調査・報告 専門調査  畜産の情報 2012年4月号

ベースは”絆”の心と優れた酪農経営
〜年間3万人も訪れる釧路管内渡辺体験牧場〜

北海道大学大学院農学研究院・教授 飯澤理一郎
北海道大学大学院農学院・博士課程 高畑 祐樹



【要約】

 釧路管内弟子屈町字原野646 ー4。今時、「字原野」なる住所表記をもつところは、さすがの北海道でも珍しくなってきた。その「字原野」に悠然と構えるのが、今回の取材先「渡辺体 験牧場」である。そこは、人々が「字原野」なる語に抱くイメージぴったりの、典型的な北海道的な大自然のただ中であり、道東の中心・釧路から車で北上することやや1時間、北海道屈指の酪農専業地帯が展開するところである。
 その原野に、渡辺体験牧場を目指して、釧路地域はもちろん北海道内各地から、更に都府県 各地から年間3万人強もの人々が訪れると言う。北海道東部地区屈指、否北海道屈指の酪農体 験農場と言っても良いかも知れない。
 周りにある中核的な都市と言えば、1時間余離れた人口20万人弱の釧路市があるのみ。しか も、お世辞にも交通の便が良いとは言えない。むしろ、類似地域の多くが「過疎化」や地域活 力の低下に悩み呻吟している中で、何故、当地は、渡辺体験牧場はこれ程の人々を集め、活力 を持続することが出来ているのであろうか。私ならずとも、その経過や成功要因などに極めて 大きな興味をそそられるのは、偽らざる心境なのではないだろうか。

牛も土もいきいきー放牧と無化学肥料等にこだわる渡辺体験牧場

 渡辺体験牧場の牧場主、渡辺隆幸氏は昭和37年生まれ。酪農学園大学を卒業後、昭和60年に父から牧場経営を引き継いだ。父の代まで、放牧方式を取り入れていたが、いかんせん作業効率は良いとは言えず、また乳量も芳しいとは言えなかった。隆幸氏は作業効率の向上、乳量増加などを目指し、飼育方法をスタンチョン、飼料は混合飼料(これを「TMR」と言う)へと切り替えた。しかし、ほどなくしてこれまで見られなかった疾病牛が現れ始め、その数は年間10頭近くにまで達した。その要因を解明し、打開の方向を見いだす。牧場経営を引き継いで間もない当時の隆幸氏に課せられた大きな課題だったと言って良い。試行錯誤の結果、辿りついたのは父の代にやっていた放牧主体の酪農に戻すことだった。実に、単純極まりない結論である。単純極まりないが、相手が「乳牛」と言う生き物であり、生き物としての乳牛にとってより快適なあり方が、自由に動き回ることが出来る“放牧”であったと言うことかも知れない。以来、牛の健康状態も良くなり、疾病牛も大幅に減少してきたとされる。

 牛が草を食み、寝そべりながら一日を過ごす草地は、可能な限り“綺麗”でなければならない。早速、彼は草地改良に取り組んだ。その中心は化学農薬・肥料依存からの脱却である。代わりに“骨炭と堆肥”を散布した。結果、牧草収量が増加するとともに、以前は禾本科牧草の陰に隠れていた豆科牧草が繁茂しだし“含有養分”も増えたように思えると言う。“収量”と“養分”、一石二鳥である。

 74haの牧草地のうち、60haを採草地に、12haを放牧地に、2haを施設等用地に当てている。12haを12牧区に仕切り、朝ある1牧区に入れ、晩に別の1牧区に移す。こうして7日目には最初の牧区に戻ると言う形式で、5月から11月下旬、遅い時には12月初旬にかけて、昼夜放牧を行っている。放牧による健康な牛、健康な草地、そして隆幸さんの“健康な笑い”のおかげであろうか、65頭の搾乳牛(乳牛総頭数120頭)で年間乳量は約520トン。一頭当たりで8,000kgであり、放牧方式であるにも拘わらず北海道の平均乳量8,088kg(平成21年度)と比べて、全く遜色はない。

表1 経営の概要
資料:渡辺体験牧場からの聞き取りにて作成。

体験農場への切っ掛けは労働力不足

 さて、渡辺隆幸氏が体験牧場に取り組むようになった切っ掛けは実に古く、就農時にまで遡る。今や超大型機械を駆使する酪農も、当時はまだまだで、多くの手作業部分を残していた。渡辺牧場もその例にもれず、機械化は道半ばで、夏場の繁忙期には大量の労働力の雇用を必要としていた。しかし、冒頭に触れたように字「原野」の渡辺牧場、渡辺牧場に限らず摩周湖周辺の弟子屈町酪農地帯において、その確保は困難を極めた。「何処かに働いてくれそうな人はいないか?」いわゆる“人捜し”は地域あげての課題だったのである。

 当時、「バックパッカー」と呼ばれる大きなリュックを背負った若者達やバイクなどでツーリングする若者達が北海道内に溢れていた。特に、渡辺体験牧場の周辺には阿寒・摩周などの観光地も多く、人気の地で、近間のユースホステルには多くの若者達が宿泊していた。ここは彼らに声をかけて見ようと、隆幸氏は思いきって、近くのユースホステルなどに呼びかけを行った。余り期待はしていなかったが、あにはからんや。多くの若者達が応じてくれた。以来、繁忙期など、人手が必要な時にはユースホステルなどに呼びかけ、こうした若者に手伝ってもらっていたのである(もちろん、有給)。しかし、牧場の機械化も徐々に進行し、最早、雇用の必要はなくなり、平成と踵を接する頃には呼びかけも中止した。

 “呼びかけ中止”は、渡辺隆幸氏に思いもしなかった結果をもたらした。「無給でもいいから働きたい」という声が、ユースホステルなどに宿泊する若者達から多く、しかも強く寄せられたのである。これは、これらの声に応えなければならない。早速、近隣の酪農家5戸と協議し、互いに協力しながら、1日牧場体験を始めることとした。スタート当初、体験参加者は12〜15人ほど。この程度であれば、精々昼食代を徴収するだけでやっていける。しかし、その後、参加者はうなぎ登り。受け入れに伴って負担も増加してきたため、昼食代の他に“体験料”を徴収することにした。

 “酪農・農業体験をしたい人がこんなにもいる”ことに打たれた隆幸氏は、酪農体験を通じて日本酪農に対する理解を得ようと「摩周酪農体験ゼミナール」を開催した。平成5年のことで、実に7日間にも及ぶものであった。その後、1泊2日となったものの、修了者は600人程に達したとされる。

 こうした取り組みが旅行会社の眼に止まり、平成7年、バスツアーのコースに組み込まれ、渡辺体験牧場は本格的な体験牧場へと歩を進めることになるのである。

字「原野」に35万人もの人々が

 図1は渡辺体験牧場への来場者数の推移である。平成8年の5千人から10年には2万人を超え、14年には旅行会社の「団体ツアーキャンペーン」が始まると一気に4.5万人へと激増している。キャンペーンが終了した17年には2万人まで減少するものの、翌年には盛り返し、20年には3.6万人に達している。平成22年には口蹄疫の影響で2.6万人まで減少するが、翌23年には3万人と持ち直している。

 ツアーキャンペーン客に代わり、近年、修学旅行生が増えていると言う。それは北海道内からだけに止まらない。各都道府県からの修学旅行生も多く、平成23年には1.2万人もの修学旅行生が来場したと言う。あの有名な岩手県の小岩井農場がライバルと言うから驚きである。また、リピーターが多いとされる点は特筆される。修学旅行で来た生徒が家族で来ることも多々あり、中では、修学旅行を切っ掛けに渡辺体験牧場で働くことになった人まで出ていると言われる。

図1 渡辺体験牧場の来場者数の推移
資料:渡辺体験牧場からの聞き取りにて作成。

 ところで、渡辺体験牧場周辺は春の訪れが遅く、逆に冬の訪れは早い。どんなに長く見積もっても5月中旬から10月一杯の160〜170日、普通6月から9月一杯の120日前後が体験牧場としては良いところではなかろうか。3万人を170日で割れば一日当たり180人程、120日とすれば250人程。最盛期には1千人を超す日もあるのではないかと思わざるを得ない数値である。“1千人もの人々が弟子屈の原野にて遊ぶ”。実に壮大なパノラマである。 そこには、渡辺体験牧場が人々の心をつかんで離さない何か、魅力があるからに違いない。

 まず、体験メニューから見ていこう。年間約3万人余が訪れる渡辺体験牧場では、それぞれ客層に合わせた体験メニューを用意している(表2参照)。 メニューには2種類あり、一つは複数メニューを組み合わせた「コース体験メニュー」、もう一つは「単品メニュー」。現在、11の単品メニューと3つのコースメニューがあるが、これは体験牧場を始めた当初からあったわけではない。

表2 渡辺体験牧場の体験メニュー
資料:渡辺体験牧場の取り組み・聞き取り調査により作成。

 当初は体験と言うよりはむしろ農作業であった。しかしツアー客、修学旅行生の増加に伴い徐々に乳搾り体験・牛の餌やり体験などを取り入れ、平成7年からは渡辺体験牧場と「体験」を牧場の正式名称に取り入れた。コースメニューは団体客・修学旅行生の利用が多く、個人客には単品メニューが人気となっている。一番人気は何と言っても、乳搾り体験である。乳搾り体験を始めた当初は牛舎内で行っていたが臭いがきついとの声があり、しばらく仮設テントを設置し対応し、今ではD型ゲストハウスの中で行っている。試みに、いか程の収入になるかを、3万人が訪れた平成23年を例に概算して見よう。1.2万人程とされる修学旅行生が一人1,575円の「乳搾り体験とトラクターで草原周遊コース」(コースメニューの中で格安)を選択したとすると1,890万円。残り1.8万人が平均500円程の体験をしたとすれば、計567万円。しめて2,500万円弱。これが高いか否か、人件費・各種投資などを考えに入れれば俄には判断できないが、“赤字を覚悟せずにある程度やっていける水準”には達しているのではないかとも推察されるのである。

 ところで、メニューの多くは、例えば「子牛とお散歩体験」や「乳搾り体験」は「子供が手軽に牛と触れ合えるものがあったら良い」と言う客の声に、また「三年後に届く手紙」は「3年後にいるかいないかわからないが、その頃に届く手紙があったら良い」と言う声に応じて作られたように、多くは客の要望によって誕生したと言う。こういった姿勢が渡辺体験牧場の魅力の一つ源泉となり、リピーターを生みだす大きな力になっていると言えよう。 渡辺体験牧場では、全体を酪農部門と体験部門とに分けて管理している。とは言え、酪農部門が基盤との姿勢を貫き、体験部門のスタッフであっても皆、酪農部門も手伝い、酪農に関する知識を豊富に持っている。こうした豊富な知識があるからこそ、来訪者に対する説明も的を得ており、説得力も大きく増し、信頼関係も深まるのである。“納得のいく説明”、それが魅力の源泉の一つたることは疑いない。

地域の業者とともに、旺盛な商品開発

 平成20年、隆幸氏は体験牧場をベースに新たなチャレンジ、ミルクプラントを設置しての飲用牛乳の製造・販売に乗り出した。「酪農体験牧場」であるにも拘わらず、来訪者に牛乳も飲ませることが出来ない。許可された生乳処理施設がないからである。これまでは「鍋で沸かして何とか出していた」が、その度に保健所から始末書の提出を求められた。何とか正式に飲用牛乳を出したい、とする彼の情熱がミルクプラント設置へと掻き立てたのである。200ml入りプラスチック瓶で1日300本からのスタートであった。風味を考え、通例の65℃・30分殺菌ではなく、75℃・15分にした。この方が、通例の65℃・30分よりもタンパク質が変化するとともに乳糖が増し、味も良くなると言う。“牛のおっぱいミルク”と言う名称の珍しさに赤色の容器が加わり、更に味の良さも手伝ってか、200ml入り220円と高値であったにも拘わらず、生産が間に合わない程に売れた。22年にはプラントを更新し、今では3回転でトータル一日800本程を生産できるようになり、コーヒー・イチゴ味の乳飲料の生産も可能となり、また、地域の行事や病院、老人ホームにも供給できるようになった。

 飲用牛乳の製造・販売を転機に、隆幸氏は様々な加工に手を染めることとなる(表3参照)。

表3 商品と加工場所
資料:渡辺体験牧場からの聞き取りにて作成。

とは言え、全てを自前でやったわけではない。乳飲料とソフトクリームこそは自前だったものの、その他は、プリン・ジャムは地元レストラン、生チョコ・摩周ジンギスカン・タレはJA摩周湖などと、地域の関係業者やJAなどと協力・共同しながら開発・製造しているのである。もちろん、必要とされる生乳はホクレンから買い戻した渡辺体験牧場産のもので、その量は月平均で700リットル、最大の時で2000リットルとされる。また、それぞれの商品の名称には、「牛のおっぱいいちごミルク」「牛のおっぱいチョコ」「牛のおっぱいジャム」「牛のおっぱいミルク入りジンギスカン」などと、記念すべき「牛のおっぱい」を冠しているのである。ともあれ、こうした商品開発・製造の中に、「それぞれの持ち味を活かし地域とともに」と言う姿勢を強く感じるのは私ばかりではあるまい。

 それは商品開発・製造分野だけに見られる特徴ではない。あらゆる分野にそうした姿勢が貫かれているのである。その一つとして、宿泊部門、いわゆるファームイン部門を持とうとは全く考えていないことがあげられよう。それは資金の問題ではない。周りには川湯温泉を初め、様々な温泉、宿泊施設がある。「それらを使ってもらうことによって地域全体を活性化したい」。これが彼の願いなのである。

魅力”の源泉は“絆”の心と優れた酪農経営

 渡辺体験牧場は、「字原野」に年間3万人もの人々を引き付けると言うとてつもない“魅力”、“魔力”とでも表現したくなるような何物かを秘めた農場である。その“魅力”“魔力”の源泉はどこにあるのであろうか。

 その一つとしてあげたいのは、一切と言えば言い過ぎになるかも知れないが、ほぼ全てに渡って大きな無理をしてこなかったことである。それは、体験牧場の施設投資にも、体験メニュー関係の設備投資にも明確に現れている。体験牧場の施設としてあるのは平成7〜8年に建てた120坪の土間のD型ハウス(ゲストハウス)と飲用牛乳を提供するためのミルクプラントがあるくらいなもので、それも20年もかけてのことでしかない。また、体験メニューも、奇をてらって、何か奇抜な施設・設備を導入しての新メニューなどを考え出そうとしたことは一切ない。身の丈に合わせて無理なく実現出来るものを中心に拡充してきた。目立つ設備といえば6両のロードワゴンぐらいなものでしかない。「無理をしなければ余裕が生まれる」。当然の成り行きである。これらが心のゆとりを生み出し、隆幸氏を初めとしたスタッフの掛け値なし笑顔に、そして来訪者に対する心のこもった応対、そしてリピーターの多さに繋がっているのではないだろうか。そして、新しいアイデア−それは各種体験メニューに結実しているし、また「牛のおっぱいミルク」との名称もその一つと言えるのではないか−の尽きない貯水池になっているような気がしてならない。

 二つめは、隆幸氏の「人と人とのつながり」をこよなく愛し、重視する姿勢である。東日本大震災を機に、「絆」など「人と人とのつながり」を示す文字・言葉が社会の前面に踊り出た感があるが、思えばこの社会は本来“人と人とのつながり”をベースにして成り立っていたのである。大震災の遙か前、“プライバシーとか個人情報云々とか”が頻りに叫ばれていた時から、彼は「たくさんの人と話がしたい」「お互いにありがとうの心で接し、お互いが笑顔になることが重要である」と「絆」「人と人とのつながり」の重要性を身をもって説き、また、体験牧場に関する様々な事柄もまさに地域の絆・繋がりを重視して−例えば、宿泊は地域の旅館へ、昼食は地域の食堂などへ。また新商品の開発・製造も地域の業者とともになど−行ってきたのである。こうした考えがベースにあるからこそ、「説明が面白い」からと親を連れてくる高校生が現れたり、何度も訪れるリピーターが現れたりするのではないだろうか。多分、酪農体験牧場で一番面白い、あるいは心に残る事柄は、決して“乳搾り”や“バター作り”“トラクターで大草原周遊”“牛のエサやり”などの体験ではなく、牧場主やスタッフとの会話・人間的な触れ合いなのではないか。何もないと言っても良いような「字原野」の渡辺体験牧場に立って見た時、そう考えるしかないと思わざるを得ないのである。

 三つに、一時4.5万人を数え、今でも3万人を超えると言う来訪者の多さに目を奪われることなく、絶えず酪農「体験牧場」の名に相応しく、“酪農”の二文字にこだわり続けてきたことをあげなければならない。先に概算したように、一日200人とか300人とかの来訪者が続けば、ついつい“体験”部門を重視し、肝心要の酪農部門から手を抜く、あるいはおざなりの管理で良しとすると言う悪弊に陥り易い。しかし、それでは“体験牧場”の名が泣こうと言うものである。渡辺隆幸氏は言葉にこそ出さないものの、“体験牧場を名乗る以上、世界一・日本一とまでは言わないが、少なくとも地域で誇れる酪農経営を築かなければならない”と常日頃考え、最大限の尽力をしているように思えてならない。放牧にも拘わらず一頭当たり8,000kgと言う高い乳量が、また、200ml・220円の超高値にも拘わらず、味の良さ、すなわち原料・生乳の質の良さがベースとなり相変わらず売れ続ける「牛のおっぱいミルク」が、そのことを言葉以上に雄弁に物語っているのではないだろうか。まさに、体験牧場のベースは優れた酪農経営にあるのであり、渡辺体験牧場はその道を20数年、まっしぐらに進んできたのである。

 渡辺体験牧場のますますの発展を願って止まない。


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