調査・報告 専門調査  畜産の情報 2011年12月号

公共牧場での放牧で増頭を実現

学校法人二本松学院 学院長 宮崎昭



【要約】

 世界的にも穀物価格が高騰し、国内では耕作放棄地が拡大する中で、肉用牛生産においては放牧等による低コスト生産の必要性が益々重要になってきている。当調査では、青森県の公共牧場について飼料基盤や飼養管理の観点から調査した結果を報告するとともに、増頭へ向けた対策を助言する。

〜これからの放牧に向けて〜

 配合飼料価格が高騰し、その改善の見通しが立たない中で、畜産経営における自給飼料率向上が喫緊の課題となっている。そこで国内の飼料基盤を見渡せば、肉用牛繁殖経営では自給飼料利用拡大の可能性が大きいように思われる。それというのは、我が国の国土利用形態が戦後の高度経済成長を経て、すっかり様変わりしたからである。それまでの長い歴史の中で、米づくりに大切な耕地で飼料を生産するなど考えられなかったし、明治以降、植林が国是となっていたので、山での牛の放牧はきびしく制限されていた。

 ところが時代が変わり、今や耕作放棄地と荒廃林地は広がる一方である。そこを活用しての飼料生産への期待は大きいが、地形的にみて放牧利用とならざるを得ないところは少なくない。現に植林地の下草刈り作業を牛に任せるとか、荒れた植林地に増殖した野生動物の防除に牛を利用しようという例も出はじめている。すなわち耕地と山の再生の切り札が肉用牛繁殖牛の飼養との認識がこれまでになく広がっている。

 しかしその一方で、かつて衰退した放牧はそれ相応の理由があったために衰退したことも明らかであった。当時の放牧では克服できない多くの課題をかかえていたことも事実である。しかし、今では放牧技術が改善され、世界各地には見事な放牧体系が成立している。それらに目をやれば、我が国でも新しい段階の放牧の構築は可能と思われるし、ぜひそうしたいと考え、本誌の専門調査報告でも放牧について紹介してきた。昨年1月と12月には放牧による低コスト子牛生産を行う青森県下の個別経営事例をとり上げたが今回、その延長として、同県の広大な公共牧場を舞台に展開される、もっとも合理的なローデシア方式の放牧に取り組んでいる肉用牛繁殖雌牛飼養の実態と課題を紹介しよう。それに当たって、今回は家畜飼養の国際比較を踏まえた生産者の経営安定に関する情報をとの編集者からの要望に沿って、筆者が昭和56年以降、5回にわたり現地調査してきた米国の放牧技術との比較において、改善方向をまとめてみた。なお、この専門調査では今回も(社)日本草地畜産種子協会、信國卓史会長に格別のご指導、ご協力を頂いた。ここに深謝したい。

管内の市町別家畜の飼養分布

 今回ローデシア方式の放牧を実施する公共牧場が青森県にあると知り、ぜひ見たいと思うとともに、広く紹介したいと考えた。加えて、我が国に多く存在する公共牧場の将来の活用に向けても参考とすべきものがあるに違いないとも考えた。

 米国においても新しい放牧場を設計しようとする場合、もっとも合理的なモデルがローデシア方式である。筆者が見た事例では、古くから続く放牧場をそれなりに工夫改良して利用を続ける多くの経営者が羨ましがるため、この新しい方式を採用できた経営者は自慢の鼻を高くしている様子であった。

〜ローデシア方式と呼ばれる放牧〜

 ローデシア(ローズの国)とはイギリス南アフリカ会社のセシル・ローズの名にちなんで命名されたアフリカ南部の旧イギリス植民地である。そこは暗黒大陸の「白い巨人」とも呼ばれ、アパルトヘイトで世界に悪名を轟かせたが、公式には存在しなかった国とされている。それを国名のように使いはじめたのは、1895年以降で、公文書に非公式に使われ、イギリス政府がそれを認めてきた。今はジンバブエという国となっている。ローデシアは人口の1%を占めるにすぎない白人が、広大な肥沃地の70%を占有する典型的な植民地時代の土地占有を20世紀の終わりまで続けてきた。

 その間に起伏の少ない放牧地に給水施設と集中的に家畜管理のできるパドックを設けて、そこを中心にして周囲に放射状に小牧区を設け、輪換放牧をくり返し、飼養管理をきわめて効率良く行う放牧方式をつくり上げた。権力と富にまかせて、最高の設計図どおりの放牧を実現させたものといわれている。

〜客土で整備された公共牧場〜

 今回訪れた公共牧場は、青森県のつがる市屏風山畜産組合(組合長 鳴海晴雄氏)であった。組合員の多くは畜産と稲作、野菜との複合経営が中心で肉用牛の繁殖を行っている。ここでは面積91.43ヘクタール(うち、放牧草地88.17ヘクタール、兼用草地3.26ヘクタール)を利用して、現在、組合員17名(繁殖雌牛285頭)が黒毛和種繁殖雌牛を毎年5月上旬から11月上旬にかけての半年間、昼夜放牧飼養している。日平均200頭程度の放牧となるのは、組合員の牛舎には分娩1ヵ月前から出産直後の牛と体調不良などで要鑑察牛が収用されるからである。草種はオーチャードグラス主体であるが、ペレニアルライグラス、メドウフェスク、シロクローバーが混じっていて、植生はおおむね良好であるが、一部にエゾノギシギシなどの雑草が見られる。

 この牧場の前身となるフネサ牧場は昭和41年に設立された車力村村営の夏季放牧場で、財産区有地を共同で利用してきた。そこは津軽半島西北部の日本海側にある七里長浜に沿って発達した標高20〜30mの平坦な湿地性砂丘地帯である。日本海からの強い偏西風に曝され、砂丘から飛散する砂塵により不毛の土地といわれた。藩政時代に植林されたクロマツの防風林に囲まれているものの表層土の飛散を完全に防ぎきれず荒廃が進んでいた。そのため常に草不足で、車力村の子牛は痩せ細ったものが多く、全国的にみてももっとも低価格となる子牛生産地であった。

 平成5年から公団による2回にわたる草地整備事業が実施されたのを機に、8年、車力村内の繁殖農家が組織化し、17名の組合員による車力村畜産振興組合が10年からここを放牧利用することになった。防風林が保安林に指定されていたので、それを解除して草地整備するまでには苦労が多かったようである。草地づくりには客土が必要であり、6〜8年にかけて行われた。当初は25cmは欲しかったが費用がかさみすぎるため5〜10cmで我慢しなければならなかった。その後17年の市町村合併により、組合名称が改められたのである。

〜公共牧場利用で多頭化の気運〜

 公共牧場は周囲にクロマツが厚く繁り、松の色と牧草の緑が対照的でとても美しい。そこに我が国ではほとんど見られない規則正しい区画の牧区を分けるヒバの丸太とフェンスに囲われたローデシア方式の放牧場で黒い牛が草を食む様子がすばらしい景観を形成している。5、6月には子連れの母牛が雨風を凌ぐためにクロマツの下で休息する光景が見られ、夏には放牧場内にまだらに残された庇蔭樹の影に牛が入るそうである。

 10年には畜産基地建設事業によって牧場に隣接して畜産団地が造成され、8戸の牛舎が建設され立ち並び、組合事務所もそこにある。この8戸の繁殖雌牛飼養規模は一戸当たり1〜43頭で、平均24頭であるが、1頭規模の経営は今後増頭することになっている。ちなみに17戸全体の平均頭数は約17頭であるから、団地内の経営は比較的規模が大きいことになる。組合員戸数も一時は21戸あったが、今は17戸である。それでも頭数は全体として減らず、むしろ多頭化の機運がある。13年には(社)全国和牛登録協会から和牛改良組合としての認定を受け、23年から(社)日本草地畜産種子協会認定牧場になった。

 組合員の平均年齢は60歳以下と比較的若く、今後の発展が見込まれる。なお、ここを利用したいとの希望は年に1件は来るそうであるが、市外からの申し入れは断っている。ちなみに放牧料はもとは80円/頭・日であったが改定によって20年までは同150円、21年から同180円となった。もともとの設定では当時はこの組合の子牛価格が県平均より低かったので、低く押えざるを得なかったのである。しかし現在の放牧料も組合側からみればまだ安いと思われ、同230円は欲しいとのことであるが、そうすれば放牧頭数が減りそうで悩ましいという。

クロマツの防風林に囲まれゆったりとすごす牛達


〜道路を挟んだ相似の放牧場〜

 兼用草地を含む放牧場は図に示したように大きくA(31.1ヘクタール)、B(30.3ヘクタール)、C(18.1ヘクタール)、D(12.9ヘクタール、内3.3ヘクタールは兼用草地)の4牧区から成り立っている。そのうちA、B牧区がローデシア方式で利用されている。放牧場のほぼ中心に管理スペースがあり、追い込み柵と給水施設などがある。しかし、管理道路と呼ばれるたい肥センターへの取付け道路によって放牧場はA牧区とB牧区に完全に分離されているので、管理スペースは両牧区に全く同じものが設置されている。すなわち、ローデシア方式の放牧場が二分され、この方式の心臓部ともいえる管理スペースが複数設置されている。

上空から見た放射状の牧場

 A、B牧区ともそこを基点に放射状に5つの小牧区に分けられて、それぞれの小牧区の1つに70〜80頭の非妊娠牛が群れとして入れられている。そこでは小牧区内の牧草の利用率を上げるため、草生をみながら3〜7日ごとに次の小牧区へと輪換放牧されていく。管理スペースに1日2回、放牧牛が集められるので、毎日の放牧管理労働は軽減されている。

 それに対し妊娠牛とわずかな廃用牛はC牧区に放牧されているが確認する程度で特に手をかけない。この廃用牛は市場出荷待ちである。また隔離牛はD牧区に入れられているが、この牧区の一部は兼用草地で、一番草刈取後には全面放牧となる。C、D牧区はそれぞれ3つの小牧区に分割されているが、各々1カ所の小牧区に設置された給水施設などへ行くのに渡り廊下のような通路があるので、どの小牧区にいても、放牧牛は自由に水が飲める。これは恐らくローデシア方式の便利さを知って、給水施設を小牧区ごとに設置する無駄を避けられたものと思われる。

〜行き届いた放牧牛管理〜

 この牧場には専従職員が2名いて、組合長の指導の下に牧場の整備管理、放牧牛の飼養管理、草地の肥培管理、和牛改良組合事務、牛トレーサビリティ法に係る事務(出生、異動報告)に当たっている。さらに国や県の改良事業への参加、肉用牛生産技術講習会、子牛品評会、先進地研修の世話などにも従事している。

 しかし組合は公共牧場管理を任せっきりにはせず、5月上旬から8月末までは、毎日、当番を決めて、組合員2名が朝5時30分から、夕方17時30分からそれぞれ約1時間出役し、嘱託の人工授精師1名とともに、頭数確認、発情発見、健康状態を詳細に観察する。当番で出役する組合員の技術面での目合わせできているのに加え、人工授精師の朝夕の立会により、発情発見と適期授精が可能となり、繁殖成績は良いという。さらに毎月1回、組合員全員が集まって、家畜保健衛生所の支援のもとに衛生管理業務を行う。

 こうして、平均分娩間隔は390日を切るぐらいになった。かなり高いレベルにあるとは思えるが、放牧による子牛生産は季節性による草の生産量に合致させなければならないので、一年一産で、出来るだけ分娩時期を揃えることが常識であり、現に下北地方の川内町野手地区の事例(本誌2010.12 http://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2010/dec/spe-01.htm)では、成雌牛65頭で一年一産を実現させており、決して不可能ではない。

〜放牧牛は一年一産が常識〜

 ここで参考までに米国における肉用牛放牧の実態を紹介しよう。牛肉生産用子牛を生産するコマーシャル経営では放牧中の自然交配が一般的である。周年放牧が可能な南西部や南東部では春子生産の場合、2月頃に集中的に子牛が生まれる。春になって草の生育が盛んになる時期に母牛が子牛に十分な母乳を飲ませるわけである。

 そういう牧場では晩春に1回目の牛集めを馬を用いて実施する。成雌牛にはレプトスピラ病のワクチンを接種する。子牛には烙印し、除角も行う。同時に気腫疸と悪性水腫の混合ワクチンを接種する。雌子牛には別にブルセラ病の生菌ワクチンを接種し、雄子牛には去勢を行う。ノサシバエが寄りつかぬように薬品の染み込んだ耳標も付ける。この晩春の1回の牛集めで実に多岐にわたる処置を短時間で完了する。

 5月になるとこの群れに種雄牛を入れ、2ヵ月後にそれを捕獲して群れの外へ出す。秋になって、子牛がすべて離乳できる頃を見計らって、2回目の牛集めをする。その時は子牛の委託販売人が運搬用トレーラーを追込み場に持ってきて待機する。子牛のうち自家更新用に残す資質の秀れた雌子牛を除いて、残りはすべての雄子牛とともに肥育もと牛として出荷する。ごく一部の雌子牛を別の繁殖経営に送ることもある。一方、母牛はこの時に妊娠鑑定される。この母牛はすでに5月にマキ牛された種雄牛との自然交配を終わっているので、すべてが妊娠中であることが望ましい。しかし中には不妊の牛がいる。これは冬季に向かって少なくなる草の無駄食いを避けるため、放牧に戻さず、牛肉用にその場で出荷される。こうして放牧牛の子牛生産を確実に一年一産とするわけである。

 種畜生産を行うブリーダー経営では人工授精を一般的には行っているが、やはり放牧を行っているため一年一産を達成しなければならない。そういう場合、2回目までは人工授精を行って、質の高い子牛を生産しようと努めるが、3回目の発情で確実に妊娠させるために、経営内にクリーンアップブルと呼ばれるトップクラスではない種雄牛を囲い内に待機させ、それとの自然交配をさせる。こうすることによって一年一産を実現させる。自然交配によって、こうして子牛が生産出来た母牛は、次回からは再び人工授精でも種付きがよくなると経験的に知っているからである。放牧を成功させるには一年一産を確実にするための最大限の努力が行われている。




米国での肉用牛放牧風景

 しかしここ日本の公共牧場では子牛価格を改善するため、11年に人工授精による繁殖を行うことで合意して以来、自然交配を行うつもりはなくなった。ただ、種付きが悪い繁殖雌牛を近くの牧野の種雄牛との自然交配をしたこともあったが、子牛価格が安くなり、今ではあくまで優良種雄牛精液を利用したい思いが強い。現状は第1花国などへの授精希望が大きいので、2〜3回の授精で不受胎の牛に対しては第二希望の種付けで我慢することにしている。米国程に割り切った考えでやっていけないのが、我が国の現実なのである。

〜順調な経営発展も震災で翳る〜

 この放牧場は草を効率良く利用しているが、なにしろ本州最北端に位置するため、年平均気温は10.4℃で、夏季以降は草不足となる。そこで兼用草地(3.3ヘクタール)で一番草を乾草利用したり、組合が別に借地した採草地(3.0ヘクタール)で乾草をつくり、ともにロールベールとして牧場で使っている。さらに県内他町村から乾草を購入して、万が一飼料不足に陥ることに備えている。

 管理スペースにはロールベールを入れる金属製の枠(草架台)があり、放牧牛が周囲から顔をさし入れて食べている。これは枠なしにロールベールを置くと、牛が好き勝手にそれを引っぱって食べるので、周囲一面に広がった乾草を踏みつけて汚し、無駄となるのをさけるためである。米国などでは30年以上前に一般に普及していた施設であるが、我が国でも方々にみられることになったのは好ましい。

管理スペースに置かれたロールベールを食む

 秋も深まって、すべての放牧牛は牛舎に入れられるので、個別経営での冬飼いが始まる。そこでは自家産の稲ワラを含む粗飼料1/3、購入飼料2/3が給与される。なお、放牧中の子牛は3〜6ヵ月齢まで母牛について放牧させるが、市場性を考慮して、その後は舎飼いされる。組合員が市場に出す子牛は、青森県で10年に統合され唯一のものとなった七戸の家畜市場で当初は著しく安かった。県平均価格が31.6万円の時に、なんと25.7万円であった。しかし、13年に和牛改良組合が組織されてからは、牛群の能力向上に対する気運が高まった。九州など先進地からの優良基礎牛(安平系を中心に)の導入、優良種雄牛精液(特に第1花国が人気)の導入などがはじまり、子牛育成技術も向上したので、16年には子牛価格が県平均のレベルに達し、18年以降は県平均を1〜2万円上回る高い評価を受け、20年からは全国平均以上となった。市場出荷は去勢で日齢300日、体重300キログラムが目標である。

 しかし平成23年3月11日の東日本大震災の影響を受けた子牛市場における子牛価格下落で、直近8月の青森県平均は36.0万円となった。牧場は原発事故などの影響は全く受けなかったのであるが思いがけず苦境に立たされている。これは肥育牛枝肉価格が低下し、肥育もと牛を高く買ってくれないことはもとより、肥育牛の出荷制限によって肥育牛舎が空かないので子牛を買えないからという。

〜立地条件に合わせた管理で〜

 輪換放牧で比較的短期間で次の小牧区へ移動させるので、群れの管理を効率良く実施しなければならない。ここでは朝夕、管理スペースに牛を集めるが、条件反射も利用して上手に群れを取扱っている。放牧開始当初は慣れない牛がいるので、遠く離れたばらけた牛をオートバイで追っている。平坦な草地なのでそれが出来る。それをくり返すうちに牛はエンジン音を聞くだけでそれに反応するので、10分もかからずに全頭が集められる。

 フロリダ州立大学のワーショー教授はパートタイムファーマーで、繁殖雌牛200頭を自宅裏にある起伏の多い林地に一年中放牧していた、冬季にロールベールを運んで、金属製の枠に投入する。80歳になる教授はビール腹で自動車のシートベルトも届かないほどで、農作業をするのは容易でない様子にみえた。しかし出荷作業も一人でできるという。

 牛集めを見せようと軽トラックに乗せてもらうと、大きなクラクションを鳴らすと林の中から牛がぞろぞろと現れる。普段尿素入りの糖蜜や塩を与える時に、このクラクションをきくので、車の近くに牛が集まる。出荷時にもこのようにクラクションで集めた牛を、ゆっくりと車の移動で歩かせ、追込み柵内にすべての牛を母子で収容すると、待っていた委託販売人が選り分けて、子牛を市場へ運んでいく。米国においては、この経営規模は小さいが、機械化ができているので先生の小遣銭稼ぎになるのであった。



牛集め用軽トラックの荷台に乗る、30年前の筆者

 放牧場での分娩は舎内での分娩にくらべて衛生面で好ましい。とくに古くなった牛舎では細菌による汚染の心配があり、消毒を繰返しても新生子牛が下痢をして発育が悪くなることが多い。しかしこの牧場では分娩1ヵ月前に各々の牛舎につれ戻して出産させている。それというのは放牧場にカラスをはじめ、たぬきやきつねがいて、生まれたての子牛や産後の母牛を襲う恐れがあるためである。ここにも臨機応変の対応をみることができる。

 なお、管理スペースには子牛の増飼いのためのクリープフィーディングのできる立派な屋根付き施設がA、B両牧区にある。放牧中に母牛について回る子牛の発育に応じた栄養分が摂れるように、子牛だけが入り込める別飼い施設を設置することは一般的に行われる。しかし、ここでは全く使われていない。それはといえば、組合員毎に飼料の購入先が商系とか系統ごとに別々であるため、組合統一の増飼いができないのである。そういう事情があるならばはじめからこれを建設すべきでなかった筈である。作る側、使う側で何とか事前に調整できなかったのかと残念に思えた。

〜公共牧場の整備を望む〜

 青森県には22年、肉用牛繁殖牛が19,500頭飼養されていた。そのうち、放牧飼養されたのは6,446頭であった。この放牧頭数は以前は日本短角種が多かったため、9,000頭ほどであったが、いまでは日本短角種は激減している。放牧のほとんどは公共牧場を利用して実施されているが22年には5,420頭であった。これからみると、公共牧場はもっともっと活用すべきであり、活用できる筈である。県内99の公共牧場は総面積が13,259ヘクタールで、そのうち牧草地は6,882ヘクタールにすぎない。放牧利用する家畜も乳用牛1,026頭、肉用牛5,420頭、馬・羊等88頭であるから、利用率は低い。そこで今回訪れたような優れた肉用牛経営を多く輩出するための工夫をしていただきたい。立地条件を考えると、ローデシア方式を採用するところは多くはないとは思うが、それを作るに際しての留意点を次に述べてみる。

 まず、この事例のようにローデシア方式の放牧を行う公共牧場の基本計画を作るのに3年の歳月がかけられたのは、どうせ作るなら最先端のものを作ろうと県内の関係者が意欲的に設計されたとのことに敬意を表したい。その上で3点を指摘したい。

 1つ目は、この牧場ではローデシア方式といっても、A,B牧区の真中に舗装道路があって、それぞれ別のローデシア方式が向き合っている点である。放牧場面積も長い舗装道路の分、狭くなっている。これは実にもったいないと思われる。本当に意味あるものにするならば、A,B牧区の10小牧区の中心部に1つの管理スペースがあることが望ましい。

放牧地の中央を通る管理用道路

 それによって管理スペースを少し広くする必要があろうが、より効率的なものとなろう。たい肥センターへの取り付け道とはいえ、たい肥センターの立地を工夫したりすることはできたと思われる。

 道路をなくして、すべてを草地として利用する時、外周のどこかにキャトルガードを設置するのが良い。米国ではフェンスに囲まれた放牧場の出入口となる通路にはキャトルガード(以前はテキサスゲートと呼ばれたことがあった)が地面に設置されている。これは道路を掘って作られた深い溝の上をレールのようなものが横断するかたちで、少しずつ間隔をあけて並べられたものである。その隙間は牛の蹄が落ち込む程度である。その部分だけフェンスのない路面いっぱいにこれが幅2mあまり並べられると、放牧場の牛は決してそれを超えて外へでることはない。それでいて、人と車の出入りは自由である。放牧場への出入口で扉の開閉の必要性がないことは作業の効率を著しく高くしている。

米国のキャトルガード、手作りの木製でも牛は外へ出ない。

〜利用者の意見をきいて設計を〜

 2つ目は草生維持についてである。砂丘未熟地に薄く客土したので草生を良く保つには苦労が多い。牧場内の畜舎のふん尿と敷料はすべてがたい肥センターに搬入されるが、その管理運営主体は(社)屏風山野菜振興会で、たい肥はすべて畑作農家60戸100ヘクタールに供給されている。たい肥がネギ、長芋、ゴボウなどの生産に役立っていることから、耕畜連携がうまく行われているようにみえる。

 しかしそのために草地に十分な有機質肥料が還元できないことになり、地力維持に障害となっている。このたい肥の一部でも牧場内の草地に還元できれば、この悩みは解決できたのにと思うと残念である。そのため化成肥料とコンポストを購入して草地に3、6、8月の3回施用しているがそれで十分とはいえない。それに対し筆者は、岩手県相の沢公共牧場では3月の施肥をやめて、6、8月の2回にして、スプリングフラッシュの抑制に効果があったと話したところ、以前6、8月の2回にしたら春季の草勢が悪くなったという。砂地のためであり、今後も3回施肥を続けたいとの意向であった。この組合は研究熱心であるだけに、心の底では牧場内の牛舎から生産されるたい肥の利用を望んでいるに違いないと残念に思った。

 なお、23年度からは播種機が入り、今は5年間で草地更新が完全にできると喜んでおられただけに、たい肥の課題が何とか克服されるように希望したい。

 3つ目はフェンスについてである。牧柵はヒバの丸太を一定間隔に立て、そこに当初は有刺鉄線を5段に張りめぐらしたのであった。しかし今では有刺鉄線のかわりにネットフェンスが多く使われ、1本の電牧が一周張りめぐらせてある。それはこの地に雪が多いからであった。風が強く雪が横から降るといわれるほどで、積雪も1m足らずになるので有刺鉄線が落ちて、使い勝手が悪くなっていった。このような自然的条件のところでは牧柵に有刺鉄線が使えないことは古くから周知のことである。これが設計段階で気がつかなかったのか、予算上そうなったのか、とにかく残念でならない。なお、同じ設計で十和田市の惣辺牧野に放牧場が整備され、そちらの方が先行したと聞くが、雪の多いところであるだけに、そちらの牧柵との比較も必要と感じた。これらの課題が改善されることを望む。


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