震災地に緑とめん羊を! |
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岩手大学名誉教授 内藤善久 |
はじめに今年の1月17日は、阪神淡路大震災の17年目にあたります。あの17年前の震災時に自分は何をしたのだろうか。唯、テレビの映像から震災の甚大さだけを目にしていただけで、その震災の中で被災した人たちの苦しみなどをどれだけ心に刻んでいたのかと、改めて思い直してみたとき、自分の他人を思いやる想像力の貧困さをいま痛感しています。 今回、東日本大震災の渦中に居て、10カ月を過ごしました。私の町、三陸町越喜来(おきらい)は、急峻なリアス式湾を入江とした地理的にもまた文化や産業においても、10年前に大船渡市に合併はしましたが、独立を保持している小さくも美しい町(家屋960戸、人口2,681人)でした。その町が一瞬にして津波に呑み込まれ、家屋は321戸(35%)、死者・行方不明者は96名(3.6%)と、家屋の3分の1が流失してしまいました。また、私の住んでいる町内は、海岸近くの地区だったこともあって、家屋の54%と半数以上の人たちが家を失ってしまいました。その中でたまたま自分は被災を免れ、避難所の支援を妻とともに手伝いながら3カ月を経て被災者は仮設住宅に移り、一方被災していなかった人たちは閑散とした瓦礫だけの町内に残って、その情景を毎日目にする生活となりました。その頃から、被災者と非被災者との言いようのないギャップを感ずることが多くなりました。 震災後、被災していなかった者に出来ることは何かそのような中で、救われたのが若いボランティアの人たちの活動でした。彼らは学生だけでなく忙しい20〜30代の働き盛りの若者が、夜を徹して車で駆けつけたり、夜行バスを乗り継いで現地に赴き、黙々と瓦礫撤去や被災者の手伝いをしている姿に心を打たれました。また、その彼らが被災者と非被災者との連携を担ってくれました。一つのアイデアを持って仮設住宅の人たちとそうでない人たちとのつながりを作り、人と人との絆を生む試みに一緒に参加していく中で、今回自分にやれることは何かを改めて教えられました。それは、自分の歩んできた道、畜産を振興させていくことにあるとの思いでした。幸い、ここ三陸町越喜来湾の奥には広い牧野が広がっています。それを利用して、そこに岩手の在来種である日本短角種牛を放牧し、低コスト生産と地産地消を基本とした循環負荷の少ない持続的畜産を提唱していこうと考えました。しかし、これを提唱し具体化する前に、いつも目にする浸水地域を美しくし、地元住民との交流を深めることが大切と思い、地元有志の人たちとともに浸水地域を牧草地に変えめん羊を放牧しようと、呼びかけました。 NPOの立ち上げその趣旨は、以下のようなことです。現在、町には瓦礫の撤去された更地と雑草や葦の繁茂した地帯のみが残されています。そのような荒廃した町を日々目にすることは、住民による町の復興の意欲を喪失させてしまう懸念があります。その様なことのないように、①一定期間この浸水地域を牧草地に転換し、めん羊を放牧します。めん羊は動物の中でも最も優しく、癒し効果を有する動物であることから子供と住民の心を慰めることが期待されます。一方、②牧草地への転換の困難な地帯には景観を美しくする花卉を植栽し、浸水地域の景観を美化します。③これらの活動を地域住民とボランティアの人たちとによって活動する中で新しい町づくりを積極的に提唱したいと考えています。その様なことを地元の人たちとまたこの地にボランティアで訪れた人たち、さらには当地を訪れた友人達に声をかけて「特定非営利活動法人:越喜来の景観形成と住民交流を図る会(略称 NPO法人:リグリーン)」*の設立を呼びかけました。その結果、地元の人たちを中心として120名を越える賛同者を得て、この1月8日に設立総会を開催することができました。総会には地元の人たちとボランティアの人たち約50名が出席して、今後の活動を後押ししてくれました。 当地は、岩手県の中でも最も温暖で冬でも雪は積もりません。そのこともあって、これからの2月、3月には浸水地帯の土壌調査や雑草の除去作業を行うことが可能です。その上で、どのような牧草の種子を植えるか、そしてめん羊をいつになったら放牧出来るかについて早急に方針を定めたいと考えています。それには、その道の専門家が必要でした。幸いにも東北農業研究センターの研究領域長である押部明徳氏や小岩井農場においてめん羊の飼育を長年担当し、自らも葛巻町でめん羊牧場を経営している濱戸祥平氏が本趣旨に賛同してくれ、強力なアドバイザーとして対応してくれることとなりました。この方々の指導の下に、この浸水地域を緑の牧草地に換え、そこにめん羊が草をはむ美しい情景を作る努力をすぐにでも始めることが出来ると考えます。その作業をみんなで行いながら、この町をどのような新しい町とするかについて語り合うことが行政との連携を深くする一歩になると信じています。 おわりに将来は、この越喜来湾の放牧地に褐色の岩手短角牛や癒しのめん羊が海をバックに草をはむ景観を、美しいリアス式海岸とともに新しい町のシンボルとして提唱していきたいと考えています。その一歩が浸水地域を牧草地に換え、めん羊を放牧する活動と位置づけました。その活動を通じて自然と共存し人と人との絆を大切にしながら、小さな地域から畜産の再興を図って行こうとする試みです。夢のようなことかも知れませんが、畜産に携わってきた者としてやれるところから始めてみます。その心を支えてくれた一つが、1月25日ダボス会議での俳優渡辺謙氏のスピーチでした。彼は、被災地を何度も歩いた中で、『私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。瓦礫の荒野を見た私たちだからこそ、今までとは違う「新しい日本」をつくりたいと切に願っているのです。』(日本語訳)と結んでいます。私は、渡辺謙氏が俳優の立場で、しっかりと震災に立ち向かいながら全世界の人たちに英語でスピーチする姿に感銘を受けました。その言葉を心の支えにして、この越喜来の町を新しくしたいと思っています。 どうか、畜産関係者の方々のご支援をよろしくお願い致します。
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