調査・報告 専門調査

軽種馬専業経営から軽種馬・和牛繁殖複合経営へ

筑波大学名誉教授 永木正和



【要約】

 畜産における経営転換の事例について、日本を代表する軽種馬産地の北海道日高管内浦河町で、軽種馬生産農家が和牛繁殖部門を取り入れた複合経営、あるいは和牛繁殖専業経営に移行する経営転換の事例を紹介する。経営転換が経営発展の1つの重要な展開方策であることを認識し、事例から経営転換を成功させた背景要因を分析し、経営転換に重要な考え方や、外部支援のあり方、産地づくりに示唆を見出したい。

1.はじめに −身近に「経営転換」の発想を−

 基幹作目を変更する「経営転換」には、既存の経営形態をリセットして這い上がってくる苦しみがある。大多数の農業経営者は保守的であり、敢えてそのような苦労とリスクを背負おうとはしない。先祖から引き継いだ農地と経営形態を保全、継承してゆくことを第一義の目的としている。よほどの事情がない限り、経営転換の発想は生まれてこない。だが、企業家による日常静態の「創造的破壊」なくして社会の発展はないとJ.A. シュンペーターが言ったが、経営環境の変化に対して経営のあり方を変えてゆかなければ経営発展はないのである。経営環境がドンドン変わりゆくのに、自らが何ら問題意識を持たず、変わろうとしなかったら、時代から取り残され、経営は衰退してしまう。経営与件がダイナミックに変化している今、与件に対応した漸進的改良は言うまでもないが、時と場合によっては積極的な「経営転換」を経営発展のオプションとして常にもっておくべきである。

 今、農業者に求められているのは、自らが主体的に動き始めることで、課題解決のための経営転換である。もちろん、経営転換は「一朝にして成らず」である。本調査報告は、畜産部門における経営転換の事例を紹介する。日本を代表する軽種馬産地の北海道日高管内浦河町で、軽種馬生産農家が和牛繁殖部門を取り入れて複合経営に、あるいは和牛繁殖専業経営に移行する経営転換の事例である。経営転換が経営発展の1つの重要な展開方策であることを認識し、経営転換を成功させた背景要因を分析し、経営転換に必要な考え方や、外部支援のあり方に示唆を見出すことを目的とする。

2.北海道・日高地方の軽種馬生産

 日高地方は農地の賦存量には恵まれてないが、冬に温暖、夏に冷涼なことから、良質牧草を給与して軽種馬を飼養する軽種馬産地として発展してきた。だが、景気に敏感な競馬市場は、今、長期縮小傾向にある。中央競馬も地方競馬も売上高の低落傾向に歯止めがかからない。競馬界の不景気は川上にフィードバックされる。馬主と調教師と軽種馬生産者で痛み分けしなければならないが、軽種馬生産者に一番の痛みのしわ寄せがくる。

 資本力がない小規模農家の、何年間に一度巡ってくるかもしれないという心もとない賞金獲得の機会に夢を抱いての経営である。先行投資して後で回収する経営形態であるが、何時のことかは不明である。気がついた時には経営継続の崖っ淵に立たされていたということになりかねない。現に雪だるま式に負債を増やしている軽種馬農家が少なくない。日高地方の現在の軽種馬生産者には、軽種馬生産に見切りをつけ、他作目の生産へ経営転換した方がよいと判断される経営は少なくない。この場合、崖っ淵に立たされる前に、繁殖牝馬飼養頭数を減頭、廃業し、代わりに繁殖和牛を導入する部分転換あるいは全面転換が1つの方向になっている。

3.浦河町の農業と経営転換

 浦河町のこの10年間の家畜飼養農家数と頭数を見ると、飼養農家数は乳用牛と軽種馬で減少しているが、肉用牛は増加している。飼養頭数も同様である。これには理由がある。軽種馬生産経営の不振から抜け出すために、地元JA、行政、関係団体が一致して打ちだした対策が軽種馬生産頭数の抑制で、軽種馬依存の農業からの脱却を押し進めてきていることによる。その転換作目は畑作物と肉牛である。ただし、浦河町の気象は冬季に降雪が少なく温暖ながら、夏期に濃霧が発生する。また、土壌は厚い火山灰に覆われている。そのため、畑作適地は限られており、畑作への転換は難しかった(稲作農家が、水田跡地を使ってのハウス・アスパラやハウスいちごの栽培に転換している)。その中で見出された経営転換の方向が和牛繁殖であった。

 それには幾つかの理由がある。

1)もともと減反を進めなければならなかった稲作経営に所得確保の対策として、和牛繁殖部門の導入を進めていた。軽種馬経営にも和牛繁殖部門を導入すれば、産地化できて、産地化メリットが得られる。稲作経営の肉牛導入は田植え期と牧草収穫期が重なる問題があるが、軽種馬の農繁期(分娩や交配期の春)と和牛繁殖のそれとの直接的な競合がない。

2)軽種馬生産経営にとって和牛繁殖部門の導入は、畜種の違いはあるが、“家畜を飼う”という広い意味での相違はなく、経営者や家族にとって牛の飼養に違和感や抵抗感なく受け入れられる。軽種馬で培った知識や技術が生かされ、当初から、高いモチベーションと自信を持てた。

3)初期投資は厩舎の内部改造にかかる費用が主で、草地も飼料生産調整機械・施設も馬と牛で共用、あるいは転用できる。最も資金を要する繁殖用雌和牛は、地元のJAひだか東が出資して設立した「(有)グリーンサポートひだか東」が所有し、肉用牛繁殖経営に預託することで、生産者は繁殖用雌和牛を購入しなくてよい仕組みを整えた(後述)。

4)和牛繁殖経営が「浦河町和牛改良組合」として束ねられ、組織協同活動を図るようになった一方、地元官民の関係機関、団体が「浦河町担い手育成総合支援協議会」に束ねられて、地元官民連携して和牛繁殖農家を支援する体制を整え、活動している。

 要は初期投資が少なくて済む低コストな生産品目として肉用牛繁殖経営を選択したという点である。

 こうして、浦河町は軽種馬一辺倒の農業から和牛繁殖を加えた畜種複合のマチに変身しつつある。軽種馬は、飼養農家数、繁殖牝馬頭数、生産馬頭数共に漸減している。高齢、小規模な軽種馬生産農家からリタイアしているのはもちろんであるが、しかし、中堅的軽種馬経営が、軽種馬飼養頭数を減頭し、繁殖和牛を導入しての畜産複合経営に転換している。JAひだか東の資料による浦河町の繁殖和牛の飼養状況は次のようである。和牛生産だけは戸数も頭数も右肩上がりで順調に伸びてきている。平成10年の軽種馬生産頭数は1,599頭、22年が1,201頭である。早晩、和牛の生産頭数が軽種馬のそれを上回るであろう。軽種馬生産のみに固執していたら衰退の途にあったであろう浦河町の農業に和牛繁殖が息吹を与えてくれている。

 ところで、率直に言うが、和牛を導入した軽種馬生産農家は、少なくとも軽種馬生産の勝ち組ではない。和牛繁殖に踏み切った農家の多くは、小規模な軽種馬生産経営で、多額の負債を抱えている経営が多かったからである。しかし、JAは経営者の年齢と資質、繁殖牝馬を減頭することによる資金面、労働力、草地条件から繁殖和牛を導入できる経営かどうかを見定めて経営転換を勧めている。これを「適者適作」と言っている。

 繁殖和牛を導入した農家は、次の2類型に大別される。

1)軽種馬部門が主で、繁殖牝馬8頭〜10頭 + 繁殖和牛10頭程度、

2)和牛繁殖部門が主で、繁殖牝馬5頭以下 + 繁殖和牛40〜50頭程度、

なお、軽種馬を廃業して全面転換した経営もあるが、最初からではなく、段階的である。

 繁殖用和牛は、以前は広島、島根が多かったが、最近は東北(岩手、青森)が多い。種雄牛は広島、島根の系統が主流である。町内の繁殖和牛の全頭について繁殖成績、増体成績、市場成績がデータ記録され、管理されているので、これに基づいて淘汰更新や血統選抜が行われている。増体量(発育良好)が血統選抜の最重要因子である。

 育成牛はホクレン南北海道家畜市場(勇払郡安平町早来)で販売している。道内、道外に5割ずつ引き取られている。浦河町分の平成22年度実績の平均値で、去勢は290日齢、310キログラム、DG=1.059キログラム、メスは310日齢、290キログラム、DG=0.933キログラムである。販売実績は下記の通りである。販売頭数は順調に伸びて来ている。現在は、浦河町から南北海道家畜市場に毎月50頭を出荷できるまでになっている(単協別の出荷頭数ではJAひだか東は全道2位の出荷頭数を誇るまでの産地になった)。もともと、素牛価格に地域間(JA間)の相違は小さいのだが、浦河町出荷分の平均販売価格は市場平均で推移している。上に、増体量重視と言ったのはこのためで、高いDGが低コスト生産に結果しているからである。

 町内で肥育を行っているのは、個別経営の一貫経営方式が1戸、そして8戸が参加している150頭規模の(有)「うらかわ肥育センター」がある。どちらも、肥育生産で先行している隣接のJAみついし傘下の「三石和牛肥育組合」に加入し、統一した配合飼料の給与、一貫生産、粗飼料を十分給与することなどを遵守事項として「みついし牛」ブランドで芝浦市場をメインに出荷している。

4.肉牛経営への転換を後押ししている地域支援体制

 浦河町で、軽種馬経営が和牛繁殖部門を導入、あるいは和牛繁殖経営への全面経営転換すらも進んでいるのは目を見張る。浦河町で経営転換を進めさせている要因(成功要因)は2つ分けられる。1つは経営主体に帰する要因である。もう1つは産業組織としての地域農業支援体制である。ここではまず後者について論じる。

 一般論としてであるが、農業の競争力の低さや経営体質の脆弱性が論じられる時、その1要因として農業経営者の経営者能力の低さが指摘されることが多いが、農業経営者の経営者能力を云々するのは誠に短絡的であり、歪曲化した発想であるというのが著者の持論である。言いたいのは、『産業』とは「ある商品群の生産、販売、サービス提供の行程に関与するするさまざまな経済活動主体が、合理的にして多様な柔硬連結・連携した全体組織」である。農業という産業にあっても、それは農業経営者だけでなく、専門的な農作業の請負会社あり、JAが担っている営農指導、信用・保険事業あり、資材・食品関連産業あり、公的な普及機関や民間コンサルタント会社ありの裾野の広がりがなければならない。農業経営体をサポートするさまざまな主体があってしかるべきである。農業経営者だけが農業という産業を担っているのではない。しばしば「農業者は硬直的」と言われるが、それは与件変化に鈍感だからではない。足りない知識、技術を補完し、不安心理や経営リスクを取り除く仕掛けが不十分なためである。重要なことは、この仕掛けを産業の内部に持つことである。

 浦河町の肉牛への経営転換の取組み方には、産業組織としての地域農業の中で進められている。これを図1に描写した。まず浦河町の和牛繁殖経営農家は「浦河町和牛改良組合」として束ねられている。現在の組合員数は45戸、繁殖和牛の飼養頭数は903頭である。和牛改良組合は、共同購入している精液の保管・管理、家畜改良や市場に関する情報共有と血統選別、繁殖牛の本原登録等の各種登録事業、技術の向上のための視察と研修に一体となって取り組んでいる。一方、この肉牛経営をサポートする側には、浦河町役場、JAひだか東、JAひだか東が出資している「(有)グリーンサポートひだか東」(以下、「GS」と言う)、日高農業改良普及センター、日高NOSAIが構成団体となる「浦河町担い手育成総合支援協議会」が組織されている。構成団体を類別すると、(1)もともと外部から農業経営をサポートする経営外部の事業体と、(2)GSのことであるが、本来は農業経営内活動の一部分であった固定資本負担と生産物販売を“外部化”させ、これを請け負う実動部隊である。相互が専門的立場から役割分担しながら、整合的な理解をもって有機連携して農家支援する。浦河町役場は協議会の事務局業務を担い、基本的執行策の策定を第一義の任務とする。行政系列の公的事業、情報収集を行う。JAは営農指導と営農資金供給、購買・販売を行う。GSは、GSが所有する繁殖和牛を農家に預託する。普及センターは技術指導、共済組合は衛生・予防指導と疾病治療を行う。

図1 浦河町の和牛生産の体系
資料:浦河町から得た資料に基づき筆者作成

 生産者側は「改良組合」を窓口としてまとまり、外部支援団体は「総合支援協議会」という組織で一つになっている。改良組合と総合支援協議会の関係は、総合支援協議会が一階の住人で、二階の改良組合を支えている。なお、計数管理に基づく経営管理と営農指導を推進しており、専門会社の(社)北海道酪農畜産協会に記帳指導と経営診断分析、経営指導を委託している。また、JAひだか東の公共草地を、改良組合が組織する「共同牧野利用組合」が借り上げて繁殖和牛の放牧と採草に供している。原理的に、この2階建て構造こそが地域農業の産業組織のプロトタイプであると考える。浦河町で軽種馬専業から肉牛部門との複合経営に円滑に経営転換させている大きな要因である。

 第二の成功要因であり、本事例の特徴的な取り組みとして言及しておきたいのは、GSである。和牛繁殖を開始するには初期投資として繁殖雌牛を手当てしなければならない。だが、妊娠期間が10カ月、哺育・育成期間が10カ月で、利益が回収されるまでに約2年を要し、資本の懐妊期間が長い。軽種馬の負債圧から脱却することが経営転換の大きな目的であったことから分かるように、これらの資金面での対応が最大の課題であった。JAひだか東は繁殖和牛を預託する方式を導入することにして、平成15年に農業生産法人(有限会社)のGSを設立した。GS所有の繁殖和牛を1戸当たり最大25頭までを和牛繁殖農家に預託する。和牛繁殖農家は繁殖和牛に資本投資を必要とせず、繁殖和牛は毎月10千円、哺乳牛は5千円、育成牛は12千円の預託料を受領しながら飼養する。収入が決まっているので、生産原価を意識しながら経営できる。こうして、資金回転や市場リスク等の和牛繁殖経営に宿命の課題が解消され、和牛繁殖経営への参入を容易にしてくれている。なお、預託牛は5産後に廉価に(10万円程度)払い下げを受けて自己牛にできる。預託中の繁殖成績がかんばしくない場合、この預託牛を交換してもらえる。仕上がった育成牛はGSが引き取り、販売するが、実販売価格に応じて「早期出荷払い」、「出来高払い」が加算される仕組みになっており、経済的インセンティブも用意されている。

 もう1つの重要な役割を担っている主体は(社)北海道酪農畜産協会である。同協会は支援協議会の委託を受けて経営診断のための記帳指導と診断分析を行い、支援協議会と密接に連携しながら、共同して農家経営改善指導にあたっている。課題点を具体的に挙げて、改善指導すると共に、生産原価を強く意識させる。計数管理・分析に基づく客観的で的確な診断と指導である。繁殖和牛の個体別に血統、繁殖成績の履歴、市場成績の履歴がデータ整理されている。発情発見や受精等の繁殖管理、飼料給与技術等に関する問題点を摘出し、改善指導している。JAと普及センターは、協会による診断データから個体別の品質等級や販売価格の系統別評価分析して、系統選抜計画や交配計画を立案する。協会が行った経営診断分析結果が一元管理され利用されているから、支援協議会内のどの団体にもデータが共有され、ぶれない一貫指導が行われる。

 要するに、和牛繁殖経営の全てが等しくメリットを得る事業を担い、外部の専門会社に委託する等で高度・専門的なサポート体制を整えている。二階建ての家屋の一階には関係機関・団体が一体となって居住し、二階の住人である和牛繁殖経営体を支え、二階の住人はこの支援に後押しされて存分に活動しているという地域農業の産業組織の構図である。

5.肉牛に転換した経営―福田牧場に見えたもの

 浦河町の軽種馬農家への和牛繁殖部門の導入が成功裏に、着実に進展している要因は経営体の側にもある。著者が訪問した経営転換農家から成功要因を考えてみる。その農家は福田牧場(福田正昭さん、61歳)である。軽種馬専業経営であった福田牧場も、じわじわと負債を累積させていた。最初に和牛繁殖牛を導入した平成15年頃は、資産処分すれば負債整理できたので、清算して農業経営から退出することも考えていたと言う。軽種馬飼養一筋であった経営者には、軽種馬生産以外には廃業しか頭になかったが、婦人(たまきさん、60歳)は、ために貯め込んだへそくりを明らかにして、「これで繁殖用和牛を購入したい」と話を持ちかけたのは平成15年、この時、福田牧場の歴史が動いた。

 婦人は、近隣の和牛導入農家やJA職員の話を聞いたり、見たりして勉強し、内々、和牛を導入したいと考えていたのである。夫は婦人に背中を押されて和牛繁殖の導入に踏み切った。当初、6頭の繁殖和牛を導入した。その後、平成17年には17頭、19年には23頭、そして現在(23年7月)の50頭にまで順調に頭数を増やしてきた。50頭規模は浦河町では大規模である。ただし、繁殖牝馬も7頭飼養している。経営主夫婦と牛が大好きという20歳代の女子研修生との3人の労働力で、軽種馬と和牛の複合経営を切り盛りしている。哺乳は婦人の担当、離乳後の管理は経営主の担当としている。頭数が多くなったので、記録を重視している。経営診断分析報告は必ず夫婦二人で参照し、話し合い、経営課題や個体別の問題点を共有し、日々の作業に生かしている。牛舎内に自前の「繁殖管理板」を張り、随時、繁殖管理情報を書き込み、参照し、3人が情報共有している。

 福田牧場の敷地の東側の地続きは丘陵斜面の草地である。当初、実験的な意味も込めて、頂上に吹きさらしの牛舎を建て自由採食、自然分娩・哺乳させた。極寒の状態で冬を越せるかどうかを確認したかったのであるが、やはり疾病や事故が多発した。この経験から、自宅敷地の地続きに繋養拠点を移し、哺育も人口哺育に切り替えた。苦い経験をしたが軌道に乗った。本格的な繁殖和牛の導入に踏み切ったのはそれからである。なお、馬では十分な利用ができてなかったこの丘陵斜面を、牛用パドック、放牧地として積極利用できるようになった。今は自宅前の一等地である。

自慢の55頭連動スタンチョン前に立つ福田さんご夫婦

 和牛繁殖部門の現況施設は、平成18年に建設した繁殖和牛を繋養する55頭連動スタンチョン(屋根なしの繋ぎ場と飼槽、コスト削減のため、あえて繁殖雌牛用の牛舎は建設しなかった。)の他、分娩房、カウハッチ、哺乳舎、育成前期舎、育成後期舎、D型ハウス、たい肥舎である。福田牧場自慢の連動スタンチョンは、宅地、厩舎等、と地続きで、背後に丘陵西側斜面のパドック、放牧地が広がる。連動スタンチョンのお陰で個体管理が行き届くようになった。建物は、基礎工事はもちろんのこと、建屋もできる限り自前で建設するのが経営主の方針で、農閑期の遊休労働力と近所に住む息子の助けを得て、順次、建設してきた。飼槽や給水槽も廃品利用に徹している。福田牧場の固定資本費は極めて低コストである。

 農地は、自作地12ヘクタールと借地45ヘクタールの57ヘクタール、ただし、借地の内の25ヘクタールはJAひだか東の公共草地で離れ地である。基本的に一番草の良質飼料は軽種馬と子牛に、普通品質飼料は繁殖牛に不断給与している。育成牛は疾病予防といじけさせないという観点から「ゆったり育成」を飼養方針としており、1ペンに哺育牛は3頭、育成牛は2頭にしている。哺乳期間中のポイントは授乳量と下痢で、糞の状態をチェックしている。離乳後は草の食い込みで、細断して給与している。繁殖和牛は2群管理する。若い牛と分娩が近い牛の群と産後牛と妊娠牛の群である。5歳齢になると払い下げを受けて、およそ10産まで供用する。

2頭ずつゆったり繋養の手作りの育成舎

 現在の繁殖和牛頭数が規模限界であろうと見ている。理由の1つは、昨年(平成22年度)は長雨であったので特に深刻だったが、現行の面積では良質粗飼料の確保量がギリギリである。良質自給飼料の安定確保は健康な育成牛に仕上げるためにも、そしてコスト低減にも重要である。第二は個体管理である。連動スタンチョンを取り入れて、個体管理が行き届くようになったが、育成牛の個体観察、管理までを考慮すると、限界である。

 経営転換は、新規導入作目が経営資源条件に照らして合理的であるかどうかが成否に決定的である。軽種馬生産一筋であった福田牧場に畑作物を栽培した経験がない、畑作適地もない、50歳を過ぎた夫婦に集約的なハウス栽培の技術習得と体力に自信はなかった。だが、繁殖和牛や哺育・育成牛の飼養なら、少なくとも家畜を扱う心得はある。経営主は、「馬は気遣いが多いが、牛は作業量が多い、しかし可愛さは同じ」と言う。畜種は違っても、家畜に愛情を注ぐ気持ちに変わりはなく、和牛繁殖経営に速やかに馴染めた。また、飼養管理、繁殖管理、飼料作物・牧草栽培管理は軽種馬のそれと殆ど互換性がある。ここに、主体者要因として、福田牧場が和牛繁殖部門を導入することの合理性は十分にあった。

 第二は資源利用上の合理性である。軽種馬の育成放牧場は平らな草地でなければならないが、牛は傾斜地や少々の礫のある草地でも問題ない。上述したが、所有農地の有効利用を実現した。牛舎は、現在は肉用牛用として建設したものであるが、飼養開始当初は軽種馬用厩舎の内部を改造して充てた。軽種馬用の農具、施設もそのまま和牛用に転用できた。生産された乾草やサイレージは、繁殖和牛には相対的に低品質草を給与できる。作業面で、軽種馬分娩期のピーク・ロードを削って、時期的に平準化でき、労働負担を軽減できた。実は、これらが都合よく生産コストを低く抑える要因になっている。農地と粗飼料の用途の棲み分け、技術と固定資本の互換性、労働力の非競合等、資源に幾つもの低コスト化要因が見出された。(もちろん、低コスト実現の外部要因として、GSによる繁殖和牛預託や、計数データに基づく経営診断分析・経営改善指導を看過してはならない)。

 企業のビジネス・サイズを拡大する常套手段は現行事業の拡大増強であるが、もう一つの方法は別事業部門の導入である。後者の場合、全く異質な事業分野に進出するのではなく、近接する事業分野や、川上・川下の事業分野に進出する。これは、現在の手持ち経営資源(技術的ノウハウを含む)を有効活用することにあり、少ない初期投資で、速やかに低コスト、低リスクの生産体制が整い、競争力のある事業展開をできる。この場合の利得を「シナジー効果」と言う。「2つ以上の要素が作用し合って、個別に機能させる場合よりも高い性能を発揮し、より高い価値を生む」場合を「シナジー効果」と定義する。野球場をサッカー場やイベント会場等、他目的にも活用したり、ちょうど今、問題になってはいるが、電力会社が発電、送電、配電の3部門を行うのはシナジー効果を得る取組み事例である。軽種馬部門と和牛繁殖部門の組合せは「1+1=2以上」の算式を成立させている。つまりシナジー効果を得ていると解釈できる。

6.結語

 未来に繋ぐ経営転換であるが、未知への挑戦とも言える経営転換には大きなリスクが伴うので、現状の経営がそこそこに回っている限り、積極的に「経営転換」の発想は生まれてこない。しかし、昨今、グローバル経済下にあって、経営環境はダイナミックに変化している。経営与件に適切に対応してゆくのは重要な経営者機能であり、そのための柔軟な発想力や構想力が求められる。そしてその1つの選択肢として、部分的、あるいは全面的な「経営転換」も視野に入れるべきである。しかし、安直な発想は絶対に許されない。また、個別経営が孤軍奮闘して経営転換するには限界がある。この際、農業の産業組織というものをあらためて考えたい。

 本稿は、行き詰まっている軽種馬経営を打開するために、軽種馬の飼養頭数を減らして和牛繁殖部門を導入する経営転換に取組んでいる北海道日高管内浦河町を調査した。まさに“牛歩”のペースではあるが、着実に経営転換が進んでいた。この事例から背景要因を探ると、一階の支援事業者群が二階の農業経営群を支える仕組みの二階建て構造の地域農業システムが構築されていた。地域として目指す「経営転換」のゴール設定、ゴールに近づく方法やそれを担保する具体技術や知見、農業経営の個を束ねる組織化やそのための調整等、さまざまな役割が一階の支援事業者群に求められる。このような構図の農業の産業組織が描かれた。2つ目は主体要因であるが、経営者マインド、そしてコスト低減を図るための賦存資源の共用、転用等、シナジー効果を生みだす仕掛けの意義が示唆された。

 和牛繁殖経営の若手後継者の確保、肥育部門の拡充、産地化やブランド化への取組み等に将来課題がありそうであるが、マチを挙げて軽種馬専門経営から和牛繁殖部門との複合経営への転換努力をしている浦河町の事例は示唆に富む。和牛肥育素牛産地として甦りつつある浦河町の今後の発展を応援したい。


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