話題

重み増す双方向情報発信
〜消費者志向経営へのカギ〜

農林中金総合研究所 顧問 野村一正


 近年、再び「マーケティング」が注目されている。モノの供給過多が原因で様々な経済的不都合が顕在化するなかで、その克服のために消費者、需要者志向の経営が求められているためだ。農業分野でもその応用が期待されるが、成功のカギを握るのは情報。とりわけ農畜産業の世界では、双方向の情報受発信がより重みを増すことになる。

 マーケティングに関する様々な議論は、先進諸国経済が大量生産、大量消費の時代に入った頃から活発に行われた。産業や科学技術の発達でモノの供給が不足する社会から、供給過多の社会に転換、「モノを作れば売れる」状況から一転、「売れるモノを作る」必要に迫られた。消費者・需要者志向の時代に入ったとされ、顧客ニーズの実現のためのマーケティングをめぐる議論が活発化した。

 近年も供給過剰により、日本などは深刻なデフレに陥り、様々な問題が顕在化している。このため売れるモノを作ることが、あらゆる産業分野でますます強く求められ、マーケティングは重みを増している。畜産をはじめとする農業分野も例外ではなく、消費者、需要者にとって価値ある商品、サービスをいかに作り、提供するかが求められる。

 マーケティングは、一般的には「顧客が何を求めているかを知り、それに基づいて商品やサービスを作り、その情報を提供するなどの体系立てられた活動」とされる。この定義に従えば、マーケティングでは供給側は、まず消費者、需要者が真に求める商品やサービスが何かを把握する必要がある。

 著名な経営学者ピーター・ドラッガーの言葉に「マーケティングの目的は、セリングを不要にすることである」というのがある。セリングとは、短期の利益を狙って無理やり販売するというようなものであるが、ドラッガーの言わんとするところは、マーケティングの際、販売の対象となる消費者、需要者を充分に理解できれば、ニーズの把握も的確なものとなる。従って、それらに基づいて製造され、提供される商品やサービスは消費者、需要者のニーズを反映した良質なものとなり、無理な販売をしなくても自然に売れる、セリングは不要になるというものだ。モノやサービスを作り、売ることで成功を収めようとすれば消費者、需要者を知る努力がどれほど重要であるかという、現代のマーケティングの大きな方向を示した言葉と解釈されている。

 農業分野でも、高品質の商品やサービスを用意しても、それらが消費者などに受け入れられなければ意味がないという時代は今後も続く。顧客である消費者、需要者を知ることの必要性はますます高まっている。

 このようにマーケティングにおいては、ニーズの把握が重要になるが、マーケティングの際にさらに強力な効果を得ようとすれば、把握したニーズがより的確なものであることが必要だ。そこで課題となるのが、消費者のニーズが形成されるまでの過程だ。この間に、消費者側に誤解や情報不足があれば、把握したニーズが消費者の意思を十分反映したものとはならないからだ。マーケティングはあまり意味を持たなくなってしまう。把握するニーズが正確で充分な情報の提供によって、的確なものとなっていることが必要だ。

 そういう意味では、特に農業分野においては的確なニーズが形成されているかどうか、検証の必要性は高い。というのも農業分野は風土、気候などの自然条件に大きく左右されることが多い。人の手では変えられない、大きな制約要因がある。このため、ニーズの形成とそれに関与する情報の関係は他の分野より複雑になりがちだ。

 農業分野では、マーケティングに際しては、工業分野以上に消費者、需要者に提供される情報の量と質の充実が求められるといえる。もし不十分、不正確な情報しか得られない場合、消費者によるニーズの形成は、的確なものとはならず、マーケティングも充分その力を発揮できないことになる。

 まして今日、食と農(畜も含む)の距離は遠くなったと言われる。結果として消費者、需要者が得る情報はますます不十分なものとなりがちだ。消費者はますます情報が不足する中で、日々の糧である農畜産物に対するニーズの形成を行っていくことになってしまう。このことはマーケティングにも悪影響を及ぼすことになり、農畜産業者にとってのみならず、真に良質なモノ、サービスが提供されなくなることで、消費者にも不幸な事態となる。

 農業分野への理解を深めてもらうために、現在でも各地で様々な催しが行われ、産直も増え、いずれも盛況だ。これは、農畜産関係者の努力によるところも大きいが、農畜産の現場に少しでも近づきたいという消費者の願望の強さの現われでもある。消費者、需要者は農業分野の情報を求めているのである。

 消費者、需要者に充実した農畜産業に関する正確な情報が常に提供され、消費者、需要者はそれらの情報に基づいて適切なニーズを形成する。生産者はそれによって効果のあるマーケティングが可能となり、生産に取り組める。そのうえでさらに生産、商品、サービスに関する情報の提供を行う。農業分野において、より効果的なマーケティングのためには、こうした双方向の情報サイクルの確立が求められる。

 最後に、消費者、需要者により正確に、より充分に、よりスムーズに情報を提供するうえで注意すべき点がある。その第1は情報に対するニーズを知ることである。相手に情報が伝わるためには、農業分野や食に関して相手がどのような認識を持ち、何を情報として望むのかを知ることが重要だ。その上での情報発信が必要である。もう一つは、相手の考え方や思いに配慮することである。相手の考えや思いを無視し、一方的に情報を押し付けることは、正確な理解を促すうえでかえって逆効果となる場合があるからだ。

 強い農業作りが叫ばれている。ただ、いかに規模拡大を図ったとしても、消費者、需要者のニーズを無視しては強い農業にはならない。情報の提供によって適切なニーズが形成され、そのニーズに沿って生産・供給が行われることが必要だ。それによってはじめて農業分野でマーケティングの手法は効果をあげ、強い農業作りに貢献することになろう。


野村一正(のむらかずまさ)

 1970年時事通信社入社。経済部記者を経て「農林経済」編集長、解説委員兼整理部長などを歴任。2006年4月から現職。同年7月からは内閣府食品安全委員会委員も務める。前農政ジャーナリストの会会長。。

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