京都美術工芸大学 学長 宮崎 昭
【要約】 収益性の低下に苦しむ畜産経営が多い中で、肥育牛および繁殖雌牛の飼養技術を高度化し、肥育牛出荷を共同化し成功しつつある事例を紹介する。5名の経営者は45〜52歳の後継者で、
先日、第3回食肉学術フォーラム(平成24年9月24日開催)の席上、農林水産省生産局畜産部からの出席者の挨拶で、「今年は畜産経営を揺るがす大きな問題が起こらなかったので、このフォーラムに3回とも出席できて良い勉強ができた。」と発言されていたのが印象深かった。畜産関係者は、ここ何年か口蹄疫、大震災、鳥インフルエンザなどの対応に大わらわであった。加えて機構改革の嵐も吹き、気の休まる日が少なかったように思われる。
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福永氏の肥育牛舎 |
高崎氏の肥育牛舎 |
彼らが肥育牛を東京へ出荷したいと考えたのは、主な出荷先が大阪、京都など関西が中心で、東京における鹿児島県産牛の知名度が極めて低いという状況を打破したかったからであった。また、彼らには宮崎県の経営者は商売上手と映り、追いつきたいとも考えていた。しかし、当時から県内では「関西で十分に売れているのだからあえて東京へ送ることもない。」との考えが一般的であった。鉄道作家の原口隆行氏も最近ラジオで、「九州人の間では古くから遠くて関西止まり、東京など論外という気質があった。」と話しておられた。
それに我慢がならなかった福永氏は、平成17年頃、知人の紹介で肥育牛を東京都中央卸売市場食肉市場(以下、東京食肉市場)へ出荷する機会を得た。東京だけではなく、横浜へも出荷されるようになるとすぐに荷を増やし、19年には月2車、20年には月3車のトラック輸送となった。輸送には丸一日かかるが、遠いとは思わなくなり、心配した肉色への影響も杞憂に終わった。
ちょうど同じ頃、一部の流通業者が「薩摩西郷牛」というブランドを商標登録して鹿児島県の肥育牛を東京に出荷し始めていた。福永氏も当初そのルートに乗ったものの、自分の仲間で本格的な東京への出荷ができるようにと倶楽部を結成した。彼らがこのような動きをすることができたのは、JA鹿児島県経済連の傘下を離れて独立した経営を展開していたからである。また、福永氏は当時鹿児島銀行の誘いで融資を受け、規模拡大を実現しつつあった時期でもあった。
肥育もと牛は現在のところ外部導入が多い。その多くは薩摩中央市場から導入し、残りを県内の大隅諸島の種子島や奄美群島の与論島や沖縄県石垣市などから導入している。肥育もと牛は、以前は去勢が7割以上であったが、今では高級肉専門店からの要望もあって雌が7割となった。導入に当たっては、体が大きい割に決して過肥でなく、肋張りがあって食い込みの良さそうな頬の張った牛を選ぶと同時に、角と蹄をよく観察して、病歴のないものを相応の値段で導入している。
現地調査の日に高崎氏の牛舎に肥育もと牛がトラックで運ばれてきた。石垣市から搬送されてきた牛であるが、ここでは5頭が降ろされ、残りは福永氏の牛舎へ運ばれていった。荷台の5頭の子牛が群れから無作為に降ろされた光景は奇異であったが、両氏がいつも通りのことと平然と見ておられる様子に米国での子牛導入に似ていると感じた。
搬送された子牛 |
福永畜産の子牛 |
肥育牛管理には万全を期し、牛舎の構造は、飼槽を大きく設計して底を広めにし、飼料を食べ易くするなど大型化した牛に合わせる工夫をしている。牛舎にはパイプ配管で配合飼料が運ばれてくる自動給餌機があり、自動的に飼槽に落下する構造であるが、手動で落下させ、牛房(マス)にいる牛を観察することもある。牛舎に人がいない時間が長い経営は、肥育でも繁殖でも失敗する、という信念を持っているからだ。特に肥育後期にビタミンコントロールをする際、それが大事だという。
給水装置は足踏み式で、溜まった水全量が一挙に排水され、また新しい水が溜まる仕掛けになっている。通路を歩きながら、汚れた水槽を見つけるとペダルを踏んで全量交換し、牛が清潔な水をいつでも飲めるように気をつけている。一事が万事、牛にとって気持ちの良い環境づくりをしようと、牛舎内の整理整頓に努めている。
牛舎の夏季の暑さ対策には従前から直下型換気扇を用いていたため、敷料の乾きがよく、牛体の汚れは少なかった。さらに平成20年からは、牛舎のマスの上部にパイプを配管し、上から霧を降りかけることにした。噴霧は気温が高くなる前、朝10時頃から夕方にかけて、初夏には1時間毎、夏には20〜30分毎に40〜50秒間、自動的に続けられる。牛はその下に集まり暑さをしのぐため、夏場の食い込みが落ちないという。また、この細霧装置に消毒剤を混ぜて散布することで、牛舎内のハエの発生も防ぐことができた。このように飼養管理に細心の注意を払っていても病気が発生することがあるが、その時は共済と民間の獣医師がすぐに来てくれるようになっている。
肥育牛舎の自動給餌機 |
給水装置 |
繁殖雌牛には、粗飼料主体の飼料を給与している。そのため、肥育経営であっても水田や畑地の活用に熱心である。倶楽部内の耕地面積は、水田21ヘクタール、畑8ヘクタールを最高に、5ヘクタールかそれ以下が多い。水田裏作にイタリアンライグラスの栽培は一般的であり、イネやトウモロコシはコントラクターに依頼し、ホールクロップサイレージに調製している。
福永氏の父準一郎氏が、県下で1万頭をカバーする鹿児島県肉用牛経営者会議理事長であった平成20年の記念大会のあいさつで、「今後重要なことは、地元で粗飼料対策をすることである。購入した方が安上がりと言うが、品質の安全性などを考えて、休耕田を活用し、飼料イネに力を入れていこう。」と述べられた。それから倶楽部では率先して粗飼料作りをしてきた。
福永畜産の飼料畑 |
放牧中の繁殖雌牛 |
子牛保温用の吊下げ式電気ストーブ |
北さつま牛は飼養管理に万全を期して生産された肥育牛で、安全、安心はもとより愛情たっぷりに育てあげられたものである。輸送の道中も運転者は停車できるところでは出荷牛をチェックし、水を与えるなど、畜産をよく知る家畜輸送専門の会社に安心して任せている。しかもトラック(12頭積み)で毎月8車の輸送で定時定量出荷しているため、東京食肉市場からの信用も大きい。筆者が「北さつま牛搬送中」などの横断幕を運搬車両のボディにつけて走ってはどうかと言うと興味を示された。
倶楽部から出荷される肥育牛の約8割が東京食肉市場で枝肉となり、そのうちA4ランク以上に格付けされたものに対して「北さつま牛」の印が押されて流通する。出荷牛のほとんどは「北さつま牛」となるが、中には格付けがA3ランクになるものもある。その場合は印こそ押さないが、それなりの評価で流通している。
残りの約2割は横浜や神戸に出荷され、その場合は「北さつま牛」ではなく「○○畜産」といった個別の経営ごとの出荷となる。また全出荷の3〜5%は県内で高級牛肉を扱う企業に出荷され、構成員が経営する直営の焼き肉店や契約店でも提供されている。15年前にさつま町に開店した店舗では上質黒毛和牛がお手頃価格で食べられると人気上々で、今年になって鹿児島市内の繁華街にも出店した。東京でも何軒かの店舗で北さつま牛が取り扱われており、特に醍醐Luz大森店は北さつま牛のアンテナショップのようになっている。
出荷にあたっては相場を読んで、例えば「今回は特に良い肥育牛を送る」といった戦略を練っている。花見相場、正月相場など古くから牛肉消費が多く、値も高くなりがちな時期はもとより、短期的な値動きにも敏感に合わせている。また、肥育牛の仕上げ牛舎の2頭マスや、4頭マスにいる頭数が欠けることがあるが、これは牛を選んで出荷しているからである。
宮崎県で口蹄疫が発生した時には、出荷牛の価格が半年間ほどとても安かった。それに対し、宮崎県では補償があったが鹿児島県ではなかったことに不満を持っていると言う。
倶楽部では、当分は、公益社団法人日本食肉格付協会の格付けによる取引が一般的であるためサシを重視するが、いずれ味などサシ以外の要素を重視する時代が来るとみており、サシのみにこだわるつもりはないとのことである。
今回の調査を通して、畜産経営者の仲間づくり運動として「北さつま牛和牛倶楽部」を見ると、次の点が注目される。
まず、志が立派である。黒毛和種日本一の県から肥育牛を東京食肉市場へ出荷しようと5人衆が市場開拓に乗り出た。別々の経営をしながら同一ブランドで枝肉が販売できるように飼料を共通のものとし、品質の揃った良い肥育牛を生産することで定時定量出荷体制を作り、北さつま牛生産地としての信用を得たことは特筆に値する。
次に、飼料以外は必ずしも共通の枠でしばろうとしていないことである。5人は「良き仲間でありライバル」として競い合って倶楽部のレベルを高めている。お互いに独自性を尊重し、誰かが新しい技術導入に成功すれば、それを、それぞれの経営にうまくおさまる形で取り入れている。すなわち、情報の共有化を毎週のミーティングで図り、全体として技術を改善している。
たとえば、福永氏は徳重和牛人工授精所の種雄牛の子牛を求めることが多いが、野村氏は羽子田和牛人工授精所との縁が深いことからも、独自の路線を歩んでいることがわかる。また、肥育牛の仕上げ期のビタミンコントロールに対しても、経営者ごとに独自の対処法がある。
さらに、一貫経営を意識して繁殖部門を取り入れた時も、肥育部門で大幅な増頭をした時も、誰かが先行するとすぐに追いつき追い越せとばかりに対応しているのは、ライバル心の成せることである。また、大きな枝肉共励会で良い成績を得ることに関して、5人衆は常に5等級を目指すことが暗黙の了解になっていて、頭数が増えても決して品質は落とさないと向上心に燃えている。その結果、東京への出荷を成功させたのであるが、さらなる上を目指して、鹿児島県に対米食肉輸出工場があるという地の利を活かし、北さつま牛の輸出にも取り組もうと意気込む。また、新しく倶楽部に加わりたい経営者が現れると、仲間に入ってもらうのもやぶさかではない。「来るものは拒まず、去る者は追わず」という姿勢は立派である。倶楽部の今後の発展を祈りたい。
謝辞
本専門調査を実施するにあたりお世話いただいた、公益社団法人中央畜産会経営支援部(情報)部長齊藤美晴氏に深謝申し上げたい。
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