調査・報告

「放牧酪農推進の町」、道東・足寄町における「エコ生産」の取り組み

調査情報部 調査役 藤間 雅幸

T はじめに

 飼料価格の値上がりは、わが国の畜産経営に大きな打撃となって表れている。わが国は濃厚飼料の主原料となるトウモロコシを年間1,600万トン(うち飼料用1,200万トン(なお、日本の年間コメ国内消費仕向量(純食料)は約800万トン))輸入する世界一の輸入国であり、飼料費が生産費の4割から6割を占める畜産経営では(図1)、穀物価格の上昇による影響は大きく、配合飼料価格安定制度により、その影響が緩和されているとはいえ、生産者負担は増加している。

 このことから、国内では、飼料増産へ向けたさまざまな取り組みが行われている。

  本稿では、本年6月、道東の足寄町で、人間が食べられない「草」から「乳」を生産する酪農の本来的な姿である「放牧酪農」に取り組んでいる酪農家を中心に話を聞く機会を得たことから、その経営手法、考え方などについて紹介する(写真1)。

図1 畜産物生産費に占める飼料費の割合
写真1 足寄町の放牧風景

U 足寄町の概要
− 傾斜地の多い地形、町村では日本一の広さ −

1.「放牧の誘因材料」となる傾斜地の多さ

 足寄町(あしょろちょう)は、北海道十勝支庁管内東北部の足寄郡に位置し(図2)、人口約8千人、4千世帯足らずの町(安久津勝彦町長)である(図3)。町名はアイヌ語の「沿って下る川」を意味する「エショロ・ペツ」からと言われている。町名の由来のとおり、北部から流れる利別川(としべつがわ)中流域と、その支流である足寄川、美里別川(びりべつがわ)流域がほぼ町域である。

図2 北海道十勝支庁管内東北部に位置する足寄町
 町は、東西66.5キロメートル、南北48.2キロメートルからなり、面積は、東京都の約3分の2となる1,408平方キロメートルで、町村では日本一の広さである。地勢は傾斜地が多く、面積の概ね8割を山林が覆い、このことが「放牧の誘因材料」でもある。

 気象は、十勝内陸気候のため、四季における寒暖の差が極めて大きく、夏は比較的涼しいが、冬の寒さは厳しい。降水量は少なく、また、冬でも晴天の日が多く、日照時間が長い。このこともあり、太陽光を利用した発電などの取り組みが行われている。
図3 足寄町の産業別人口

2.酪農部門が町の基幹産業、農業産出額全体の4割以上を占める


 農林水産省によると、足寄町の農業産出額の8割近くが、酪農部門、肉用牛部門などの畜産経営により生み出されている。このうち、酪農部門は町の基幹産業であり、農業産出額全体の4割以上を占めている(図4)。かつては馬産も盛んであった。
図4 足寄町の農業産出額
 現在農協管内の総農家戸数は267戸である。このうち、乳牛飼養農家戸数は109戸(うち、生乳出荷農家戸数は99戸)、乳雄飼養農家戸数は7戸、肉用牛(黒毛和牛)飼養農家戸数は69戸、馬飼養農家戸数は26戸、めん羊飼養農家戸数は2戸、その他54戸である(表1)。また、生乳出荷農家戸数99戸のうち、放牧酪農の農家戸数は42戸である(表2)。足寄町の酪農家一戸当たりの飼養頭数は88頭で、生乳生産量は十勝の4.5%となる46,381トンである(足寄町役場)。

 畑作は麦類を中心に、豆類、てん菜、馬鈴薯などの主産地である。土壌は泥炭土壌で、火山灰土で覆われている。なお、足寄町の高台は、火山灰土壌から水はけが良く放牧向きとされる。
表1  足寄町の農家戸数、飼養頭数、生乳生産
表2 足寄町の乳牛飼養農家戸数の推移

V 放牧酪農の展開

1. 足寄町で「ニューカマー」として 新規就農

 足寄町で放牧酪農を実践している「ありがとう牧場」の吉川友二牧場長(昭和39年生)は(写真2)、北海道大学を卒業後、道内各地の牧場で研修する間、配合飼料を給与せずに牛乳を搾るニュージーランド酪農に興味を持ち、これをきっかけとして、ニュージーランド酪農を極めたいとの思いから、平成6年、単身、同国に渡る。

 ニュージーランドの滞在は当初1年間の予定であったが、人間が食べられない草を乳に変える「牛の素晴らしさ」を利用した「低コスト酪農」への関心の高まりから、同国の牧場で4年間過ごし、その間、同地で畜産学を修めている。また、ニュージーランドでは、農場マネージャーとなり、搾乳牛150頭を任された。帰国後、北海道の牧場で、さらに就農経験を積んだが、自らの農場を経営したいとの思いから、ゼロから出発する形で、戦後の開拓地であった足寄の高台を購入する。この遊休農地で平成12年6月から育成牛19頭の飼養と牧柵整備を始め、同13年9月に正式に新規就農し、同14年2月から搾乳を始める。なお、吉川牧場長によると、牧場名の「ありがとう」は、牛への感謝の気持ちから名付けたとしている。

 酪農家として、国内の経営年数だけ見れば、わずか7年間だけの「ニューカマー(新たな担い手)」であるが、その経歴を見ると、当世まれなフロンティア精神にあふれる筋金入りの酪農家である。足寄町では、酪農経営を魅力的な産業にすることで、足寄の町に若者を集め後継者を育てたいとしており、そのための情報の交換や発信の場として「新規就農者の会」を立ち上げている。

写真2 吉川牧場長

2. 迂回生産の対極としての「放牧酪農」の存在感

 放牧酪農は、頭数規模の拡大や一頭当たりの乳量を追求する経営スタイルにはなじまないが、飼料価格の値上がりを「追い風」に、人間が食べられる穀物を家畜に与える舎飼酪農(迂回生産)の「対極」として、存在感を増しているようである。

 もちろん、放牧酪農は土地基盤を必要とすることから、すべての酪農家が選べる選択肢とはならないが、放牧酪農の利点は、 (1)経営コストが削減されること(ア. 設備投資額や飼料購入費、イ. 牛の疾病(乳房炎、胃腸病など)や繁殖障害の低下、ウ. 耐用年数の延長など)、(2)傾斜地が効率的に利用されること、(3)大きな収益は望めないが所得水準の維持が見込まれること、(4)労働時間が短縮されること(ア. ふん尿の土地還元、イ. 集約放牧による草地更新の削減など)、(5)消費者への牧歌的な景観の提供−などが挙げられている。

3. 牧場の概要

(1) 放牧は、「粗放牧」ではなく草地を管理する「集約放牧」

 牧場での放牧は、単に牛を草地に放し飼う「粗放牧」ではなく、放牧地を半日から1日程度で食べ尽くす広さに牧柵などで仕切り、草丈が低く栄養価の高い、また、消化率の良い短草(草が伸びると栄養価が低くなり、乳量が減少)を利用する「集約放牧(輪換放牧)」であり、牛が草地を造成し、草地の地力を上げるとの考え方から、草地更新は行っていない。また、牧道、牧柵、給水施設などを整備することで、さらなる省力化は可能としている。

 吉川牧場長によると、放牧酪農は、本来的には、乾燥地帯の農法であり、降水量が多い日本の風土では、草地を傷めないために明きょ、暗きょなどによる草地からの水抜きが重要であり、集約放牧(輪換放牧)の技術を利用することで、草地の傷みは軽減されるとしている。

(2) 春早く、秋遅くまで放牧


 放牧は、4月中旬から12月上旬まで「昼夜放牧」により行われ、乳牛は冬場でも積雪中に放たれている。農地面積は103ヘクタール、このうち、草地面積は80ヘクタール(放牧地20ヘクタール、放牧地と採草地を兼ねた兼用地60ヘクタール。なお、東京ドームの面積は4.7ヘクタール)である。放牧地は15〜21牧区以上に仕切り、朝、夕の搾乳後に、新しい牧区に移動させている。

(3)「目配り」は草地面積と頭数のバランス


 飼養頭数は、搾乳牛50頭、育成牛36頭、生乳生産量は297トンで、乳牛1頭当たりの泌乳量は、年間6,000キログラム前後である。なお、平均泌乳期間は270日である(表3)。


表3  牧場の概要

 集約放牧は、粗放牧より高乳量が期待できるが、草地面積と頭数のバランスをいかにうまく保つかに注意が払われ、草地や乳牛の観察に十分な「目配り」が必要であるとしている。 

 牧場の1頭当たりの放牧地面積は1.0ヘクタール前後である。草地の状態にもよるが、一般的に放牧には、1頭当たり0.5ヘクタール前後の草地が必要とされていることから、放牧には、まだ余裕があるとしている。

 搾乳場は、1列10頭による2列の施設(スイング型のヘリンボーン)で、一度に10頭が搾れる。今後は、「最小適正規模」での経営を重視していることから、頭数規模の拡大は考えていない。

(4) 「草づくり」の決め手は、牛がおいしく食べてくれるかどう

 放牧地や採草地は、農薬・化学肥料を使用しない有機無農薬農法のため、自生しているイネ科のオーチャード・グラス、チモシーなどに、窒素肥料の代わりとしてマメ科の白クローバーを追播し、これに石灰や近くの肉牛農家から取り寄せたたい肥を散布している。

 放牧酪農を経営する上で、「土づくり」と「草づくり」には強いこだわりを持ち、「土づくり」では、ミミズ(草の枯死物を食べる草地ミミズ)、バクテリアなどの土壌生物や昆虫などの存在を重要と考え、「草づくり」では、草量を増やすことだけではなく、牛がおいしく食べてくれる草質を確保することが決め手であるとしている。

(5) 牧草の伸びを利用した季節繁殖を行うことで飼料費を節減

 放牧酪農では、牧草の伸びと分娩後の泌乳曲線を考えて、春先(3月1日〜5月10日)に分娩を集中させる季節繁殖を行っている。このように季節繁殖を守ることで、分娩後の泌乳ピークを春から夏にかけて一番栄養価を含み大きく伸びる草の伸長曲線に合致させている。

 このため、乳牛は、全頭まとめて12月末に乾乳に仕上げられ、草のない1月、2月を乾乳期とすることで、冬期飼料を減らし、飼料費の節減が図られている(図5)。

図5 月別乳量の推移

 なお、雄子牛、また、フリーマーチン(繁殖能力を持ち合わせていない牛)などについては、売却するだけでは経済的損失が大きいため、育成牛として18カ月齢まで牧草肥育(グラスフェッド)し、その後、加工処理した牛肉を「サラダ・ビーフ」という商品名で、インターネット販売している。販売に際しては、放牧により運動量が多く穀物飼料を与えていないことから脂肪が少ないこと、また、農薬・化学肥料を使用していない草地での肥育を「ウリ」にしている。

(6) 放牧の技術的な目標は、500キログラムの濃厚飼料で7,000キログラムを搾ること

 牧場では、泌乳能力が高い乳牛ほど草だけでは栄養要求量が不足するため、放牧期間は搾乳時に濃厚飼料を補給し、冬場は夏場に作った乾草を中心に給与している。搾乳時の濃厚飼料は、1日当たり1.5〜5.0キログラム程度であり、年間では1頭当たり1トン程度の給与となる。その他にはビートパルプなどを給与している。

 目標としては、濃厚飼料の給与量を減らし、限りなく草だけでの飼養を目指すとしており、とりあえず、1頭当たり年間500キログラムの濃厚飼料で、7,000キログラムの生乳を搾りた いとしている。吉川牧場長によると、乳牛の飼養は、牧草を主体としていることから、これこそが「牛乳本来の味」ではないかとの考えを持っている。

 冬場の粗飼料は、乾草を収穫しロールベールにしているが、プラスチックごみを発生させないために、出来るだけラップサイレージは作っていない。このようなところにも、環境への配慮がみられている。

W 新たな価値観(「エコ生産」)による事業展開

1. 1ヘクタールの草地からどれだけの乳量が生産されるかという考え方

 世界各国の経産牛1頭当たりの平均乳量を比較して見ると、わが国の乳量は、泌乳能力を引き上げるための改良が進み、濃厚飼料を給与することで、今では、世界の中でもトップクラスの水準となる成果が示されている(図6)。
図6 経産牛1頭当たりの平均乳量

 しかし、放牧酪農家における乳牛の尺度は、草地資源を有効利用することから、単なる1頭当たりの乳量の多寡を比較するのではなく、1ヘクタール当たりの草地から、どれだけの生乳が生産されるのかという考え方がなされている。

 吉川牧場長によると、乳牛の改良は、高い泌乳能力を持ち合わせる「スーパー・カウ」だけではなく、放牧酪農も考え、ブラウンスイス種などを交配させ雑種強勢することで、粗飼料効率(草地資源)を高めるような能力を持ち合わせることも必要なのではないかとしており、行政レベルでの対応を期待している。加えて、このところの乳牛の改良結果では、酪農経営に大きく影響する受胎率の低下が気になるとしており、放牧することで、牛は生き生きと健康になると強調している(写真3)。
写真3 ありがとう牧場の放牧風景

2. 放牧酪農の経営目的は安定した所得の確保

 吉川牧場長によると、放牧酪農の本来の経営目的は、所得の向上を視野に置く一方、「省力化」した「最小適正規模」の経営を追求することで、安定した所得を確保することにあると強調しており、生乳生産量が小さいことにより収益は減少するが、所得率は増加する傾向が見られると指摘している。

 現地で話を聞くと、放牧酪農と濃厚飼料を多給する舎飼酪農の経営を比べた場合、放牧酪農経営は、経営規模が大きくなく、濃厚飼料を多給しないことから、生乳生産量が減少することで生乳販売収入が減少する傾向が、また、草地を利用するため購入飼料費が削減される傾向が大きな特徴として挙げられている(表4)。

表4  平均乳量と濃厚飼料給与量

 このことから、生乳生産コストを示す乳飼比(生乳販売代金に対する購入飼料費の割合)を見ると、放牧酪農経営は、生乳生産量の減少から総収入額も減少するが、それ以上に購入飼料費の削減が大きいことから乳飼比は小さくなることで低コスト生産とされ、所得水準を示す所得率(総収入額に対する純農業所得(総農業収入額−総農業支出額)の割合)を見ると、舎飼酪農経営は生乳生産量の増加から総収入額も増加するが、それ以上に購入飼料費の増加が大きいことから所得率は放牧酪農経営を下回るとされる。また、経営の効率性を1ヘクタール当たりの草地からの所得の高さで見ると、放牧酪農経営の生産性の高さがうかがえ、舎飼酪農経営よりも優位性があるとされる(表5)。

表5  所得率と草地当たりの所得
 なお、足寄町役場によると、放牧酪農事業への補助は、平成18年度から北海道の補助事業である強い農業づくり事業「産地競争力の強化事業(1/2補助)」が活用されており、5戸の放牧酪農家で、電気牧柵6,052メートル、牧道1,186メートル、給水施設2基といった集約放牧に必要となる牧場整備が行われている。


3. 新たな価値観による事業展開

 現地を訪れてみると、国際化の進展、経営環境の悪化などにより先行きに不安を感じている酪農家が多い中で、頭数規模の拡大に重点を置き、生産性を引き上げることで所得の向上を目指す酪農家がいる一方、働くだけで余裕のない生活や金銭的な豊かさよりも、生活に必要な安定した所得を確保した上で、家族との時間を保ち、造林などの環境美化を進めるなど地域社会への参加や環境問題の取り組みも重要と考える酪農家が現れている。

 これら「新たな価値観」を持ち合わせた酪農家は、同じ目的を持つ者同士で集まりを持ち(放牧酪農家協議会、放牧酪農ネットワーク交流会)、フィールド学習などによりお互いの知見を高め、人と牛に無理のない持続可能な「循環型酪農」を目指している。また、彼らは、酪農業を魅力的な産業にすれば、地域に仲間が集うことにより酪農が栄え、後継者は育つものと考えている。

 吉川牧場長によると、これからの事業の展開は、頭数規模の拡大が目標ではなく、むしろ生産性を高めるためには縮小することも視野に置き、一家族が豊かに暮らしていける「省力化」した「最小適正規模」の経営を考えているとしている。また、町全体を、このような考えを持つ酪農家の集まり(コミュニティー)で築きたいとも考えている。

 道東では、従来の拡大一辺倒という考え方によらない「新たな価値観」が実を結んでいるようである。


4. 「エコ生産」への取り組み

 牛は素晴らしい。人間の食べられない草を「舌刈り」し、牛乳という恵みを人間に与えてくれる。この「草」から「乳」を生産する放牧酪農は、飼料価格の値上がりを「追い風」に、改めてその存在感を増している。

 放牧酪農は、すべての酪農家が選べる選択肢ではないが、また、酪農経営は、人それぞれの創意工夫の産物であるため、同じ経営スタイルは成り立たないが、飼料価格の値上がりは、酪農が「原点」に立ち返ることの重要さを示しているのかもしれない。

 また、酪農家の意識の変化も見逃せない。生乳生産量を追及することだけにより得られる金銭的な豊かさよりも、自然の恵みに感謝し、家族との時間を保ち、環境へも配慮した「新たな価値観」を持ち合わせる酪農家が現れている。彼らは、放牧により人と牛に無理のない持続可能な「循環型」酪農を目指しており、また、酪農を魅力的な産業にすれば、地域に仲間が集まることで酪農が栄え、後継者は育つものとの考えである。

 酪農をめぐる情勢は、国際化の進展や飼料価格の値上がり、為替変動など海外のマーケットリスクにさらされることで大きく変化しており、放牧酪農、山地酪農などの「エコ生産」への取り組みが、生産オプションの一つとして、以前にも増して求められていくことになるのであろう。

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 今回の聞き取りでは、ご多忙中にもかかわらず、ありがとう牧場の経営者である吉川夫妻、安久津勝彦町長をはじめ足寄町役場の方々、また、別海町役場の方(訪問順)に、大変お世話になりました。この場を借り、訪問先の皆様に、心から感謝の意を表する次第です。
 


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