調査・報告

酪農生産と水資源

酪農乳業部審査役 野村俊夫


1.はじめに

 当機構は、乳製品の国際約束による輸入(カレント・アクセス輸入)などを行うに当たり、輸入乳製品の製造管理体制などを確認するため、適宜、輸出国の現地調査を実施している。本年も当該調査を実施したところであるが、ここでは、米国カルフォルニア州と豪州ビクトリア州の調査で得た知見に踏まえ、両地域の酪農生産と水資源について考えてみたい。


かんがい用水の取水管理地点(豪州)


2 米豪の明暗

 米国の国土面積はアラスカを除くとわが国の約22倍、豪州は同約20倍である。また、両国ともに酪農生産を重視し、国を挙げてその振興に努力している。しかしながら、両国の生乳生産量を比較すると、米国の年間約8,400万トンに対し、豪州は約960万トンにとどまり、約8倍の開きがある。しかも、米国の生乳生産は現在も拡大を続けているのに対し、豪州では、近年、生乳生産がほぼ頭打ちとなっている。

 ちなみに、米国カリフォルニア州では、生産者乳価が記録的な高水準にあるため、飼料価格が高騰しているにもかかわらず、飼料の選択や組合せを工夫してコストを削減すれば利益は確保できるとのことで、総じて楽観的であった。

 一方、豪州ビクトリア州では、ここ数年、断続的に干ばつに見舞われて牧草の供給量が減少し、飼養頭数の削減を余儀なくされたことに加え、補助(購入)飼料やかんがい用水の価格がともに高騰し、総じて経営が悪化していた。干ばつの状況は改善したとのことであったが、経営の再建は容易でないと思われた。



かんがい用水路と牧草畑(米国)



水利権付き牧場の売却を告げる看板(豪州)


3 シエラネバダ山脈

 米国カルフォルニア州の中央部には、南北約750キロメートル、東西100〜200キロメートル、面積がわが国の本州の約4割もある広大な盆地(セントラルバレー)がある。この盆地の内陸側(東)には、最高峰ホイットニー山(標高4,418メートル)やヨセミテ国立公園を擁するシエラネバダ山脈がそびえており、ここに降る多量の雨や雪がこの盆地に流れ下るほか、長年をかけて地下水としても蓄積され、盆地全体に豊富なかんがい用水を供給している。このため、この盆地は、晴天の多い乾燥した気候であるにもかかわらず、豊富な地下水をかんがいに利用できるという、極めて恵まれた環境にある。ここでは、この環境を活かし、牧草、飼料作物のほか、果樹・園芸作物、そのほかの農産物を大量に生産しており、これらの加工残さを含む豊富で多彩な飼料を供給することによって、米国一の生乳生産量を誇るカルフォルニア酪農を支えている。



かんがい用地下水の汲み上げ装置(米国)



自走式かんがい装置と牧草畑(米国)


4 カルフォルニア式酪農ビジネス

 ここにおける酪農生産は、大規模企業経営、雇用労働、畜舎(フリーストール)と搾乳場がセットの集約的飼養、豊富な流通飼料の活用を特徴としている。1農場当たりの搾乳牛頭数は2,000〜6,000頭が多く、同一企業が複数の農場を所有するケースも多い。畜舎などの規模も大きく、2基の大型ロータリーが並んで回転する搾乳場もあった。一方、畜舎が搾乳場に隣接しているため、千頭規模の牛群の移動もスムーズである。雇用労働による搾乳作業は3交代制で、24時間連続稼働となることもある。自給・購入を含めた流通飼料は豊富かつ多彩であり、牧草、飼料作物、各種農作物の加工残さなどが活発に取引されている。

 こうした酪農経営は、いわばカルフォルニア式酪農ビジネスと言うべきものであり、綿密なコスト計算に基づくダイナミックな経営手法を特徴とし、全くの異業種からの参入・転出もあるため、「牛飼い」というイメージは希薄である。ただし、こうした酪農ビジネスを支えているのが、背後にそびえる山脈が供給する豊富な水資源と、これを利用して生産される豊富かつ多彩な飼料であることは忘れるべきでない。



2基の大型ロータリーパーラーが回転(米国)



大型のヘリングボーン式パーラー(米国)



大規模なフリーストールバーン(米国)


5 豪州乾燥大陸

 豪州は古い大陸であり、長い年月を経て極めて平坦な地形となった。このため、海を渡ってくる湿った空気は、海岸地域に一定の雨をもたらすが、その後は遮られることなく内陸に吹き込み、やがて水分が蒸発して乾燥する。豪州の内陸部が、大部分、砂漠(土漠)となっているのはこのためである。内陸に入るほど乾燥の度合いが厳しいため、農業が可能なのは海岸から一定の範囲に限られている。雨は貴重な水資源であり、営農可能な比較的恵まれた地域であっても、家屋の屋根に降る雨水を雨樋(とい)によりタンクに貯めて、大切に利用しているほどである。

 この平坦な大陸で唯一の例外は、東側の海岸に張り付くように南北に伸びている大分水嶺山脈である。これは、標高1,500m前後の長い丘陵のような山脈であるが、その名のとおり、この大陸の分水嶺となっている。ただし、この山脈がもたらす貴重な降雨は、大部分が狭い海側に流れ下るため、あまり有効に利用されていない。一方、内陸側に流れ下る河川は水量が少なく安定しないため、内陸側で営まれる農業畜産は、主に、乏しくかつ不安定な降雨に頼らざるを得ない。



乾燥した農場を歩く牛群(豪州)


6 スノウィ・マウンテン計画

 豪州ニューサウスウェールズ州の南東部、大分水嶺山脈の南端付近に、同国の最高峰コジオスコ山(標高2,228メートル)を擁するスノウィ・マウンテン山塊がある。同国では珍しく、ここには、毎年、多量の積雪があり、スキー場としても有名であるが、この貴重な雨や雪は、大部分が海側にかつ分散して流れ下るため、かつては有効に利用されていなかった。

 そこで、豪州政府は、この山塊の沢筋に大小多数のダム(大規模なものだけで16基)を建設して流れ下る水をすべて貯め、全長80キロメートルのパイプラインを設置して貯めた水を誘導し、山塊を貫く全長145キロメートルのトンネルを掘ってここに流し込み、内陸側に運んでかんがいと発電に利用するという、壮大な計画を策定した。

 これがスノウィ・マウンテン計画であり、1949年の着工から74年の完成まで25年の歳月を要した国家プロジェクトであった。そして、これにより新たに誕生した内陸部のかんがい農業地域(マランビジー川流域)では、果樹・園芸栽培や水田耕作が発展し、対日コメ輸出の拠点となったほか、この下流に当たるビクトリア州北部にもかんがい用水を提供し、一大酪農地域を支えることとなったのである。


ダムの水利管理者を示す看板(豪州)



国家プロジェクトで建設されたダム(豪州)


自走式かんがい装置(豪州)

 

7 豪州式低コスト酪農

 豪州の酪農は、家族経営、放牧、季節生産を基本としている。牛群は、一年中、いずれかの牧区で放牧されており、搾乳場を除くと畜舎はない。牛群は、朝夕2回、放牧中の牧区から搾乳場まで移動し、搾乳後は別の牧区に誘導されてまた放牧される。搾乳などは家族が行うが、放牧なので糞尿処理作業は少ない。子牛の分娩を春先に揃えることにより、牧草の多い季節(9月〜翌年3月)に生乳生産のピークを重ね、そのほかの季節は生産量を大幅に減らす。冬場は牧草が不足するが、搾乳牛が少ないので、補助(購入)飼料は最小限に節約出来る。これが豪州式低コスト酪農であり、この国の自然条件に即した極めて合理的な酪農生産である。

 ただし、放牧を前提とするこの生産方式は、放牧地が搾乳場から牛群が移動可能な範囲内になければならないという制約が伴う。同国の酪農経営が、大部分、放牧地100〜200ヘクタール、搾乳牛150〜250頭程度なのはこのためである。そして、これは家族経営に適した経営規模であり、大規模企業経営にはなじまない。

 また、放牧への依存は、個々の経営規模のみならず、酪農生産全体の規模にも制約を与える。国全体で限界まで土地利用が進めば、酪農生産全体が停滞せざるを得ないからである。近年、同国の生乳生産量が頭打ちとなっている背景にはこの問題がある。つまり、豪州酪農は、世界に冠たる低コスト生産の強みを有する反面、個々の経営単位でも、また、酪農生産全体でも、大幅な生産拡大は望めないという弱点も併せ持っているのである。



搾乳後、次の放牧地に移動する牛群(豪州)



家族による搾乳作業(豪州)


8 おわりに

 わが国の酪農畜産は、トウモロコシをはじめとする濃厚飼料を、米国などから、毎年、約1,800万トンも輸入している(自給率は約10%)。輸入される濃厚飼料の耕作地面積を合計すると、わが国の全耕作地面積(約450万ヘクタール)に匹敵すると言われるほどだ。さらに、酪農生産に欠かせない優良な粗飼料についても、米国、豪州、カナダなどから、毎年約230万トンの乾牧草、約30万トンの固形牧草(ペレット)を輸入している(自給率は70%台に低下)。

 以上の事実は、わが国の酪農畜産が、濃厚飼料や粗飼料に形を変えた他国の貴重な水資源を、毎年、大量に消費することにより成立していることを示している。米国の山脈が長年かけて蓄えた地下水や、豪州の極めて乏しい水資源を、意識するしないにかかわらず、毎年、大量に輸入し、消費しているのである。われわれは、この事実をあまり軽く考えるべきではないと思う。将来に至るまで、他国の貴重な水資源への依存を続けられるという保証はどこにもないのである。

 幸いなことに、わが国には、大量の雨や雪を降らせてこれらを蓄積し、豊富な水資源を供給してくれる山脈や山塊がたくさんある。また、長年にわたる祖先の努力により、河川の治水もほぼ完了している。山をくり抜き、反対側の水をかき集めてかんがいするなど、考えもつかないし、また、考える必要もない。つまり、恵まれているのだ。世界的な規模での食料危機が警告されている中、われわれは、自分達に与えられた自然条件を見つめ直し、将来の食料・飼料の調達のあり方について、もう一度、顧みるべきではなかろうか。



対日輸出向けの圧縮加工用乾牧草(米国)



圧縮加工した乾牧草を輸出するための大型コンテナ(米国)

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