草地の多面的機能と環境保全 |
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北里大学獣医学部 教授 寳示戸雅之 |
わが国の食料自給におけるタンパク質生産の要である畜産業において、草地は飼料生産の場であると同時に、生物多様性、温暖化防止・水土保全など環境保全機能を有する重要な作目体系である。たかが草地ではない。面積的にも、わが国の全耕地面積459万ヘクタールに対し、植生データに基づく独自計算による全草地面積(いわゆる人工草地72万ヘクタールの他に自然草原などを含む)は187万ヘクタールにも及んでいる。これは459万ヘクタールの4割に相当する(全耕地面積には人工草地のみが含まれる)。この管理法がわが国全体の生産性、環境保全、多様性等に及ぼす影響は大きく、国土の保全の視点からも重要である。
飼料生産以外に様々な機能を持つ草地生態系の管理法を論じるには、系としての一体的な評価が不可欠である。それは、生産性、生物多様性、環境保全機能等を総合的に評価することにより、より具体的、効果的な技術の論評が可能となると同時に、個別機能の評価を単離すると、結果の実用性の評価に懸念が生じるからである。たとえば、草地には温暖化を防止する機能が期待される。その内容はわずかなメタン吸収とともに炭素貯留の可能性が指摘されている。しかし同時に、化学肥料や堆肥の施用や排せつ物から一酸化二窒素(N2O)が排出される。また家畜からはゲップとともにメタン(CH4)が生成する。一方で草地土壌は、無機態窒素の溶脱を止め、エロージョン(表土流亡)を防止する機能がある。 飼料畑の一種である草地は、家畜排せつ物との関係が切れない。わが国全体を見れば面積当たりの窒素負荷は非常に高く、たとえば単位飼料畑面積当たりの家畜ふん尿窒素負荷は全国平均で①648キログラムN/ヘクタールにも及ぶ。作物による吸収すなわち収奪量が夏冬合わせても300キログラム/ヘクタールに満たないことを考えれば窒素負荷の程度が理解できよう。しかしこれを全耕地面積当たりに換算すると一気に②146キログラム/ヘクタールまで減少する。この値でも結構な値であるが、対応は可能なものである。①が草地飼料畑の実態であるのに対し、②は各県内において家畜ふん尿窒素の均平化が限りなく行われた場合、すなわち、いわゆる耕畜連携の目指す理想型である。 ここで草地の多面的機能を再び考えると、草地土壌には過剰に施用された窒素成分を土壌中に吸着する働きをもつ。たとえば草地に1000キログラム/ヘクタールもの窒素施用を行っても1年程度は2.4m深の溶脱水に窒素は出てこない。250キログラム/ヘクタールレベルだと3年以上は出ない。この仕組みは、牧草による収奪の他に、土壌中に有機態窒素として蓄積され、さらに一部は脱窒によって除去されていると考えられる。このように草地土壌には表層に与えられた窒素をすんなりとは通さない仕組みがある。 ところで過剰な窒素の一部は大気にも出て行く。代表的な姿がアンモニア(NH3)と一酸化二窒素(前掲)(ともに気体)で、後者は地球温暖化ガスの一種であり、農業からの排出を様々な方策によって抑制しようとしているところである。前者、アンモニアについてはわが国ではこれまであまり実態が知られていなかったが、最近の研究により、具体的な流れがわかってきた。集約的酪農地帯で発生量と沈着量(つまり空から降ってくる量)を調べると、家畜ふん尿窒素の25%がアンモニアとして大気に放出されると仮定すると、このうちの約半分が同じ地域に舞い戻ることがわかった。そして草地は、アンモニアの発生源よりはむしろ吸収帯(シンク)として働くのである。このように大気を介した地域内窒素循環において、草地は重要な吸収帯としての役割を担っている。 このほかに、草地を生息地とする多くの動物や植物が存在する。たとえば鳥類、草原性植物、昆虫、菌根菌など多岐にわたる。いわゆる生物多様性の宝庫としての草地という側面がある。 このように窒素負荷の大きいわが国において草地生態系は様々な側面からわが国の環境保全に貢献している。たかが草地ではない。
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