筑波大学 名誉教授 永木 正和
【要約】酪農経営者が高齢化し、廃業引退が続出している。国内酪農業の存立は危機的である。そこで、もう一つの酪農経営継承システムとして、「適人適産」の考えに立ち、意欲があり、実力を具備した若者が、引退・廃業する酪農経営を継承するキャリア・パスに道筋をつけて、一般化すべきと考える。本稿は、その先進県である岡山県における2つの取組事例から、その手順、関係機関・団体の役割分担と対応を学び、その上で、「日本型第三者酪農経営移譲システム」を構想する。 1.はじめに〜酪農経営主へのキャリア・パスと新規参入バリア言うまでもなく、乳用牛頭数も飼養戸数も年々減少基調にある。平成24年2月1日には145万頭、2万100戸になった。乳用牛飼養頭数は昭和60年に最大の211万頭を記録して以降、減少に転じている。飼養戸数は、近年は年1千戸ペースで減少しており、2万戸を割るのはもはや時間の問題である。なお、一戸当たりの飼養頭数は増大しているが飼養戸数減少のペースが上回っているために、飼養頭数が減少している。衰退の途にある酪農経営に歯止めをかけるためには、次世代経営者確保が喫緊の課題である。もう一つ、中央酪農会議が平成23年秋に実施した「酪農全国基礎調査」から経営主年齢階層別に年間出荷乳量を比較すると、経営主の年齢40歳未満層(北海道15%、都府県6%)に年間出荷乳量600トン以上の大規模経営が集中している(経営主の平均年齢は、北海道51.3歳、都府県57.2歳)。そして、経営主の年齢上昇とともに出荷乳量が低下する。一般に、一代に1〜2回の経営規模拡大期があるが、多くの場合、その時期は意欲旺盛な若い時代である。若い時代ほど資金の借り入れがし易いのも理由である。若い経営主の存在が、酪農業を活性化するのである。 本稿の主題は、今後の酪農経営継承者確保の方策について構想することである。ただし、現在の酪農業の背景事情として従来からの自家後継者の確保が極めて困難になってきていることから、1つの経営継承者確保策として、「日本型第三者酪農経営移譲システム」なるものに着目する。 まずは、酪農経営における経営継承の方法を類型整理しておこう。 (1)これまでの一般的な方法は、「自家経営継承システム」であった。だが、今日、自家後継者を確保できなくなった。だからこそ深刻な担い手問題が発生している。 (2)酪農生産法人に入社して、酪農経営のマインドと技術を学び、将来、当該法人の幹部になるか、退社して自立経営者になるキャリア・コースがある。だが、退社後、経営主として自立するまでを当該法人が後押ししてくれるケースは少ない。人材育成は担うが、新規参入の支援はしない。 (3)今後、積極的に取り入れたいキャリア・パスが、非酪農家子弟を地域全体でキャリア・アップし、その到達点として、引退・廃業する酪農経営を買い取り経営継承する。ただし、経営継承後も地域で経営支援する。ニュージーランドには有名な「シェア・ミルカー」という第三者経営継承システムがあるが、我が国の農村社会の特質を踏まえた上で、非酪農家出身の若者を酪農のキャリア・コースに乗せて、地域で酪農経営主に育て上げて、経営継承を成功させる日本型システムとして確立したい願望から、ここでは「日本型第三者酪農経営移譲システム」と呼ぶ。 「自家後継者がいないから非酪農家から」というネガティブな発想からではなく、むしろ、この際、自家後継者中心の既成概念を打ち破りたい。家の後継者だからという宿命感からではなく、職業として酪農業で身を立てることに意欲を持ち、酪農経営主になるに相応しい技術と経営を習得した若者こそが酪農経営を継承すべきとの考えを重視したい。「適地適産」という言葉があるが、ここで強調したいのは「適人適産」である。継承適者たる人材を広く社会から求め、そして地域で育てるという発想である。そのようなキャリア・システムの日本型第三者経営移譲法を構築したい。 ところで、この第三者経営移譲は、経営活動を中断しないから、農地の耕作放棄や使用可能な施設・機械を廃棄せずに済む。経営移譲する側には、有価売却困難な建物・施設・機械も正当な対価を得る。一方、新規就農者には使用価値は十分にあるが簿価は低廉な建物・施設・機械を取得し、経営移譲を受けた日からフル稼働で営農を開始できる。双方にメリットはある。しかし、資金がない非農家出身の若年者にとって、これだけで資金バリアが解消するわけではない。農地まで含むと膨大な金額になる。また、域内農家との信頼関係がなければ、農地購入も借地もできない。資金借り入れの担保もとれない。臭気、騒音、ふん尿処理法に周辺農家・非農家は警戒感を持つ。近隣との信頼関係、依存関係は極めて重要である。これらも高い参入障壁である。一定のまとまった農地(草地)面積を確保しようとすると、立地選択の制約も発生する。さまざまな困難性に遭遇する。酪農の新規参入には他部門よりもバリアは高い。 参入バリアだけではない。経営開始後にもバリアは発生する。経営が正常な軌道に乗るのは長い道のりである。 以下では、酪農経営における第三者経営移譲に絞り込んで、岡山県の2つの事例を紹介して、どのような体制、方法で困難を克服しながら第三者経営移譲を成功させられるかを考える。その先に「日本型第三者酪農経営移譲継承システム」を構想する。 2.岡山県の酪農と酪農関係団体の活動畜産統計による平成24年2月の岡山県の乳用成牛飼養頭数は1万3000頭、飼養戸数367戸で、九州を除く西日本では兵庫県に続く酪農産地である(一位の兵庫県とは僅少差)。広大な中山間地域を抱えている岡山県において、酪農は伝統的に主要な農業部門を成している。特に、県西部の蒜山高原地域はジャージー種の放牧型酪農産地として知られている。全県的に酪農業を舵取りするのが「おかやま酪農業協同組合」である。かつては各地域に酪農専門農協が設立されていたが、順次、合併を重ね、平成14年に県酪連の業務も引きつぎ、名実共に全県1組織、組合員数503名の酪農協になった。国、県と現場を取り持つ「岡山県畜産協会」は、平成15年に県内の畜産関係3団体が統合して誕生した畜産業支援団体である。おかやま酪農業協同組合と連携して、政策推進の支援業務、疾病・伝染病予防対策、生乳検査、畜産公共事業等を総合的に推進する重要な事業母体である。 表1におかやま酪農協の酪農生産実績を示す。全国の傾向と同様に酪農家戸数は減少している。近年、やや落ち着いているが、10年前の平成14年に比べた現在の戸数は半減に近い(56%)。飼養戸数の減少に伴って総飼養頭数の減少も避けられない。規模拡大傾向が認められるが、なにせ経営主の高齢化や草地確保が困難で、戸数減をカバーするほどの規模拡大は進まず、結局、生産乳量も減少している。おかやま酪農協の平成24年8月に実施した組合員調査によると、61歳以上の組合員が経営主である戸数が49%を占めていた。岡山県の酪農の5割は60歳以上の高齢経営者によって担われている。岡山県の酪農はじわじわ衰退の途を辿っている。若い経営者を確保して新陳代謝させなければならない。
3.岡山県における酪農経営の第三者経営移譲の事例岡山県では、第三者経営委譲による新規酪農就農を推進すべく、関係機関、団体が意見交換しながらその手順・方法、関係機関・団体の役割分担を構想中であると聞いている。そうした検討と並行して、第三者経営移譲による新規酪農就農も推し進めている。ここでは、最近、第三者経営移譲が完了した2事例を紹介する。 (1)尾坂功氏のケース尾坂氏(32歳)は、今年9月に岡山市内東部の酪農経営移譲を完了し、新規就農した。経営移譲前は「おかやま酪農ヘルパー利用組合」に勤務していた。父の代になって酪農を廃止したが、祖父の代から長らく水田酪農を営んでいたので、子供の時代から乳牛を身近に感じていた。高校卒業後は建設会社に勤務したが、組織の一員として勤務するよりも、努力の成果が自分に返ってくる仕事、そして自分も家族も自然環境に溶け込んで仕事と生活をしたいと考えるようになり、子供時代を想い出し、酪農経営で身を立てたいという思いが高まってきた。妻の同意を得て転職を決断し、最初のステップとして法人経営の肉牛牧場に修行を兼ねて勤務した。6年間勤務し、肉牛の飼養管理、堆肥処理の全ての作業を体験し、飼養管理技術を習得した。この間、おかやま酪農協指導部の職員に、自分の夢や考えを相談した。おかやま酪農協指導部からのアドバイスで、第二のステップへ進んだ。平成22年4月から3カ月間、中四国酪農大学校で酪農ヘルパーの資格を取得する研修を受けた。研修後、直ちに「おかやま酪農ヘルパー利用組合」に勤務した。ヘルパー利用組合では酪農技術を習得しながら、地域の酪農家、農協、獣医師と交流し、さらに自分の酪農経営を構想しながら、「時」が来るのを待っていた。妻は介護士の資格を持ち介護の仕事に従事していたが、酪農経営に備えて、やはりおかやま酪農ヘルパー利用組合に臨時要員として勤務した。こうして、夫婦して自立した酪農経営への心の準備と技術習得の階段を着々と昇った。 その「時」は意外に早く、そして意外な酪農家からの話であった。岡山市内の実家の近所の酪農家で、尾坂氏の父が酪農を止めるまで、牧草収穫機械を共同所有し、共同作業をやっていた相手方のS氏であった。S氏がおかやま酪農協に酪農廃業と第三者経営移譲の意向を正式に申し入れたのは平成24年1月のことであった。おかやま酪農協は、酪農経営で自立したい意向があり、実家が近隣である誼で、尾坂氏に経営移譲の話を持ちかけた。双方、顔見知りで、信頼もあったので率直な話し合いができた。とんとん拍子で譲渡協議は進み、尾坂氏の両親、妻の両親からも同意を得て、4月には譲渡日を8月31日として大筋の合意にこぎ着けた。そこでおかやま酪農ヘルパー利用組合を退職し、早速、5月1日からS牧場に夫婦して研修に入った。 譲渡契約において、売買、権利関係は別にして、S氏から要求された事項は、(1)両親の了解を得ること、(2)堆肥舎を共同所有し、堆肥処理を共同で行っているM氏との、この関係を保持する、(3)近隣の農家、非農家と協調の精神で付き合う、であった。また、厚意の申し出として、譲渡後も当分の間、個体観察と作業手伝いをするとのことであった。S氏が強く言いたかったのは、“人間関係”であった。S氏にとっては、自分が去った後に迎える新規参入経営者が、近隣農家や農協と良好な付き合いをしてくれる人であって欲しいと願っていた。それは、去る者の責務であるとも考えていた。他方、尾坂氏夫婦も、農村は地縁社会であり、この地に住まわせてもらい、営農をする者にとって、わきまえた近隣の付き合いは重要であることをヘルパー組合勤務時代に理解しており、これを遵守することを固く約束した。 譲渡前のS氏の経営は、築27年(昭和60年建築)の24頭牛舎に経産牛22頭、育成牛3頭を飼養し、日平均出荷乳量は460kgであった。草地は自作地1ヘクタール、借地3ヘクタール(うち1ヘクタールは近隣のM氏との共同借地)と共同利用の河川敷6ヘクタールであった。堆肥舎はM氏の所有で、これを共同利用していた。S氏は、持病の腰痛が進んで農作業が困難になったことで第三者移譲、引退を決心したのであったが、率直なところ、最近は建物・機械の補修も新規投資もできておらず、多くは償却を終えていた。尾坂氏は、牛舎敷地と牛舎・牛舎内施設、機械一式と乳牛の譲渡を受けた。購入にはスーパーL資金を活用した。乳牛はS氏から経産牛19頭、育成牛5頭を受け入れ、加えて経産牛5頭、未経産牛11頭を新規に外部から導入した。これによって、経産牛24頭、育成牛・未経産牛16頭でスタートした。自給飼料は、自家の水田1.5ヘクタールとS氏から引き継いだ草地の借地3ヘクタールの合計4.5ヘクタールにイタリアンライグラスを栽培し、サイレージを生産する。水田には稲WCSを生産し、イタリアンライグラスを間作する。 譲渡交渉と並行して、おかやま酪農協指導部との膝詰で議論を重ねて「営農計画書」と資金借り入れのための「就農計画認定申請書」を作成した。建物・施設・機械の補修は可能な限り自分で行って、現金支出を抑制する一方、手持ち資金は乳牛導入資金に充てた。ただし、その後は自家育成による増頭とし、3年間で搾乳牛頭数30頭への増頭を目標にしている。就農初年の営農計画は経産牛24頭、経産牛1頭当たり8,800キログラムの産乳量で、年間210トン出荷、本格的な償還が始まる5年後の目標所得を400万円に設定した。なお、計画的に受精卵移植を行い、和子牛を哺育・育成する。酪農ヘルパー組合出勤も時間が許す限り継続する。現金収入確保のためである。(他に、水田転作にかかる戸別所得補償金を受給する。)今のところ、尾坂氏夫婦は希望に満ち、意欲満々である。尾坂牧場は順調に船出した。 しかし、経営がスタートすると、営農成績に問題が現れた。乳脂肪率が低い。飼料給与方法を検討中であるが、原因はまだ解明されていない。実所得が計画所得を達成しそうにない。乳量を上げる策として、積極的に淘汰更新、外部導入したいが資金がない。所得不足を補てんするために、外の仕事(酪農ヘルパー)にも従事しているが、その分、自家の個体管理にかかる時間を犠牲にする。早く経営を軌道に乗せたい。大きな夢を手中にしたものの、就農直後とはいえ、技術の不足、運転資金の不足による目標所得の未達成という厳しい現実に、自信喪失や焦燥感を味わっている。しかし、おかやま酪農協、普及センター、共済獣医、全酪連、県畜産協会のスタッフが頻繁に顔を出し、相談に乗ってくれている。「一人ではない。沢山の方々に支えられているので、後ろを振り向かず、“前へ前へ”という気持ちで、日々の営農に全力を傾注している。」との夫婦の弁である。
(2)山田俊宏氏のケース蒜山高原は中国地域を代表するリゾートエリアであるが、日本一のジャージー種の酪農地帯としても名を馳せている。しかし、地元で製造するジャージー種乳製品への人気とは裏腹に、ジャージー種の本来の特徴である高成分乳質を維持するための自給飼料生産が困難になり、ジャージー種飼養戸数、頭数共に減少し、需給が逼迫してきた。そこに、地域で最大規模のジャージー種の(有)百合原牧場が廃業を表明した。牧場主のT氏が廃業を決めた理由は、まだ50歳代ではあるが、ワンマン・オペレーション経営のための慢性的労働力不足で経営成績が低迷、経営改善に向けて牧場整備をしようにも、後継者がいないので踏みきれない、であった。一方、新たに(有)百合原牧場のあるじになったのは山田俊宏氏(29歳)である。平成23年3月にT氏から第三者経営移譲を受け、現在、ジャージー種経産牛55頭、育成牛22頭を飼養している。山田氏は、愛知県の非農家出身であるが、帯広畜産大学に進学した。大学農場で優しい顔の牛に親近感を覚えて、ぼんやり牛飼いを夢見るようになった。その余韻は卒業後も引きずっていた。就職したNPO法人から派遣された先が岡山県東部山間の西粟倉村であった。ここに1年間余り勤務したが、牛飼いの思いは消えなかった。ついに、おかやま酪農協の敷居をまたいだ。思いを説明し、酪農ヘルパー利用組合に転職した。酪農家を訪ね、飼養技術を研
第三者経営移譲による経営を成功させるためには、第一にお互いが納得した譲渡であること、第二には、譲受者が描いている夢を実現し、なおかつそれが持続的に経済性を実現することである。まず、第一の譲渡については、幸いにして譲渡者のT氏が負債を抱えてなかったのと、幸か不幸か、譲渡対象品に高額な譲渡物件がなかったので、譲渡交渉は円滑に進んだ。主たる譲渡物件は、乳牛、住宅と冬期用牛舎・搾乳施設、敷地、そして夏期用のアブレスト型ミルキング・パーラーとバルク・クーラーの搾乳舎、牧草収穫調整機械一式である。放牧地37ヘクタールはJA所有地の借地である。採草地の4ヘクタールも借地した。収穫機械は償却済みの中古である。こうして、牧場の譲受にかかる公的資金の借入をしないで済んだ。対地域住民調整バリアも発生せず、むしろ歓迎されたのも幸運であった。 第二の課題は、経営を譲受するにあたって、自分が思い描いている酪農経営をどう実現するか、そして同時に所得および資金循環(投資資金と運転資金)の経済性をどう実現させるかである。山田氏は、おかやま酪農協、普及センター、共済獣医師、岡山県畜産協会の親身のアドバイスを得ながら、(1)思い描いていたジャージー種の山地酪農を可及的に追及、(2)放牧型のワンマン・オペレーション経営、(3)極力、公的資金を借り入れない、という方針の下、議論を交わしながら営農計画書、収支計画書、資金計画書を作成した。結局、基本型は従来の飼養方式を踏襲することとなったが、より良質な粗飼料の生産で乳質を改善し、繁殖成績の改善で産乳量をアップする余地があった。外見は変わらないが、この2点を重点改善目標にした。なお、適切確実な作業の励行のためには労働力が足りないことから、当面、前経営者のT氏に従業員として、また相談相手として経営に関与してもらった。山田氏は高いモチベーションで経営をスタートさせた。
ただし、困難は続くもので、2年目の今年(平成24年)は想定外の疾病の発生に見舞われている。これこそ「経営リスク」である。経営リスクは新米経営者にも容赦なく襲ってくるが、前向きに対処するしかない。だが、若い新米経営者一人では克服できない場合もある。こういう時、現地の関係団体、機関がスクラムを組んで支援してくれることが重要である。(有)百合原牧場に降って湧いたこの疾病問題には、おかやま酪農協、農済真庭家畜診療所、真庭農業普及指導センター、真庭家畜保健衛生所が日々訪問し、対応策を講じ、新米経営者の山田氏を元気づけている。 また、中長期的な課題としては、畜舎、施設、農機具一式の全般的な老朽化である。これは第三者移譲に共通している。前経営主は自分の代で終わる経営であるから、譲渡前の何年間かは、できる限り更新投資も補修もしないで持ちこたえてきている。逆に言うと、譲受した新経営者が、積極的に補修、あるいは更新投資をしてゆかねばならない。(有)百合原牧場の場合もそうである。経営のライフサイクル、利用できる資金や償還能力を踏まえて、短期課題と中長期課題に分けて方針を立てて、1つずつ解決してゆくしかない。 4.結びにかえて〜酪農経営の「日本型第三者酪農経営移譲システム」への試論 本稿は非酪農家の子弟が酪農経営主になる社会階梯を構築しなければならないという問題意識を持って、岡山県下の第三者酪農経営移譲・新規参入の2事例を紹介した。どちらも経営がスタートしたばかりであるが、第三者経営移譲を考える上で重要な示唆を与えてくれた。結論に代えて、事例からの示唆を念頭に置きながら、日本の農村社会に受け入れられ、そして参入する経営者に着実な経営発展への歩みを導く「第三者酪農経営移譲」の手順と方法を試論として示す。これを「日本型第三者酪農経営移譲システム」と呼ぼう。関係者に、今後の酪農経営継承の1つのキャリアパスとして推進すべく、その具体方策検討の素材としたい。
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