将来を担う子どもたちのために、 |
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須藤牧場 須藤陽子 |
振り返れば昭和60年代バブルの最盛期、同世代の友人は東京の会社に就職し華やかなOL時代を満喫していたころ、教職の免許を取得し小学校で講師の仕事をしていた私は、ひょんな事から現在の夫と知り合い、結婚と同時に「汚い、臭い、きつい」の3Kといわれた酪農業に従事することになりました。実家は園芸農家だったものの牛の飼育など出来るはずが無いと、両親の大反対にあったのも頷けます。父親は結婚の条件に「それなら千葉県1の酪農家にならなきゃだめだ」と言っていたのを他所に、若い夫婦の目指す酪農像が「歌って踊れる酪農家」と書かれていたのを思い出すと、なんとも気楽なものだと苦笑してしまいます。 酪農業が3Kの職業から、社会から求められる存在に当時は成牛40頭をつなぎ牛舎で飼養し、2〜30頭の育成牛もそれぞれ繋いで飼っていた記憶があります。働き手は夫の両親と私たち夫婦の4人で、朝早くから夜遅くまで働いていました。間もなく3人の子どもに恵まれ育児と作業に追われる日々です。そんな中、昔の友人から連絡があると、電話口で牛が「モーオ、モーオ」と声を張り上げている事に、大きな恥じらいを感じていました。世の中は華やかな時代です。友人くらいは胸を張って牧場に迎え入れたいという気持ちが込み上がり、そこから私たち夫婦の「気楽に立ち寄れる牧場作り」は始まりました。 つなぎ牛舎の老朽化に伴い、フリーストール牛舎の建築が始まりました。平成6年の完成時には乳牛と共に親子のポニーも導入し、その後サラブレッド、ロバ、ヤギ、羊、ウサギ、ミニブタなどふれあい動物がいつの間にか集まりました。その間、成牛舎、育成牛舎をはじめサイロや牧柵も自ら手作りし、古い物や自然をそのまま活かした牧場作りを続けてきました。その結果、3Kと言われた酪農家の営む牧場が、高度成長の影で失われた自然や癒しを求めて、都会の人々が訪れる牧場へと変わってきたのです。
酪農教育ファーム活動と絵本出版牛のストレス軽減と作業効率を高めたフリーストール牛舎の完成により、乳量乳質共に向上し、作業時間の短縮も計れたことで訪問者の体験受け入れが可能になりました。社会の要望に応える形で体験プログラムを作成し、研修改善を重ね、やがて有料化し酪農教育ファーム活動が、経営の一端を担うようになりました。 そして、多くの子どもたちや消費者の方々と関わるにつれ、子育ての原点や命の大切さなどこの社会で必要とされていることが、牧場から発信出来るのではないかと執筆したのが、「牧場のおはなし」シリーズ「モモコ」と「いのち」の2冊の絵本です。初刊の1000部は完売し3000部増刊したものが今も数冊手元にあります。
そしてついに、日々の酪農業の作業の合間を完全予約で実施してきた体験受け入れは、15年経った年には年間90回を超えました。忙しく大変ではあるものの、飼料高騰に嘆いたあの年も多面的機能を活かしたこの活動で、子どもたちや消費者に現場から実態を伝えることで、サポーターを得ることができ、たくさん励まされました。 その後宮崎県での口蹄疫発生の影響で、受け入れ方法を変更し実際に牛と触れ合える活動は激減させましたが、同じ時期に長女に第6次産業進出の思いが芽生え、須藤牧場は次への展開に進んでいくことになります。 コミュニケーションと本物の味須藤牧場アイスカフェ「CowBoy」の店長である長女のこだわりは、お客様とのコミュニケーションと言えそうです。インターネット販売、宅配はもちろん持ち帰りもNGとするアイスの店を平成22年5月にオープンさせました。牧場の新鮮ミルクと無農薬卵を使用したアイスのタネを、マイナス30度のコールドパンの上に流し込み、お客様の目の前でアイスに仕上げるという全国でも例が無い製法です。一般的なジェラードとは全く違うもので昔ながらの優しい味です。お客様の好みで菓子やフルーツを混ぜ合わせ味の変化も楽しめます。ついでに書き加えれば、車好きな長女の趣向で店の扉を入ってすぐに、ガラス越しに置いてある車が目に飛び込んできます。余談ではありますが店には車好きなお客様が多く立ち寄るようになりました。 現在では、低温殺菌ノンホモ牛乳を使用したアイスとソフトクリームの他、菓子製造業も取得し、プリンやシフォンケーキも販売、テイクアウトも可能にさせました。 生産現場である牧場内で、お客様との対面販売をすることで、直に現場の情報提供が出来、安心安全地産地消は当然でそれ以上の信頼関係を築けるようになりました。 命をつなぐ日本の農業を全力で守ろう私たちはこれまで、先代が築いてきた畜産業をその時代背景に合わせて、また社会の要望に応えながら、苦労の中にも、夢を持って楽しんで牧場作りをしてきました。質の高い美味しい牛乳生産はもちろんのこと、多面的機能を活かせば牛乳生産以外にも社会から必要とされることも知りました。 そして私たちだけではなく「日本」の農業者は、世の中がバブルな時代も、そうでない時代にも、ずっと、土と向き合い自然と共に生きてきました。自然環境の変化、社会経済の変化に伴い先の見えない状況の中でも、休むことなく生産を続け、国民の命を守ってきたのです。本当に美味しく安全で質の高い生産物を作るには、土作りから大事だし、中でも畜産は牛や豚、鶏の命をつなげていかなければ成り立たず、途中で止める事があれば、再建は困難な産業です。だからこそこれ以上農業者を減らしたくない。「食べ物は、人々の身体を作るためだけのものではなく、心もつくるもの」日本の国民の心は、国内の農産物で作られたい、最近はそんな思いが益々強くなっています。 これから安く手に入る外国の農産物が多く出回るようになれば、日本の農業が再び窮地に追い込まれるでしょう。しかし、思い出して下さい。日本の農業は高い技術力を持ち、世界に誇れるブランドを貫いてきました。「歌って踊れる」心豊かな生活を、皆が送れるように、誠実で心のこもった消費者交流活動を今まで以上に強く発信し、命をつなぐ日本の農業を全力で守っていきましょう。 |
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