シンガポール駐在員事務所 佐々木 勝憲、吉村 力
1.はじめに近年BRICsの一角として経済成長が著しいインドは、国民の約7割が農村部で生活する農業大国である。農業部門については、国内総生産(GDP)に占める割合は減少傾向で推移しているものの、依然として2007年度(4月〜3月)の実質GDPの約16%を占めている。畜産業はGDP全体の約4%、農業部門の約26%を占めており、中でも酪農は、農村部の経済状態の改善に重要と位置付けられている。 インド政府は、2012年度を目標とする第11次5カ年計画において、年率9%の成長を目標として掲げており、その実現のためには、農業部門で同4%、うち酪農部門、食肉・養鶏業部門でそれぞれ5%、10%、畜産業全体で6〜7%の成長を目標としている。本稿では、インドの畜産業の概況および目標達成に向けた取り組みともに、カルナタカ州バンガロールで開催された畜産展示会VIV India 2010の概要について報告する。 2.インドの畜産業の概況について(1)畜産業の位置インドは、約10億2千9百万人の国民のうち、約72%の約7億4300万人(2001年国勢調査時点。なお、国勢調査は10年に1回であり、本年4月から2011年国勢調査が実施されている。)が農村部で生活する農業大国である。 表1のとおり、農業部門の実質GDPは、1999年度の約4兆970億ルピー(約9兆4200億円。1ルピー≒2.3円)から、2007年度には約5兆1130億ルピー(約11兆7600億円)と、年率2.8%の成長を示したが、GDP全体の成長率はそれを上回る同7.3%であった。このため、GDP全体に農業部門が占める割合は、1999年度の22.9%から2007年度の16.3%と減少傾向で推移している。一方、畜産業の実質GDPはこの間、約9470億ルピー(約2兆1800億円)から約1兆3100億ルピー(約3兆100億円)と年率4.1%の成長を示し、農業部門に占める割合は、23.1%から25.6%に増加した。このため、GDP全体に占める割合は、1999年度の5.3%から2007年度の4.2%へと、農業部門と比較して、減少度合いは小さい。
名目農業生産額は、1999年度の約5兆1236億ルピー(約11兆7800億円)から、2007年度には約8兆9442億ルピー(約20兆5700億円)と、この間、年率7.2%の成長であった(表2)。このうち畜産業は約1兆2953億ルピー(約2兆9800億円)から約2兆4060億ルピー(約5兆5300億円)に増加し、農業全体を上回る同8.0%の成長を示した。この結果、畜産業の生産額が農業に占める割合は、25.3%から26.9%に増加した。
畜産業のうち最大のシェア(67.4%)を占めるのが酪農で、2007年度は約1兆6214億ルピー(約3兆7300億円)となった。これは、コメの約9504億ルピー(約2兆1900億円)、小麦の約7158億ルピー(約1兆6500億円)を抜いて、単独の品目では最大の生産額となっている。 一方、インドでは、牛を神聖な動物とみなし牛肉を食べないヒンドゥー教徒が人口の80.5%、豚を不浄な動物とみなし豚肉を食べないイスラム教徒が人口の13.4%を占めている(2001年国勢調査)。また、卵も食べないベジタリアンも多い。こうしたことから、2007年度の食肉、家きん卵の生産額が畜産業に占める割合は、それぞれ16.8%、3.6%となっている。また、食肉のうち、宗教による制約が少ない羊肉、家きん肉がそれぞれ32.0%、36.7%を占めている一方、牛肉、豚肉は9.4%、6.7%を占めるにすぎない。 なお、水牛ふん、牛ふんを肥料のみならず燃料として使用するため、家畜のふんの生産額が畜産業に占める割合が7.7%と高いのも特徴的である。 インドは、その広大な国土に多くの家畜を有している。インド農業省畜産酪農水産局(DAHDF)によれば、家畜飼養頭羽数の世界での順位は、水牛が1位、牛とヤギが2位、羊が3位、アヒルが4位、ニワトリが5位、ラクダが6位となっている。(表3)
インドでは、都市部と農村部の経済格差が拡大しており、農村部の発展が求められている。DAHDFによれば、インドでは1144万人が主業として、1101万人が副業として畜産業に携わっており、これは総労働人口の約5.5%に達する。このうち、約75%の1684万人を女性が占めており、独立して生計を立てられる機会を創出するため、畜産業は農村部の大衆の経済的発展にとって不可欠な役割を果たしていると結論付けている。 (2)酪農部門インドの生乳生産量(水牛乳と牛乳の合計)は世界最大である。DAHDFによれば、1999年度の7830万トンから増加傾向で推移し、2008年度には1億1千万トンに達したと見込まれている。 生乳生産のうち過半は、乳脂肪分の高い水牛乳が占めている。なお、インドでは、ギーと呼ばれるバターオイルの一種が最も重要な乳製品とされており、食品に広く使われるとともに、宗教儀式にも欠かせないものとなっている。(表4)
生乳生産量は世界最大となっているが、1日当たりの搾乳量は、乳用として交配された牛で約6.5キログラム、水牛では約4.4キログラム、品種不明の牛では約2.1キログラムとなっている。このことは、インドの酪農が、生産性の向上についてまだ大きな可能性を持っていることを示唆している。(表5)
(3)家きん卵部門インドは世界有数の家きん卵生産国(2006年時点で第3位)で、DAHDFによれば、生産量は1999年度の304億個から2008年度の560億個と、堅調な伸びを示している。 このうち、在来鶏やアヒルの占める割合は低下傾向で推移する一方、改良鶏や、商業的養鶏農家の占める割合が増加している。 また、国民の利用可能量も一貫して増加しており、2007年度には年間国民1人当たり47個となっている。(表6)
(4)食肉部門食肉部門は、食肉処理場の整備が進んでいないことなどから正確な生産量の推移は把握できないものの、統計が得られる範囲では、概して増加傾向で推移している。(表7)
(5)第11次5カ年計画第11次5カ年計画では、年平均成長率をGDP全体で9%、農業部門で4%という目標を掲げている。 同計画では、畜産は農業のみならずインド経済においても重要な役割を果たしていると認識している。計画中では、畜産の寄与度はGDP全体の4.5%、雇用の5.5%を占めており、特に乾燥地帯において家計の安定に寄与し、干ばつや飢きんといった自然災害に対する保険といった側面を併せ持つとしている。家畜の大部分は生産性の低い小作農で飼養されており、前回計画期間における成長率は3.6%であった。 畜産部門における目標は、以下のとおりである。 ① 期間中に、畜産部門全体で年間6〜7%、酪農部門で5%、食肉・家きん部門で10%の成長率を達成すること ② 成長は各段階で公平であり、主に小規模農家や生産性の低い農家、土地を持たない労働者や干ばつが発生しやすいなど資源が乏しい地域にとって有益であること ③ 効果的な疾病予防のために、適切な家畜衛生サービスを与えること ④ 農村部の住民、特に女性に対して、新たな雇用機会を創出すること ⑤ 穀物生産と畜産を複合させた農法が可能な地域においては、畜産部門からの収入が半分以上を占めるようになること ⑥ 特に農村部において、環境の改善につながるべきであること 計画では、経済の自由化によって畜産部門への新たな投資の可能性が開かれているにもかかわらず、このような市場への参入機会は現在、主に政府の各種施策によって制約を受けている上、これらの施策は生産者にとって利用しやすいものではないとしている。こうしたことから、施策の枠組みを再構築し、農村部の畜産農家がその恩恵を享受できるようにする必要があるとしている。特に、畜産部門にとって深刻な問題である公的融資の不足に対処するため、適時適切な投資を行うとともに、融資制度の充実など、畜産農家に対する各種サービスの利用機会を保証しなければならないとしている。 また、牛および水牛については、能力の高い地域固有の種畜による選択的育種を通じた改良の機会を用いて、育種インフラを大きく拡大するとともに、小反すう家畜や家きんを含む包括的な疾病管理プログラムを実施する必要があるとしている。さらに、深刻になりつつある雄牛過剰問題については、飼養されていない水牛の子牛を捕獲して飼養するなど確固とした政策が必要ともしている。このほか、新しい支援策として、小反すう家畜および豚の企業的な飼育、家きん産業の促進のためのファームの設立や小売販売店向けの独立した資金援助を挙げている。これら以外にも、死亡家畜処理に係る新たな産業の創出、畜産の各段階における食品安全についての意識の向上なども挙げられており、かつ、これらのすべてにおいて、中央政府に加えて州政府の一層の参加を求めている。また、中央政府にも、特に飼料供給、疾病管理、後代検定とトレーサビリティの確立といった分野での取り組みの強化を求めている。 一方、酪農部門においては、現行のDAHDFと国家酪農開発委員会(NDDB)の二重構造を見直し、長期的な発展戦略を一元的に推進する必要があるとしている。 これらの目標を達成するために、畜産および水産分野に対して、計画期間中に総額805億4千万ルピー(約1850億円)の予算を措置するとしている。 具体的にはDAHDFは、以下の7点に基づき、既存の施策を再構築するとともに新たな施策を導入している。 ① 中央および州段階における既存の行政組織の再構築 ② 起業精神を通じ富と雇用を創出する、持続的かつ経済的に実現性のある畜産経営 ③ 官民連携による成功事例の持続的な発展 ④ 酪農部門の発展に寄与したような生産者組織の優良事例の、食肉や家きんなど、ほかの畜産部門への波及 ⑤ 畜産農家への、地域に密着した効果的、効率的なサービスの提供 ⑥ 生産者に対する技術移転体制の構築 ⑦ 畜産部門の需要を満たす十分な融資
3.VIV India 2010について畜産部門に対するこうした要求を背景として、カルナタカ州のバンガロールにおいて2月1日〜3日、2008年に続いて2回目となる畜産展示会VIV India 2010が開催された。主催者発表によれば、3日間で前回を大幅に上回る約7千9百人の参加がインド国内外からあった。参加者には、中小の養鶏、水産養殖、養牛農家や飼料業者、獣医師、投資家などが含まれる。 トーマス農業、消費者問題・食糧・公共配給担当国務大臣は開会のあいさつにおいて、インドは周辺諸国に対して、家畜疾病の侵入防止のための技術的な支援を行う用意があると述べた。また、中央政府は、2021年度までに1億8千万トンの生乳生産目標を達成するため、1737億ルピー(約4000億円)の予算を投じるとした。さらに、大臣は、農業分野における酪農、養鶏、水産業の重要性に焦点を当て、農業分野で4%の経済成長を達成するためには、これらの分野が8〜9%成長する必要があると述べた。
これに続いて、カルナタカ州政府のラジャゴパル畜産・獣医サービス局長が、同州は他州に比べて畜産物の生産コストが低く、高い輸出可能性があるとあいさつした。 開会式に引き続いて、関係者を対象としたセミナーが開催された。 初日は、「飼料の栄養価の強化」と題して、より効率的な飼料給与の実現に向けた発表が行われた。 まず、飼料添加物としてのビタミンとミネラルの効能について、飼料と食品の関係の観点から説明された後、ビタミン、ミネラルの添加物についての発表が行われた。引き続いて、酵素、アミノ酸の飼料添加物としての有効性の発表が行われた。 また、細菌に感染するウイルスであるバクテリオファージの飼料への添加によるサルモネラ感染の予防や、抗生物質の代替物質としてのプロバイオティクスや酸性化剤、抗酸化剤の利用について発表された。 2日目は、米国に本部を置く動物医薬品・栄養関連企業の主催により、「養鶏業の行程表:成功か生き残りか」と題したセミナーが行われ、食料安全保障の観点からの世界的な動物性タンパク質生産の将来展望やインドの養鶏産業の見通し、養鶏産業における経営管理の改善点、家きんの栄養学・衛生学研究の将来などについて発表された。
これとは別に、初日、2日目には展示会場において、出展者による製品セミナーが開催された。初日には日系大手化学メーカーにより家きん生産におけるメチオニン(飼料用アミノ酸)の効用についてのセミナーが開催された。 展示会場には、40社以上の国内企業と60社以上の外国企業が出展し、日系企業では、上記大手化学メーカーの海外子会社のほか、家畜排せつ物の有機たい肥化技術を持つ企業が出展していた。同社社長によれば、規模の大小にかかわらず、インドの養鶏業者への関心は高く、かなりの数の問い合わせを受けたとのことであった。 また、フランスについては国家単位で戦略的にパビリオン展示を行うなど、企業単位で参加している国々と比較して印象的であった。
3日目には、カルナタカ州政府による「カルナタカ州の畜産業の成長と投資の機会」と題した会議が開催された。会議冒頭、同州政府のベラマギ畜産大臣が以下のようにあいさつした。 「インドでも情報技術、バイオ技術の中心地であるカルナタカ州は、快適な気候、優秀な労働力を有することから、多国籍企業や研究開発センター、教育機関が集まっていることでも知られている。また、畜産業の水準も国内有数であり、インドで2番目の生乳生産量を誇る。インドで初めて、生乳1リットルにつき2ルピー(約4.6円)の奨励金を農家に支払うという州独自の制度を導入し、これまでに約19億ルピー(約44億円)を支出した。50万戸以上の農家が、この制度の恩恵を受けている。同州は養鶏、食肉、羊毛、有機肥料の生産においても進歩を遂げており、約400万世帯が畜産業を生業としているとみられている。政府としても畜産部門とその関係者の発展のために必要な政策を実施している。国内他州や海外からの関係者が集まるこの会議が、わが州の畜産獣医サービス向上に資するよう良好な関係を構築するための機会となれば幸いである。特に、獣医サービス、飼料開発、人工授精、動物育種、食肉生産といった分野で、喫緊の合弁事業の立ち上げが望まれている。この会議に参加することで、わが州の可能性に気付き、投資を検討されるよう期待する。」 この会議は、約20名の畜産関係者が、カルナカタ州での活動および今後の共同事業の可能性について、約10分のプレゼンテーションを行うという方式で行われ、州政府関係者や国内の育種企業、欧州の施設メーカーなどが、養鶏、酪農、めん羊やヤギ、飼料生産や排水処理といった分野における各々の取り組みを紹介していた。 なお、VIV Indiaは、2012年の春に再びバンガロールにて開催予定となっている。
4.おわりにインドでは、1960年代後半から70年代にかけて実施された「緑の革命」により、穀物の自給が達成された。また、70年代後半からの「白い革命」により生乳生産が急増し、土地を持たない農民層などの収入が確保されるとともに、世界最大の生乳生産量を達成するまでになった。 インド政府が現在掲げている第11次5カ年計画では、食肉・家きん部門における年平均成長率の目標を10%としており、「緑の革命」や「白い革命」の成功体験を再現しようとしているかのように思える。 こうした家きん肉産業へのテコ入れと家きん肉生産量の増加は「ピンクの革命」とも例えられているが、今回開催されたVIV India 2010においても、関係者の家きん産業に対する期待感が伝わってきた。 特に、家きん部門の生産額が堅調に増加している一方、経済成長による都市化や食の西欧化も進んでいるため、国民一人当たりの鶏肉消費量が諸外国に比べて少ないという現実を踏まえれば、10%という目標は、ただ野心的と片付けることは出来ないように感じられた。 もちろん、目標達成のためには、計画にも述べられているように、今後さらに重要になると思われる飼料供給の確保や食品流通の改善といった大きな課題も存在している。 また、この巨大なプレーヤーが畜産物や飼料穀物の国際市場に与える影響は、今後ますます増大するであろう。 インドは、紙幣に17の言語が記載されているように、著しく多様性を持った国である。とはいえ、畜産部門で高い生産性を実現させるためには、近代的な畜産技術をある程度均一的に導入する必要がであろう。巨大な可能性を秘めたインドが、いかにその多様性を維持しながら畜産を発展させていくのか、国際市場に与える影響と併せて注視していきたい。 |
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