海外駐在員レポート

タイ在住日本人による生食用鶏卵の生産事例について

シンガポール駐在員事務所 林 義隆、佐々木 勝憲



はじめに

  タイでは、所得の向上に伴い食品に対する関心も高まっており、中国産粉ミルクへのメラミン混入が大きく報道されるなど、近年では食の安全性に対する意識も高まりつつあるとされる。

 外務省領事局海外在留邦人数調査統計(平成20年速報版)によれば、現在、タイには約4万3千人の日本人が生活しており、このうちバンコクには約3万2千人が居住している。タイに在住する日本人の間でも、タイ産有機野菜の需要が高いなど、食の安全性に対する関心は高いとされている。

 このような中、今回は、生食が可能なこともありバンコク在住の日本人の評価が高い、タイ在住の日本人による鶏卵生産の状況などを紹介する。


循環農業のモデル農園を設立

 生食可能な鶏卵を現地生産しているPARADAISE FARMはバンコクの北東約120キロメートルのナコンナヨック県に所在する。同農園は、日本人長期滞在者である川田氏と、スコータイタンマキライ大学農学部生のワチュラポン氏の共同経営により2006年5月に設立された。もともと、川田氏は日本において農協の再建などを手がけるとともに、北海道で自然農法を実践していたが、その後、タイでマリーゴールド栽培指導員でもあったワチュラポン氏と出会ったことが農園設立のきっかけとなった。

 タイは、世界有数の食料輸出国ではあるものの、輸出志向の単一作物栽培の拡大や生産性向上のための農薬や化学肥料の多用などにより、土壌の劣化が問題となっている。タイに在住していた川田氏は、この様な状況のもと、自身の持つ循環型農業の技術をタイの農民に伝えたいと考えていたところワチュラポン氏と出会い、彼の実弟の妻が土地を農園に提供しても良いということになり、ナコンナヨック県にモデル農園を設立した。

 川田氏は、家畜排せつ物や農業副産物などをたい肥化し、農地での利用を図るなど、耕畜連携による有機物の循環利用によりたくましい農業を目指すとしている。農場の設立に当たっては、経営が軌道に乗るのにどの程度の時間を要するか不明であったことから、初期の費用負担が少ない養鶏事業を選択したとのことである。



PARADAISE FARM 鶏舎の様子


ヒナの育成方法を工夫し丈夫な鶏を飼育

 タイでは2004年から2005年にかけて、ほぼ全土において高病原性鳥インフルエンザ(AI)が発生し、2006年5月の農園設立時には、ナコンナヨック県での発生は確認されていなかったが、念のため、まず、試験的に初生ひなを300羽導入し、入雛(にゅうすう)後60日間に疾病の発生がなかったことを確認した上で、同年8月に1,000羽を追加導入した。その後は、2007年12月に1,700羽、2008年4月に2,000羽を増羽して、現在の飼養羽数は合計5,000羽となっている。

 農園の敷地面積は5ライ(0.8ヘクタール、1ライ=1,600m2)で、スタッフは男性が4名、女性が5名の合計9名である。敷地内に鶏舎を3棟(1棟当たり12区画が2棟と1棟当たり9区画が1棟)所有するほか、数種類の野菜を試験栽培している。

 飼養している採卵鶏はすべて赤玉鶏で、現在の生産量は1日当たり約3,200個となっている。現在まで約2年半の間に、飼養している採卵鶏に疾病の発生はないとしており、その理由として、鶏舎や飼料・給水などの工夫のほかにひなの飼育方法を挙げている。

 まず鶏舎については、平飼鶏舎を採用しており、1区画(約28m2)当たり150羽を飼養(飼養密度は1m2当たり5.4羽)している。鶏舎は東向きに建てられており、朝日が十分に入るように考慮されているほか、鶏舎内は土間になっており稲わらとモミ殻が敷かれている。通常、平飼鶏舎の場合、堆積する鶏ふんの発酵によりアンモニアが発生するが、アンモニアは悪臭の発生源であるほか、採卵鶏の呼吸器系の疾病を誘発し、産卵率にも大きな影響を及ぼす。このため、この農園の鶏舎では、敷料と鶏ふんが混ざって酵母発酵が起こるように工夫しており、床が乾燥するとともに鶏の砂浴び場となり、鶏舎特有のアンモニア臭もない。

 当初は、熱帯地方特有の暑熱の影響が懸念されたものの、同農園はバンコク近郊の保養地として有名なカオヤイ国立公園の山ろくに位置していることもあり、特段の支障はないとのことである。それでも、熱帯に属していることから、鶏舎の屋根を弓状にして、鶏舎内に対流を起こさせ熱気を排出しており、鶏舎内の温度は外気と比較すると2〜3℃低いとしている。なお、これ以外の暑熱対策は実施しておらず、換気扇なども設置していない。

 次に飼料については、塩水に浸したモミ米4割に、トウモロコシ、大豆かす、魚粉、一般配合飼料などを自家配合し、朝晩2回給与しているほか、バナナの茎のスライスとハーブに糖蜜を混ぜたものを昼に与えている。モミ米の価格は、年初キログラム当たり5バーツ(約15円:1バーツ=2.9円)であったが、その後価格が急騰し、一時はキログラム当たり16バーツ(約46円)まで高騰したため、モミ米の配合を一時中止したが、産卵率の低下などの影響が現れた。その後、9月にはモミ米の価格がキログラム当たり12バーツ(約35円)まで下がったことから、モミ米の配合比率を3割まで戻し給与を再開したところ、産卵率は従来レベルまで回復したとしている。また、バナナの茎は、近隣の農家から無償で入手している。水も、BMW(バクテリア・ミネラル・ウォーター)技術により生成された「酵素水」を500倍に希釈したものを給与しているほか、唐辛子やハーブを配合している。鶏は唐辛子入りの水を嗜好する傾向が強いため、辛さへの嫌悪感なども見られないという。最後に、ひなの飼育方法として、入雛(にゅうすう)直後精米を給与し、3日目から竹の葉を細かく裁断したものを追加して給与している。このように胃腸を鍛えながら育成すると、通常は1.3メートルほどの腸が倍以上の長さになり、消化能力が高まるとともに、餌を完全消化するため疾病にも強くなるとしている。

※ BMW(バクテリア・ミネラル・ウォーター)技術
  「バクテリアとミネラルを利用して水を「活性化」させる技術」とのことである


バナナの茎

バナナの茎のスライス

ハーブの裁断風景

ハーブとバナナの茎のスライス

BMW製造過程(その1)

BMW製造過程(その2)

BMW貯水タンク


生食可能な鶏卵を販売

 このように、飼養環境と飼養方法などに工夫を行った結果、採卵鶏の健康状態も良好で疾病に罹患することもなく、ホルモン剤を含め薬品を一切投与する必要がないとしている。同農園では、このようにして生産された鶏卵を「黄金たまご」というブランド名で販売している。また、2007年からは、目に良いとされるルテインを含有するマリーゴールドを一部の採卵鶏に給与して、より付加価値の高いルテイン卵「瞳」の販売も開始した。

 農園の開設当初は、川田氏とワチュラポン氏で販路の開拓に当たり、バンコク市内の日系スーパーなどでの販売が開始された。東南アジア地域では、鶏卵を生食する習慣がなく、チャルーン・ポーカパン(Charoen Pokphand:CP)グループなど地元企業が生産するものは、常温で管理・流通されているが、同農園で生産された鶏卵は、殺菌消毒の後、保冷室で保管するなど、生食が可能な品質を維持している。出荷は週3回(月曜日、水曜日、金曜日)行っており、農園のスタッフがバンコク市内まで冷房を効かせたワゴン車で配送している。

 バンコク近郊では以前にも、主に日本人向けの生食可能な鶏卵を生産する農場があったが、2004年に発生したAIの影響で撤退していたこともあり、2006年に鶏卵生産を開始して以来、PARADAISE FARMは順調に業績を伸ばしている。現在では、バンコク市内の日系スーパーおよび日系百貨店のほか日本食レストランやケーキ製造業者などに販路を拡大している。川田氏によれば、タイ在住の日本人の間では、生食が可能な安全・安心な鶏卵の需要は強いという。


集卵された鶏卵

保冷庫での保管風

「黄金たまご」

ルテイン含有卵の「瞳」


将来は豚や牛の導入を検討

 農園の設立当初は、川田氏の年金を施設の導入や運転資金に充当していたが、2007年に入ってからは鶏卵販売で利益が出るようになったとしている。今後は、野菜や米などの基盤整備を行いたいとしているが、鶏ふんのみでは土壌改良にも限界があると考えているため、たい肥作りのために豚や肉用牛の飼養についても検討するほか、野菜については、日本の種苗メーカーの協力を得て、タイの気候風土に合った品種などを模索していくとしている。

 また、川田氏によれば、タイでは肉牛の飼養も行われてはいるが、耕種と畜産が有機的に結合していないとしており、自身の持つ農業知識を次世代へ伝えるなど後継者育成にも取り組みたいとしている。


主に日本人の需要が高い生食用高付加価値卵

 バンコク市内の日系スーパーでは、PARADAISE FARMの「黄金たまご」が1パック(6個入り)当たり55バーツ(約160円)、ルテイン卵の「瞳」が同108バーツ(約313円)で販売されている。前述のとおり、もともとは他の農場が生産していた生食可能な鶏卵を販売していたが、AI発生の影響で当該農場が鶏卵生産から撤退していたこともあり、同スーパーでの販売を開始した。

 同スーパーでは、「黄金たまご」と「瞳」のほかに、CPグループが生産している鶏卵(12個入りで54バーツ(約160円:通常価格))なども販売している。価格はCP産の2倍であるが、日本人への鶏卵販売高は生食可能な高付加価値卵としては、価格が手ごろなため「黄金たまご」が最も多いとのことである。また、「黄金たまご」の購入者の一部にはタイ人の富裕層も含まれるとしている。なお、より高価なルテイン含有「瞳」の販売数量は、「黄金たまご」の約1割程度となっている。


スーパーでの販売風景


高価な日本産鶏卵にも一定の需要

 同スーパーでは、PARADAISE FARM産の生食可能な鶏卵のほかに、日本からの空輸による生食可能な鶏卵も販売している。千葉県産の鶏卵を毎週金曜日に空輸しており、販売価格は1パック(6個入り)が196バーツ(約568円)となっている。本商品の輸入元は日系の航空会社系の商社となっており、同社のホームページでも生食可能な旨をPRしている。この日系スーパーによれば、空輸された鶏卵の販売価格が「黄金たまご」の3倍以上と高価なこともあり、一週間当たりの販売数量は「黄金たまご」の約半数ではあるものの、固定客の根強い支持を得ているとして、一定の需要を維持している。

 同スーパーは、日本人駐在員が多く居住する地区に立地していることから、バンコク在住の日本人が顧客に占める割合が高く、またタイ人に鶏卵を生食する習慣がないこともあり、CP産と比較して高価な生食可能な鶏卵の購入者はほとんどが日本人とのことである。現在、PARADAISE FARM産鶏卵と日本からの空輸鶏卵の入荷量はほぼ一定しており、同スーパーを利用するバンコク在住の日本人の間では、生食可能な高付加価値鶏卵に対して、比較的安価な現地生産卵と高価な日本産空輸卵のすみ分けがある程度なされているものと考えられる。

 タイ国内に展開している大型スーパーでは、上記CP産鶏卵が1パック(12個入り)52バーツ(約151円)、プライベートブランド(PB)商品が同41バーツ(約119円)で販売されている。鶏卵1個当たりの価格が、地元スーパーのPB商品と比較して「黄金たまご」が2.7倍、日本からの空輸鶏卵が9.6倍という状況を考えれば、食の安全・安心に対する関心が高まってきているとはいえ、一般のタイ人に対しこれらの生食可能な高付加価値鶏卵の消費拡大を図るのは難しいものと考えられる。このため、PARADAISE FARM産鶏卵の販売は、今後も日本人駐在員家庭を中心に、一部のタイ人富裕層や外国人など、比較的所得が高い層にターゲットを絞るとともに、販売チャンネルも安さを競う地元スーパーではなく、日系スーパーや欧米人が顧客の中心となっている高級スーパーが中心になると思われる。

 しかし、高付加価値鶏卵の中でも、高価な日本からの空輸鶏卵が一定の需要を維持しているのは興味深く、日本産農産物に対する信頼感など、消費者の購入動機を探る上でも参考になるものと思われる。

『タイにおける鶏卵の生産状況などについて』

 タイ農業・協同組合省(MOAC)によれば、2007年における採卵鶏の飼養羽数は前年比66.9%増の約4,900万羽となっている。採卵鶏の飼養羽数については、2004年に発生した高病原性鳥インフルエンザ(AI)の影響などもあり、同年以降ブロイラーと同様に大きな増減を繰り返している。鶏卵生産量は、2004年のAI発生時には、65億6,000万個まで減少したものの、その後は増加傾向で推移し、2007年が同0.9%増の89億9,000万個と推定され、2008年の生産量は同4.1%増の93億6,200万個と見込まれている。鶏卵生産は、ブロイラーと同様に大手インテグレーターのシェアが高く、地域別の生産量では飼料工場が多く立地する中央部が5割以上を占めている。

表1 家きん飼養羽数の推移

表2 鶏卵生産量の推移

表3 地区別鶏卵生産量

 タイにおける、鶏卵の1人当たり年間消費量は8.1キログラム(2006年)で、過去5年間ではAIの発生で同6.1キログラムまで減少した2004年以外ではおおむね同8キログラム前後となっている。タイの鶏卵消費量は、フィリピン(2006年1人当たり消費量:3.5キログラム)やインドネシア(同5.1キログラム)よりは多いものの、日本の消費量(同16.7キログラム:農林水産省「食料需給表」)と比較すると半分程度となっている。

 国内の採卵鶏業者は、2004年のAI発生時には種鶏の輸入を控えるなどの生産調整を実施したが、その後は鶏卵需要の回復に伴い増羽したことにより、供給過剰状態が続いているとされる。このため、MOACは2012年までに鶏卵の1人当たり消費量を200個(約11.6キログラム:鶏卵は1個58グラムで換算)まで増加させることを目標としており、消費促進に向けた広報活動を実施しているほか、最大手のCPグループでも販売促進キャンペーンなどを実施している。また、生産量のほとんどが国内で消費されており、輸出量は全体の1〜2%程度のため、MOACは生鮮鶏卵および鶏卵加工品の輸出促進も目指すとしている。なお、2007年の鶏卵輸出量は、鶏卵が2億4,600万個、鶏卵加工品が2,849トンとなっており、このうち鶏卵は香港向けが2億2,500万個で全体の9割を占め、鶏卵加工品は日本向けが1,791トンと全体の6割を占めている。

表4 鶏卵の需給

表5 2007年鶏卵等輸出量


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