する。450日齢で強制換羽させ、40日後に産卵を開始させる。およそ700日齢で廃鶏にする。飼料は4時、8時、12時、16時の4回給餌である。

 オールイン・オールアウト方式で、ひなは年6回転させている。つまり、1ロットを5千羽〜1万羽とし、2カ月シフトのローテーションで回している。ロット単位の群管理方式で、ロットごとの動態表と管理チェック・リストを基本台帳にした株式会社ゲン・コーポレーションの経営分析ソフトで管理している。経営管理面で重要な情報は、市況、飼料市場情報、疾病情報であるが、これらは日本養鶏協会、家畜保健衛生所・町役場、マスコミ報道の3ルートである。その情報収集は社長、事務担当、営業担当の重要な役割としている。



もみじ成鶏舎内部


6.販売戦略と活動

 主要な出荷販売商品は5個入りパック、10個入りパック、ネット手詰め、10キログラムダンボールの4種類である。また、主力商品の「もみじ10個入り」(300円)、新商品として「赤うま」(飼料にハチミツを添加)20個入り」(700円)などに力を入れているがそのほかに、さまざまな容器を使った“装飾卵”の開発も手がけている。世羅夢高原市場をはじめとする町内直売所では、前述したパック商品の他に、地産地消の目玉商品として「卵ごはんセット」を販売している。贈答用品として売れ行き好調なこだわり商品である。

 先述したが、(1)赤屋アグリテックという営農集団が栽培した減農薬米を水車で程よく時間をかけて精米した米に、(2)特徴ある飼料で飼育した(有)ゆう食品の黄身の大きく味のよい鶏卵(町内の28万羽養鶏業の「つくしファーム」との共同原料提供である)、(3)醤油製造会社の寺岡屋が世羅町産有機大豆を原料にして卵かけご飯専用に開発した醤油、(4)赤屋集落の婦人会組織が町内の漬物工房で漬け込んだ地場産ウリのかす漬け(卵かけご飯にマッチしている)、から成るパック商品である。このパック商品は、異業種が知恵を出し合って製品化した、まさに地産地消ならではの傑作商品である。昨年6月に発売開始したが、お中元商品として爆発的売れ行きであった。今も好調な売れ行きを持続している。

 なお、パック入り、ネット入り卵は、品種、サイズ、飼養方法でさまざまなネーミングをつけて販売している。たとえば、大きいサイズの卵は「ちょっと嬉しい福運たまご」、反対に初産の小さいサイズの卵は「はつこ」、黄身が2つ入った卵は「ふたご」、EM菌を添加給与したもみじ種のたまごは「EM菌育ちの純国産鶏もみじが生んだもみじたまご」といった具合である。遊び心がこもったネーミングにすることで、付加価値販売をしている。卵がこのように多種多様な製品になって店頭に並ぶ販売手法はお見事というしかない。さらには社長の直筆による季節のあいさつやニュース、顧客に伝えたい社長の思いなどのメッセージを封入している。「たまご屋通信」というニュース・レターを商品陳列所に置いている。社長が心をこめて作った安全・安心な製品であることをやんわりと伝えようとする姿勢が、暖かさや近親感、安心感を買い手に伝えているのは言うまでもない。このような、たかが卵ながらも、魅力的な製品づくりをして販売促進につなげる努力をしているのが第四の特徴(成功要因)である。これは、販売部門を自社の経営の中に取り込んでいるからできることである。



陳列されている卵パック


 販売先は、7割が県内販売である。やはり地元販売を重視している。広島、福山をはじめとしてほとんどの県内各都市に出荷している。スーパー卸のほかにレストランへの直売もある。3割は県外販売で、これは問屋に卸す。岡山、島根、関西都市圏が主な販売先で、鮮度維持の観点からそれ以上の長距離には販売したくないが、一部、東京でも販売していると言う。

 最近、健康食品製造会社に原料として契約販売を始めた。高速道路のサービスエリアでの販売も手がけている。量的安定販売や値崩れ防止観点で、今後はこのような契約販売と販売チャネルの多角化を図りたいという。なお、販売価格は市況を見ながら値付け交渉しているが、値崩れを起こさないためには、上述の製品差別化を図らなければならないと考えている。

 最後に鶏ふん処理について紹介しておく。生鶏ふんが日量20トン排出される。これを完全有機質たい肥にして日量6トンを生産している。EM菌を使用して発酵させ、たい肥舎で完全たい肥に仕上げる。天日乾燥しているのが大きな特徴である。エネルギー消費を節減(コスト低減)している。EM菌の作用によるとの説明であったが(飼料にもEM菌を添加しているが)、農場全体でほとんど臭いがない。夏季のハエ、鶏ふんに由来する昆虫の発生もないとのことである。このことは、平成15年度の第3回広島県堆肥共励会の鶏糞堆肥部門で「優秀賞」を受賞したことによっても裏付けられている。なお、排水の浄化処理にもEM菌を使用していた。いずれにしても、農場の全体的に、清潔感がうかがわれた。

 完成した鶏ふん肥料は地元の肥料業者に販売している。しかし、これは処分残量の販売という考え方である。まずは地産地消の直売所で100円/15キログラムの安価な価格で販売している。第二に、場内にての近隣農家へのバラ引取りの無償贈与をしている。平均すると1日2トンの贈与持ち出しであるが、これは完成たい肥の日生産量の3割に相当する量であり、ばかにならない量である。世羅町の有機栽培、減化学肥料栽培を側面支援している。この点でも近隣の耕種農業との接点をもっているわけで、地域との絆を維持して共生補完しつつ養鶏業を営んでいるわけである。これを第五の特徴(成功要因)と見なしたい。



県堆肥共励会で優秀賞となった天日乾燥の鶏ふん


7.むすび

 現在、わが国の食料産業の市場は約80兆円になる。このうち、第一次産業は、輸入農産物を含めても15兆円にすぎない。後の65兆円(8割)は、加工、販売、飲食店、関連サービスの取り分である。コスト削減で自らを締め付けるよりも、まずはこの川下の65兆円の幾分なりとも第一次産業従事者の側に取り込むことが第一の重要な観点である。つまり、第一次産業を土台として、第二次産業、第三次産業を取り込むのである。この“一次×二次×三次=>六次”が実は世羅町の6次産業地域農業活性化のコンセプトである。地産地消と観光で域外から入り込み客を得て大きなマーケットを創生し、農業資源の有効活用、雇用の確保、そして生き生きとした地域コミュニティが築かれるロジックを実証している。

 第二に、畜産は漸次大型化し、経営形態として法人化してきているが、その一方で、往々にして環境問題や防疫対策上、奥まった立地に閉鎖的、自己完結的な経営として存在することが多い。しかし、時代が変っても環境保全や資源循環観点で地域に有畜農業が存在することや耕畜連携の意義は重要である。ここでは大規模な採卵養鶏を営む「(有)ゆう食品」の、地場の農業者との連携関係を維持し、地域農業と相補的関係において経営発展してきている過程をレビューした(簡単にしか紹介しなかったが、酪農を営む岡田牧場についても同様である)。

 第三に、苦難を乗り越えて今日の(有)ゆう食品の経営を築いた夫人社長の経営手腕を高く評価したい。農業ビジネスにおける女性経営者の登場を鼓舞したい。マーケティングを取り込んだ垂直的多角化展開によって経営発展を導いてきたが、そこには女性経営者としてのしなやかな眼差しが生かされている。しかし、女性だからという一言ではなく、時代を読んで経営展開する新しいタイプの大型養鶏のビジネス・モデルを描くことができる。その経営手腕を高く評価したい。願わくば、そろそろこの経営を次代の後継者に引き継がせる準備にかかれることをと独り言を言っている次第である。


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