1.はじめに
わが国の国民1人当たりの牛肉消費量は、高度経済成長期から順調に増加してきたが、近年、BSE問題や腸管出血性大腸菌O157による汚染などにより、横這いから減少に転じている。このような状況を打開し、牛肉消費を伸ばすためには、現在の消費者のニーズを的確につかむことは不可欠である。また、最近の科学技術の発達によってもたらされる牛肉に関する新たな情報を消費者に提示し、その経済的付加価値を定量化することは、今後のさらなる技術革新を推進し、ひいては牛肉の需給に大きなインパクトを与えるものと期待できる。
そこで本研究では、牛肉を月に2、3回以上購買している関東と関西の女性を対象にインターネットアンケート調査を実施し、牛肉の購買行動や購買価格の実態を解明し、さらに環境に優しい牛肉生産や牛肉の美味しさに関する遺伝子情報が商品表示に利用されることを想定した場合の支払意志額(追加で支払ってもよいと考える額)を聞き、そのような情報の経済価値を定量的に示すことを目的とした。
2.データの内訳
本研究では、インターネットアンケート会社に依頼して、関東圏(東京都、千葉県、神奈川県、埼玉県)と関西圏(京都府、大阪府、兵庫県)に在住の20歳以上の女性を対象に、2011年10月28日から29日にかけてインターネットアンケートを実施し、年齢層に偏りが生じないように配慮しながらサンプリングを行い、月に2、3回以上牛肉を購買している女性1021名のデータを分析した。
3.購買行動
表1は、女性消費者に普段の牛肉購買で重視している点について質問し、回答結果をまとめたものである。1位に挙げられた項目のうち、約25%の消費者が価格と国産であることを重視しており、産地、鮮度、安全性は10%の消費者が重視していた。さらに3位までの累計を見ると、価格や国産であること、鮮度や安全性が重視されているのに対して、霜降りを重視している消費者は少なかった。また、最近、畜産学研究者の間で注目されている肉色や味を重視する消費者も少なかった。このことから、肉質が直接的な牛肉の購買行動にそれほど大きく関与していないことが明らかとなった。さらに、個体識別番号は、ほとんどの消費者が牛肉の購買の意思決定に使っておらず、重視していないことが示された。
購買している牛肉の種類についての質問に対する回答では、国産牛肉(黒毛和牛)、国産牛肉(黒毛和牛以外)、アメリカ産牛肉、オーストラリア産牛肉でそれぞれ、22%、42%、7%、28%であった。全体の約65%の消費者が黒毛和牛を含む国産牛肉を主に購買し、黒毛和牛のような高級肉でも22%の消費者が主として購買していることが示された。このことから、多くの女性消費者が、国産の牛肉に対して強い購買意欲を示していることが明らかとなった。その反面、アメリカ産の牛肉を最も多く購買している消費者の割合は10%にも満たない。このことは、アメリカにおけるBSE検査体制に対して、今日でも日本の消費者が強い不信感を持っていることの表れであると考えられた。
表1 牛肉の購買で重視している点 |
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わが国の牛肉の最も重要な特徴は霜降りであるが、実際に、消費者がどの程度霜降り肉を評価しているかを知ることは重要である。そこで本研究では、霜降り肉と赤身肉のどちらを好んで購買するのかを調べるために、霜降り肉と赤身肉の写真(図1)を提示し、同じ価格であればどちらを選択するかについて質問した。その結果、地域や年齢を問わず、約75%の女性消費者は霜降り肉を選択し、残りの約25%が赤身肉を選択することが示された。
図1 提示した赤身肉(左)と霜降り肉(右) |
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さらに、この結果と前出の購買する牛肉の種類の結果と組み合わせて、女性消費者の牛肉購買パターンを次の3つに分類した。第1に霜降り肉を選択し、かつ主として黒毛和牛を購買している消費者を霜降り重視・購買グループ、第2に霜降り肉を選択したが、黒毛和牛以外の牛肉(国産牛、アメリカ産牛、オーストラリア産牛)を購入している消費者を霜降り重視・非購買グループ、第3に赤身肉を選択した消費者を赤身肉重視グループの3グループに分類した。その内訳は、霜降り重視・購買グループ、霜降り重視・非購買グループ、赤身肉重視グループがそれぞれ18%、56%、26%を占めた。
4.経済評価
牛肉の平均購買価格の推移を図2に示した。平均購買価格は、購買価格について100g当たり98円から998円までの100円刻みの数字を提示し、その回答を平均して算出した。その結果、牛肉の購買価格の平均値は367円であった。購買価格については消費者の年齢に伴って上昇し、また関東よりも関西のほうが高値で購買していることが示された。年齢に伴う購買価格の上昇は、経済的にゆとりができるほど消費者が価格の高い牛肉を購入する傾向があり、また、地域差は物価の違いと考えるよりも、むしろ歴史的に関東は豚肉、関西は牛肉の消費地域であり、現在でも関西の消費者は肉質へのこだわりが強く、より高価な牛肉を購買する傾向があるのではないかと推察された。
図2 地域別の年齢に伴う牛肉平均購買価格の推移
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5.支払意志額
「環境に優しい牛肉」および「美味しさに関する遺伝子情報」に対する支払意志額について、表2に示した質問に対し「追加で支払ってもよい」と考える価格を具体的に回答してもらい、それぞれの情報に対するプレミアム価格を以下の式より算出した。
その結果、環境プレミアムおよび遺伝子プレミアムは、いずれも1.35であった。このことから、消費者は、環境負荷低減のためや美味しさに関する遺伝子情報に対して、通常の購買価格に約35%の金額を上乗せして余分に支払ってもよいと考えていることが明らかになった。年齢別に見ると、環境プレミアムや遺伝子プレミアムは20歳代の女性において高い傾向があり、また50歳代の関西の女性が遺伝子プレミアムに高い価値を見出していることが示唆された(図3)。
表2 支払意志額に関する質問項目
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図3 地域別の年齢に伴う支払意志額の推移
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6.結果の考察
近年、特に黒毛和種の霜降りに対する遺伝的改良は著しく、一時代前の牛肉とは比べものにならないほどの霜降り牛肉の生産が可能になっている。このような現状に対して、最近、これまでの霜降り牛肉一辺倒の育種目標が見直され、他の形質に重点を置く育種目標が設定されている。
霜降り重視・購買グループ、霜降り重視・非購買グループおよび赤身肉重視グループの3分類グループの特徴を見ると、霜降り重視・購買グループは年齢とともに増加し、それに伴って、霜降り重視・非購買グループが減少することが示された(図4)。また、赤身肉重視グループの割合は、年齢に伴って大きく変化しないことが示された。
図4 グループ別の年齢に伴う人数割合の推移
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これまでの通説では、特に若者層は霜降り牛肉よりも赤身肉を指向するのではないかと仮定されてきた。それにもかかわらず、20歳代や30歳代も過半数の女性消費者が霜降り牛肉の購買を指向していることは予想外の結果であった。その理由の一つには、インターネット等の普及によって、さまざまなグルメ情報が容易に手に入るようになり、一般の消費者の間で霜降り牛肉を高く評価する風潮が形成されているのではないかと考えられた。
また、この3グループに関してアンケート項目とのクロス表、購買価格、環境と遺伝子プレミアムを示したものが表3である。この表から、霜降りを重視し、かつ実際に黒毛和牛を購買している消費者は、その約65%が食肉の中で牛肉を最も好んでいることが示された。このような消費者は、牛肉の良し悪しを熟知し、他の食肉と比べて牛肉への選択性の高い消費者であると考えられた。
一方、欧米においては、健康上の理由から、脂肪の多い牛肉は言うに及ばず、牛肉そのものが敬遠される傾向が長く続いてきたが、少なくともわが国では赤身肉重視の消費者はいまだ25%程度であることが示された。
わが国の半数以上の消費者は、霜降り牛肉を食べたいが、経済的な理由などで黒毛和牛の霜降り牛肉を購買しないグループであることが伺えた。しかし、このグループでも約40%が牛肉を最も好きと答えており、このグループの消費拡大が重要であることが分かる。そのためには、安価な霜降り牛肉の供給が最も重要で、それを実現するにはさらなる霜降り牛肉の生産技術の向上が必要であると考えられる。また、このグループは、環境プレミアムや遺伝子プレミアムへの支払い意志が強く、環境問題の解決や新しい技術革新に好意的であると考えられた。それゆえ、今後、何らかのプレミアムを持った特徴のある牛肉の生産と販売は、牛肉の消費拡大に寄与するものと推察された。
表3 消費者グループ別の結果
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7.今後の展望
本研究の結果を肉用牛生産者(肥育農家、繁殖・肥育一貫農家)に示し、今後の牛肉生産の在り方、方向性について議論した。本分析結果を見たほとんどの生産者は、本研究の結果は自分たちのイメージしていたものと一致するという意見であった。
本研究の結果で重要な点は、関東・関西圏では地域、年齢にかかわらず霜降り牛肉に対するニーズが消費者の75%程度あり、また全体の65%の消費者が国産の牛肉を購買したいと望んでいる点であった。さらに、霜降り牛肉を指向し、主として黒毛和牛を購買している消費者も20%程度いることが明らかとなった。そこで本稿では、次に示す3種のアクションプランを提言することとした。これら3つのアクションプランは別の方向をめざすものであるが、生産目標を1つに定めるのではなく複数の方向性を持つことが重要と考える。
第1のアクションプランは、現状レベルの霜降りの水準を維持しつつ、生産コストの削減のために肥育期間を短縮し、安価な霜降り牛肉を消費者に提供することである。この提言は、現在の多くの消費者のニーズに応えるものである。しかし、霜降りの程度は遺伝的な要因のみならず、肥育期間も重要で、若齢で屠畜すると霜降りは未成熟であることから、霜降りの度合いを現状レベルに維持することは至難の業といえる。それゆえ、このアクションプランの成功には、早期屠畜においても優れた肉質を持つ系統や種畜の選定と農家のさらなる飼養技術の向上が不可欠である。
第2のアクションプランは、赤身肉重視の26%の消費者のためのもので、霜降りでは劣っているが増体能力など他の形質に優れた黒毛和種の系統、褐毛和種や日本短角種のような地方特定品種による赤身肉生産が考えられる。たとえば褐毛和種および日本短角種の1日当たりの増体量はそれぞれ、1.08kg、0.89kgで、0.72kgの黒毛和種よりもかなり大きく、霜降りを期待しないのであれば、さらなる早期出荷も可能で、大幅な肥育期間の短縮と生産コストの削減が期待できる。また、赤身肉生産を目指すのであれば、放牧肥育も検討する余地がある。実際、大手百貨店では、放牧肥育された赤身牛肉がかなりの高値で販売されている例もある。
第3のアクションプランは、生産コストを度外視して、霜降り牛肉の中でも特に最上級のものを生産することが考えられる。牛肉に関しては、芸術的な特産品へのニーズが国内外にあることは事実である。かつては、理想肥育と呼ばれる和牛肥育技術があり、理想的な肉質の牛肉をめざして未経産雌牛を長期に渡って肥育するものがあったが、このような飼養方法で生産された牛肉は、霜降りは当然のこと、脂肪の質や肉の味にも優れ、スキヤキやシャブシャブに最適なものであったと言われている。実際、霜降り牛肉の中でも、脂肪があっさりとしていて、焼肉やステーキでもおいしく食べられる牛肉生産も可能という意見が生産者から得られた。また、ビタミンA欠乏の飼料を与えなくとも霜降りの優れた牛肉を生産できれば、そのことは健康ビーフとしてプレミアムがつくことも考えられる。このような牛肉は、国内外の富裕層からのニーズがあり、今後のわが国の牛肉輸出戦略の目玉としても活用できるポテンシャルがあると思われる。
以上のように、ここでは3種のアクションプランを提示したが、多様な消費者のニーズに応えるためには、さらなるアクションプランも考えられるので、政策決定者、研究者、生産者、流通業者など牛肉生産、流通に関わる人々が相互に意見交換し、さらに消費者の意識を聞く機会を設けることは非常に重要であると考えられる。
謝辞
本研究は、平成23年度畜産関係学術研究委託調査によるもので、本研究の遂行を可能にしていただいた農畜産業振興機構に心から感謝致します。図1の写真は帯広畜産大学口田圭吾教授から提供していただきました。記して感謝します。最後に、本研究に参加し、貴重な意見をいただいた生産者の方々に感謝申し上げます。 |