◎今月の話題


酪農家が今取り組まなければならないこと

東京大学大学院農学生命科学研究科 教授 鈴木 宣弘

飼料高騰の危機を打開するために何ができるか

 2007年末には、どこの酪農地帯におじゃましても、飼料価格高騰による生産コスト高による大幅な所得減少で、年末の種々の代金支払いにも苦労し、大規模な経営も含めて、「年が越せない」との声が続出したが、2008年になっても、飼料価格高騰が収まらず、空前の酪農危機といわれる事態は更に悪化してきている。

 こうした事態を踏まえ、第一ステップとして、生産者団体と乳業メーカーとの間で、飲用乳価の取引価格の3円値上げ、北海道のプール乳価も5.1円の値上げが合意された。さらに、第二ステップとして、政策的には、加工原料乳の補給金の1円の引き上げ、北海道の乳価5.1円上昇と都府県の3円上昇との格差の2.1円を都府県の飲用乳に実質上積みするなど、現状の制度体系で最大限の措置が採られたといってよい。

 これらによる生産者手取りの実質的引き上げは、まだ飼料価格高騰による生産コスト高で経営難に陥る酪農家にとって十分なものとはいえないかもしれないが、とりあえず、大きな前進と受け止め、危機打開に向けて、第三ステップとして、生産者、メーカー、小売、消費者、関連団体、行政、それぞれの段階で、さらに何ができるか、今後も英知を結集する必要がある。


国際化をにらんだ酪農の方向性

 乳価がなかなか上がらないのが問題なときに、さらに乳価が下がる可能性についても議論せざるを得ないのが、日本酪農の置かれた深刻な事態といえる。国際交渉の進展によっては、乳価は下がる可能性も出てくる。

 仮にもこのようなことが現実になった場合、日本酪農がいくら規模拡大してコストダウンしても、どんなメガファームであっても、豪州や中国とのコスト競争では勝てる見通しはない。規制緩和さえしてくれれば、自分たちだけは従来路線の延長で生き残れると考えている大規模経営の経営者がいるとすれば、それは誤解していると思われる。

 一部の輸出産業の短期的な利益のために、さらなる農畜産物貿易自由化の拙速な流れを許さないよう尽力する一方で、ある程度の貿易自由化の流れも想定して、その影響を緩和するために、国産牛乳・乳製品への消費者の支持と信頼を強固にする取り組みを一層強化する必要がある。それは、薄っぺらな小手先の戦略ではなく、根本的なところで、人の成長に不可欠な牛乳・乳製品を最良の形で消費者に届けるというミッション(社会的使命)に関係者が誠意を持って取り組む姿勢がないと無理なのではないかと思う。


課題は、環境に配慮した資源循環型酪農の推進

 消費者の支持を得るには、わが国の窒素過剰問題からも酪農のあり方を見直す必要がある。日本の農地が適正に循環できる窒素の限界は123万トンなのに、すでに、その2倍近い234万トンの食料由来の窒素が環境に排出されている。そのうち80万トンが畜産からであり(飼料の80%は輸入に頼っているから、1.2億人の人間のし尿からの約64万トンに相当する窒素が輸入の家畜飼料かもたらされていることになる)、一番の主役である。

 過剰な窒素は、大気中に排出されて酸性雨や地球温暖化の原因となるほか、硝酸態窒素の形で地下水に蓄積されるか、野菜や牧草に過剰に吸い上げられる。硝酸態窒素の多い水や野菜は、乳幼児の酸欠症や消化器系ガンの発症リスクの高まりといった形で人間の健康に深刻な影響を及ぼす可能性が指摘されている。糖尿病、アトピーとの因果関係も疑われている。

 このような事態を直視すると、わが国の窒素需給を改善し、健全な国土環境を取り戻し、国民の健康を維持するために、可能な限り、草地依存型、資源循環型の酪農を推進することが、酪農経営者にとっていかに喫緊の課題かということがよくわかる。それが海外の飼料価格高騰にも影響されない経営を確立していくことにもつながる。いまこそ酪農経営者が環境や資源循環に果たす役割の自覚を強め、環境にも牛にも人にも優しい経営を追求し、消費者に自然・安全・本物の牛乳を届けるという食にかかわる人間の基本的な使命に立ち返るときである。


「私の顧客づくり」で「国産プレミアム」の維持・拡大を

 EUの事情は、差別化の可能性を検討する意味でも参考になる。例えば、イギリス酪農とイタリア(特に南部)の酪農には大きな生産性格差があるが、EUの市場統合にもかかわらず、各国の多様な酪農は生き残っている。ナポリの牛乳はリットル当たり約200円で日本と変わりない。これは、イタリアのスローフード運動に象徴されるように、少々高くても、地元の味を誇りにし、消費者と生産者が一体となって、自分たちの地元の食文化を守る機運が生まれているからである。こういう関係を生み出さなくてはならない。

 ただし、個別の販売ルートの確立だけでは、価格交渉力の点で弱いし、頭数が多いと、すべての生乳を個別のブランド品のみで販売しきれるか、という問題もある。世界では、小売の市場支配力に対抗するため、猛烈な勢いで生産・処理サイドの巨大化が進んでいる。ミルク・マーケティング・ボードの強制解体で生産者組織が細分化され、「買いたたき」に遭って乳価が暴落したイギリスは一つの教訓である。小売のマーケットパワーに対抗できる組織力は不可欠である。しかし、個々の創意工夫による「私の顧客づくり」なくして、海外との競争に負けない「国産プレミアム」の維持・拡大は難しくなる。つまり、組織力の強化と個別の「私の顧客づくり」とを最高の形で組み合わせていくことが求められる。


鈴木 宣弘(すずき のぶひろ)

プロフィール

東京大学大学院教授
1982年東京大学農学部卒業
農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より現職
主著に、『FTAと日本の食料・農業』(筑波書房、2004年)、『農のミッション−WTOを越えて』(全国農業会議所、2006年)


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