調査・報告 専門調査  畜産の情報 2013年5月号

発展の原動力は仲間の力
〜北さつま牛和牛倶楽部(鹿児島県)〜

京都美術工芸大学 学長 宮崎 昭



【要約】

 収益性の低下に苦しむ畜産経営が多い中で、肥育牛および繁殖雌牛の飼養技術を高度化し、肥育牛出荷を共同化し成功しつつある事例を紹介する。5名の経営者は45〜52歳の後継者で、
合計肥育牛3,117頭、繁殖雌牛464頭を飼養している。別々の経営ながら、同一ブランドで枝肉を
販売できるように飼料を共通にするなど管理にも気を配り、品質の揃った肥育牛を生産して東京市場へ定時定量出荷している。また、一貫経営に向けて雌牛の導入を多くしている。5名は「良き仲間でありライバル」と自覚し、競い合って倶楽部のレベルを高めている。


はじめに

 先日、第3回食肉学術フォーラム(平成24年9月24日開催)の席上、農林水産省生産局畜産部からの出席者の挨拶で、「今年は畜産経営を揺るがす大きな問題が起こらなかったので、このフォーラムに3回とも出席できて良い勉強ができた。」と発言されていたのが印象深かった。畜産関係者は、ここ何年か口蹄疫、大震災、鳥インフルエンザなどの対応に大わらわであった。加えて機構改革の嵐も吹き、気の休まる日が少なかったように思われる。

 平成24年度は、それがやっと落ち着きを取り戻してきたと思われるが、現実には長引く不況で消費者の低価格志向が続く中、飼料価格の高騰が続いており、収益性の低下に苦しむ経営が多い。24年前半までは米国産トウモロコシの作柄が良く、生産量の増加が見込まれるとの報道に安心したのも束の間、6月中旬以降の高温乾燥による大干ばつのため、一転して不作となった。そのため、海外の飼料穀物価格は軒並み高騰し、我が国の配合飼料価格にも影響が及んでいる。

 しかし、そうした中でも生産者が知恵を絞り、さまざまな工夫をして経営安定に努めている事例がある。今回は、肥育牛および繁殖雌牛の飼養技術を高度化し、肥育牛出荷を仲間づくり活動によって共同化して、収益性の高い経営を実現しつつある「北さつま牛和牛倶楽部」(鹿児島県)の活動を調査した。構成員は福永充、高崎淳一郎、野村輝雄、前田好宏(以下、前田)、および前田明宏(以下、まえだ)の5名で、いずれも45〜52歳の若い後継者であった。今回は、福永・高崎両経営を中心に調査を実施したが、他の経営についても聞き取り調査を行った。

繁殖地帯に生まれた肥育経営

 鹿児島県は、温暖な気候や広大な畑地に恵まれ畜産が盛んである。中でも黒毛和種飼養頭数は全国一の35万7000頭(平成24年2月現在)でシェアは全国の2割弱に及ぶ。そこは古くから子牛生産が盛んで肥育もと牛を全国に供給してきた。

 「北さつま牛和牛倶楽部」がある北薩摩地域も以前から子牛生産が盛んで、今でも民間の人工授精所がいくつかあり、和牛改良に切磋琢磨してきた。その結果、優秀な種雄牛が数多く活躍している。その一つ、徳重和牛人工授精所の先代である学氏は、昭和35年頃、京都大学の牧場の実習生として、上坂章次教授の指導の下、和牛の勉強に励んでおられた。当時学生であった筆者は実習の度にお世話になったものである。この地域に近い薩摩中央家畜市場は全国的に知られた高値の子牛市場であり、北薩摩地域は全国有数の和牛繁殖地である。

 しかし、そのような土地柄でも肥育に取り組む経営が生まれていた。福永氏の経営は薩摩郡さつま町柏原にあり、平成5年に充氏が就農したときには肥育牛40頭がいた。大学を卒業して肥育に取り組みたいと考えていた彼はスターゼン株式会社に就職して1年間働き、経営感覚を磨いてから帰郷した。その直後から本格的な増頭に踏み切った。13年に有限会社福永畜産を継いだ後、19年10月に「北さつま牛和牛倶楽部」が設立された。その頃には肥育牛400頭、繁殖雌牛50頭まで増頭した。

福永氏の肥育牛舎
 同倶楽部副会長の一人、高崎氏の経営は薩摩川内市祁答院げどういん 町上手にあり、淳一郎氏が就農した平成14年に県の後継者育成事業で牛舎を整備し、60頭規模の繁殖雌牛の飼育を始めた。その後、19年には60頭規模の肥育牛経営を取り入れた。もう一人の副会長、野村氏の経営は出水市高尾野町にあり、輝雄氏が就農した8年には150頭規模の肥育牛経営であったが、将来、一貫経営の時代が来ると予見して、翌年、繁殖雌牛2頭を導入し、19年には肥育牛392頭、繁殖雌牛73頭まで増頭した。その頃、前田氏とまえだ氏の経営は共に出水市大川内にあり、肥育牛280頭規模であった。

 倶楽部が設立して5年後の平成24年には、福永氏が肥育牛900頭、繁殖雌牛80頭、高崎氏が肥育牛900頭、繁殖雌牛150頭、野村氏が肥育牛777頭、繁殖雌牛164頭、前田氏が肥育牛260頭、繁殖雌牛70頭、そしてまえだ氏が肥育牛280頭まで増頭した。この大幅な増頭は、倶楽部の構成員が仲間として互いに競い合った結果である。特に福永、高崎、野村の3氏は同じ年齢で「良き仲間でありライバル」と自他共に認める牽引役である。倶楽部の24年の飼養頭数(肥育牛合計3,117頭、繁殖雌牛合計464頭)のうち、この3氏で肥育牛2,577頭(83%)、繁殖雌牛394頭(85%)を飼養しており、倶楽部の中核的な経営となっている。
高崎氏の肥育牛舎

肥育牛を東京へ送ろう

 彼らが肥育牛を東京へ出荷したいと考えたのは、主な出荷先が大阪、京都など関西が中心で、東京における鹿児島県産牛の知名度が極めて低いという状況を打破したかったからであった。また、彼らには宮崎県の経営者は商売上手と映り、追いつきたいとも考えていた。しかし、当時から県内では「関西で十分に売れているのだからあえて東京へ送ることもない。」との考えが一般的であった。鉄道作家の原口隆行氏も最近ラジオで、「九州人の間では古くから遠くて関西止まり、東京など論外という気質があった。」と話しておられた。

 それに我慢がならなかった福永氏は、平成17年頃、知人の紹介で肥育牛を東京都中央卸売市場食肉市場(以下、東京食肉市場)へ出荷する機会を得た。東京だけではなく、横浜へも出荷されるようになるとすぐに荷を増やし、19年には月2車、20年には月3車のトラック輸送となった。輸送には丸一日かかるが、遠いとは思わなくなり、心配した肉色への影響も杞憂に終わった。

 ちょうど同じ頃、一部の流通業者が「薩摩西郷牛」というブランドを商標登録して鹿児島県の肥育牛を東京に出荷し始めていた。福永氏も当初そのルートに乗ったものの、自分の仲間で本格的な東京への出荷ができるようにと倶楽部を結成した。彼らがこのような動きをすることができたのは、JA鹿児島県経済連の傘下を離れて独立した経営を展開していたからである。また、福永氏は当時鹿児島銀行の誘いで融資を受け、規模拡大を実現しつつあった時期でもあった。

肥育もと牛の導入

 肥育もと牛は現在のところ外部導入が多い。その多くは薩摩中央市場から導入し、残りを県内の大隅諸島の種子島や奄美群島の与論島や沖縄県石垣市などから導入している。肥育もと牛は、以前は去勢が7割以上であったが、今では高級肉専門店からの要望もあって雌が7割となった。導入に当たっては、体が大きい割に決して過肥でなく、肋張りがあって食い込みの良さそうな頬の張った牛を選ぶと同時に、角と蹄をよく観察して、病歴のないものを相応の値段で導入している。

 現地調査の日に高崎氏の牛舎に肥育もと牛がトラックで運ばれてきた。石垣市から搬送されてきた牛であるが、ここでは5頭が降ろされ、残りは福永氏の牛舎へ運ばれていった。荷台の5頭の子牛が群れから無作為に降ろされた光景は奇異であったが、両氏がいつも通りのことと平然と見ておられる様子に米国での子牛導入に似ていると感じた。
搬送された子牛
 肥育もと牛は8〜10カ月齢で導入され、28〜30カ月齢で出荷される。以前は28カ月齢で出荷することも多かったが、肉質重視の結果、今ではほとんどが30カ月齢での出荷となった。東京食肉市場の購買者は「とにかく長く飼って欲しい。」と要望しており、特に雌は30カ月齢を越えたものを好んで買う傾向が強い。しかし、倶楽部ではそれ以上肥育するつもりはないとのことである。一方、去勢については必ずしもそうではなく、仕上がったと思うと28カ月齢でも出荷している。出荷時体重は去勢で750〜780キログラム、雌でも700キログラム近くなり、枝肉重量は去勢で平均520キログラム、雌では平均450キログラムが目安であるが、最近では雌でも500キログラムに達するものも珍しくない。

 肥育に際しては、外部導入牛は去勢牛で2カ月、雌牛で3カ月ほど初期の飼い直しが必要となるが、自家産の子牛はその必要がないばかりか、輸送によるストレスもないので肥育成績が良い。従って、自家産子牛は特別に後継牛として残す雌牛を除いて、すべてを肥育することにしている。

福永畜産の子牛

配合飼料を統一メニューに

 肥育に際して倶楽部で統一的な飼養管理を行っているのは、東京に出荷する北さつま牛ブランドを維持するためである。肥育期間中に給与する配合飼料は、福永氏が長年にわたって研究してきた最良の配合であり、飼料会社に製造委託しているものを、すべての経営において共通して給与している。肥育用配合飼料は共通であっても、それ以外に給与する補助的な飼料は各自に任せられている。そこが工夫のしどころで、そうしたことによる枝肉の仕上がり具合を出荷毎に検討することで、倶楽部内の飼養管理技術が良い方向へ広がっていく。

 東京食肉市場で出荷牛の枝肉を毎回見ているということだが、初めの5年間は福永氏が必ず見に行き、構成員との定例ミーティングで報告し検討してきた。それにかかる旅費を皆でバックアップするようになったのは、枝肉に関する良い情報が戻ってくるとお互いに認め合うようになったからである。

 肥育前期は、飼い直し期間が含まれており、期間は普通4カ月ほどである。この時期は粗飼料主体で、濃厚飼料は抑え気味に給与している。国産稲ワラに加えて毎日、稲ホールクロップサイレージ2キログラム、食品残さのウイスキー粕2キログラムを与える。中後期になると、トウモロコシ中心の配合飼料となり本格的な肥育に移る。肥育が進むにつれて煎り大豆も給与するが、これによって肉の光沢が良くなる。また、肉の美味しさを高めるとされるオレイン酸を含んだ米ヌカ、米粉をおやつ程度に給与している。

 肥育期間として中期、後期が特に区別されていないのは、鹿児島県で肥育される牛が以前よりも大型で食い込みが良くなっているからである。この時期の粗飼料は、21カ月齢まではチモシー乾草等を給与するが、それ以降はビタミンコントロールのため稲ワラのみとしている。しかし、ビタミン不足による事故発生を防ぐため、常に注意深く観察している。増体が止まったり、牛が尖ってきたときは欠乏が進んだ危険な状態であり、ビタミンA欠乏症と判断すれば、ヘイキューブを少量与えることもある。各構成員の経営での事故率は2%のところもあるが、多くは1%以下である。事故率の高い経営は、上物ねらいでビタミンコントロールがきついようであった。

万全を期した肥育牛管理

 肥育牛管理には万全を期し、牛舎の構造は、飼槽を大きく設計して底を広めにし、飼料を食べ易くするなど大型化した牛に合わせる工夫をしている。牛舎にはパイプ配管で配合飼料が運ばれてくる自動給餌機があり、自動的に飼槽に落下する構造であるが、手動で落下させ、牛房(マス)にいる牛を観察することもある。牛舎に人がいない時間が長い経営は、肥育でも繁殖でも失敗する、という信念を持っているからだ。特に肥育後期にビタミンコントロールをする際、それが大事だという。

 給水装置は足踏み式で、溜まった水全量が一挙に排水され、また新しい水が溜まる仕掛けになっている。通路を歩きながら、汚れた水槽を見つけるとペダルを踏んで全量交換し、牛が清潔な水をいつでも飲めるように気をつけている。一事が万事、牛にとって気持ちの良い環境づくりをしようと、牛舎内の整理整頓に努めている。

 牛舎の夏季の暑さ対策には従前から直下型換気扇を用いていたため、敷料の乾きがよく、牛体の汚れは少なかった。さらに平成20年からは、牛舎のマスの上部にパイプを配管し、上から霧を降りかけることにした。噴霧は気温が高くなる前、朝10時頃から夕方にかけて、初夏には1時間毎、夏には20〜30分毎に40〜50秒間、自動的に続けられる。牛はその下に集まり暑さをしのぐため、夏場の食い込みが落ちないという。また、この細霧装置に消毒剤を混ぜて散布することで、牛舎内のハエの発生も防ぐことができた。このように飼養管理に細心の注意を払っていても病気が発生することがあるが、その時は共済と民間の獣医師がすぐに来てくれるようになっている。
肥育牛舎の自動給餌機
給水装置

一貫経営に向けた飼養管理

繁殖雌牛には、粗飼料主体の飼料を給与している。そのため、肥育経営であっても水田や畑地の活用に熱心である。倶楽部内の耕地面積は、水田21ヘクタール、畑8ヘクタールを最高に、5ヘクタールかそれ以下が多い。水田裏作にイタリアンライグラスの栽培は一般的であり、イネやトウモロコシはコントラクターに依頼し、ホールクロップサイレージに調製している。

 福永氏の父準一郎氏が、県下で1万頭をカバーする鹿児島県肉用牛経営者会議理事長であった平成20年の記念大会のあいさつで、「今後重要なことは、地元で粗飼料対策をすることである。購入した方が安上がりと言うが、品質の安全性などを考えて、休耕田を活用し、飼料イネに力を入れていこう。」と述べられた。それから倶楽部では率先して粗飼料作りをしてきた。
福永畜産の飼料畑
 また、繁殖雌牛の発情適期を見落とさないためには観察が重要であることから、牛舎には常に人が居るように心がけている。目視による確認が一番大切であるが、野村氏は牛に万歩計型の発情発見装置をつけ、見落としをカバーしたり、労力を軽減するためのサポートとして活用している。さらに、県下初という分娩監視通報システムも導入しており、分娩1日前の体温低下の知らせが携帯電話に入るため、寝ていても気づくという。

 種付けは個人で行う人もいれば、元従業員であった人工授精師に頼む人もいるが、いずれも適期に種付けを実施している。

 育成牛や妊娠鑑定済みの雌牛は日中放牧し、健康管理と繁殖性向上のために十分運動をさせて、分娩が近づくと分娩牛舎に移す。産まれた子牛は生後3日、長くても5日で早期離乳し人工哺育する。その際、哺乳ロボットを使う人もいれば、バケツ哺乳の人もおり、人工哺乳用乳首を使用後は、消毒薬の入ったバケツに漬けている。このように、早期離乳によって母体の発情回帰は早くなり、年1産の繁殖成績を保っている。
放牧中の繁殖雌牛
 また、新生子牛は冬場は吊り下げ式電気ストーブで保温したり、カーテンを降ろして風を防ぎ、寒さをしのいでいる。
子牛保温用の吊下げ式電気ストーブ
 一般に繁殖雌牛と肥育牛の飼養管理は技術的に大きな違いがある。一貫経営を目指した先達は、しばしば失敗を重ねてきた。繁殖雌牛は粗飼料で飼いながら、妊娠末期の3カ月間は、胎児の発育と母体のその後の泌乳能力を高めるため、少量の濃厚飼料を追加給与した方が良いが、肥育牛は濃厚飼料を多給しなければならない。繁殖雌牛経営から入った一貫経営では、肥育牛を十分肥らせるのに失敗しがちで、逆に肥育牛経営から入った一貫経営では繁殖雌牛が過肥になり繁殖障害に悩んできた。その点を踏まえて、福永氏は牛舎も担当者も別々にして技術的混乱を避けている。高崎氏は当初から肥育と繁殖は技術的に違うと考えて、うまく一貫経営を取り入れた。また、母牛群の能力を向上させるために、産子の肥育後の枝肉データを分析して、どんな掛け合わせがよいのか、といった検討も始めている。

 このように一貫経営の良い点が明らかになってきたことから、繁殖雌牛部門を拡大し、肥育もと牛の5〜6割まで自家産できるようにしたいとの意向も出始めた。

 多頭飼育をしていても効率の良い作業を心掛けているため、労働力はあまりかからない。福永氏は従業員4名(平均35歳)で、肥育牛の管理に2名、繁殖牛の管理に1名、子牛哺育に1名が当たり、経営者である福永氏が総括的にすべてに目を配る。臨時にはシルバー人材1名が入ることがある。高崎氏は従業員7名(平均43歳)であるが、毎年研修生1名を入れている。臨時にはシルバー人材1名が入ることがある。野村氏も従業員6名(平均44歳)に加え、研修生を入れている。シルバー人材も必要に応じて入れる。研修生は農業大学校出身で将来独立して畜産経営を志す人で、ここで管理技術などいろいろなことを学んでいるが、肥育でも繁殖でも1回転見なければ技術は身につかないため、研修期間は最短でも2年を超えることとなる。

肥育牛のブランド化

 北さつま牛は飼養管理に万全を期して生産された肥育牛で、安全、安心はもとより愛情たっぷりに育てあげられたものである。輸送の道中も運転者は停車できるところでは出荷牛をチェックし、水を与えるなど、畜産をよく知る家畜輸送専門の会社に安心して任せている。しかもトラック(12頭積み)で毎月8車の輸送で定時定量出荷しているため、東京食肉市場からの信用も大きい。筆者が「北さつま牛搬送中」などの横断幕を運搬車両のボディにつけて走ってはどうかと言うと興味を示された。

 倶楽部から出荷される肥育牛の約8割が東京食肉市場で枝肉となり、そのうちA4ランク以上に格付けされたものに対して「北さつま牛」の印が押されて流通する。出荷牛のほとんどは「北さつま牛」となるが、中には格付けがA3ランクになるものもある。その場合は印こそ押さないが、それなりの評価で流通している。

 残りの約2割は横浜や神戸に出荷され、その場合は「北さつま牛」ではなく「○○畜産」といった個別の経営ごとの出荷となる。また全出荷の3〜5%は県内で高級牛肉を扱う企業に出荷され、構成員が経営する直営の焼き肉店や契約店でも提供されている。15年前にさつま町に開店した店舗では上質黒毛和牛がお手頃価格で食べられると人気上々で、今年になって鹿児島市内の繁華街にも出店した。東京でも何軒かの店舗で北さつま牛が取り扱われており、特に醍醐Luz大森店は北さつま牛のアンテナショップのようになっている。

 出荷にあたっては相場を読んで、例えば「今回は特に良い肥育牛を送る」といった戦略を練っている。花見相場、正月相場など古くから牛肉消費が多く、値も高くなりがちな時期はもとより、短期的な値動きにも敏感に合わせている。また、肥育牛の仕上げ牛舎の2頭マスや、4頭マスにいる頭数が欠けることがあるが、これは牛を選んで出荷しているからである。

 宮崎県で口蹄疫が発生した時には、出荷牛の価格が半年間ほどとても安かった。それに対し、宮崎県では補償があったが鹿児島県ではなかったことに不満を持っていると言う。

 倶楽部では、当分は、公益社団法人日本食肉格付協会の格付けによる取引が一般的であるためサシを重視するが、いずれ味などサシ以外の要素を重視する時代が来るとみており、サシのみにこだわるつもりはないとのことである。

おわりに

 今回の調査を通して、畜産経営者の仲間づくり運動として「北さつま牛和牛倶楽部」を見ると、次の点が注目される。

 まず、志が立派である。黒毛和種日本一の県から肥育牛を東京食肉市場へ出荷しようと5人衆が市場開拓に乗り出た。別々の経営をしながら同一ブランドで枝肉が販売できるように飼料を共通のものとし、品質の揃った良い肥育牛を生産することで定時定量出荷体制を作り、北さつま牛生産地としての信用を得たことは特筆に値する。

 次に、飼料以外は必ずしも共通の枠でしばろうとしていないことである。5人は「良き仲間でありライバル」として競い合って倶楽部のレベルを高めている。お互いに独自性を尊重し、誰かが新しい技術導入に成功すれば、それを、それぞれの経営にうまくおさまる形で取り入れている。すなわち、情報の共有化を毎週のミーティングで図り、全体として技術を改善している。

 たとえば、福永氏は徳重和牛人工授精所の種雄牛の子牛を求めることが多いが、野村氏は羽子田和牛人工授精所との縁が深いことからも、独自の路線を歩んでいることがわかる。また、肥育牛の仕上げ期のビタミンコントロールに対しても、経営者ごとに独自の対処法がある。

 さらに、一貫経営を意識して繁殖部門を取り入れた時も、肥育部門で大幅な増頭をした時も、誰かが先行するとすぐに追いつき追い越せとばかりに対応しているのは、ライバル心の成せることである。また、大きな枝肉共励会で良い成績を得ることに関して、5人衆は常に5等級を目指すことが暗黙の了解になっていて、頭数が増えても決して品質は落とさないと向上心に燃えている。その結果、東京への出荷を成功させたのであるが、さらなる上を目指して、鹿児島県に対米食肉輸出工場があるという地の利を活かし、北さつま牛の輸出にも取り組もうと意気込む。また、新しく倶楽部に加わりたい経営者が現れると、仲間に入ってもらうのもやぶさかではない。「来るものは拒まず、去る者は追わず」という姿勢は立派である。倶楽部の今後の発展を祈りたい。

謝辞

 本専門調査を実施するにあたりお世話いただいた、公益社団法人中央畜産会経営支援部(情報)部長齊藤美晴氏に深謝申し上げたい。

 
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