岡山大学大学院環境生命科学研究科 教授 横溝 功
1.はじめに 慣行の営農方式に疑問を持ち、新たな営農方式に転換するには、多くのエネルギーが必要である。転換の過程では、試行錯誤が不可欠である。それに伴うロスも発生する。そのロスは、経営の損失になる。その損失というリスクを負担して挑戦しなければ、新たな営農方式を確立することはできない。新たな営農方式確立のためには、理想に向けての
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図1 豚枝肉の上物価格(大阪市場)の推移 |
資料:農林水産省「食肉流通統計」、「食肉市況情報」
注:計算には、PASW Statistics18を用いた |
ここでは、価格変動の分析に、乗法モデルを用いているので、下式のようになっている。
X(t) = T(t)・C(t)・S(t)・I(t)
X(t):実際の価格
T(t):トレンド
C(t):循環変動
S(t):季節変動
I(t):不規則変動
従って、青色の折れ線は、T(t)・C(t)だけを取り出したものである。この折れ線の直線回帰を求めたものが、黒色の折れ線である。この黒色の折れ線は、トレンドということができる。過去12年間の動きを見る限り、トレンドは、見かけ上やや右下がりになっている。しかし、回帰線の決定係数(R2)の値が小さいこと、ならびに、回帰式(y = -0.0468x + 485.48)におけるxの係数の絶対値が小さいことから、右下がりの程度はそれほど大きくないということになる。従って、豚枝肉における上物価格の推移を見る限り、過去12年間で、それほど悪くなってはいないということになる。
図2は、季節変動S(t)を図示したものである。6月〜8月の夏場に価格が上がり、10月、11月に価格が下がっていることが分かる。このような季節変動は、従来言われてきたことである。
図2 豚枝肉価格の季節変動 |
資料:農林水産省「食肉流通統計」、「食肉市況情報」 注:計算には、PASW Statistics18を用いた。 |
図3は、豚枝肉における上物・中物・並物価格と飼料価格(若豚肥育)の推移を併せたものである。ただし、前者のスケールが左軸、後者のそれが右軸にとられている。この図から、飼料価格は、最近になるほど上昇していることが分かる。平成20年12月をピークに最近は下がっているが、平成12年以前と比較すると、高止まりしている。それ故、養豚経営の交易条件は極めて悪化していることが分かる。
図3 豚枝肉価格(大阪市場)と飼料価格(若豚肥育)の推移と補填金 |
資料:農林水産省「食肉流通統計」、「食肉市況情報」、「農業物価指数」 |
なお、図の右側に記載されている青色の折れ線グラフは、養豚経営安定対策事業の補填金の推移を示したものである。周知の通り、各道府県で実施されていた地域肉豚価格安定対策事業は、平成21年度で終了となり、平成22年度からは養豚経営安定対策事業に引き継がれている。当該事業の目的は、豚枝肉価格が生産コストに相当する保証基準価格(平成23年度は、460円/kg)を下回った場合に、肉豚生産者に対して、その差額の8割を補填することにより、養豚経営の安定を図ることにある。このスケールは、左側の軸であり、単位は円/頭である。
有限会社関紀産業の代表取締役である川上幸男氏は、将来、農業の中でも養豚を営むことを夢として、大阪府立農芸高校に進学している。これは、養豚経営が、農業の中でも商業の側面があるところに魅力を感じていたからである。昭和45年に高校を卒業した後、三重県伊賀上野市(現伊賀市)の養豚場で3年間実習をしている。幸男氏の実家は耕種農家で、養豚とは全く無縁であった。
昭和48年に、繁殖雌豚(WL)10頭、種雄豚(D)1頭を退職金代わりにもらい、地元で養豚経営を開始することになる。
規模拡大の時期は、昭和59年である。繁殖雌豚110頭の一貫経営を立ち上げる。投資に必要な原資は、近代化資金で調達している。規模拡大と同時に、全大阪養豚農業協同組合に加入している。これは、幸男氏が人的ネットワークの広がりを目指していたからである。社交的な幸男氏の経営行動のあらわれでもある。
なお、当時は、全大阪養豚農業協同組合は、子豚市場を開設していた。それは、養豚農家が繁殖経営と肥育経営(残飯養豚)に分かれていたからである。当時の組合員は40〜50戸であったが、現在は7戸まで減少している。そして、現在、子豚市場は閉鎖されている。
平成2年8月には、経営形態を個人経営から有限会社に変更している。平成4年には、エコフィードを利用した養豚に転換している。図3から分かるように、そのころは、まだ配合飼料価格は高くなかったが、将来の高騰をにらんでの経営行動である。
平成6年関西空港開港に向けて、高速道路が整備され、関紀産業の敷地面積の一部が買収されている。その敷地に、肥育豚舎の一部が含まれていたことから、肥育豚出荷から子豚出荷に切り換えることになる。平成7年には、近隣の養豚場を吸収合併することができたため、敷地買収以前の規模が維持できている。
平成8年に、幸男氏が中心となって、エコフィード養豚の肉質研究会を立ち上げる。現在、会員は8戸であるが、うち2戸は京都府の養豚経営である。
平成9年に、食品衛生法における食肉処理業、食肉販売業の許可を得る。ハム・ソーセージの加工は含まず、スライスだけの許可なので、比較的簡単に取得できている。
平成10年には、近隣の田尻漁港の日曜朝市に参加している。朝市には人が集まるので、アンテナ・ショップとして出店し、関紀産業の豚肉の認知度を高めようとしたものである。
以上のように、幸男氏の新たな経営管理領域拡大への挑戦によって、成功すれば、新たな付加価値を生み出すというリターンを得る反面、失敗すれば、大きな損失が生じるというリスクを負うことになる。
しかし、幸男氏と夫人の2人で、残飯収集から生産管理部門やマーケティング(食肉販売部門)まで手がけることになると、生産管理がどうしても疎かになる。その結果、技術成績(特に繁殖成績)が悪化し、経営成績が赤字になる。しかし、幸男氏は信念を変えない。それは、穀類の価格が上がるという長期的展望を持っていたからである。そして、従来の配合飼料に依存した養豚経営では、展開の余地が少ないと見ていたのである。
経営成績は悪化していたが、幸男氏の
平成12年には、幸男氏の長男が国立大学の工学部を卒業後、経営に参画することになる。 大学院の進学が決まっていたが、父親の楽しそうな仕事ぶりに感銘を受けたのである。当時、経営は赤字の状態ではあったが、養豚経営が面白く感じられたのである。もし、自分が就農して経営を黒字にすれば、さらに面白くなるということが、経営参画の誘因になっている。長男は、就農後マーケティングを担当することになる。また、養豚経営の情報発信として、HPの作成にも取り組むことになる。このことによって、幸男氏は残飯収集と生産管理部門に専念できることになる。
平成14年には、仕事を通じて知り合った人材を、営業部長として採用することになる。営業部長は、残飯収集、肥育豚出荷、カット肉の搬入を担当することになる。これによって、幸男氏は生産管理部門に集中することができるようになる。そのことが、豚肉の品質向上につながり、ブランド化への道を開くことになる。
平成16年には、産業廃棄物収集運搬業の許可を得て、泉佐野食品コンビナートを中心とした食品工場から、規格外品・加工残さ類を調達できるようになる。この過程では、営業部長の役割が極めて大きい。
表1 労働力の構成 |
注:参考文献1)を基に、新しいデータに筆者が修正
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農産物直売所 愛彩ランド(JAいずみの)で、 「川上さんちの犬鳴豚」の陳列する風景 |
賑わう愛彩ランド(JAいずみの)の外観 |
改修された分娩房(移動式になっている。) |
哺乳中の子豚(育成率の向上が期待できる。) |
関紀産業のエコフィードは、図4の通りである。1週間に6日、原材料である残飯、規格外品や食品加工残さを調達している。残飯は、すべてリキッド飼料として用いている。リキッド飼料には、乳酸菌を添加している。そして、乳酸菌の培養器として、廃業した酪農経営のバルククーラーを活用している。
また、規格外品や食品加工残さは、(1)そのまま自家配合飼料として用いたり、(2)粒子が大きい場合(パンの生地等)には、乾燥して細かくして用いたり、(3)水分が多い場合には、ドラム缶の中で乳酸発酵させ、さらには麹菌で酵母発酵させている。(3)のように、二段階で発酵させるのは、保存のためだけではなく、消臭効果も狙っているのである。酵母発酵でアルコールが含まれることになるが、豚の食欲が進むとのことであった。
なお、自家配合飼料には、最低限の購入単味飼料を加えている。そして、自家配合飼料を養豚のステージ毎に、5種類に分けて製造している。すなわち、繁殖雌豚用、分娩豚用、子豚用(生後2カ月〜3カ月未満)、子豚用(生後3カ月〜5カ月未満)、肥育豚用(生後5カ月〜出荷)の5種類である。
量的には、リキッド飼料と自家配合飼料の割合が、1対2とのことであった。飼料は、(@)リキッド飼料、(A)自家配合飼料、(B)リキッド飼料の順番で与えている。自家配合飼料だけでは豚の食い込みが悪いが、リキッド飼料を加えることで、食い込みが良くなる。これは、(T)残飯に含まれるオレイン酸の働きであることと、(U)豚も人間と同様、パサパサと乾燥した飼料だけでは食べにくいため、汁気を与えることで食べやすくなることを、幸男氏はあげていた。
図4 残飯・食品残さの有効利用 |
エコフィードの原料となる麺 |
エコフィードの原料となるパン |
ただし、幸男氏によれば、残飯を原料とするリキッド飼料だけを与えた場合、豚肉のしまりが良くなく、豚肉を鍋等に用いるとあくが出やすいという欠点があるとしている。従って、リキッド飼料と自家配合飼料の1対2のバランスが重要ということになる。
さらに、リキッド飼料への乳酸菌の添加、水分が多い規格外品や食品加工残さを2段階に発酵させた飼料の給与は、(A)豚の内臓を活性化して、(B)廃棄物の減量につながると、幸男氏は指摘している。これらは、健康な豚の飼養につながり、臭気の低減にも貢献している。
さて、リキッドフィードのパイプは、飼料に含まれる油脂が付着して詰まることを防ぐために、週に1度、70度くらいの熱い湯を通して、配管を掃除している。
以上のように、5種類の自家配合飼料を製造するなど、一見作業工程が複雑である。しかし、作業場内に飼料の混合を分かりやすく紙に書いて掲示するなど、マニュアル化しており、表1の従業員の研修生や臨時雇いの作業員でも充分に対応できるようにしている。
そして、幸男氏は、飼料給与の時に豚の健康状態をチェックすることが、最も大切だと力説している。
エコフィードのレシピ(マニュアル化されている。) |
平成4年に慣行の養豚からエコフィード養豚に転換してから、20年以上が経過している。その経験の蓄積が、関紀産業における豚肉の品質向上につながっている。安価に飼料を調達するだけではなく、いかに健康な豚を飼養するかに心を砕いている。そして、安価な飼料の活用で、8カ月間も肥育豚を飼養することが可能になっている。すなわち、完熟豚を生産しているのである。
ちなみに、肥育豚1頭当たりの飼料費は、『畜産物生産費 農林水産省大臣官房統計部』の「肥育豚生産費」(平成21年4月1日〜平成22年3月31日)における飼養頭数規模(肥育豚)1,000〜2,000頭(以下、統計部データと略す)が19,537円であった。それに対して、関紀産業(平成21年1月1日〜12月31日)は7,351円であった。また、支払利子・地代算入生産費では、統計部データが29,314円であるのに対して、関紀産業は28,141円であった。リキッド飼料や自家配合飼料の製造コスト(光熱水料及び動力費、その他の諸材料費、労働費)を考慮しても、肥育豚1頭当たり1,000円のコスト低減を実現している。統計部データで、飼養頭数規模1,000〜2,000頭を対象にしたのは、関紀産業の規模に匹敵しているからである。さらに、一般に出荷される肥育豚の枝肉重量が約75kgであるのに対し、関紀産業の枝肉重量が85kgであることにも留意が必要である。
なお、肥育豚1頭当たりの労働費は、統計部データが3,529円であるのに対して、関紀産業は8,052円であった。そのうち雇用労働費は、統計部データが554円であるのに対して、関紀産業は5,298円であった。このことは、関紀産業が貴重な雇用機会を提供していることを示している。
「川上さん家の犬鳴豚」の特徴は、下記の三つをあげることができる。
(1)色が浅い。
(2)ドリップがでていない。
(3)サシが入っている。
しかし、8カ月間の飼養により、1頭当たり肥育豚の生体重が120kgを超え、通常の肥育豚の生体重110kgを大きく上回ることになる。そのまま市場で販売すれば、大貫という評価になり、低い価格に甘んじることになる。
関紀産業では、大阪市場へ出荷した肥育豚の80%を枝肉で買い戻し、小売店に精肉で販売している。その際、カット料3,500円/頭を大阪市場へ支払っている。販売は精肉であるが、精肉価格を枝肉価格に換算すると、450円〜550円/kgになる。この価格は、図1または図3の上物価格に匹敵することが理解できる。
また、残りの20%は、市場でのセリ取引ではなく、枝肉を3戸の食肉問屋に相対で販売している。食肉問屋も関紀産業の豚肉を販売する場合、「川上さん家の犬鳴豚」という商標マークをつけているので、関紀産業で生産された肥育豚は、ほぼ全量生産者の顔の見える販売ができていることになる。
慣行の養豚経営の場合、繁殖雌豚の種付けから分娩までが4カ月、肥育期間が6カ月である。それ故、種付けから肥育豚の出荷まで10カ月を要する。繁殖雌豚は、夏期に受胎率が落ちるが、梅雨明けの7月下旬と8月、それに残暑の厳しい9月に、特に影響を受ける。それ故、翌年の6月から7月に肥育豚の供給量が減少し、豚肉の価格が上昇することになる。これはまさしく図2の通りである。しかし、関紀産業の場合、肥育期間が8カ月であり、種付けから肥育豚の出荷まで12カ月を要するので、価格の高い6月と7月に肥育豚を通常通り出荷できることになる。さらには、種雄豚に雑種(DWやDB)を用いている。これは、純粋種(DやB)よりも、雑種の方が夏期の暑さに強いからである。
さて、エコフィードの図4に戻るが、残飯は、学校給食センター、自衛隊、老人ホーム、給食提供会社、ホテルから導入しているが、前三者は、栄養士が献立を担当しているので、栄養のバランスが良い。関紀産業で、あえてホテルの残飯を使っているのは、「川上さん家の犬鳴豚」のストーリー性を高めるための戦略でもある。
それから、幸男氏は、残飯の供給元に対して、異物の混入が無いように要請している。また、供給元に社員食堂がある場合には、「川上さん家の犬鳴豚」を使ってもらっている。このことによって、残飯の取り扱いが、より慎重なものになっている。
最後に、生産者の顔が見える豚肉の販売は、消費者の反応が、生産者に戻ることを可能にしている。このような情報のフィードバックによって、生産者も鍛えられることになる。そして、何よりも、よりよい豚肉生産のモチベーションを高めることにもなっている。
健康な肥育豚 |
関紀産業の代表取締役の川上幸男氏は、エコフィードとブランド化を両立させた新たな営農方式を確立している。従来の営農方式とは全く異なるので、多くの試行錯誤を経験している。幸男氏は、超多忙な時期は、夫婦2人で残飯収集、生産管理、マーケティングまでもこなしていた。当然、生産管理が疎かになり、経営成績は悪化することになる。
そのような中でも、幸男氏は、「商売に忙しいことはタブーであり、忙しいことにチャレンジすることが肝要である。」という信念を持ち続けている。このように、養豚経営の中に、商売の要素を見いだしていたことが分かる。すなわち、商売の要素とは、単に肥育豚を生産するだけではなく、仕入れや販売(マーケティング)の工夫をすることといえる。
そして、幸男氏は、自分の好きなことに打ち込んでいるので、忙しいことが決して苦痛ではないのである。むしろ、生き生きと仕事に従事している。そして、理想に向けての
現在は、一見複雑な自家配合飼料の製造もマニュアル化に成功しており、研修生や臨時雇いでも充分に対応できるようになっている。そして、家族における役割分担の確立や常勤の営業部長の獲得によって、各自が専門の仕事に特化でき、ルーチンの作業を減らし、クリエイティブな仕事に割ける時間が多くなっている。このことが、関紀産業の強みであり、さらなる展開につなげることができるのである。なお、6次産業総合推進事業の認定が決定し、精肉の加工・販売施設の建設を、今年の秋に計画している。
今後は、関紀産業で蓄積された、篤農技術という「暗黙知」を科学的に解明することが課題といえる。
(参考文献)
1) 『平成22年度全国優良畜産経営管理技術発表会』主催 社団法人中央畜産会・社団法人全国肉用牛振興基金協会、後援 農林水産省、平成22年11月8日
2) 横溝 功「畜産経営の6次産業化への挑戦 −ブランド化やマーケティングを中心に−」『岡山畜産便り』第63巻第2号、pp. 3-5、平成24年2月
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