1.はじめに周知の通り、我が国の畜産経営を取り巻く交易条件は、極めて厳しい。すなわち、近年の景気低迷の影響を受けて、多くの畜産物価格が低迷している。しかるに、畜産物コストの大部分を占める配合飼料価格は、平成20(2008)年ころをピークにやや落ち着いてはいるが、平成22年度は、平成19年度とほぼ同じく高い水準にある。 さらに、畜産経営の場合、畜産物を市場や卸売業者へ販売するケースがほとんどで、自ら畜産物価格を決定することはできない。すなわち、畜産物価格は、需要と供給で決まるのであり、畜産経営はプライステーカー(自ら価格を決定する力をもたない「価格受容者」)になっている。以上のように、個別経営の努力では、経営の展開が難しい状況にある。従って、個別経営でとりうる戦略は、いかにコストを下げるかという戦略が、主流にならざるを得ないのである。 しかし、各地に、畜産物を消費者へ直接販売したり、加工して販売したりするような付加価値を高める経営行動がみられるようになってきている。これによって、畜産物に、自ら価格を付けることが可能になるのである。まだまだ、このような経営は、点的な存在であるが故に、彼らの経営行動は、フロンティア(先駆的畜産経営)として位置づけることができる。そして、彼らの経営行動を丹念にトレースすれば、多くの教訓を得ることができるのである。 本稿では、鶏卵を直販したり、加工販売、さらには外食まで展開している愛媛県四国中央市の(有)熊野養鶏を取り上げ、そのマネジメントの魅力と本質に少しでも迫ることができればと考えている。 なお、本経営は、平成20年度全国優良畜産経営管理技術発表会における最優秀賞(農林水産大臣賞)を、平成21年度畜産大賞における特別賞を受賞していることを申し添える。 2.熊野養鶏の経営概況(1) 労働力の概要熊野養鶏は、昭和30(1955)年に養鶏経営を開始している。それ故、55年の歴史を持つ。昭和58(1983)年には、愛媛県でもいち早く法人化を果たしている。現社長は、香川県高松市の商社に勤務していたが、平成7(1995)年にUターンしている。家族のライフサイクルからみると、家族労働力が極めて充実した時期にあることが分かる(表1参照)。
すなわち、父親である会長の高度な採卵鶏飼養技術の伝承を受けながら、社長は、トータルマネジメントに力を注ぐことができるのである。会長が、現役でしかもバリバリと畜産部門の作業を担当しているが故に、後顧の憂いなく、新しい事業展開に取り組むことが可能になる。また、事業展開においても、管理栄養士である妻の存在が大きい。社長の斬新なアイディアを事業化する上で、大きな力となっている。平成21(2009)年10月末には、新商品としてプリンを登場させるなど、攻めの姿勢を貫いている。しかも、決して無理な事業展開ではなく、地道な積み重ねの上に行っているところが優れている。 表1に戻るが、臨時雇用として、9人を雇っている。延べ日数で1,350日ということになる。9人とも四国中央市内に在住で、同経営が地域に重要な雇用機会を提供していることが分かる。求人方法としては、ハローワークを活用したり、直売所に求人の張り紙を出したりしている。この9人の雇用者はほぼ定着している。それ故、求人に困ることはない。うち、2人は1日7時間近く勤務し、本経営にとって、大きな戦力になっている。1人は、本経営に就労して4年が経過しており、食堂・加工部門を担当している。もう1人は、就労後1年と経験は浅いが、店長補佐の役割を果たしている。今後、加工部門の中でも、プリン、シフォンケーキ等が軌道に乗れば、雇用を増やす予定である。
(2) 高卵価の実現本経営の特徴は、鶏卵の直販比率が全体の6割に達していることである。残り4割は商系のGPセンターに販売している。平成20年度(平成20年7月1日〜平成21年6月30日)のGPセンターへの平均販売価格がキログラム当たり169円であったのに対して、直販での平均販売価格が同300円であった。それ故、全体の平均販売価格は、同247.6円(=169×0.4+300×0.6)ということになる。
図1は、平成16(2004)年4月から平成21(2009)年12月までの全農「畜産販売部情報」の鶏卵卸売価格(東京・M)の推移を示したものである。赤色の実線が実際の価格で、青色の波線が実際の価格から季節変動を除去した価格である。すなわち、後者は、周期変動・トレンド・不規則変動からなる価格である。青色の波線の動きをみる限り、山から山まで、および谷から谷までの長さが約2年であることが分かる。2年サイクルで、価格が変動しているのである。平成16(2004)年度には、卸売価格がキログラム当たり200円を大きく超え、実際の価格は同250円を超える月もあったが、平成17(2005)年度以降は、キログラム当たり200円と、同150円の間を上下していることが分かる。 本経営の平均20年度の平均販売価格キログラム当たり247.6円と比較するために、図1において平成20年7月〜平成21年6月の算術平均(相加平均)価格を計算すると、同186.9円であった。従って、両者の差が、同60.7円になる。この格差が、後述する本経営のマーケティングの努力によるものである。なお、この約60円の格差がいかに大きいかを示すために、図1に、熊野養鶏の平均販売価格を緑色の直線で示している。 ちなみに、図2は、図1で除去された季節変動を図示したものである。毎年、6月から7月には鶏卵の価格は下がり、8月から12月にかけて価格は上昇する。しかし、1月には価格は急激に下り、2月には急激に上がる。その後、3月から5月にかけてなだらかに価格は下がる。このような季節変動を繰り返しているのである。
3.熊野養鶏のマネジメント(1) マーケティングの努力会長が、月刊「鶏の研究」、旬刊「鶏鳴新聞」を丹念に勉強し、卵の自販機の情報を得たのである。そして、愛知県豊橋市にある自販機の会社へ視察に行き、平成5(1993)年に導入に至る。現社長が、Uターンし経営に参画するのが、平成7(1995)年であるので、その2年前に自販機を導入していることになる。
自販機の導入は、現社長がUターン後、徐々に展開している(表2参照)。
顧客のニーズに応じて、店舗を増やしている。また、店舗間の競合がないように、商圏も考慮した店舗配置になっている。 表1の臨時雇用9人のうち2人が、卵の補充と集金の作業を、各々の自販機に対して、1日に2回行っている。 しかし、自販機を設置するだけでは、当然のことながら卵の販売は伸びない。消費者が、卵という商品の価値と価格を勘案して、購買を決定するのであるから、消費者が満足するような商品に、高いレベルで価値を保つ必要がある。 すなわち、後述のような飼料の工夫、安全・安心な卵の生産を実現するために健康な採卵鶏を飼養することに力を注いでいるのである。それ故、データ管理と日々の観察が、不可欠である。 例えば、採卵鶏の飼料摂取状況をみて、ガーリックの含有割合を、0.3%から0.2%に落としただけで、顧客から卵の味に関して、問い合わせがあったとのことであった。まさしく、顔の見える生産者と消費者の関係が構築されている。 (2) 良質な卵生産の努力会長は、採卵鶏に関わる技術データを、パソコンのエクセルを用いて管理している。また、会長ならびに社長は、毎日の緻密な観察を通じて、採卵鶏の健康状態を常にチェックしている。 本経営は、平成17(2005)年に、自家配合発酵飼料を製造するために、約500万円の投資で、攪拌機を導入している。そして、地産地消の特徴を出すために、糟糠類をうまく活用している。すなわち、地元の豆腐店の豆腐殻、地域のJAの米糠という遊休資源を、配合飼料に2〜3%程度混合している。なお、当該飼料を年1,000トン給与しているので、20〜30トンの配合飼料の節約にもなっている。配合飼料の価格をキログラム当たり52円で計算すると、104〜156万円の節約金額にもなる。その攪拌の際に、海草粉末・もみがら炭・ガーリック等10種類以上の原料を添加しているのである。極めて、ビタミン・ミネラル等の成分が高い飼料になっている。 さらに、採卵鶏の飲み水にも留意し、水のクラスターを小さくするために、3社から機械を購入して比較するなど、情報収集に極めて積極的である。ただし、常に、技術データのチェックと採卵鶏の観察を充分に行った上で、導入した技術やハードの評価を行い、現在の技術レベルに到達している。 例えば、糟糠類の混合割合を、コスト低減を考慮して、従来の2〜3%から5%に高めたが、卵のサイズが大玉になり、すぐに中止するなど、原因と結果の関係を丹念に注視している。このような試みによる卵生産を、経営の基本にしていることが、安定した顧客の購買行動につながっているといえる。 また、通常の採卵鶏経営が採用している、強制換羽を行っていない。強制換羽によって採卵鶏の経済的耐用年数を延ばすことができるが、①強制換羽に伴うロスと耐用年数の延長の効果、②強制換羽がもたらす採卵鶏へのストレスを勘案して、採用していないのである。以上のことから、極めて合理的な経営行動をとっていると考えられる。 なお、卵の品質に対するこだわりは、採卵鶏に株式会社後藤孵卵場の品種「もみじ」を用いていることからも、窺うことができる。後藤孵卵場は、我が国で唯一の国産雛を供給している企業でもあり、ここの初生雛を導入し、540〜550日齢までを飼養している。 そして、平成8(1996)年に、「美豊卵」という商標登録を取得している。なお、「美豊卵」には、「美しい卵で」、「豊かな食卓を」、「卵はうみたて」という意味が込められている。このネーミングに消費者の食卓を賑わせたいという会長や社長の願いが、伝わってくる。商標登録に当たっては、本経営を訪問している農業改良普及員の役割が大きいが、本経営の構成員は、たいへんオープンな性格で、仕事に情熱と誇りを持っている。このことが、多くの人材を惹き付けることにもなっている。
(3) 加工販売部門・外食部門の導入平成19(2007)年に、卵専門販売店「熊福」と食堂を設置している。設置に当たっては、当初、自販機売上高が一番大きい3号店のある場所も考慮に入れていたが、①通勤に要するコスト、②人件費の増大、③主力である生産部門が疎かになる可能性を勘案して、最終的に本農場に設置している。 本農場のある場所は、店舗・食堂という観点からは、立地上、決して恵まれていない。しかし、社長は、加工販売部門・外食部門で利益をあげるという視点ではなく、卵を単に卸売業者へ販売するのではなく、少しでも付加価値をつけて販売するという視点に立っているのである。すなわち、本業である養鶏業を中心としたスタンスをとっている。 また、社長は、店舗・食堂に関して宣伝広告を一切行っていない。幸いなことに、マスメディアが取り上げてくれたこともあり、一定の集客に成功している。食堂は、午前11時から午後2時までの3時間の営業である。平日は、固定客が中心であるが、土日は、新規の顧客が口コミ等で来店している。ちなみに、「たまごかけ御飯定食」が450円、「オムレツ定食」が630円である。食堂は、平均すれば1日20人の来客で、約1万円の売上高である。
卵製品に関しては、1日3〜4万円の売上高である。卵製品は、温泉卵・塩味のゆで卵・薫製卵、たまごかけごはんセット、および前述のプリン等の洋菓子である。卵製品の販売は、店舗販売とインターネット販売を前提としており、小売店等への卸売販売は、現時点では考えていない。 会長や社長は、アウトソーシングを活用した薄利多売方式を選択していない。家族経営を中心に、必要に応じて臨時雇用を採用しながら、経営トータルでの収入を目指している。 (4) 羽数減少戦略前述のように、本経営は、平成19(2007)年に大きな投資を行っているが、この固定資産の資金調達として、4,900万円のスーパーL資金を導入している(償還期間25年、うち据置2年)。公庫資金の導入に当たっては、資金計画書の策定等で農業改良普及員が大きな役割を果たした。 これまでで、採卵鶏の飼養羽数を、平成15(2003)年の約4万羽から、現在の2万羽へ減らしている。飼養羽数を減らすのは、生産量が減少し、収入も減少するためたいへん勇気がいることである。しかし、高品質な卵生産を維持しつつ、人的資源を加工販売部門・外食部門に振り向けるための賢明な選択であった。なお、スーパーL資金は、平成19年度から担い手育成ということで、無利子の資金が用意されたが、本経営では、この無利子の資金を活用している。それ故、毎年の償還金額は、約213万円と低減させている。 本経営では、多額の投資を行いながらも、財務の安全性は極めて高い。その要因として、①長期的には投資の回収を考慮した経営計画の妥当性、②鶏卵の直販割合が6割と高いが故に、毎日のキャッシュ・インフローがもたらす資金繰りの良さをあげることができる。 そして、①と②をもたらす前提としては、高い評価を受ける卵の生産を維持できる高度な技術水準であろう。すなわち、高度な技術生産がなければ、大きな投資を行いながら、採卵鶏の飼養羽数を減らすことは不可能である。 (5) 顧客管理顧客が卵や卵製品を購入する際に、本経営では、サービス券として卵券を発行している。これをシートに貼付して、シートが埋まると、商品と交換されるシステムになっている。その際、シートに顧客の住所や氏名を記載する欄が設けられている。この住所・氏名で顧客管理が行われているのである。現在、当該顧客に、催し物や商品案内のチラシをダイレクトメールで配送している。 また、お歳暮やお中元を利用した顧客に対しては、その発送履歴を管理し、次の盆暮れの時期になると、発送先の住所と氏名を印字した伝票をプリントアウトし、当該顧客に配送している。以上のような顧客管理の努力が、リピーターの確保につながっている。 前述のように、インターネットを利用した販売も手がけているが、開始した時期は、平成14(2002)年とかなり早い段階である。ネット販売は、地元の業者に外注して、ホームページを作成してもらっている。コストは、年間で10万円程度である。ネット販売での売上高も、年に約10万円である。しかし、社長は、インターネットを活用したPR効果を強調している。すなわち、チラシに、ホームページのURLを記載することによって、農場や店舗の新たな情報を顧客に提供できる機会が生じ、新たな情報の一つとして、社長のブログもリンクさせている。 4.おわりに ─プライステーカーからプライスメーカーへ─畜産物に留まらず、多くの農産物は、完全競争市場下にあり、生産者は、自ら価格を決めることができない。価格は、需要と供給で決まり、生産者にとっては与件にならざるをえない。それ故、生産者が選択できる経営行動は、コストをいかに下げるかという戦略にならざるを得ない。すなわち、薄利多売の戦略といえる。 しかし、本稿で取り上げた熊野養鶏は、薄利多売とはまったく逆の減収増益の戦略をとり、着実に経営展開している。それを可能にしたのが、多くの要因の中でも、①本経営の高い技術水準と、②直販への飽くなきこだわりの二つをあげることができる。現在、卵の直販割合が6割に達している。熊野養鶏の卵が、まさしく地産地消として、四国中央市や近隣の新居浜市で食されているのである。 顔の見える生産者と消費者の関係が構築されていることは、前述のように、飼料の調整で卵の品質が変わると、すぐに消費者から情報のフィードバックがあることからも理解できる。 現在、開放鶏舎に1ケージ1羽飼養という、経済的には不利な飼養形態にはあるが、採卵鶏からすればまさしくストレスのない快適な環境にある。非常に吟味された飼料と水の給与も合わさって、健康な採卵鶏の飼養が可能になっている。このような採卵鶏から産まれる卵が、消費者に評価されているのである。
単に、良いモノを作るだけに留まらず、良いモノの価値を実現させるマーケティング努力に、本稿ではスポットを当ててきた。本経営の主軸は、養鶏業であるが、それを支える部門として、販売部門、加工部門、外食部門が位置づけられている。そして、経営トータルでの利益を目指すという発想に、多くの教訓を得ることができる。 (謝辞)本稿をまとめるに当たって、有限会社熊野養鶏の代表取締役社長の熊野憲之様、取締役会長の熊野敏彦様からは、年末のご多忙の時期に、長時間にわたってご指導を賜りました。ここに深甚なる謝意を表します。 参考文献[1]『平成20年度全国優良畜産経営管理技術発表会』(主催(社)中央畜産会・(社)全国肉用牛振興基金協会、後援 農林水産省)報告書 [2]拙稿「審査講評 交易条件悪化の逆風に立ち向かう経営管理技術を評価−リスク分散型経営の構築に注目」『畜産のコンサルタント』、No.528、2008年12月 |
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